第20話「ミニボス・オーガ(バルグ)との初遭遇、恐怖体験」
Eランク登録の翌日、蒼汰は少し浮かれていた。
カードのランク表示が「E」に変わっていた。
たったそれだけのことだが、協会のロビーを歩くとき、何となく背筋が伸びる気がした。
(調子に乗るな。EはEだ。まだ下から二番目だ)
頭でわかっていても、気持ちはすこし軽かった。
依頼ボードを見ると、『E層・第三区画・ガズ群討伐×五体』という票が目に入った。昨日まではFランク票しか取れなかった。今日からEランク票も取れる。
蒼汰はその票を引き抜いた。
(五体。慣れてきた数だ。問題ない)
E層の第三区画は、通常区画より少し奥まった場所だ。
これまではあまり入ったことがない区画で、ガズの密度が高いらしい。
Eランクの依頼としては標準的な難度だと朝倉さんに教わった。
蒼汰は一人で潜行記録機にカードをタッチして、E層への階段を下りた。
◆
第三区画は、確かにガズが多かった。
通路の角を曲がるたびに一体か二体いて、《影縫い》と《影鎖》を使い分けながら順調に処理していった。三体目を倒した時点で魔力残量は七割強。コントロールが安定してきている実感があった。
(五体倒して、余裕を持って戻れそうだ)
四体目を探して奥に進んだとき、通路の先が少し広くなっている場所に出た。
E層の広間のひとつだ。
魔石の光が青白く、天井が高い。
そこで蒼汰は、足を止めた。
広間の奥に、ガズが三体いた。
それはいい。
問題はその奥だ。
影の中に、何かが立っていた。
でかかった。
二メートルを優に超える体躯。
人型だが、人間とは別物だ。
首は太く、肩幅は壁に届くほど広い。
腕が異様に長く、拳が蒼汰の頭ほどある。
全身の皮膚は灰褐色で、節くれだっている。
石みたいだ。
頭部には小さな角が二本。
目は赤く、細く光っている。
オーガだった。
個体名・バルグ。
協会のモンスター図鑑で見た。
Dランク相当。
通常はD区画以深に生息するが、稀にE層の奥まった場所に迷い込む。
単独でEランク冒険者と渡り合える危険個体。
図鑑の注記には「発見した場合は交戦せず即撤退推奨」とあった。
(……まずい)
蒼汰はその場で静止した。
息を潜めた。
バルグはまだ蒼汰に気づいていない。
ガズ三体が取り巻きのようにその周囲をうろうろしていた。
バルグ配下の群れだろう。
(撤退だ。今すぐ帰れ。依頼の残りは一体だが、そんなことはどうでもいい)
蒼汰はゆっくりと後退した。
一歩。二歩。
三歩目で、踏んだ石が鳴った。
バルグが、こちらを向いた。
赤い目と、目が合った。
息が止まった。
体が動かなくなった。
恐怖、というより、もっと原始的な何かだった。
「あれに近づいてはいけない」という本能が、全身を縛り上げた。
バルグが、低く唸った。
その声が、石造りの通路に反響した。
ガズ三体が一斉に蒼汰を向いた。
(逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ!)
蒼汰は走った。
全力で走った。
来た道を逆走する。
角を曲がる。また曲がる。
背後からバルグの足音が来た。
地響きに近い、重い足音だ。
振り返らなかった。
振り返る余裕もなかった。
ガズ三体の足音も追ってくる。
バルグより速い。
側面から回り込もうとしている。
(挟まれる!)
蒼汰は走りながら右手から《影鎖》を出した。振り返らずに、後方の通路の床に向けて叩きつける感覚で放った。
「《影縫い》!!」
追ってきたガズの一体が縛られる感触があった。
倒したわけじゃない。
足を止めただけだ。
でも三秒、足が止まれば距離が開く。
そのまま通路を曲がって、主通路に出た。
出口の魔石灯が見えた。
(もう少し……!)
背後の地響きが、少しずつ遠くなった。
バルグはE層の出口に近い区画には来ない。
縄張りの範囲がある。
出口の階段が見えた。
蒼汰は階段を駆け上がって、地上に出た。
膝から崩れ落ちた。
◆
路地裏の地面に手をついて、しばらく動けなかった。
心臓がうるさかった。全身が汗でびっしょりだった。足が笑っていた。
(怖かった……)
(本当に、怖かった)
ガズの怖さとは違う。
ダクロの怖さとも違う。
バルグと目が合った瞬間に全身を縛り上げた感覚は、今まで経験したことがない種類のものだった。
(あれが、Dランク相当のモンスターか)
(Dランク。俺がCランクに上がるためには、あの程度を倒せるようにならなければいけない。いつか)
息が整ってきた。
立ち上がって、装備の状態を確認した。
傷はない。毒も喰らっていない。完全な逃走成功だ。
依頼は達成できなかった。
五体中四体で、五体目の前に撤退した。
協会に戻って、朝倉さんに「バルグを発見したので撤退しました。第三区画に迷い込んでいます」と報告した。
朝倉さんは「適切な判断です。報告ありがとうございます」と言って、発見情報を記録した。
依頼の達成率は四体分のみ。
報酬も四体分だった。
(当然だ。仕方ない)
ロビーのベンチに座って、さっきのことを頭の中で整理した。
バルグは《影鎖》で縛れるか。
今の三本同時操作では、おそらく無理だ。
バルグの体格からして、三本程度の鎖では一瞬で引き千切られる。
槙さんが「今の俺が本気で引っ張れば一秒で切れる」と言っていた。
バルグの力は槙さんよりはるかに上だろう。
では、どうすれば縛り続けられるか。
本数を増やす。太さを増す。縛る場所を選ぶ。
または――「縛る」ではなく「縫いつける」発想に変える?
(縫いつける?)
走りながら、蒼汰の頭にその言葉が浮かんだ。
鎖で縛るのではなく、影を使って対象を「地面や壁に縫いつける」。
今の《影縫い》は影と影を固定する。
相手の影を床に縫い止める。
それが基本だ。
でも、もし相手の体そのものを床に「縫いつける」ことができれば、力で引き千切ることは難しくなるかもしれない。
(縫い目を増やせばいい。一か所ではなく、体の複数の部位を同時に床に縫いつける)
(それが今の俺にできるかどうかは別として……方向性としては、ある)
逃げながら考えていた。
恐怖の中で、それでも頭が動いていた。
(悔しくはない。今日は逃げるのが正解だった。でも、次に会ったとき、同じ判断はしたくない)
(次に会ったとき、戦える自分になっていたい)
スマホを出して、槙に短くメッセージを送った。
「バルグに遭遇しました。逃げました。明日の訓練で相談させてください」
すぐに返信が来た。
「逃げたのは正解だ。明日話す」
それだけだった。
でも「正解だ」という一言が、蒼汰の背中をすっと軽くした。
蒼汰は立ち上がって、協会の出口に向かった。
今日は負けた。逃げた。でも走りながら、次の戦い方を考えていた。
(それでいい。それが俺のやり方だ)
外に出ると、秋の午後の光が差していた。
蒼汰の影が地面に伸びた。
今日は影の端が揺れなかった。
ただ、まっすぐに前を向いて、伸びていた。
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