真意 前編
ルイーゼの屋敷のように、玄関を抜けたさきは広いエントランスになっていた。セレーヌが持っていた合鍵で開けた扉が、大きな音を立てて閉じる。天井は高く、壁にところどころはめ込まれたステンドガラスは夕陽を中へと招き入れ、虹にも似た光として床を照らしていた。十年前、ささやかな祝勝会に参加するために来たときから、構造はなにも変わっていない。
「ロイさん。父の書斎まで案内します。家ではだいたいそこにいますから」
セレーヌが先導し、エントランスの左にあった階段を上る。木造の階段が軋む音が辺りに響く。ここには俺たちしかいないのではないかと思えるくらいに周囲は静かだ。不測の事態に備えて拳銃を構えながら、彼女を追って二階を通過し、三階へと向かった。
階段を上がりきると、前方四メートルほどさきに扉があった。ほかに部屋らしきものはない。
「ここです」
彼女が近づいてドアノブを捻ると、ドアは手前にかすかな音を建てながら手前に開いた。開ききらなくとも、隙間からは蔵書の多さが見て取れる。同時に中からごく短い金属音が訊こえてきた。拳銃のスライドを引く音だ。
「動くな」
拳銃を前方に突きつける。だが、それはセレーヌを狙ったものではない。俺は姿勢を維持したまま、
「君は左にズレろ。入ってすぐ右に誰かいる。……こっちは軍人がふたり。拳銃に対物ライフル、手榴弾を所持している。悪いことは言わない、手にしているであろう武器を捨てて両手を上げろ。そして部屋を出て俺たちのところへ来るんだ。あと十秒以内に要求に従わなければ、壁越しにお前を撃つ」
頭の中で数字をカウントし始める。十、九、八、七、六……
数字が半分を切る直前、重く短い音がしたかと思うと半開きのドアが全開になり、中から軍服を着た男が姿を現した。ジェルかワックスを使っているのか、後ろで束ねられていた黒髪は頭上の明かりに反射している。
「え……」
声を漏らしたのはセレーヌだった。
「セレーヌ……」
「……兄さん」
拳銃を握りながら、俺はふたりを交互に見合わせた。兄上と呼ばれた男とセレーヌは髪の色こそ違うが、瞳は同じ碧色だった。
「兄さんだって?」
「はい。少し前に兄弟姉妹がいるとお話ししたかと思いますが、彼、マークス・アデライードは、私の兄にあたります。正確には異母兄妹ですが」
マークスは俺とセレーヌを見た後、改めて俺に視線を合わせた。
「ロイ・トルステンさんですか?」
「知っているのか。俺のことを」
「はい。父からお話は兼ねがね訊いています。父の親友であり、国のために力の限りを尽くした誉れ高き英雄のひとりだと」
こそばゆい話だ。
「親父さんはどこにいる?」
「奥のドアを開けたさきの書斎にいます。……父を、国家を武力で掌握しようとしているエルキュールを止めてください。私たち家族の説得にも訊く耳を持たず……、もはやどうしようもありません……」
マークスの両目から涙があふれる。
「わかった。君たちの父と話をつけよう」
俺はそう言いつつ、マークスの横を通って奥のドアへと向かった。セレーヌも続く。
「セレーヌ」
マークスに呼び止められた彼女は振り返った。俺も見ると、兄は妹に向かって深々と頭を下げていた。
「父はお前と親しくすることを許さなかった。アデライード家は血統主義だが、私たちはそんなことは関係なく仲良くしたかったんだ。レナルドはとくにお前と遊びたがっていて、父にその思いを告げては、よく叱られていたよ……。謝って許してもらえるとは思わない。だが、それでも謝らせてくれ。私たちは、本当はお前のことを……愛している。これまでも、そしてこれからも」
作戦が始まる前に自分のことを語ったセレーヌは、父を除いた家族からは疎まれていたと言っていた。辛く長い幼少期。彼女を縛っていた重りがとれたような気がした。俺からは後頭部しか見えないため、セレーヌがいまどんな顔をしているのかはわからない。
「……ありがとうございます。兄さん」
その声はかすかに震えていた。
◆◆
「エルキュール大将!」
俺は怒りを込めて眼前にいる男を呼んだ。血と屍の上に築かれた玉座に座ろうと画策している反逆者を。
大将は私室で窓越しに外を眺めていた。差し込む夕日が、哀愁漂う彼の顔をオレンジ色に染め上げる。声をかけられ、彼は顔だけをこちらに向けた。ときおり外からは銃声が訊こえる。中央の机の背後には無線機が置かれていた。あれで反政府勢力と連絡を取っていたのだろう。
「そうか……。ラスト・コート作戦を完遂したか。よくやったな」
目尻や口角に深い皺を刻んでいる彼の顔は、銃を突きつけられてもなお穏やかだった。
「大将。あなたは――」
「世界は風船と変わらん」
脈絡のない話に、俺はたじろいだ。
「空気を入れられ続ければ、いつかは破裂する。その前に、誰かが少しでも小さな穴を空け、適度に抜いてやる必要があるのだ。どれだけ汚名を被せられようとも、やらなければならない」
「ラインハルトも似たようなことを言っていました」
「彼には私の思想を最初に話したからな」
酒場で交わしたラインハルトとの会話が頭の中を駆け巡る。
