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小アルメニア王国(トルコ

現在のトルコのアナトリア半島南西部にタルススがある。この地はキリスト教のパウロの生まれ故郷であり、クレオパトラ7世とローマ帝国3頭政治のアントィーニオが初めて出会った場所として知られる。それから以後キリキア・アナトリア公(王)国がタルススに存在をした。


1198〜1375年と377年もキリキア公(王)国が存続をしたことになる。


キリキア・アナトリアは初代公王がルーベン1世(ルーベン公そのものはは伝承となる。アルメニア国王のガギーク2世の息子。一説には幕僚。コーカサスの大アルメニア王国と繋がりを持たせたいがために伝承されている可能性がある)


バグラトゥニ朝アルメニア王国はコーカサス山脈の南に位置をする。その王国はビザンティン帝国の武力に優る侵略に遭い多くの臣民たちを戦いに失い国破れ祖国アルメニアを離れることになる。移住先にはグルジア・ポーランド・ガリチア・キリキア。


アルメニアのガギーク2世王がビザンチン帝国の激しい武力に見舞われ宮殿を攻められているまさにその時であった。

「申し上げます。ルーベン王子さまルーベンさま。早く準備をなさいませ。我がアルメニア王国はもやこれまでとなります。お父上の国王ガギーク2世さまがたった今亡くなられました。王子さまがなんとか生き延びねばならぬことでございます。たった今、馬が呼ばれて参りました。身を隠しこの宮殿より抜け出さねばなりませぬ。よろしいでありましょうか王子」


アルメニア宮殿は周りを敵国ビザンティン軍がぐるりと取り囲んでいた。


敵将ビザンチンはガギーク2世王を宮殿に追い詰め首をハネたところであった。

「アルメニアの国王をやったぞ。もはや臣下の者どもは降参をせよ。我が偉大なるビザンチン帝国(東ローマ帝国)に歯向かうことは不可能なのじゃ。皆のもの降参をせよ。ただちに我々の臣下となることをワシに言え。忠誠を誓え」

敵将の統帥は右手にサーベルを持ち、左手にはアルメニア国王ガギーク2世の生首を高く掲げた。なんとも凄惨なことか。


今討ち取られたばかりのガギーク2世は地面に血がタラタラ滴り落ちる。


アルメニア宮殿前の広場にはビザンチンの軍隊が今や遅しとアルメニア王国の完全降参を待ちわびていた。


ガギーク2世の子供ルーベン王子はまだ八歳にも満たぬ子供である。憎き敵の宮殿への軍事進行、実父の殺害を目の前にし悔し涙を流していた。

「国王が殺られた。我が父上が憎きビザンティンに殺されてしまった。あんなに優しい父上をなんて酷いことをしてしまうのだ。ヒトツキの槍で剣で首を落とされるとは勘弁ならぬことだ」

幼少王子は涙をためて悔しい気持ちでいっぱいになる。


宮殿の中アルメニア家臣たちは国王だけでなく王子まで殺されてはたまったものではないと用心する。幼少王子をなんとか安全に宮殿から脱出させたいと考えた。

「あのかわいいボーヤの王子はなんとしても逃がさなくてはならない。ルーベン王子まで殺されてはアルメニア王国は家系が断絶をしてしまう」


国王の死を眺めた幼少王子はアルメニア王国の象徴絢爛たる衣裳を着ていた。それを侍従の女官に手早く脱がされた。


庶民の子供の姿に王子を偽装し、なんとかこの危険なアルメニア宮殿から脱出しなくてはならない。


が幼い王子は如何せんがんぜない子供である。

「お父様。なぜ死んでしまったの、ルーベンはルーベンは悲しいでございます」

幼少の王子ルーベンの泣き声はさらに宮殿に響き渡る。無理もない。母親のお妃も早くに亡くし幼少ながら天涯孤独に王子ルーベンはなったのだ。

「さあさあ王子早く準備をしなされ。臣下の者と偽り宮殿を出ていかなければなりません。庶民服に着替えられましたら早く馬まで参られませ。王子、時間がありません。敵は迫ります」


