# 第37話:地王の使者と、ハサミの庭師
暗闘の通路から現れたのは、十人以上の完全武装した兵士たちだった。
先ほどの三人組とは明らかに装備の重厚さが違う。鈍く光る漆黒の鎧、その胸元には地脈石を精巧に組み込んだ不気味な紋章が刻まれていた。彼らは一糸乱れぬ整然とした隊列を組み、通路を完全に封鎖するように立ち塞がると、一斉に鋭い槍の穂先をこちらへと向けた。
「――アルト様の前には、私が立ちます。」
シアがすっと俺の前に進み出た。まるで世界のどこかにいる、見えない何かに向かって忠誠を誓うような、凛とした声音だ。
その後ろで、フィリアが「うぅ、人数が多いですね……」と気圧されたように小さく呟き、エルダは無言のまま静かに、しかし濃密な魔力をその指先に練り上げ始めた。
だが、その重装兵たちの中央に、一人だけ武器を持たない人物が佇んでいた。
白く長い髭を立派に蓄え、全身を深緑の格調高い長衣で包んだ、一人の老年の男。
その瞳は地の民特有の大きな光彩を持っていたが、その奥底には、周囲の兵士たちとは一線を画す、底知れない深い知性の光が宿っている。
俺の『作庭』の目を凝らすと、この老人の体内を流れる魔力は、周囲の汚染によって確かに歪んではいた。だが、その根元に眠る力は――帝国のどんな上位魔術師とも決定的に異なる、地の底の深淵で果てしない時間をかけて育まれた、圧倒的な質量を誇っていた。
「……あのお爺さん、かなり強いです、アルト様」
フィリアがごくりと唾を飲み込み、小声で俺の耳元に囁く。
「ああ、わかってる」
老人は鋭い眼光で俺たちを一瞥し、それからゆっくりと、フィリアに向けて視線を固定した。
「……『庭師』、と言ったか」
「えっ……!?」
フィリアが驚愕に目を見開いて俺を見る。
「……ち、地上の言葉で、話しています……!」
「喋れるんですか!?」
シアが思わず素っ頓狂な声を上げた。
「あ、す、すみません……っ!」
慌てて両手で口を押さえるシアのコミカルな様子を、老人は咎める風でもなくじっと見つめる。
「分かる。少しばかり地下特有の訛りがあるが、十分に聞き取れるだろう」
老人は重々しく、静かに頷いた。
「地上の言葉は、遠い昔に学んだことがあるのだ。いつか地上との交渉の席で役に立つと思っていたが……まさか、このような不測の状況で使う羽目になるとはな。……我らが一族の王族と幹部、そして私のような側近は皆、地上語を完全に習得している。すべては陛下のご聖断だ。いずれ地上と事を構える、その『来たるべき時』に備えて、な」
「あんたは、何者だ」
「私は地王陛下が使者を務める者。名はガルドという」
老人――ガルドは、俺の腰のポーチに収められた『剪定鋏』を静かに見据えた。
「して、地上から来たりし庭師よ。我らの神聖なる地に、一体何の用があって降りてきた?理由を聞こう」
俺は剪定鋏をポーチの奥へと戻し、真っ直ぐにガルドの瞳を見つめ返した。
「地脈の汚染を、止めに来たんだ。あなたたちの地底を腐らせている『根の腐り』を、このハサミで綺麗に整えるためにね」
ガルドの双眸が、その瞬間初めてわずかに揺れ動いた。
だが、次の瞬間には何事もなかったかのように元の静寂な表情へと戻り、老人は低く喉を鳴らして笑った。それは地上人を小馬鹿にする嘲笑ではなく、どこか哀愁と苦い色を帯びた笑い方だった。
「クク……庭師よ。我らの地底がどれほど深く、絶望的に腐りかけているか、地上の陽光にぬくぬくと育まれた者に分かるとは思えんがな」
「見てきたさ。この地下通路を降りてくる間、ずっと地脈の状態を確認していた。その腐敗の毒がどこから湧き上がってきているのかも、だいたいの目星はついている」
「……ほう?」
ガルドの目つきが、一瞬で変わった。まるで獲物の価値を推し量るかのような、刺すように鋭い品定めの視線。
「では、答えてみろ。我らを蝕むこの忌々しい腐りの源は、一体どこにある」
「もっと深い場所だ。この通路よりもさらに下――地脈の主幹がすべて集まる、世界の『根の根』。そこが今、急速に腐りかけている。あなたたちは総力を挙げてそれを食い止めようとしているが……もう、限界が近いんじゃないか?」
水を打ったような、長い長い沈黙が地下回廊に落ちた。
周囲の兵士たちが驚愕に互いの顔を見合わせ、ざわざわと動揺が広がる中、ガルドだけは微動だにせず、俺を凝視し続けている。
「……」
「アルト様」
エルダが静かに、俺の肩のすぐ近くへと寄り添ってきた。
「もし、このまま交渉が決裂しそうなら、わたくしが前に出ますわ。皆様がここから安全に撤退する時間くらい、いくらでも稼いでみせます」
