第25話 夏の始まり
梅雨明けが発表されて、本格的な夏がやって来た。
教室の窓からは、大して涼しく無い風と暑苦しい蝉の声。
一学期最後のホームルームを終えた教室には、もうクラスメートの姿はなく、唄子と私だけが席に座っていた。
「どうしよう……」
唄子は私の手に自分の手を重ねて、深刻な声色で呟いた。
「どうしようも無いよ。とにかく先輩に相談するしかないよ」
ホームルームの後に担任教師の柴田から追試の話があった。
追試を受けるのは赤点を取った生徒と、試験を欠席した生徒だ。
期末試験の初日、病欠してしまった唄子は一日だけ登校して追試を受けなければならない。
そして、その夏休み中に行われる追試の日程が、保育園を訪問する日と完全に被っていた。
他の教科だったらこうならなかった。しかし、どういう巡り会わせか試験を受けなかった教科が、よりにもよって人形劇を上演する初日に当たってしまったのだ。
ようやく人形も完成し、夏休みに入れば毎日劇の練習ができると意気込んでいた矢先だった。
「午後から先輩来るし、それからどうするか考えようよ」
「無理やりにでも、試験を受けとけば良かった……」
落ち込み方が半端ない。
あれだけ意気込んでいたのだから仕方ないだろう。
返って来たテストを唄子に見せてもらったが、微熱があった状態で受けた残りの教科の点数は全て90点以上だった。
私はというと、一教科だけ赤点スレスレだったけれど、他の教科は自分でもびっくりしたほど良い点数だった。
唄子と一緒にテスト勉強をした成果が、目に見える形で現れた。そんな感じだ。
それにしても、赤点候補だった私ではなく唄子が追試というのは、なんだか皮肉なものだ。
「時間、巻き戻したい……」
それから、気の毒な程うなだれる唄子と共に、私たちは部室へと向かった。
午後から部室に現れた先輩たちに、そのことを話すと、瑞希先輩に吹き出された。
「マジ? ウーちゃん追試被っちゃったの?」
てっきり深刻に受け止められると思っていたのにこの反応。
拍子抜けしてしまった私と唄子の口からは何も出てこない。
因みに瑞希先輩が口にした「ウーちゃん」というのは唄子の「う」で、私は彩夏の「あ」を取って「アーちゃん」と先輩たちから最近は呼ばれている。
余談だが「アーちゃん」は幼馴染の康太から呼ばれ馴れているので、特に何の違和感もない。
そして、妙に陽気な瑞希先輩に、この葉先輩が水を差す。
「もう、瑞希。他人事じゃないでしょ」
「へへへ、すんません。実は私も追試組です」
頭を掻きながらペロリと舌を出して見せた瑞希先輩に、また私たちは呆気に取られてしまった。
調子の良い瑞希先輩の腕を、この葉先輩はギュッとつねった。
「いたたた。まあ幸いなことに、私は追試の日は被ってないけどね」
「もう、ヒヤヒヤさせないでよ。赤点二つも取って。この子たちに示しがつかないじゃない」
赤点を取ったのか。しかも二つも。
しかし、追試の日と被っていなかったのは幸いだった。
「ちゃんと勉強してってあんなに言っておいたのに、これよ。もっと責任感を持って欲しいものだわ」
「大丈夫、大丈夫。もし追試が人形劇の日と重なったら、病欠して追試の追試を受けるつもりだったし」
追試の追試……そういう手もあるのか……。
ふと隣に目を向けると、唄子は何やら感心している様子だ。
もしかして、追試の追試を受けようって思ってる? いや、それダメでしょ。
「瑞希ちゃん、おかしなこと吹き込んじゃ駄目よ」
教室にふわりと髪を揺らして入って来たのは律子先生だった。
全部聞いていたようで、先生は口元に苦笑を浮かべていた。
「サークル活動のために追試をさぼるなんて本末転倒。そこは顧問としてきっちり釘を刺しておくわ」
「すみません……」
瑞希先輩は怒られてちょっと小さくなった。
「ボランティア活動はリーダーシップを磨く場でもある。あなたたち先輩は後輩にカッコいい背中を見せてあげないとね」
時々やらかしてカッコ悪い背中を見せている律子先生が、ちょっと素敵に見えた。
「それよりも、どうする? 保育園訪問の初日、いきなりピンチみたいね」
律子先生が本題に戻すと、先輩たちは腕を組んで悩ましげな顔になった。
当然ながら私たちも名案は浮かんでこない。
「あの」
やがて、この葉先輩が手を挙げた。
「鳴瀬さんがいないその日だけ、律子先生に助っ人お願いできないでしょうか? 訪問日まで後一週間ほどありますし、練習してもらえればいけると思うんですけど」
その提案に、律子先生はあっさりと首を横に振った。
「そうしてあげたいけど、追試がある日は私も学校に出て来ないといけないの。サークル活動のために保健室を閉める訳にはいかないのよ」
「そうか。そうですよね……」
これで僅かな希望が消えた。
動かす人形の数を二つ減らして劇を進行するしかないのだろうか……。
代案はなかなか出てこない。
それからしばらく五人で考えを巡らせていた時だった。
「すみません。大江先生おられますか」
半開きになっていた入り口から部室に姿を見せたのは、ユニフォームを土で汚した坊主頭の少年だった。
「コータ……」
振り返った私に幼馴染の少年は、小さく手を振って笑いかけた。