アルメニア宮殿には敵国ビザンティン軍の統帥(将軍)が侵入をしている。

「アルメニアよ、よく聞け」

ビザンティン統帥は地響きをさせるような大声をあげた。身なりは鎧兜でガッチリ武装され今は右手に勝利の印としてサーベルが抜かれていた。


家臣たちは宮殿で国王が殺されビザンティン帝国が王子までも殺害をしようとするのを必至に止める。


国王が殺害されたアルメニア宮殿。国王の代わりに副統帥が総代理として出向く。

「わかりました。勇敢なるビザンティン統帥閣下殿。我々アルメニアは今や降参をいたすものでございます。抵抗はいたしませぬ。我々は完全降参致します」

副統帥は無念の顔つきで憎きビザンティン統帥を見上げた。

「よかろうよかろう。ならばただちに講和をいたそうぞ。机を用意しろ。調印の席を設けよ」

ビザンティン軍の将軍たちがゾロゾロと宮殿の中に入っていく。


それを見たアルメニアの家臣たち。

「さっさ今でございます。ルーベン王子を裏手から脱出させましょう」


家臣たちは馬を引き始めた。見るからにみすぼらしい格好の商隊である。宮殿から敵軍の目を眩ませ脱出をはかる。


八歳のルーベン王子は顔にスミを塗り破れた着物を羽織っていた。わざと小汚ない子供になり水甕を運搬する馬の世話人の子供に化けてさせていた。王子を取り囲むようにして宮殿裏手から数頭の馬を出した。


たくさんのビザンチン軍の兵士の横を何食わぬ顔で王子と家臣たちはすり抜けようとする。


宮殿の正面玄関はビザンティン軍でいっぱいである。ルーベン王子はチラッとそれを覗き見る。

「畜生め、憎きビザンティンだ。父上を殺し我が住処宮殿まで奪ってしまうなんて。この悔しさは一生涯忘れはしない。覚えておれビザンチンめ」

身なりを隠したルーベン王子は水甕運びの馬たずなをグイッと引く。


家臣たちは何食わぬ顔を決めこむ。

「ワシらは宮殿にやぁ水を納めたら関係ないですゃ」

コトコトと広場中央にまで馬を引き至る。家臣の考えた水甕馬の偽装はビザンチンの軍隊の目を誤魔化し成功しそうかと思われた。

「王子うまく行きましたな。あの城門をくぐってしまえば我々はこの早馬に乗り何処にでも行けますぞ」

家臣はたちはやれやれだわいと道の半ばあたりで安心をする。


が安心は早かった。


「おいちょっと待て。水売りの馬よ」

まもなく宮殿広場から表通りに出れるという矢先であった。ビザンティン軍の兵士に呼び止められてしまった。


ルーベン王子も家臣もギクッとする。


しっ、しまった、バレたか。最早これまでなのか。


「おいボウズ。その水甕に水が残っておるのか。一杯もらいたい。喉が渇いた」

ビザンティンの兵士たち数人がワシも喉が渇いた渇いたと王子に声を掛けた。


慌てた家臣はドギマギとしてしまう。王子が危ない。つい隠し持つ小刀に手が伸びる。

「おいボウズよ。水甕に水は入っているか」

兵士は馬を止めさせ水甕をあらためた。家臣はハラハラである。

「水甕なんぞを触られている間にルーベン王子の素性がばれてしまうのではないか」

兵士たちは歩みより

「水を分けよ。たくさん甕があるな。ひとつぐらい水は残りはしないか」

数人の兵士は馬の背の水甕をひとつひとつ確認をしていく。


ルーベン王子は黙って兵士のやることを見ているだけである。

「おっ、この甕は半分ぐらいあるぜ。おいこれを飲もうか」

兵士は王子に水甕を降ろし水茶碗を差し出せと命令した。ルーベン王子は兵士たちの無礼な振る舞いが許せなかった。幼少なれどもアルメニア国王の子供である。王子としてのプライドはある。

「兵士たちは身勝手だ。自分の持ち物でない水を甕から探して僕に差し出せと命令をしている。なんと無礼、なんと忌々しいことなんだ」

家臣たちもアルメニア王国のルーベン王子に向かいなんたる無礼であるか分懣やるせないというところである。小刀にしっかり手が届いていた。


「おい水甕はどうした。早く降ろしたらんかい。やいガキ!聞いているのか。ええぃわからないのか」

ビザンティン兵士は王子たちがローマの言葉を理解しない民族なのかとイライラした。

「言葉がわからぬか。ならば勝手に飲もう。水甕の蓋を開けよ。ええいワシがやる。簡単なことさ。馬に跨がればわけないさ」

兵士は甕の蓋をパカッと開けた。

「あるある。水はたっぷりあるぜ」

馬の鐙にぶら下がる柄杓を見つけた。

「よしこれで汲める」

鐙から取り兵士は甕に突っ込んでみた。チャプンチャプンと瓶音を立て水が汲まれた。


ゴクッゴクッ。

兵士は喉の渇きを一気に潤した。


ゴクッゴクッ。

二杯目を飲む。


「おっ、うまいぞ。どうだみんな。飲まないか。なんと爽やかな水なのだ」

他の兵士もゾロゾロ集まり柄杓で我も我もと汲む。水甕にある半分は瞬く間になくなった。

「ボウズうまい水だなあ。どこから汲んだんだ。この近くに湧水があるのか。今からこのアルメニア宮殿は我々のものだ。水のありかを覚えていつも汲みに行きたいものだワッハハ」

