後始末 後編
両端にいた警備員には席を外してもらい、俺は長方形の覗き窓から中を見回す。凶悪犯罪者は上下がオレンジ色に統一された服を身にまとい、部屋の隅にあるベッドで横たわっていた。
「ルーカス。お前に訊きたいことがある」
発せられた声に反応し、ルーカスはこちらを向いた。髭や頭髪は最後に会ったときと変わらなかったが、その顔からは疲労がにじみ出ていた。
「クーデターが始まっているということは、反政府勢力についた<五つ子>は全滅したというわけだな。お前の手によって」
「俺たちのことを知っていたのか」
彼は不敵に笑う。
「まあな。それで、私に何用かな。革命の英雄殿」
「反政府勢力は、お前の身柄を確保したがっている。なぜだ? 救出が目的か?」
「違う。後始末に来たのだ。用済みとなった私を」
素直に答えたルーカスに俺は驚いた。だが、彼に話す気があるなら、乗らない手はない。以前彼が以前見せた一枚の書類のことを思い出し、口を開いた。
「お前は、新年度職員配属計画とかいう書類を持っていたな。あの書類は反政府勢力から渡されたものか?」
「……そうだ」
臓器が並べられていたあのおぞましい部屋で、白衣の男はカスラ州に配属されている警察の健康状態についてルーカスに報告しようとしていた。ルーカスが警備の目を盗んで街で活動し続けるには、警察の配備状況や出勤場所、動員人数などに関する正確な情報がいるはずだ。
「アルバーン中将か、エルディー大佐か、俺はどちらかが反政府勢力のリーダーだと踏んでいる」
ルーカスは視線を下に落とすと、黙り込んだ。少しばかりの沈黙を経て、彼は口を開いた。
「……ひとつ、良いことを教えてやる。戦友としてのよしみだ」
「それは?」
「私がやっていた人身・臓器売買のルートの中には、カニアへ向けたものがひとつだけある」
稲妻が全身を駆け巡るような衝撃に囚われた。凄惨なビジネスに加担する者が、カニアにもいるというのか。
「カニアにも別の犯罪組織がいると?」
「送り先は個人だ。だが、私は関与していない……一杯食わされたよ。よく考えてみれば、あの書類をタダで渡すわけがない……お前たちの介入により供給ができなくなったことで、“あの男”はクーデターを早めたのだろう。本来は、ガリムとの平和条約締結当日に決行されるはずだった」
つまり、カニアにいる“客”が、反政府勢力のリーダーでもあるのだ。
腕時計を確認する。すでに分針は八回目を刻んでいた。最後にひとつ、訊きたいことがあった。
「なぜおまえは刑務所にいない? 留置所にいるのは不自然だ」
組織には警察の手が入った。紛れもない証拠も押さえられている以上、いくらルーカスが行政機関にパイプがあろうと、有罪は免れないはずだ。
「“このため”だよ。刑務所は留置所よりも警備が厳重だ。有事の際は警察のみならず軍が出動するからな。私の首をいつでも刎ねられるように保険をかけておきたかったのだろう」
彼のビジネスが、クーデターにおいて極めて重要な位置を占めているということの証だった。反政府勢力側の兵力に使われているのだろうか。
「すんなり話すんだな」
「言っただろう? 戦友としてのよしみさ」
◆◆
ことの詳細を所長とブルーノに伝えると、ふたりは再び難しい顔になった。
「組織の書類を調べたんだが、商売相手につながるようなものはなかった。個人情報に関する書類の長期保存はしていなかったんだろうな。それにしても、まさか首都へのルートがあったとは……」
ブルーノが言った。
「時間がない。ふたりとも、急ぎ迎撃の準備を頼む」
再び中央の部屋へと向かう俺たちに、敵は銃弾をもって出迎えた。
つかの間の静寂は、瞬く間に数多の銃撃でかき消される。銃声とともに、さきほどの男の声が訊こえてきた。
