道程
鋭い声を放った主は、俺の数少ない友人のひとりだった。
「リック!」
銃を構えた彼をよそに、俺は場違いな声をあげた。敵を向けるはずだったリックの眼差しは、すぐに俺がよく知るものへと変わっていく。
「ロイ! よかった! 無事だったんだな!」
講堂へとつながる通路の上、俺たちは手にした拳銃をホルスターにしまいながら近づいていく。拳を突き合わせると、大きな安堵感が心に広がってきた。こうして再会できるとは夢にも思っていなかった。リックの側にいた四名の兵士も、俺たちのやり取りを見て銃を下げた。俺も右手を横に突き出し、セレーヌたちに武器を下げるよう命じる。
「再会を祝うのは後にしよう。退役軍人も招集されたのか?」
「ああ。クーデターが勃発してから一時間後くらいにな。大佐の命令で、本隊は各地の暴動鎮圧のため派兵されてる。それを補うってわけだな。それから少しして、今度はカニアで無線がろくに使えなくなった。各所の通信用アンテナがやられたみたいでな」
そう言いつつ、リックは俺たちを講堂の中へと案内した。大きな木製のドアが開くとともに、数百人の視線が一点に注がれる。
「招集されてから、俺たちはここ周辺に割り当てられた。んで、いまこうやって避難所を守っているわけだ」
右耳で彼の声を訊きながら、市民のひとりひとりと視線を合わせていく。
「シオンとレアールはここにいるのか?」
途端にリックの表情が曇る。
「……いや、いない」
博士の話では護衛がふたりを避難所へ連れて行ったという。具体的な場所は定かではなかったが、レアールの通う高校にいる可能性がもっとも高いのだ。その当てが外れた。
“この状況”を説明しなくて済むじゃないかと言われれば、確かにその通りだ。仕事の一環として遠出すると話した手前、ふたりを納得させるだけの理由をまだ考えていない。最悪、鉄拳か平手のひとつやふたつがくると想定しておこう。
「となると、ほかの避難所か?」
「だろうな。探そうにも、いまは戦闘部隊が出ているからここを離れられないんだ」
確かに、学校を守るにしてはあまりに兵員が少ない。リックにそのことを訊くと、まだ校内や校庭にも数人の味方がいると言う。
「俺たちはこれからエルキュール大将の自宅へ向かう。負傷兵がいるんだが、ここで休ませてもらえないか?」
エルキュール大将という言葉を耳にした途端、リックは怪訝な表情を浮かべ、
「もちろんだ。だが、エルキュール元大将の家に行くって、どうしてだ? あの人は軍を退役しているし、襲撃を怖れているなら、一個小隊が警護に当たっているから問題ないぜ」
エルキュール大将がクーデター鎮圧の助言を行っているということは、少なくともリックたち一般の兵には知らされていないらしい。
――ありえるんだよ。先生ならできる
ミレイユの言葉が脳裏をよぎった。先生がエルキュール大将なら、彼女もカニアに来ているかもしれない。
「ちょっと、俺が従事してる作戦のことで用があるんだ。リック。できればシオンとレアールを探してくれ。片が付いたら俺も協力する」
「もちろんだ」
数分もすると、エントランスへ向かったフィリップが、応急処置を施された負傷兵が仲間とともに通路までやってきた。講堂へと運ばれたことを確認し、残った味方は全員学校の警備に当たらせることに決めた。いつ戦闘部隊か帰って来るかわからない以上、少人数でここを守るには限度がある。敵から発見される可能性を下げたいという考えもあった。
「フィリップとブルーノさんもここに残ってくれ」
講堂を出て、エントランスから玄関をくぐろうとした矢先、俺はついてきていたふたりに言った。
「ロイさん、ここまで来てそりゃないぜ! 最後までお供するよ」
一歩前に出たフィリップを、ブルーノが腕で制した。彼の靴音が静まり返ったエントランスに響き渡る。
「フィリップ、足手まといになるわけにはいかない。俺たちは兵士じゃないんだ」
俺を見つめるブルーノの目つきは優しく、考えが見透かされているようだった。ラスト・コート作戦の機密を知られるわけにいかないのはもちろんだが、彼が言う通り、少人数での戦闘に陥った場合に、戦闘技能に不安があるような存在を連れてはいけない。警察のような法執行機関と、外国からの脅威に備える軍隊では訓練の目的もまるで違う。
「すまない。俺たちはエルキュール大将の家に向かい、ことの真相を確かめる。このクーデターをさっさと終わらせないとな」
「わかったよ……。ロイさんがいれば大丈夫だと思うけど、セレーヌ、気を付けてな」
「ええ」
まるで俺がふたりを引き裂く悪役だ。見送るふたりを背に、セレーヌを連れて外へ足を向けた。
◆◆
正門に控えていた兵士たちに今後の動き方を指示し、俺とセレーヌは目的地を目指す。学校へ入る前よりも、現在地に響いてくる銃声や砲撃音は小さい。<五つ子>が来たことを受けて、反政府勢力も配置を変えたのかもしれない。