兵士たちは気分がよかった。たぶん言葉がわからないであろうのルーベン王子に話掛けた。

「おいボウズ。お前ちょっと変わったやつだな」

一人の兵士が悟る。他の兵士が、

「どうしたんだ、なんでなんだ」

問い詰めた。

「変わったとはな。このボウズさ。なあ身なりは小汚ないガキだが」

兵士は王子の足を指差した。

「立派な革靴を穿いているぜ。こりゃあ高い靴だせ、アッハハ。このガキは貧乏なんかい。それとも金持ちなんかわかりゃあしない」

馬を引き顔を下に向けていた王子はすっかりプライドを潰された。

「かような乱暴な兵士は許せぬ。僕はビザンティンが大嫌いだ」


兵士たちは後から後から王子の身なりを散々に話

にしてコケにしていく。家臣たちは黙って我慢をする。兵士の苦々しい笑いは耳に残っていた。

「王子に危害がないことを祈りたい」


その場はなんとか取り繕い家臣たちは喧しい兵士を置いて馬を出した。後ろも振り向かず宮殿の城門を出た。

「ふぅー。やれやれでございますな。王子の素性がばれなくてよかった」

家臣たちはホッとした。


安全な場所にまで馬を引くと家臣は身なりを水甕商人から武官に戻した。

「王子さま。これより向かいますはアナトリア(トルコ)でございます。我がアルメニア王国とは交易を通し付き合いがございます。アルメニアの民もかなり移民しているキリキアでございます」

アルメニアの王子をしばらく匿ってくれそうなアナトリアの小国がこれから向かう目的地であった。


こうしてルーベン王子はコーカサスの地アルメニア王国から地中海沿岸のアナトリアはキリキア公国に家臣と向かうことになる。目指すはアルメニアに好意的な数少ない諸公キリキアであった。

「王子長い旅でございます。疲れますなあ」

約一週間の長い旅になった。


小国キリキア公では幼少のルーベン王子は歓迎をされた。ビザンティン帝国に国王ガギークを殺され同情をされる面があった。

「アルメニアの幼きルーベン王子。ようこそ我がキリキアにいらっしゃいました。憎きビザンティンに父上があんなことになるなんて。全くもってお気の毒さまでございます」

出迎えたのはキリキア公王である。


アナトリア地中海沿岸のキリキア公国は海産物やヤギ牛の乳を交易の最重要輸出品としていた。その中の海産物をアルメニアのガギーク国王は様々に加工処理(乾物・干物・佃煮などに山菜をミックスさせた)してアルメニア産の特産品に仕上げていた。

「だからアルメニア国王には多大なお世話になったんじゃ。交易からの収益は莫大なものじゃからのう」


キリキア公は特別な感情をアルメニアに持ち幼少のルーベン王子を可愛がる。

「ルーベン王子は他人には思えぬ。我が子も同然じゃ。可哀想にこんな年端もいかないうちから孤児(みなしご)だとは。全くもって不憫なことじゃ」

この地中海沿岸のキリキア公の庇護があり幼少のルーベン王子はキリキアにて育つ。

「ルーベン王子はバグラトゥニ朝アルメニア王国の遺児で王子だ。是非ワシの娘と将来は結婚させて公国を継承させたい。小国キリキアだが婿になってもらいたい」

ルーベン王子はキリキア公に助けられ育てられた恩義を強く感じていた。

「僕はアルメニアのために生きなければならない。そのためにはキリキア公に恩返しをしなくてはならない。よいでしょ。僕が公王女との結婚了解致します」

王子は後にキリキア公王朝となりルーベン1世として1080年タウルスのバルゼルベルドで即位をする。これがルベニ朝の誕生となる。(〜1226年)


当時のルベニ朝の領土はまだまだ小さきもの。隣国貴族のオシンはラムブロンで即位しヘトゥミ王朝の開祖となった。後にヘトゥミ朝もキリキア王朝に組み込まれていく。1080〜1342年