『応じないのであれば仕方がない! 瓦礫とともに沈め!』
前方を見ると、噴水の前に鎮座していた都市迷彩付きの戦車が砲塔をこちらに向けようと旋回させている最中だった。
「くそ!」
ブルーノがロケットランチャーを側面に向かって放つが、角度が悪かったのか、爆発しただけで装甲自体に傷はほとんど残っていない。黒煙で敵の視界を遮るのがせいぜいだった。砲塔が音を立てて俺たちの部屋に丸い砲口を向けた。
『撃て!』
敵の掛け声とともに砲口が激しい火を吹き、砲弾が発射される。
だが、狙いは斜め上に大きく逸れた。弾の代わりにいくつかの瓦礫が俺とブルーノに振りかかってくる。
瓦礫を避けて前方を確認する。敵の戦車に、さきほど俺が乗って来た機動戦車が突っ込んでいた。金属が擦れ合う耳障りな音を一帯に響かせながら、二頭の鋼鉄の馬は激しく争っている。俺はすかさず二階から飛び出した。同時に、機動戦車の零距離射撃が、敵戦車の砲塔と車体の付け根を穿った。たちまち炎に包まれる敵戦車の前に降り立つ。左の木に隠れていた敵を撃ち、さらに機動戦車によじ登ろうとした者に近づいて銃剣で貫くと、そのままうめき声を上げる敵を持ち上げ、右の壁に向かって投げつける。
新たな敵を探そうとした瞬間、後ろから二度の衝撃が襲ってきた。肩と右腕を撃たれたのだとすぐにわかった。もう何度経験したかもわからないような、ある種の懐かしさすら覚える感触。俺は反転すると、即座に右手に持った得物から五十口径をお返しした。アサルトライフルを持った男は後方にのけぞり、そのまま倒れた。
負傷したのは俺だけではなかった。前方の建物の屋上から対戦車火器による攻撃を受け、機動戦車は側面から炎と黒煙を吐き出している。弱った動物を仕留めにかかるかのように、左の道の奥から現れた装甲車両が猛烈なスピードで突っ込んできた。機動戦車はぎこちない砲塔を懸命に動かすと、五十メートルほどに迫った装甲車に砲塔の照準を合わせる。俺は正門側に戻り、装甲車の右側のタイヤ四つのうち三つを撃ち抜いた。バランスを崩して急速にスピードを下げる装甲車を、爆音とともに発射された一〇五ミリの塊が正面から派手に貫いた。同時に爆発が起こり、火花を散らしながら横転すると、間もなく動きを止めた。
俺は機動戦車に登り、キューポラを無理やり開いた。中の搭乗員は四人。操縦手、砲手は生きていたが、装填手、車長は死亡していた。生存者をつかみ上げて外へ出し、駆けつけた味方に引き渡す。敵は被った被害の大きさをようやく悟ったのか、もはや銃声は訊こえてこなかった。
戦闘がひと段落すると、俺の身体は負った傷を思い出す。痛みに気付いて右腕を見ると、二の腕が一部抉れていた。弾の当たる角度が悪かったのかもしれない。よく見ると、真っ赤な傷口の中に光る物体が挟まっている。銃弾の欠片だった。
「援護、感謝します」
血に染まった右手の親指を立てながら、操縦手は砲手とともに担架で運ばれていった。
戦死した仲間も同様に外へ出すと、ひとまず石畳の床に寝かせた。ふたりの開かれていた目を左手で閉じる。目を開いていたのは、恐怖のせいではない。命が尽きる最期の瞬間まで、迫る敵と対峙し続けた勇気によるものだ。革命戦争で勇ましく戦い、そして散っていった数多の戦友の顔が脳裏に浮かんでは消えていった。
左手でポケットから止血帯を取り出し、応急処置をしようと、右腕を噴水の縁に置いた。
「止まれ!」
留置所から怒号がとび、俺は思わず入口を見た。噴水へと走って来たのは、上半身に何も衣類をまとっていない姿となったルーカスだった。彼は左手に握った拳銃を斜め上に向けたかと思うと、反対方向から発せられた一発の銃声とともに胸を貫かれた。力なく石畳に伏せていく様子が、まるでスローモーションのように感じられる。俺がルーカスを見てから一秒ほどしか経っていない。ほんの一瞬の出来事だった。音のした方向を見ても、敵の姿はすでに見えなかった。