――世界にはな、ガス抜きが必要なんだ。綺麗事をいつまでも並べ、本心を隠していたままでは、いずれ爆発する
「“事”を考え出したのは、あの夜、お前に軍を退役すると話したときからだった。今日まで、世界は私の言った通りに動いていただろう?」
「……はい」
否定できる部分はない。エルキュール大将に、隠す意図はないようだった。
「道を踏み外そうとするこの国を救うため、私たちは五年前に計画を行動に移した。首都に住んでいて
、ジェラルドから直接監視を受けていたお前以外の<五つ子>の賛同を得てな」
俺は黙って彼を睨みつけた。後ろに手を組んでいた大将は、振り返ったかと思うと歩き出し、部屋の中央のデスクの椅子に腰かけた。
「計画の準備を整えても、作戦を実行に移すには時期尚早だと私は判断した。クーデターの大義名分を得られるまで、事態が深刻化するのを待ったのだ。つい最近発表されたガリムとの平和条約の締結。あれが決定的となった」
「俺が使うバッジを無線機を仕込んだものと取り換え、ラスト・コート作戦に従事している最中に排除しようとしたのも、その一貫だと」
「……そうだ。ただ、最終決定は遅れた。<五つ子>たちとは何回話し合ったかわからん。全員、お前を殺すことには最後まで反対した。だからラインハルトは、お前と再会した酒場でこちら側に寝返らせようと説得したのだ」
大将は言った。
「途中でジェラルドから協力を仰がれたのは幸運だった。彼とともに行動すれば、録音機の音声データを傍受せずとも情報を訊けるのだからな。お前を始末した後は、ほかの<五つ子>と反政府勢力を使って首都を攻撃。政府機関を弱体化させ実権を掌握するつもりだったのだが」
「ガリムに<五つ子>の情報を流すよう図ったのも――」
「まさかスパイが始末されるとは思わなかったよ。だが、情報を流したのは私自身だ。無線機を二台用意し、暗号化していない状態で通信を行った。狙いはふたつ。ひとつ目は、ガリムの連中に<五つ子>の存在を明確にし、抑止力とすること。ふたつ目は、ガリムの脅迫を受けたイーリス政府の出方の確認。どちらも私の想定通りだったがな。クーデターと同時に<五つ子>の存在を明るみに出して、ガリムの脅迫材料を潰すつもりでもあった。革命戦争のときのガリムの侵略を受け、その身を捧げて戦ったという事実を突きつければ、そこには同情の余地が生まれる。戦車や榴弾砲とは違い、お前たちには“物語”がある。兵器になるまでの苦悩や決断が」
◆◆
夕陽はすでに地平線に沈みつつあり、辺りは急に暗くなっていた。
「ミレイユは……大将の教え子ですか?」
大将は両肘を机につき、両手を顔の前で組んだかと思うとうなづいた。
「彼女はお前と同じ戦災孤児だ。革命戦争でガリムの連中に親を殺された。戦後、彼女は生き延びるためならあらゆることを進んでこなしていたそうだ。窃盗、売春、殺人……。途方に暮れていたところを私が保護した」
「なぜ、彼女がデイビッドの身体を自身に移植させるのを許したのですか。あいつは、戦いだけではない、新たな生き方を見つけていたかもしれないのに」
大将は黙り込んだ。
「なぜですか! ……答えろ!」
「勘違いするな! ロイ、<五つ子>は兵器なのだ! その役目を放棄することは、死んでいるのと同じだ。だからこそ、私は……そのとき行使できた最良の手段を取ったまでだ。お前も同じだ。最初は殺すはずだったが、ラインハルトとルイーゼをひとりで始末したお前の力量を踏まえ、どうにかこちらにつかせられないか考えた。その役をヴィンセントに預けたつもりだが、それも失敗に終わった」
銃を構えながらも俺たちのやり取りを見ていたセレーヌが口を開く。
「お父様……どうしてそのようなことを……」
「セレーヌ。さきほども言ったが、これも国家のためだ。戦争がこれまで同様に行われるようになれば、アデライード家やほかの貴族も再び栄光を受ける」
「大層な物言いだな。セレーヌを任務に参加させたのは、一連の行動の嫌疑を彼女に逸らすためだったんだろう」
セレーヌの顔が強張る。
「私たちの動きを感づかれないよう囮が必要だった。思惑通り、お前はセレーヌを疑った。そこで、セレーヌを捕えるための陽動作戦に使う前、お前が話していた、車でフリジア高原を通過するという情報を反政府勢力に流した。見事に引っかかってくれたな……ヴィンセントの裏切りのせいで感づかれてしまったが」
「大将、あなたを国家反逆罪の容疑で逮捕する」
セレーヌに銃を構えたままでいるよう話し、彼を捕縛しようと近づく。
「お前は甘いな。私はすべてを洗いざらい話したわけではない……このまま“事が運ぶ”と思うか?」
その言葉に悪寒が走る。よく考えてみればミレイユがいない。恩師の窮地だと言うのに、なぜ駆けつけない。奴が言っていた“招集”とは大将の元に集結することではないのか。
「五分過ぎた」
怪訝な顔で見つめる俺をよそに、大将は続ける。
「予定していた連絡時刻を五分すぎた。お前たちの負けだ」
「何の話だ」
「無線での最終連絡時刻を五分以上過ぎた場合、ロンバイル周辺に待機している私の精鋭部隊が、現在我が国に進撃中のガリム軍を迎え撃つようになっているのだ」