世界史ではコーカサスは大アルメニア王国。


地中海キリキアは小アルメニア公国と紹介している。


キリキア=アルメニアには離散したアルメニア人も移民をしておりアルメニア人の公(国)家とも言える。10世紀ぐらいからアルメニアの離散は始まったのでキリキア公は格好の移民地域である。

「余がこうして地中海沿岸はキリキア=アルメニア公国に君臨した限りは父の国アルメニアをビザンティン帝国から奪い返したい。余はアルメニア国王になるべくして生まれたるぞ」

ルーベン1世の思いはコーカサス山脈にまで届くであろうか。ルーベン1世のアルメニアに対する思い入れはかなりのものがあるは想像に固くない。

「憎きはビザンティンである。我が祖国を領地支配されてなんとか取り戻したい」

遠く地中海沿岸のキリキア公となってもルーベン1世の気持ちは変わらなかった。


時代はルーベン1世から2世。さらに3世と移り変わり孫世代になる。


キリキア公国ルベニ朝は孫ルーベン3世の統治となりビザンティン帝国を敵視する。

「ビザンティンに屈してはならない。戦いに戦い抜いてキリキア公国を守るのだ。我が祖父ルーベン1世の思いを考えても死守しなければならぬ。おのれビザンティンめ、忌々しい限りである」


ところがアナトリア半島の覇権争いがビザンチン帝国(東ローマ)とオスマン=トルコの二大勢力に時代の流れから集約をされていく。オスマンはビザンチンとはライバルであった。

「キリキアはどちらかの領地にならなければ両方から第3の敵国と見なされ攻撃を受ける。ビザンチンとオスマン総攻撃を被ればキリキア公国なんぞ小さな国一気に吹っ飛んでしまう。歴代キリキア公国王は、

「しからば。事情が事情ゆえ、憎きビザンチンと手を組もう。キリキア公国の軍事侵略保護のためならではの苦渋の策なるぞ」

コンスタンチノス1世

(1092年〜1100年)

トロス1世

(1100年〜1129年)

レオ1世

(1129年〜1139年)


公国王たちは3代にわたりビザンチン帝国の保護支援を受けざるを得なくなる。


ビザンチン帝国領キリキア公国になって領地拡大がはかられた。1132年までにレオ1世の統治下でバーカ・シス・アナザルボス・マミストラ・アダナ・タルソスがキリキア公国ルベニ朝の属国領地となった。ビザンチンの武力のおかげで領地キリキアが拡大された。


そのレオ1世の統治下のキリキア公国ルベニ朝はビザンチン帝国のものとなる。完全支配下となってしまう。ビザンチン皇帝ヨハネス2世コムネノスは1137〜1138年をかけてキリキア公国を全て合併併合していく。この時代キリキアは世界史から一時消えてしまった。


キリキアがビザンチン帝国になって面白くないのはアルメニア系臣下たち。

「キリキア公があれだけ繁栄していたというのに。敵国ビザンチンになってしまったとは情けない」

トロス2世公を盾にしてビザンチンのライバルはオスマン=トルコに今度は支援を頼むことにする。オスマントルコは待ってましたとキリキアの領地化に快諾をする。たちどころにビザンチン帝国に宣戦布告をし戦争である。キリキア公国はビザンチン領地からトルコ領地に簡単に換わる。


※この時代はアナトリア半島で独立国家を保つことは不可能に近い。二大勢力のどちらかの属国に甘んじることはやむを得ない政治手段になる。


ビザンチン領キリキア公国王のレオ1世の息子レオ2世。ルーベン3世の弟のレオ2世が軍事統帥となる。


弟はキリキア軍を掌握し国家の統率力をも蓄えていく。弟レオ2世は軍隊すべてをその権力の元に掌握をする。陸軍も海軍も統帥をしていたため統率力はかなりとなっていた。

「兄貴は公王としては器が小さい。だからいつビザンティンやオスマントルコにつけこまれるやわかりはしない。公王にふさわしい私が公国王ならばビザンチンやオスマンなど二度と侵略させはしない。兄貴はダメだ、公国王の器にあらずじゃ」

弟帝は兄貴のルーベン3世を批難し追放したい。レオ2世公王(国王)となりたがっていた。


この気持ちは兄のルーベン3世や側近たちにも当然に暗黙にて伝わった。

「弟帝がなにをこしゃくなことを抜かす。馬鹿馬鹿しい」

宮殿内のイザコザは続く。


キリキア公(王)国は地中海沿岸の公国のひとつ。この沿岸国家は海洋・航海術に長けていた。当時のキリキアの船舶は優秀で高度な航海船舶術に優っている。地中海を我が物顔でキリキア船籍は走りまわった。この地中海を我が物顔で通るは大変なワルとなりいつの間にか海賊船と呼ばれていく。


