真意 後編
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大将の言葉は、いまの情勢を根底から覆しかねないものだった。現実味がまったく感じられない。平和条約締結を間近に控えているというのに、なぜ攻めてくるというのだろう。
「ガリムがイーリスに進撃中だと? まさか、あなたからそんな冗談がでるとはな」
俺は手を動かし、ロープで大将を縛り上げる。
「厳密には、ロンバイル要塞に部隊を送っている。信じられないのなら証拠を出す。椅子を後ろに向けてくれ」
俺は戸惑いながらも、両腕を縛り付けられた状態の大将を両手で反転させた。無線の受話器とヘッドホンを、と言われ、準備を進める。
セレーヌは相変わらず厳しい表情でこちらを見つめていた。大将の指示に従い、言われた周波数にダイヤルを合わせる。
『……こちらエルキュール。ミレイユ、訊こえるか?』
大将が言った。少しするとこの耳で確かに訊いた声が返ってくる。
『はい。訊こえています。予定時刻を五分以上過ぎていますので、すでに戦闘態勢を固めています。作戦変更の指示でしょうか?』
ミレイユは淡々とした口調で続けた。ときおり銃声がヘッドホンから漏れてくる。
『いや、続けてくれ。じつはロイが目の前にいてな。ロンバイルでの状況を飲み込めないというから、こうして連絡したというわけだ』
『なるほど。彼は壮健ですか?』
「おかげさまでな!」
俺は受話器に向けて怒鳴った。
『大将の作戦に感謝しなさい。召集の時間に遅れるから、あなたを探さずに退いたんだからね』
口論になることを考えたのか、大将が会話に割り込んできた。その通信が意味するのは、ミレイユが言っていた招集の場所が、大将のいるカニアではなく、国境付近のロンバイルであるということだった。
『ミレイユ、さきほどから銃声が訊こえるが、イーリス軍の連中か?』
『四時間ほど前から交戦状態です。しかし、被害は極めて微少。大将が生み出されたこの部隊に、敵はいません』
大将が口角をつり上げる。
『そうか。明朝、ロンバイル要塞にガリム軍が集結し、攻撃を仕掛けてきたら反撃しろ。その光景を目の当たりにすれば、正規軍の連中も反政府勢力と肩を並べて戦うだろう』
『はい。あの、ロイがその場にいるということは、大将はすでに……』
『ああ。拘束されている。この国のトップに上り詰めるのは無理かもしれん。だが心配するな。この戦いが、イーリスに、世界に真実を突きつけるのだ』
『この国の未来のために』
『その未来を見届けるため、絶対に死ぬな。健闘を祈る。交信終了』
瞬間、受話器からはミレイユの声も銃声も途絶えた。
「これで信じてもらえるか?」
受話器とヘッドホンをどかすと大将は言った。ガリムにも根回ししていたことに驚きを隠せなかった。再びイーリスとガリムが衝突すれば、革命戦争のような戦争が再び起こるかもしれない。
「正気か、大将! 最近の兵器がどれほど高性能かはよくわかっているはずだ。もう一度全面対決になれば、革命戦争のとき以上の死者が出るぞ!」
「心配はいらん。ガリムのタカ派とは話をつけてある。私は、クーデターを起こし権力の座についたという事実をガリム軍の迎撃という国への貢献でうやむやにし、ガリム側は、抑止力として新兵器のデモンストレーションを行うということで利益が一致した。勃発した戦闘はロンバイル草原のみに留め、二、三日ほどで事態の収束を図るという流れだ……当事者である私を牢屋に放り込めば、戦闘の規模が拡大するかもしれないぞ」
きっとイーリス軍はロンバイルでの状況を知っているはずだ。クーデターを鎮圧し終えたところから増援が向かうだろう。
「各州の反政府勢力はすでにロンバイルへと向かっている。ここでもう一度ガリムを叩きのめし、黙らせれば、今後の条約締結、貿易交渉でも優位に進められるだろう」
「膠着状態に持ち込むんじゃないのか」
「いや、殲滅する。要塞に細工をしていてな。本当はイーリス側から一発撃つはずなのだが、あたかもガリム側から攻撃したかのように見せつける。そうすれば、たとえ自分たちの部隊が全滅しても、ガリムの上層部はろくに抗議してこれないだろう。つながっているガリムの人間は、情報を周囲に話す前にこちらで消す」
◆◆
「首相は、大佐はどこにいる?」
大将は顔を、右の本棚の端にあるドアへと向けた。
「エルディーはあそこの部屋だ。用意された無線で軍に指示を出している。ウェントは一階の応接室に軟禁している。クーデターを起こす直前、会議を行いたいと言ったら素直に来てくれた」
どおりで博士が思うように連絡をとれないわけだ。
「お父様。私たちは、あなたの企みを止めます」
セレーヌが口を開く。
「……好きにするといい。お前も大人であり、軍人だ。最後まで己の責務をまっとうしろ」
俺は拳銃をホルスターに収め、エルディー大佐のいる部屋へ向かった。直前に大将に言われ、左の本棚の下から二段目、赤い本をどけた奥から合鍵を手に入れる。ドアの鍵穴に差し込むと、開錠の音が訊こえた。開けると同時、大佐はすぐに振り向く。その顔は疲労の色が濃く反映されていた。きれいに剃られたスキンヘッドが、天井から吊り下げられたランプの光を反射する。俺を見た瞬間、彼の目尻の皺がより一層深くなった。