「逃げないさ」
「分かっておりますわ。ですが、これは万が一の時の話ですわ」
エルダの声はいつになく落ち着いていたが、その瞳は本気だった。この場に足を踏み入れて以来ずっと、彼女は俺の隣で光と闇の魔力を薄く展開し続けている。口を開けば文句やぼやきばかりの彼女だが、誰よりも真剣に、俺の盾になろうとしてくれているのだ。
「庭師よ」
ガルドがゆっくりと、その重い口を開いた。
「我が地王陛下は、地上の者とのいかなる接触も厳格に禁じている。本来ならば、問答無用でここで追い返す、あるいは処分するところだが……」
「本来ならば、ということは?」
「……フッ。その見た目通り、恐ろしく肝の据わった、面白い男だな、お前は」
ガルドは深いため息を一つ吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。それから、俺の後ろに控えるシア、フィリア、エルダを順番に見渡す。
「随分と賑やかな連れだな。地上の美しい娘が三人もついてくるとは」
「何か文句でもあるのか?」
「いや、むしろ興味深い」
ガルドはかすかに目を細め、口元を緩めた。
「――四人とも、私についてこい。地王陛下に直接お引合わせし、そのご裁量を仰ぐこととする」
「やった! 当然のようにアルト様の隣をゲットです!」
ガルドが背を向けた瞬間、シアがすかさず俺の右隣へと滑り込んできた。そしてフンスと鼻を鳴らしながら、
「アルト様の右側は私の指定席ですから!」
とエルダに向かって勝利宣言をする。
「……相変わらず、そのポジション取りの速さだけは一丁前ですわね」
エルダが呆れたようにため息をつきながらも、もう一方の左隣をしっかりと確保した。フィリアが微笑ましそうに笑いながら、後ろから俺の袖をそっと掴む。
「さあ行こう。早くしないと、ガルドに置いていかれるぞ」
「「「はいっ!」」」
三人の声が見事に揃う。
俺たちはガルドの背中を追うようにして、地の底のさらに奥深くへと歩みを進めた。
通路が広くなるにつれて、周囲の壁に群生する発光植物の密度が目に見えて増していき、段々と視界がエメラルド色の光で開けてくる。それに伴い、岩壁に刻まれた古い文様も、先ほどより遥かに細かく、息をのむほど美しいものへと変化していった。誰かが何世代にもわたって、丹念に彫り続けてきた歴史の痕跡だ。
「アルト様、あの壁の文様……おそらく、この世界の地脈の流れを詳細に示す『地図』だと思います」
フィリアが壁を指差しながら、興奮気味に言った。
「こんなにも精巧な文明の遺物が、こんな地の底の奥深くまでずっと続いているなんて……」
「地の民が何百年、あるいは何千年もかけて作り上げてきた、誇りの結晶なんだろうな」
「それだけの偉大な文明が、地上からはまったく知られていなかったなんて……」
俺もまったく同じことを考えていた。
かつて地上の帝国が一方的に地脈を引き剥がした時、彼らからどれほどのものを奪い去ったのか。そして、それを暗闇の中で黙って耐え忍びながら、地の民はこの地底の文明を命がけで守り続けてきたのだ。
「アルト様」
シアが俺の袖を軽く引き、周囲を警戒するように視線を走らせる。
「……周囲の兵士たちが、私たちのことをじっと見ています。特に、アルト様のことを」
「まあ、当然だろうな。地上人がこの聖域に足を踏み入れるなんて、彼らにとっては前代未聞の歴史的事件のはずだ」
「いえ……見られているのは、特にわたくしたちの方のようですわね」
エルダが声を潜めて言った。
「地上の妙齢の女が三人、という異様な状況が珍しいのかもしれませんわ」
「ふふ、もしくは『どうしてこの庭師には女が三人もくっついて歩いているんだ?』という意味が分からなくて困惑しているのかもしれませんよ?」
フィリアがいたずらっぽく苦笑いする。
「意味なら、そんなの至極簡単ですわ」
エルダがさらりと、当然のように言ってのけた。
「アルト様の偉大なお仕事を、一番近くでしっかりと見届けるため――それ以外に理由などなくてよ」
「……っ、はい、私も同じです!」
シアが弾んだ声で俺を見上げ、その瞳をキラキラと輝かせる。
「アルト様のお仕事を、誰よりも一番近くで見届けて、お守りするのが私の役目ですから!」
俺は気恥ずかしさに苦笑いしながら、前を向いた。
どこまでも続くと思われた地下回廊の遥か先――地の底の最奥に、眩いばかりの、本物の『光』が見え始めていた。
(第37話 終)