交易の盛んなアドリア海では巧みな航海技術を駆使して輸送船をつけ狙い襲撃をする。狙われた輸送船は早く逃げたいがノットは出ないから、

「助けてくれ海賊船だあ。襲われてしまう」

この海賊船での収益はかなりのものとなった。


ただ問題はいつも安定した略奪報酬があがるとは限らない。

「海洋からの収益は我が国の重要な公益に当たる。悪なれど必要である」

その海洋の統帥になったのが弟帝レオ2世である。


レオ2世はキリキアの荒くれ男たちの海洋民族を手なづけ海洋軍に仕上げていく。

「物品奪略技術を海洋軍事に仕立てあげるのが私の責務。なあに簡単なのさ。海賊船で日銭を稼ぎまくるより軍艦で公国の指令で堂々と相手艦隊を撃沈してくれたらそれでよい。報酬は我が国から支払おう」

海賊船の悪の稼ぎより高い報酬を約束していた。

海賊たちは喜んで海洋軍となる。これを見る限り弟帝には人心掌握術が備わっていたと言える。


「キリキア沿岸の至るところが港ではいささか交易には都合が悪い」

海軍を掌握したレオ2世はキリキア沿岸に商都となるべく港町を建設した。

「地中海の交易品を効率よく陸路に運びたい。しからば波静かなるイスケンデル湾の中に港を作ってみるか」

岩肌が露出する断崖を切り崩し海底深い港の構築に着手した。それから出来たのがラジャッツ港となる。


ラジャッツは港の場所の良さがかなりプラスに働く。


断崖だから外敵からは要塞になる。事実戦争があらば軍艦を収容も可能であった。


ベネチア・ジェノバなどの港町に見劣りしない交易港となっていく。


中世では遠くエジプトのアレキサンドリア港と地中海の覇を争そう勢いもあったと伝えがある。


弟帝レオ2世に好きに言われた兄の公王ルーベン3世。

「なあ弟帝レオ2世よ聞いてくれ。キリキアの外敵はビザンティンなんだオスマントルコなんだぞ。こんなところで兄弟喧嘩し公王の覇権争いしているべきではないぞ。外敵から我がキリキア公国を死守するには兄弟力を合わせて立ち向かわなければならぬのだ。私を公王から蹴り落とすことは考えるな、よいか。公王は誰がなんと言おうが私だ。私はレオ2世の兄であるぞよ。弟帝は軍事統帥だ。国王の命令に付き従え、間違えるな」


キリキア直系のお坊っちゃんルーベン3世は後から伸びてきた弟帝レオ2世統帥が疎ましくてたまらない。すでに実力は弟帝が上であることは認めざるをえない。なにを比較しても兄の公王は勝ち目がなかった。


「なるほどな兄上。キリキア公国は兄弟の力が必要であるか。端的な言い方ならば我が軍があらばこそぞ。自治が守られては我が軍隊のおかげ。私の統帥力がなくばたちどころにビザンティンやオスマンの領地の餌食でありましょう」

抑揚の効いた言葉を選びながら弟帝レオ2世は兄の公国王を睨む。その目には憎しみがあった。

「よくよく考えた上で我に物を申せ、兄上」

実力者の弟帝は一気に思いを吐き出す。

「しからば私が公(国)王になりてビザンティンからの領地化を阻止してしんぜよう。我がキリキアはよりよい公王を選ばなければならぬ証拠を見せてやろう。よって無用なる長物の兄は消えよ。とっとといなくなれ」


兄弟の亀裂は決定的となる。時間が経過するに従い弟帝レオ2世が発言力を持ち宮殿に実質の国王として君臨をしていく。


臣下は全員が弟帝になびいてしまっていた。

「貴様は弟帝の分際なるぞ。国王たる兄に向かいなにをいうのか。いや軍事統帥の分際で公王に歯向かうのか、ならぬならぬ。無礼であるぞ。下がれ下がれ公王の命令じゃ」

兄の公王は食い下がる弟帝のデシャバリに憤る。


力関係の逆転は明らかなもの。有能な軍人と無能さだけをさらけだした兄の公。


弟帝レオ2世は冷ややかに笑った。兄貴に向かい、

「公王の印の紫依を脱ぎ捨てよ。その光り輝く王冠を渡して貰おう。その場に脱いでおけ。さらば出ていけ、兄上。消えうせよ。殺されぬ前に消えよ。無能なるキリキアの統治者よ。我こそは新公王なるレオ2世なるぞ」


