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最弱冒険者は、あの背中に手を伸ばしたい  作者: あっかんべー
第一章:最弱冒険者の再出発

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第20話「ミニボス・オーガ(バルグ)との初遭遇、恐怖体験」

Eランク登録の翌日、蒼汰は少し浮かれていた。


カードのランク表示が「E」に変わっていた。

たったそれだけのことだが、協会のロビーを歩くとき、何となく背筋が伸びる気がした。


(調子に乗るな。EはEだ。まだ下から二番目だ)


頭でわかっていても、気持ちはすこし軽かった。


依頼ボードを見ると、『E層・第三区画・ガズ群討伐×五体』という票が目に入った。昨日まではFランク票しか取れなかった。今日からEランク票も取れる。


蒼汰はその票を引き抜いた。


(五体。慣れてきた数だ。問題ない)


E層の第三区画は、通常区画より少し奥まった場所だ。

これまではあまり入ったことがない区画で、ガズの密度が高いらしい。

Eランクの依頼としては標準的な難度だと朝倉さんに教わった。


蒼汰は一人で潜行記録機にカードをタッチして、E層への階段を下りた。



第三区画は、確かにガズが多かった。


通路の角を曲がるたびに一体か二体いて、《影縫い》と《影鎖》を使い分けながら順調に処理していった。三体目を倒した時点で魔力残量は七割強。コントロールが安定してきている実感があった。


(五体倒して、余裕を持って戻れそうだ)


四体目を探して奥に進んだとき、通路の先が少し広くなっている場所に出た。

E層の広間のひとつだ。

魔石の光が青白く、天井が高い。


そこで蒼汰は、足を止めた。


広間の奥に、ガズが三体いた。

それはいい。

問題はその奥だ。


影の中に、何かが立っていた。


でかかった。


二メートルを優に超える体躯。

人型だが、人間とは別物だ。

首は太く、肩幅は壁に届くほど広い。

腕が異様に長く、拳が蒼汰の頭ほどある。

全身の皮膚は灰褐色で、節くれだっている。

石みたいだ。

頭部には小さな角が二本。

目は赤く、細く光っている。


オーガだった。


個体名・バルグ。


協会のモンスター図鑑で見た。

Dランク相当。

通常はD区画以深に生息するが、稀にE層の奥まった場所に迷い込む。

単独でEランク冒険者と渡り合える危険個体。

図鑑の注記には「発見した場合は交戦せず即撤退推奨」とあった。


(……まずい)


蒼汰はその場で静止した。


息を潜めた。


バルグはまだ蒼汰に気づいていない。

ガズ三体が取り巻きのようにその周囲をうろうろしていた。

バルグ配下の群れだろう。


(撤退だ。今すぐ帰れ。依頼の残りは一体だが、そんなことはどうでもいい)


蒼汰はゆっくりと後退した。


一歩。二歩。


三歩目で、踏んだ石が鳴った。


バルグが、こちらを向いた。


赤い目と、目が合った。


息が止まった。

体が動かなくなった。

恐怖、というより、もっと原始的な何かだった。

「あれに近づいてはいけない」という本能が、全身を縛り上げた。


バルグが、低く唸った。

その声が、石造りの通路に反響した。

ガズ三体が一斉に蒼汰を向いた。


(逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ!)


蒼汰は走った。


全力で走った。

来た道を逆走する。

角を曲がる。また曲がる。

背後からバルグの足音が来た。

地響きに近い、重い足音だ。


振り返らなかった。

振り返る余裕もなかった。


ガズ三体の足音も追ってくる。

バルグより速い。

側面から回り込もうとしている。


(挟まれる!)


蒼汰は走りながら右手から《影鎖》を出した。振り返らずに、後方の通路の床に向けて叩きつける感覚で放った。


「《影縫い》!!」


追ってきたガズの一体が縛られる感触があった。

倒したわけじゃない。

足を止めただけだ。

でも三秒、足が止まれば距離が開く。


そのまま通路を曲がって、主通路に出た。

出口の魔石灯が見えた。


(もう少し……!)


背後の地響きが、少しずつ遠くなった。

バルグはE層の出口に近い区画には来ない。

縄張りの範囲がある。


出口の階段が見えた。


蒼汰は階段を駆け上がって、地上に出た。


膝から崩れ落ちた。



路地裏の地面に手をついて、しばらく動けなかった。


心臓がうるさかった。全身が汗でびっしょりだった。足が笑っていた。


(怖かった……)


(本当に、怖かった)


ガズの怖さとは違う。

ダクロの怖さとも違う。

バルグと目が合った瞬間に全身を縛り上げた感覚は、今まで経験したことがない種類のものだった。


(あれが、Dランク相当のモンスターか)


(Dランク。俺がCランクに上がるためには、あの程度を倒せるようにならなければいけない。いつか)


息が整ってきた。

立ち上がって、装備の状態を確認した。

傷はない。毒も喰らっていない。完全な逃走成功だ。


依頼は達成できなかった。

五体中四体で、五体目の前に撤退した。


協会に戻って、朝倉さんに「バルグを発見したので撤退しました。第三区画に迷い込んでいます」と報告した。

朝倉さんは「適切な判断です。報告ありがとうございます」と言って、発見情報を記録した。


依頼の達成率は四体分のみ。

報酬も四体分だった。


(当然だ。仕方ない)


ロビーのベンチに座って、さっきのことを頭の中で整理した。


バルグは《影鎖》で縛れるか。


今の三本同時操作では、おそらく無理だ。

バルグの体格からして、三本程度の鎖では一瞬で引き千切られる。

槙さんが「今の俺が本気で引っ張れば一秒で切れる」と言っていた。

バルグの力は槙さんよりはるかに上だろう。


では、どうすれば縛り続けられるか。

本数を増やす。太さを増す。縛る場所を選ぶ。

または――「縛る」ではなく「縫いつける」発想に変える?


(縫いつける?)


走りながら、蒼汰の頭にその言葉が浮かんだ。


鎖で縛るのではなく、影を使って対象を「地面や壁に縫いつける」。


今の《影縫い》は影と影を固定する。

相手の影を床に縫い止める。


それが基本だ。

でも、もし相手の体そのものを床に「縫いつける」ことができれば、力で引き千切ることは難しくなるかもしれない。


(縫い目を増やせばいい。一か所ではなく、体の複数の部位を同時に床に縫いつける)


(それが今の俺にできるかどうかは別として……方向性としては、ある)


逃げながら考えていた。

恐怖の中で、それでも頭が動いていた。


(悔しくはない。今日は逃げるのが正解だった。でも、次に会ったとき、同じ判断はしたくない)


(次に会ったとき、戦える自分になっていたい)


スマホを出して、槙に短くメッセージを送った。


「バルグに遭遇しました。逃げました。明日の訓練で相談させてください」


すぐに返信が来た。


「逃げたのは正解だ。明日話す」


それだけだった。

でも「正解だ」という一言が、蒼汰の背中をすっと軽くした。


蒼汰は立ち上がって、協会の出口に向かった。


今日は負けた。逃げた。でも走りながら、次の戦い方を考えていた。


(それでいい。それが俺のやり方だ)


外に出ると、秋の午後の光が差していた。

蒼汰の影が地面に伸びた。


今日は影の端が揺れなかった。


ただ、まっすぐに前を向いて、伸びていた。

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