# 第50話:狂える都と、最後の分岐
――走った。
誰も言葉を発しなかった。あの少年の「もう手遅れかもしれない」という捨て台詞が、全員の背中に刺さったまま抜けなかった。
テラが先頭を走り、グラムが続き、俺たちは来た道を全速力で逆走した。
最深部から地の民の都まで、行きに一時間かかった通路を、俺たちは半分以下の時間で駆け抜けた。
聞こえてきたのは、まだ都に近づく前のことだった。
金属音。悲鳴。怒号。
「……急げ!!」
テラが声を上げ、さらに速度を上げた。
◇
都の入り口で、俺は立ち尽くした。
かつて石畳が整然と続いていた大広場は、今や見る影もなかった。
地の民の人々が、互いを武器で傷つけ合っていた。老人が若者を殴り、親が子を突き飛ばし、昨日まで笑い合っていたはずの人々が、濁った目で互いに牙を剥いている。その瞳にあるのは怒りでも憎しみでもなく、ただの空虚だった。腐りに正気を奪われた、空っぽの暴力だ。
「……民が」
テラの声が、震えていた。
「我が民が、こんな……っ!」
俺は『作庭』の目を全力で解放した。都全体に広がる腐りの流れを読み取る。根腐れした木の毒が枝の先まで回っているように、腐りのエネルギーが都全体に張り巡らされていた。しかし、その流れには中心がある。すべての腐りが一点から放射状に広がっている。
「アルト様!」
シアが俺の横に並んだ。
「見えますか……!?」
「見える。腐りの中心は……城だ。玉座の間から流れ出ている」
「玉座……父上のいる場所が……」
テラが歯を食いしばった。
「行くぞ」
グラムが前に出た。その声に、これまでにない緊張感があった。
「玉座の間を止めれば、この狂乱も終わる」
俺たちは都を走り抜けた。
狂乱の人々をできる限り傷つけないよう、シアが神速で人垣を割り開き、テラが地拳術で通路を作った。エルダの結界が飛んでくる礫を弾き、フィリアが魔法の光で道を照らした。
それでも、目に入るもの一つひとつが、胸を抉った。
城の門前に到着した時、最初に気づいたのはグラムだった。
「……なぜ、誰もいない」
門は半開きになっていた。しかし、見張りがいない。いつもならここに複数の近衛兵が立っているはずだった。
嫌な予感を覚えながら、門をくぐった。
中庭に、兵士たちが倒れていた。
生きている者は、一人もいなかった。
「……」
誰も言葉を発せなかった。
テラが膝をついた。
「……なんで、なんでこんな……」
「……姫様」
グラムが、静かにテラの肩に手を置いた。それだけだった。
しかし、その沈黙が続いたのは一瞬だけだった。
「気配が……!! 三方向から来ます!!」
シアの叫びと同時に、城の左翼、右翼、正面の三方向から気配が殺到してきた。
俺の目にも見えた。三つの腐りに染まった、しかし強大な魔力の系譜。
「……知っている」
グラムが低く唸った。
「この魔力は……っ!」
現れたのは三人だった。
左から、巨大な体格の男。全身の装甲に黒い亀裂が走り、その目は虚ろだった。
右から、細い体の人物。纏う魔力が歪み、渦を巻いている。
正面から、小柄な影。身のこなしに迷いはないが、瞳に何も宿っていない。
「ドルグ……ラグナ……シェイル……」
グラムが、仲間の名を一人ひとり呼んだ。
「お前たちが……こんなことを……っ!!」
三人は答えない。ただ、俺たちへと向かって前進してくる。
「行ってください、アルト様!!」
フィリアが一歩前に出た。白銀の杖を構え、振り返って俺を見る。
「玉座の間を止めないと、都の人々が……! 私たちが、ここで三人を引き受けます!」
「フィリア……」
「私はアルト様のお役に立てます!! だから、行ってください!!」
エルダも前に出た。
「わたくしも残ります。この三人、無力化してご覧に入れますわ」
「俺も残る」
グラムが静かに言った。
「……あいつらを、傷つけずに止めてみせる」
俺は一瞬だけ躊躇した。しかし、都全体を揺さぶる腐りの圧力が増している。時間がない。
「分かった。頼む、三人とも」
「アルト様、行きましょう!!」
シアがすかさず隣に立った。
「テラも来てくれ!」
テラが立ち上がり、頷いた。
俺はフィリアの前で足を止めた。
「フィリア、少しだけいいか?」
「え? は、はい!」
俺はジョウロを取り出し、フィリアへと向けた。
「お前の中に、まだ俺が気になっていた芽がある。戦いに役立つかどうか確証はないが……今ここで咲かせてやれると思う」
「今、ですか……!?」
「戦い始める前の方がいい。受け取ってくれるか」
フィリアは一拍の間を置いて、真剣な目で頷いた。
ジョウロから、透明な魔力の雫が流れ込んでいく。フィリアの体内、古代魔法の大樹の奥深くに眠っていた、これまで俺も触れたことのなかった芽。その芽が、水を受けてゆっくりと開き始めた。
フィリアの目が大きく見開かれた。
「これ……これは……っ!」
「後で教えてくれ、何が咲いたか」
「は、はい……!!」
俺はフィリアの頭に一瞬だけ手を置いてから、走り出した。シアとテラが並走する。
背後で、三対三が対峙した。
「ドルグ」
グラムの声が、静かに城の中庭に響いた。
「お前たちを、俺が必ず取り戻す。そのためなら何度でも、お前たちの拳を受けてやる」
三人の四天王は、答えない。
しかし、その瞳が、ほんの一瞬だけ揺れたように見えた。
(第50話 終)