宮殿内は弟帝レオ2世の味方ばかりであった。あっさりと王冠奪取劇は成立してしまう。


兄は震える手で王冠に添えた。


新公国王は弟帝のレオ2世になった。

「私が今のオスマントルコ領地キリキア公国を統治するにはいかがしたよいか。いろいろ考えてはいる。その挙げ句の妙案を臣下に伝えてやりたい。宮殿の中央広場に臣下の民を集めよ。レオ2世新公国王のお披露目をしたい」

新公王はなかなかの策士と見えた。臣下の者はテキパキと手続きを進め中央広場に臣民を集めた。


レオ2世はバルコニーから身を乗り出さんばかりに熱弁を奮う。

「このアナトリア半島は二大勢力ゆえにどちらに転んでも録なことはない。ゆえにビザンチンになびく、オスマントルコになびくをいくら繰り返しても将来の光明など見えてはこぬ。いずれにしても領地になることに変わりない」

レオ2世は宮殿のバルコニーにサーベルを持ち立つ。臣民でいっぱい集まった中央広場。

「キリキアの衆。よく聞いてくれ」

自らが新しい有能な公国王であると声を張り上げた。

「我々は優秀なるキリキア公国なるぞ。今はビザンチンやオスマンの属国扱いをされてしまっている」

オスマン支配もビザンチン領地も面白くはないとレオ2世さらに声を荒々しくする。

「西欧諸国の力を願いたい」

新公国王レオ2世はアナトリアとは無関係な皇帝フリードリフリードリッヒの息子ハインリ6世と教皇ケレスチヌス3世から王冠を受けることを計画した。1199年タルソスにおいてコンラッド・フォン・ウィッテルスバハ枢機卿からアルメニア王冠を授与された。枢機卿からの加冠は権威と伝統があった。


※ビザンチン皇帝も王冠を贈るがキリキアアルメニアは拒否してしまう。この結果西方との結びつきが俄然強いものとなる。


新公王レオ2世は革新派でキリキア王国の宮中を徹底して西洋化・西欧化していく。


アルメニア語には多数のフランス語が取り入れられ西洋化は本格的なものとみられた。

「ただ西洋の真似をする程度ではいけない。西洋から文化や伝統を学びキリキアのために役立たねば意味もない」


民族の混血も見られた。西のフランク系十字軍将兵の家族とキリキア公国民と結婚を盛んにさせた。これは民族主義的な貴族の抵抗はあったがフランク系の宗教的、政治的、文化的な影響は強くキリキアに残る。

「こうして我がキリキアは西欧化を果たしていく。小アジアのアナトリアという片田舎のノンポリでキリキア公はあってはならない。ハイソな国に生まれ変わるのだ」

革新派レオ2世は西欧文化に憧れを持ち小アジアの非文化的なキリキア=アルメニアがどうにも我慢のならないものであったらしい。


この時期はキリキアの外敵が触手を出さないとなるとレオ2世時代からキリキア=アルメニア公国はお家騒動、跡目争いの内紛が勃発していく。コロコロと公(国)王が代わっていく悪習がモコモコと顔を出す。


その王位継承騒動の源になった原因はレオ2世その人に帰着する。


レオ2世は子供が娘ばかり3人(本妻)。男子の継続者が生まれなかった。

「お妃に娘ばかりなのじゃ。妾にも娘であった。ええいっ、こればかりは神が与える贈り物ゆえに私がどうのこうのとできるわけでない」


弟帝王レオ2世が臍を噛んで悔しいと思う唯一のアキレス腱であった。


王位継承に際しては直系に当たるルーベン3世公王の娘アリックス(姪っ子)が公王継承資格がないにも関わらずしゃしゃり出た。これも内紛のひとつである。お家騒動幕開けである。


姪のアリックスは、

「こんな悪業がキリキアで許されてはなりません。伯父さま。父親ルーベン3世の統治に戻しなさい。我がキリキアは直系のルーベン家が王位継承されていくのが一番よいのです。私はルーベン家の直系の娘です。直系列のアリックスの私が公(国王)になるのが一番なのです。伯父さま(わらわ)に王座の称号を返還されることを許したまえ」