「ドア越しに耳慣れた声が訊こえてもしやと思ったが、まさか本当にお前とは……」
大佐がいた部屋は予想に反して普通だった。軍服を着た彼はソファーに座っていて、中央の長方形のテーブルには無線機が置かれている。大佐は壁に沿うように配置された本棚が続き、左の奥には窓がある。
「ご無事でなによりです。大佐」
「お前は相変わらず良き戦士だな」
互いに右手を差し出し、固く握手をする。革命戦争が起こる何十年も前からイーリスを支えてきた男。歩兵隊に志願し、中世と近代の戦い方が入り混じる泥沼の戦場を駆け抜けてきた歴戦の老兵の指に細い。だが、俺の手を握る力はとても老人のそれとは思えなかった。
「エルキュールが私とウェントを嵌めやがった。まさかあいつが裏切り者だとは思わなかった。私たちはもちろん、ジェラルドも、アルバーンも、メルクロフもな……あいつはまだ書斎か?」
書斎の椅子に縛ってあると伝えると、彼はわかった、と短く答えた。素早く立ち上がったかと思うと、俺を横切ってドアノブに手をかける。勢いよくドアを開けて書斎に姿を消した。俺も慌てて後を追う。
案の定、大佐は大将の前にいた。
「痴れ者が! 貴様、軍人として自分がやったことをわかっているのか!」
思わず耳を押さえたくなるような怒号をともに振り上げた大佐の左手の握り拳が、エルキュール大将の右の頬にめり込む。衝撃で大将は椅子もろとも床に倒れ込んだ。
「セレーヌちゃん。親父さんを目の前で殴りつけて悪いな。だが、事を起こした罪を自覚させなきゃならん」
「……父のしたことの重さは承知しています」
俺は大佐に近づき、肩をつかんだ。
「大佐! 大将からすべてを訊きだしたわけではありません。怒りを収めてください。反政府勢力がロンバイルに終結しています。もう時間がないのです」
大佐の頭にはいくつか血管が浮き出ており、鼻息が荒い。まさに怒り心頭だった。
「……わかっておる。エルキュール。お前に、もはやイーリス軍人を名乗る資格はない」
俺は倒れた大将を起こす。彼の口からは一筋の血が流れていた。
「国が間違った方向に進まんとしているのを見過ごすほど、私は愚かではない」
「それはお前の主観だ、馬鹿者。苦楽をともにした盟友だと思っていたが、お前は学び舎で私とは違うことを学んでいたようだな。陸軍本隊の派兵指示を受けた時点で問い詰めておくべきだった」
「……戦いはこの世で絶えなく起こってるんだ。戦争はこの世に必要なんだよ。お前ならわかるだろう?」
「それもまた、お前の主観だ。したくて戦争をしている輩などどこにもいない。みな、何かしらの理由がある。人々が満たされていけば、自然と戦いの需要はなくなっていく。それが反映されたのが、今の世の中だ。時代の流れに沿って生きなければ、それこそ私たちは爪弾きにされ惨めになるんだぞ」
大将を見つめる大佐の表情は、どこか儚げだった。
「ヴァイン、私は――」
「どんなに栄華を誇った国や個人もいつかは没落し、滅びる。だが、同時に生まれ、育まれる。そんなこと、小学校で習っただろう? エル」
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大佐が無線を通じて各方面の部隊に指示を出している頃、俺は支度を整えながら、大将に疑問を問いかけた。それは、ルーカスの人身売買に関することだった。ミレイユが通信で言っていた、“大将”が生み出した部隊”という言葉も引っかかっていた。
「それは自身の目で確かめるべきだ。“とくに”お前はな。ロンバイルに行くならそのうちわかるだろう」
書斎のドアが勢いよく開け放たれた。さきほど嘘の情報を訊いて出撃していたアランが、四人の仲間を引き連れて入ってきた。俺が外に出て、彼らに話を通していた。すでにほかの仲間が家の中をくまなく調べているはずだ。
「少佐、さきほどの話、自分には信じられません……」
エルキュール元大将、エルディー大佐、そして俺。階級の高い軍人に囲まれたアランは明らかに緊張していた。発言にも若干だが震えが混ざっている。
「残念だが真実だ、若造」
大佐は大将の机の上に置いていた書類を人差し指で叩いた。鍵付きの引き出しからセレーヌが見つけた数十枚に及ぶ紙には、反政府勢力を構成する人間、ラスト・コート作戦を妨害するための具体的な作戦などが記載されている。大将の造反を裏付ける、明らかな証拠だった。
「エルキュールの話では、奴はガリムとつながっている。実際に通信するか監視しなければならない。私に協力してほしい。なにぶん、足腰が悪くてな」
「わかりました」
セレーヌが身支度を終えたのを確認し、俺たちは書斎を出た。作戦の責任者であるウェントにもがつんと言ってやりたいが、いまは一刻の猶予もない。ロンバイルにいる反政府勢力を降伏させるため、すぐにでも発つ必要がある。カニアから寝ずに運転し続けたとしても、明日の朝にロンバイルへ到着するのはほとんど不可能に近い。それでも、やらなくてはならない。
正門を開け広場に出る。俺は大きく息を吸い込んだ。
「なんとしても止めないと」
セレーヌが言った。
「ああ。ラスト・コート作戦、最後の仕事だ」




