言えなかった、言いたかった 7
◇
ビーカーに入った黒い液体を見つめる。確かに味は美味い。味は美味いけどさ。目の前に座るのは、口の悪い顔の整った研究者だ。
「なぁユキ、一つ聞いていいか? お前何であの時ハルと一緒に病院に行かなかったんだよ?」
「それは……、ハルが呼んでたからだよ。一に会いたいって言ってたんだ」
血塗れのまま俺のところに来たユキ。冗談なんかじゃないことは一目瞭然だった。俺と待ち合わせをしていたはずの彼女は次に会った時には、言葉を交わすことも出来ずに冷たくなっていた。いつも以上に色白で、そして綺麗な顔で眠っていた。
“ハルが死んだ”
そんな実感なんてなくて、肌綺麗だなとか、睫毛長いなとか場違いな考えばかりが、頭の中を通過していった。不意に起き上がって
“はじめ君、おはよ”
といつもの様に笑ってくれるんじゃないかとさえ思った程だ。そして、隣で彼女を見つめているこの双子の兄も俺と同じように感じている気がした。ハルが死んだなんて受け入れられるはずがなかった。彼女がいなくなったあの日からずっと、俺達は囚われたまま動けないでいた。
「ユキは俺のこと、恨んでると思ってたよ。だって、俺と待ち合わせなんかしなければ、ハルが刑務所から脱走した奴に刺されることもなかったんだし」
ずっと思っていた事を告げてみる。どんな反応が返ってくるのかと様子を窺っていると、コーヒーの入ったビーカー片手に目の前に広げられた甘ったるそうな甘味の数々に手を伸ばすユキ。どうやら、その手を止める気は無いらしい。
「そりゃあ、恨んだこともあったよ。でも、お前のせいにしても虚しいだけだった。ハルのこと、忘れられなくて……、忘れたくなくて……、メイクして着飾ってハルになってみたりもしたけど、ぽっかり空いた穴は全然埋まらなくて。寧ろ、大きくなっていくばっかりだった。俺と違ってハルは太陽みたいにキラキラしてて、俺の手をいつも引っ張ってくれた。そんなハルが俺は大好きだった。でも、ある時ハルの日記を見つけて太陽みたいだと思っていたハルにも太陽みたいな存在がいることを知った。それが俺じゃないってことにはショックを受けたけど、でも何だか嬉しかったんだ。ハルも俺と同じだったんだなぁって安心した。双子なのに、兄貴なのにって勝手に引け目を感じてた自分がバカらしく思えたよ」
そうか、そうか。と言いたいところだけど、話している内容と取っている行動が合わなさ過ぎて混乱するんだが。コーヒーがあるとは言え、よくそんなに甘いもんを次から次へと食えるよな、お前。
「俺もね、最初は一と同じようにハルに会いたくて研究を始めたんだよ。夢の中ならハルとずっと一緒にいられるじゃんって思った。でも……」
そこで言葉を切って、首を振る。
――うん、あのさ。シリアスな雰囲気出してるけどさ、その両手に持っている物でシリアス感ゼロなんだけど。右手にマカロン、左手には……、マドレーヌだったっけ? ソレの名前。絶対、わざとやってるだろお前。
「でも、この研究を進めていく内にそれで終わらせちゃいけないって思った。俺と同じように心の奥底に閉じ込めた闇に囚われた人をこの研究で救わなきゃって、ハルが気付かせてくれた」
ユキの瞳が俺を捉える。ハルと同じで睫毛が長い。
「お前と再会した時、俺と同じだってすぐに分かったよ。ハルのことまだ、受け入れられてないんだって。自分のことをずっと責め続けてきたんだって。だって、お前……。あの佐藤一が、ハルの姿をした俺を見て“久しぶり”って言って笑ったんだよ? 然も作り慣れてますって感じのキモチワルイ笑顔でさ。普段から表情をあんまり変えないクール気取りのあの佐藤一がだよ――」
ユキは言い終わると同時に噛りかけだったマカロンの残りをパクっと口の中に放り込んだ。
――キモチワルイ笑顔にクール気取りね、はいはい。もう俺に対するこいつのディスりはスルーだな、スルー。
確かにあの日から、ハルがいなくなったあの日から自分でもキモチワルイと思うような笑顔を作るようになった。無表情よりもそっちの方が世間においてはいいと分かったから。笑顔は俺にとって何よりも尊いものだったはずなのに、俺はありきたりで、平凡なニセモノの笑顔を自分に貼り付けた。