時に故人ルーベン3世となった娘が言い張る。キリキア公を領地拡大、経済安定させた大功労者を蔑ろにする答申であった。

「ルーベンの直系だと。兄の家系ならばキリキアはよいと戯言を言うのか。姪っ子は世間を知らない。我がキリキアの様子をなにひとつ理解してはおらぬ」

甥や姪が伯父と宮殿の中で醜い跡目争いを始めてしまった。

「いいえ。妾はキリキア公のことを思うからこそ継承をしたいと願います。伯父さまレオ2世の伯父さま、よろしくて」


姪っ子アリックスは父親ルーベン3世を闇に葬った弟帝王レオ2世がとことん嫌いになりついに反旗を翻すことになる。宮中にシンパを募り我こそが次期公王位を継承したいと言い触らしていく。


西欧化政策、西欧経済公益と順調な伸びをみせたキリキアの功労レオ3世。かつてはかわいいかわいいと思っていた兄の娘が疎ましくなる。

「伯父と姪なる骨肉の争いはなんとか避けたい」

公王は執務室でウロウロとするばかりであった。

「姪との争いを避けていたら我がレオ2世の娘ザベルに公(王)位は譲れなくなるかもしれぬ。ええい政治は他人任せにしてしまえ。娘に王冠をしっかり被せる時が来るように尽力したもうぞ」


弟帝レオ2世は一大決心をする。

「腹心の臣下コンスタンティノスに摂政職を任せよう」

この判断からすると国策云々よりも王家継続の方が難しいようだ。


摂政に指名されたコンスタンチノスはキリキア公国の隣りヘトゥミ王朝はオシンの子孫にあたる。

「わかりました。レオ2世公王殿。あなたが優秀なればこそ我がキリキアはかように繁栄をしたのです。今からはキリキアの政治と軍事は私コンスタンチノスが摂政としてしっかりと執務を取ります。特に我が国の経済の源海洋は入念な政策をいたします。軍事は公の意思そのままに力を入れてまいります。(だから王家争いは頑張ってや)」

と隣国オシンの子孫を入れてまでも姪と叔父は争いをする。


後継者争いに歯と歯を突きだして憎しみながら取り組み合う模様はさしずめキリキア臣民の笑いさえも誘い始めた。

「弟帝王の娘と兄帝王の娘が跡目争いだってさ。おいおいそんなにも宮中は暇なのか」

政策を他人任せにしてまで跡目争いに精を出すレオ2世に世間の目は冷たい。


弟帝レオ2世の次世代はいざこざがあったが結果には実娘のイザベル女王に決まる。あくまで兄貴のルーベン直系は無視をした。我が娘を強引に公王の次世代の女帝にしてしまった。