トレンチコートをなびかせながら通りを抜けると交差点に出た。北西に柵で囲まれた公園が見える。中央公園よりも規模は小さいが、代わりにブランコや滑り台などの遊具が置かれていた。昼ご飯を食べた子供たちがのびのびと遊んでいてもおかしくない時間帯だが、大人たちが起こした争いのせいでその姿はまったく見えない。
すぐ側の家屋に張り付き、右前方、公園の入口付近をうかがう。銃を持った普段着の男たち数名が、タバコを吹かしながらたむろしていた。側には車が一台、こちらに背を向けて停めてある。
「敵だ。確認できるだけで四人」
背後からついてきているセレーヌに小声で告げた。俺は拳銃をホルスターに収め、背中の対物ライフルに手をかける。もし奴らが車でこちらに向けて走り出したら戦闘になるかもしれない。そう思っていると、四人の男は近くに停めていた車に乗り込み、向きも変えずにこちらに向けてバックしてきた。二本の対物ライフルを両手で握り両脇に持ってくる。
まずはタイヤを撃って車を停める。その後は、降りてきた奴から順番に撃つ。
戦う算段をつけていると、バック中の車が止まった。
だが、俺の考えとは裏腹に、車はほんの少しの間を置いて前方へと走り出す。
「俺たちから離れていく」
セレーヌは小さめのため息で応えた。単純にギアを入れ間違えただけなのかもしれないが、心臓に悪い。小さくなっていく車をしっかりと見送ってから、俺たちは通りを横切り、大将の自宅がある北を目指した。
軍と反政府勢力の戦闘に巻き込まれそうになりながらも、ふたりという隠密性を活かしてカニアの街を走り抜ける。慎重に進んでいるうちに、陽はすでに沈む欠けていた。夕焼けが、街をオレンジと黒色に浮かび上がらせる。
緩やかな勾配の並木通りを上がると、中央公園に入った。さらに前方に噴水が見える。かつて大将と語り合い、リックと杯を交わし、作戦の出発点となった場所。過去に浸りたい気持ちを抑えながら、セレーヌを連れて公園の北口へ向かう。そこさえ抜ければ、大将の自宅はもうすぐだ。
北口を抜けて通りを右へ。銃声は方々から訊こえていたものの、いずれも目的地の方角からではなかった。要人がいる場所、加えて軍の部隊が配備されているのなら、少なからず反政府勢力との戦闘が起こっているはずだ。不気味なまでの静けさが、かえって不安感を煽った。
眼前に広場が見えてきた。左に曲がれば、エルキュール大将の、セレーヌの家がある。
「もうすぐですね……こんな形で戻ることになるなんて……」
近くの民家に隠れ、念のため様子をうかがう。リックの言う通り、大きな屋敷の前は部隊が守りを固めていた。俺は対物ライフルを背中に戻しトレンチコートで覆った。
「おそらく、俺よりも身内の君の言い分のほうが訊きやすいだろう。“自宅で大人しくしている”大将に、軍人が用があるなんて言えば怪しまれるからな」
十メートルほど後ろへ下がり、俺たちは駆け足で広場に出た。銃を向けていた味方を確認すると速度を落とし、ゆっくりと歩み寄る。四台の軍用車両が門の両脇に二台ずつ配備され、兵士たちは門と塀に対して平行に並んでいた。
「……なんだ味方か。びっくりさせないでくれ」
隊長らしき男が俺たちを見て言った。
「あの、私、エルキュール・アデライードの娘、セレーヌです。軍の方に避難を進められ、家まで戻って参りました」
「そうでしたか……。念のため、自宅におられるエルキュール様に連絡を取ります。少々お待ちを――」
「中央公園付近に反政府勢力の奴らを見た。戦車が一両に、装甲車が二両だ。辺りをしきりに見回していたから、そのうちこちらに来るかもしれない」
もちろん嘘だ。だが、兵士たちの戦闘服はみな汚れひとつない。推測通り、まだ反政府勢力と戦闘を行っていないのだ。定位置のいる状態で接敵していないなら、交戦する確率が時間の経過とともに少しずつ上がっていることになる。敵はこうしているあいだにも索敵の範囲を随時拡大、変更しているはずなのだから。
「……確かか?」
隊長の顔が強張る。
「間違いない。セレーヌ“様”を送り届けるついでに、味方がいれば伝えようと思っていた」
「かなり近いな……。よし、エリックたちの分隊は、対物火器を携帯後、俺といっしょに来い! 残りはここに残って引き続き警戒に当たれ!」
エリックと呼ばれた男は了解、と言うと、部下を連れて俺たちが来た道へ走っていく。機関銃が備え付けられていた一両の軍用車も続いた。
「情報感謝する。名乗り遅れたが、俺はアラン少尉だ。お前の名前を教えてくれないか?」
「ロイ・トルステン。イーリス陸軍少佐だ」
彼の顔が凍り付く。
「とっ、とんだ無礼を!」
「気にするな。少尉と少佐の違いなんて“少し”しかないからな……。ここでの責任は俺が持つ。安心して行ってきてくれ」
「了解しました! では失礼します!」
走り去っていくアランとエリックの分隊を見届け、俺たちはアデライード家の門をくぐった。
どうか間違いであってほしい。そんな淡い期待を心の中に寄せながら。