彼に駆け寄り仰向けに寝かせると、胸からは止めどなく血が流れていた。幸い心臓は外れているが、それでも一刻を争う重体だ。
「どうして外に出した!」
後から駆けつけた警備員に思わず怒鳴った。
「妙な声が訊こえて中を見たら、ルーカスが服を使って首を吊ろうとしていたんです! 急いで扉を開けて止めようとしたら、ものすごい勢いで突き飛ばされてしまい……」
そこまでしてなぜ自ら死を選ぶのか。司法に委ねたところで死刑に処される確率は高いだろう。ならば、せめて“戦死”しようとでも思ったのか。懸命に肩を揺さぶると、彼は力なくこちらを向いた。
「首吊りより銃殺のほうがマシだとでも思ったのか?」
「役人どもの手によって死ぬくらいなら……私は……凶弾に倒れよう。絶対に、絶対に! 惨めな死など経験したくないのだ……。わかるだろう? お前なら」
「罪を償うことを多くの人が望んだだろう。そこからお前は目を背けるのか? かつて守ると誓った、国民たちから!」
「その国民から蔑まれ、侮蔑に塗れた目を向けておめおめと……生きていくことこそ、兵士にとっては、最悪のことだ……!」
ルーカスの口から血が流れる。
「だが、お前を死なせるわけにはいかない。生きて、これからの世界を担う若者たちの手本となればいい。生きる方法は、いくらでもあるだろう?」
クルスの酒場・バッカスで、飲んだくれの退役軍人、ウィリアムが言った言葉を俺はそのまま言っていた。
「……なら、この死に体をどうにかすることだな……」
ルーカスは目を閉じた。唇は紫色に変色し、顔は蒼白だ。俺は入口から走って来た兵士に向かって叫んだ。
「ルーカスを医療施設に運べ! ここから最短距離にある病院は?」
「重体患者の施設となりますと、総合病院になります。ここからでは五キロほどです」
到着するころには死んでいる。ほかに何か手があるはずだ。
「ロイさん。ルイーゼさんの屋敷を借りましょう! さきほど地図で調べましたが、ここから二キロほどの距離です」
兵士とともに駆けつけたセレーヌが言った。そうだ。ルイーゼの屋敷には十全な医療器具が揃っている。いまはエリィが取り仕切っているはずだが、きっと話せば手を貸してくれるだろう。俺も、右腕に埋まった銃弾の破片を取り除いてもらわなくてはならない。
所長が用意してくれた大型の車に乗り込み、ルーカスを後部に運ぶと、ブルーノはアクセルを踏み込んだ。小刻みなバウンドをくり返す車内では、誰も口を開こうとしなかった。
「セレーヌ。屋敷についたらルーカスとともに担架で俺を運んでくれ。もし屋敷で戦闘が行われていたら、引っ叩くなり、殴るなりして無理やり起こせ」
俺はコートのポケットから、睡眠薬が入った小さい入れ物を取り出した。その手に、白色のきれいな手が重なる。
「……ダメです。薬学の知識はありませんが、薬に副作用があることくらい知ってますよ」
睡眠薬には、倦怠感や脱力感のほか、幻覚など厄介な副作用がある。加えて、俺は数時間前に服薬していた。過剰な摂取がもたらす弊害はよくわかっているつもりだった。
「呑気に夜を待つ余裕はないんだ。ことは一刻を争う。わかってくれ」
彼女の手を優しくどける。俺は蓋を開けると、一錠を出っ張ったコートの上にのせた。隣で心配そうに見つめるセレーヌに構わず、左手でつかんで口に放り込む。目を閉じると、徐々に周囲から音が霧散していった。意識が遠のいていく。タイヤと地面が擦れる甲高い音を訊いたのを最後に、記憶は途切れた。