「とんだ親バカだとか言われても娘に王冠は譲ってやりたい」

弟帝王レオ2世は安心をしてこの世を去る。


王位を継いだイザベル女王。父親譲りの政策通振りを発揮していく。

「女帝だからと甘くみていたがなんのやることはやるね。蛙の子は蛙だな」

イザベル女帝まずは及第点を臣下から貰う。

「私が女だからと言って不評や悪評のオンパレードを覚悟をしていたけれど。ちょっと安心をいたしましたわ」

名君女帝イザベルのアキレス腱は意外なところにあった。


最初の夫アンチオキアのフィリッポスはアルメニアの宗教を拒否してしまい強制的廃位をされてしまう。これは女帝イザベル参りました。

「全く困ってしまうわ。養子の王は役に立たぬ男だったわけね。情けない話で閉口しますわ」

これを横目に見ていたヘトゥミ王朝の摂政コンスタンチノス。思わずニヤリとしてしまう。

「これはこれはなんたること。仮にも国王を名乗る男を追放してしまうとは。逆に言えば我々にはチャンス到来なんだけどね」

千載一遇とはヘトゥミ王朝のためにあるようなものだった。


早速の進言を女帝イザベルにいたす摂政。

「女帝イザベルさま。女帝なるもの苦労があります。摂政の私はちゃんとサポートをいたします。ご安心されよ。養子の国王は役に立ちませんでしたなあ。ご同情致します」

女帝が公王の要職につけばサポートの摂政などは不要である。


だからあの手この手を駆使をしてコンスタンチノスは延命工作をして図っていく。


最高の思案はこれだった。

「わが息子はいかがですか女帝さま」

政略結婚を持ち掛けた。

「女帝だけでは政治が回らない。帝王政治がやりにくいかと思います」

摂政としてのアドバイスを言い放す。


言われた女帝イザベルは、

「摂政コンスタンチノスよ。ソナタの申す通りにいたそうぞ。妾の新しい旦那はいずこじゃ」

摂政コンスタンチノスの息子ハイトンと政略結婚させてしまう。この結婚の喜びは父親コンスタンチノスは人一倍だった。

「やった。ワシはこれでキリキア公国の外威になる。強い権限を発揮ができる。摂政は首となるが外威は首にはならない」

よって女帝イザベルの時代と自分の息子ハイトンの国王時代は好き勝手に戦略も政策もやることができた。

「誠に喜びでありますなあ」

息子ハイトンは国王に就任するとハイトン1世国王を名乗る。このハイトンからはキリキア公王が国王に格上げとなった。


「我が父が摂政としてキリキア国の法整備から官僚制度をきちりやってくれた。私は確立された王位制度の上にチョコンと座りあれこれ指図をするのみで楽な国王であった」

キリキア宮中は平穏になった。


外敵は待ったなしであった。エジプトのマムルーク朝が軍事拡大をはかりアナトリアのキリキアにまで脅威を抱かせてしまう。

「なに。エジプトが攻めてくるだと」

ハイトン1世は対策として、

「外敵はアナトリアには無関係なエジプト。ならばアジアのモンゴル人を雇用し傭兵に仕立てよう。ビザンチンやオスマンとのしがらみのない傭兵だ。役立てくれるさ」


アジアのモンゴルはアルメニアにもアナトリアにしがらみない傭兵。雇っても外敵エジプトから賄賂を受け取ることもないと予想した。


モンゴル傭兵はエジプトに対して防波堤となった。

「どうだ狙いは的中したぞ」

継承したハイトン国王はにんまりとする。


しかしそれも世代が交代するとなし崩し的なものになってしまう。1303年ダマスカス近郊でキリキアはモンゴル傭兵の敗北を機会に衰退をしていく。

「中東のエジプトが我がキリキアに取って外敵ナンバーワンになってしまった。ビザンチンやオスマンより遥かにたちが悪い」

外敵がなにかと忙しいとなると毎度お馴染みのキリキア宮中の跡目争いは?


落ちついたかに見られたが。ヘトゥミ王朝の系譜のハイトン1世の子供はかなりいた。子供の誰もかもが国王になりたい女帝になりたいとこれまた揉め事が勃発する大変な騒ぎであった。


長男のハイトン2世を筆頭に兄弟争いは絶えずあり、跡目争いの揉め事が仕事のようである。お家騒動はキリキア国の専売特許になっていた。


レオ5世になるとお家騒動にさらに参加者が増える。王位継承は揉めに揉めて結局はハイトン2世の姉妹イザベルの長男ギュイ・ド・ルシグナンになる。


ルシグナンは1344年教義上の理由から貴族らに暗殺されてしまう。


レオ5世の死によりハイトン家直系は断絶をする。


後に国王となるコンスタンチノス4世とコンスタンチノス5世は貴族階級から選出された。


貴族階級出身の5世は簡単に暗殺されてしまう。


王位は再度ルシグナン家のギュイの甥レオ6世になる。(1374〜1375)


こうなると王位継承が叶わぬ反対派はなんとかして王位を奪取しようと躍起になる。


お家騒動にキプロスが参戦をしてくる。


キプロス王家に嫁いだ王女までキリキアに来てしまう。キプロスの王家にキリキアから嫁いだが気の毒にも未亡人となり出戻ってしまう。


王女は戻り。おとなしくキリキアの宮殿で喪に伏していたらよかったんだが。

「キプロスの女帝になれないのならキリキア国で女帝になります。妾は女帝にならねばならぬ運命である。よきにはからえ」

イケシャアシャアと宮殿で宣った。この問題の王女は1323年に殺害されてしまう。


キプロス島はアナトリアから近い東地中海にある。現在ではトルコの港からフェリーで2時間余で北キプロス=トルコ領の港に到着をする。


1191年十字軍の第3回遠征にイングランド王国のリチャード1世がキプロス島に到着をする。ここからキプロスの歴史が動き始め瞬く間にリチャードに征服をされてしまう。キプロス王国の誕生となる。


キリキア=アルメニア滅亡の1375年まで家督争い。

ハイトン家

イザベル王女

キプロス王家系(出戻り)


三つ巴で覇権争いを日が暮れても明けても繰り返していた。


1375年ミスの首都がエジプトのマムルーク朝に制圧されアルメニア最期の王位が捕らえられた。


アルメニア王位の称号はキプロス王位に移りベネチアのサボイア家にと転々とする。1375年キリキア滅亡。


以後は外国支配の別の国家となってしまう。何のためにアナトリアにあったのかキリキア=アルメニア王国である。 

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