第七話 声を消す釘
「抜くと、途中でも音が戻ります」
年配の女は、黒い釘を木の台へ刺した。
彼女の唇が動く。けれど、その続きは聞こえなかった。
すぐ脇で鳴らしていた小さな鐘も、音を失っている。サイラスが指で台を叩いた。何も聞こえない。
俺は台から離れた。
食堂の戸のところまで来ると、外の風の音が戻った。女が小さな板へ数字を書く。釘を中心に、半径二メートル。
足を戻すと、自分の靴音まで消えた。口を開いても、自分の声は聞こえない。これを刺した場所で呼びかけるなら、相手の肩を叩くか、先に合図を決めておくことになる。
俺は木の台へ指を伸ばした。サイラスが先に、俺と釘の間へ手を置いた。
まだ触るな、ということらしい。
年配の女がこちらを見てから、釘を抜いた。
「一分が経っても戻ります。次に使えるのは一日後です。もう魔法が発動していたら、その効果までは消せません」
「便利だけど、何でも止めるわけじゃないんだ」
俺が言うと、女はうなずいた。
「大声を聞いて集まる獣から、野営の人を守るための品だと説明されました。危ない時に試すのでは遅いので、今、確かめていただきました」
サイラスは釘を受け取り、指ほどの筒へ収めた。
「町の見張り台に置きたいんです。冬は皆、火のある所に集まるから」
「じゃあ、持ち歩かないの?」
「最初はね。ほかの人にも使い方を伝えるまでは、俺が預かる」
「一分しか使えないのに、役に立つ?」
「音を追う獣が来たとき、見張り台の入口だけでも静かにできれば、人を中へ逃がす時間が作れる。一分あれば、戸を閉められるから」
サイラスの袋へ、筒が入った。
「預けた金は、これで全部ですね」
彼が言うと、女は受領の紙を出した。町へ運ぶ毛布と違い、この品だけは、自分で買った物らしい。
「町に置く品まで、自分で払ってるの?」
「冬の見張り番を、一人でやり切れなかったから。俺が戻ったころ、もう何軒か襲われていた」
サイラスは名前を書き、紙を返した。
「剣を速く振れるだけじゃ、寝ている人まで守れない。使ってもらえれば、それでいいんだ」
俺は筒の入った場所を覚えた。買い手が受け取り、使い方も聞いた。こちらが欲しかった確認は済んでいる。
修道院の女へ礼を言った。自分の物になっていなくても、使い方を知っておく価値はある。
帰り支度をしている間に、女がもう一つ、薄い封筒をサイラスへ渡した。
「こちらも荷に付いていました。あなたへ直接、と」
彼は窓辺で開いた。
初めの一枚を読み、次の紙へ目を移したところで、指が止まった。
俺のほうを一度見た。
「何か、面倒な知らせ?」
「……あとで話す」
声の調子が変わっていた。
彼は封筒をしまい、荷を運んできた若者へ言った。
「俺たちは先に町へ戻る。荷の片づけを手伝っていてくれ」
頼み方は穏やかだった。若者もうなずき、修道院の奥へ戻っていった。
修道院の門を出ると、谷の風が強くなっていた。
サイラスが俺の横から前へ回った。袋を左脇へ寄せ、空いた右手を剣の柄へ置く。
「あんた、レオン様と知り合いだったのか」
「まあね。こっちにいた頃、少し」
「俺の返しを、前の持ち主と比べていたな。あの人が使うところを、ずいぶんよく知っている言い方だった」
サイラスは、その先を急がずに俺の顔を見た。
「どこで別れた?」
「城」
サイラスが足を止めた。
橋はまだ先だった。道の右は岩壁、左は低い縁石と谷になっている。俺は縁石の割れた所を避けて立った。
「橋まで行かないの? 止まるには、狭い所だよね」
「戻る前に、話をしたい」
サイラスは道の真ん中に立った。町へ行く道を塞がれた。修道院へ引き返せば、その剣に背中を向けることになる。
鞄を持ち直すふりをして、右手を上着へ寄せた。彼は半歩だけ近づいた。剣を抜かなくても、その距離なら俺の手首へ届く。
「荷物は、そのままでいい」
俺は手を止めた。さっきまでは旅の同行者だったが、今は、勝手に帰らせる気がないらしい。
「その剣、見せてくれないか」
「さっきも見てたじゃん」
「刃の根元だ。刻印を確かめたい」
俺は鞄の口を開けた。
剣を抜く前に、サイラスが封筒から一枚出した。
ああ、そういうこと。
紙には、俺の顔が描かれていた。三年前にこの世界で使っていた、旅人の届け出の写しだ。下には、勇者レオン殺害への関与を疑う文がある。
もう一枚は、晴人の配信を切り取った絵だった。顔は見えないが、黒い上着と、鞘を握る左手が映っている。
「誰から?」
「品に付いていた」
「親切だねえ。俺には何も付いてこなかったのに」
「田中」
サイラスが俺の名を呼んだ。
昨日、俺が自己紹介したときの声とは違っていた。
「レオン様は、魔物に殺されたんじゃないのか」
谷の下を、雲が流れている。
遠くで鐘が鳴った。さっきの小さな鐘ではない。修道院の、時刻を告げる鐘だった。
「そこまで調べてあるなら、もう答え要らなくない?」
サイラスの口が引き結ばれた。
彼はすぐには怒鳴らなかった。
「何があったのか、聞いてから決めたい」
サイラスは紙へ一度目を落とした。
「ここに書いた人間が、本当のことを言っているとも限らない。俺が知らないことを、あの人がしていたかもしれない」
銃を出したら、その時点で話は終わる。俺は上着へ伸ばしていた右手を、いったん鞄の紐へ戻した。
「そんなに聞きたいこと、あったの」
「ある。だから、あいつを院へ残した。あんたの答えを、あいつの前では聞きたくなかった」
「仕事だよ」
「あの人が、何をした」
「依頼人に嫌われたんじゃないかな。そこまで教えてもらわなかったし」
サイラスは紙を丁寧に畳んだ。
剣を抜く前に、それを袋へしまった。
「武器を置いてくれ。町まで、一緒に来てもらう」
俺は鞄から剣を引き抜いた。
「悪いね。今日は、その袋の中身を持って帰るほうなんだよね」




