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# 第103話:涙する刃と、慧眼の落日



 エルダの掌から、白い光が、放たれた。


「――っ、散開!」


 シャムシェルの号令で、三人が、飛び退く。

 光が、地面を穿ち、轟音と共に、土砂が舞い上がった。着弾点には、深い、クレーターが穿たれている。

 かすっただけでも、致命傷。

 それが、天使化したエルダの、力だった。


「……嘘、でしょう」


 シアの声が、震える。

 かつて、共に旅をした仲間。回復と、支援を担ってくれた、優しいエルダ。その面影は、もう、どこにもない。ただ、無慈悲な、破壊の光だけが、次々と、放たれてくる。


「シア! 気を確かに持ちな!」


 シャムシェルが、叫んだ。


「あれは、今までのエルダじゃない! 操られてるだけだ! ……だが、手加減はできないよ! やられちまう!」


「で、でも……! エルダさんを、傷つけるなんて……!」


「甘いこと言ってる場合か!」


 テラが、腐食した腕を庇いながら、前に出た。


「私が、動きを止める! シア、シャムシェル殿、その隙を突け!」


 テラが、地を蹴った。


 ◇


 天使化したエルダは、無表情のまま、テラを迎え撃った。

 その体術は、かつてのエルダとは、比較にならなかった。

 天使の膂力。天使の速度。テラの拳を、最小限の動きで、いなす。


「く……っ、硬い! それに、速い……!」


 テラの拳が、かすりもしない。逆に、エルダの手刀が、テラの脇腹を、抉った。


「がはっ……!?」


「テラさん!」


 シアが、駆け寄ろうとする。

 だが、その足が、止まった。

 攻撃を繰り出す、エルダの、その顔。

 無表情の、その頬に。

 一筋の、涙が、伝っていた。


「……エルダ、さん」


 シアの、胸が、締めつけられた。

 心は、ない。自我は、奪われた。命令に従い、ただ、破壊するだけの、人形。


 なのに。


 その体は――涙を、流している。

 まるで、心の奥底に閉じ込められたエルダ本人が、必死に、叫んでいるかのように。

 やめて。傷つけたくない。お願い、止めて――と。


「……分かってます、エルダさん」


 シアの目から、涙が、こぼれた。

 それでも、剣を、握りしめる。


「あなたは、悪くない。……だから、必ず、助けます。アルト様が、戻ってきたら、絶対に……!」


「――シア! 来るよ!」


 シャムシェルの、叫び。

 エルダの掌に、ひときわ巨大な、光が、収束していた。


 ◇


 純白の光が、里全体を、飲み込まんと、放たれた。


「【慧眼・光盾】!」


 シャムシェルが、黄金の魔力で、光の盾を、展開する。

 純白と、黄金が、激突した。


「ぐ……っ、く……!」


 シャムシェルの、顔が、歪む。

 双子戦で、既に、権能を使いすぎている。翼のない体で、これ以上の行使は――命を、削る。

 それでも。


「まだ……っ、まだ、支えるよ……!」


 シャムシェルの足元が、砕けた石畳に、めり込んでいく。

 拮抗は、長く続かなかった。

 エルダの光が、じわじわと、盾を、押し込んでくる。


「シャムシェルさんの盾が……押されてる!?」


「あの婆さん、もう限界だ……! シア、退くぞ!」


 ◇


 その時。

 エルダの、動きが。

 ほんの一瞬、鈍った。

 放たれる光の勢いが、揺らぐ。

 無表情だった顔が、かすかに、歪む。


「……ぁ」


 エルダの口から、掠れた声が、漏れた。

 言葉になる前の、声。

 だが、確かに――それは、エルダ本人の、意志だった。

 攻撃を止めようと、抗おうと、する意志。

 その、綻び。

 遠くで、それを見ていたザミエルの目が、細められた。


「……ふむ。やはり、自我の残滓が、完全には、消えていませんか」


 ザミエルは、眼鏡を、押し上げた。


「攻撃命令に、拒否反応。涙腺の暴走。……接続が、不安定ですねぇ。このまま暴走されて、貴重なサンプルが自壊しては、かないません」


 ザミエルが、面倒くさそうに、手を挙げた。


「エルダ。……戻りなさい。調整のやり直しです」


 その瞬間。

 エルダの動きが、糸の切れた人形のように、止まった。

 放たれかけた光が、霧散する。


「……助かった、のか?」


 テラが、荒い息を吐いた。


「いいえ。運が、良かっただけですよ」


 ザミエルが、くつくつと笑った。


「次に会う時は、もっと『完成』した状態で、お目にかけましょう。……ああ、楽しみだ。この個体、実に、いい素材だ」


 光の門が、開く。

 エルダが、無言で、そこへ向かう。


「……エルダさん! 待ってて! 絶対、助けるから……!」


 シアの叫びに。

 エルダは、応えない。

 だが、門をくぐる、その直前。

 一滴の涙が、その頬から、地面へと、こぼれ落ちた。

 そして、天使たちの姿は――光の中へと、消えた。


 ◇


「……はぁ、はぁ……行った、か」


 テラが、その場に、膝をつく。


「なんとか……凌いだ、んですね……」


 シアも、力尽きたように、座り込んだ。

 里は、守り切った。エルダも、綻びを見せた。希望は、まだ、ある。


 だが。


「……シャムシェル、さん?」


 シアが、ふと、気づいた。

 シャムシェルが。

 立ったまま、動かない。


「シャムシェルさん……?」


 その体が。

 ぐらり、と、傾いだ。


「――シャムシェルさん!!」


 シアが、駆け寄る。

 崩れ落ちるその体を、抱きとめた。

 軽い。あまりにも、軽い。そして――冷たい。

 シャムシェルの口元から、一筋の、血が、流れていた。


「シャムシェルさん! しっかり! しっかりしてください!」


「……あー、あー。派手に、やっちまったねぇ」


 シャムシェルの声は、掠れて、今にも消え入りそうだった。


「翼のない体で……権能を、使いすぎた。双子と、エルダ相手に……ちょいと、無理を、しすぎたかい」


 その顔から、生気が、急速に、失われていく。

 オリビアと、同じ。

 翼を失った天使が、命を削って、権能を行使した――その、代償。


「そんな……! すぐ、手当てを……!」


「無駄さ」


 シャムシェルは、穏やかに、笑った。


「これは……もう、治せない。……あたしにも、分かるよ。長く、やってきたからね」


 その手が、震えながら、シアの頬に、触れた。


「泣くんじゃ、ないよ。……あんたらは、よく、戦った」


 シャムシェルの目が、ゆっくりと、里を――そして、閉ざされたままの、世界樹の洞を、見た。


「……フィリア。あの子は、まだ、中かい」


「は、はい……まだ、試練の中で……」


「そうか」


 シャムシェルの目に、寂しげな色が、浮かんだ。


「……間に合わないかもしれないねぇ。あの子に……言っておきたいこと、あったんだが」


「言っておきたいこと……?」


 シアが、聞き返す。

 シャムシェルは、答えず、ただ、遠い目で、世界樹を、見上げていた。


 その、皺だらけの目尻に。

 かすかな、涙が、滲んでいた。


(第103話 終)


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