第90話、屋上で待ち受けるモノ
そこは最上階のようだった。49階のはずだったが、階段の先は、どんより曇った空。そして雷鳴が轟いていた。
「1階分、数え間違えたのかな……?」
しかし、思ったより広いような気がする。それに、開けているが何もない。
「何もない?」
ヴィックが呟く。クーカペンテの戦士たちが周囲に広がる。モンスターの姿も、何かの仕掛けがあるわけでもなく――
「気をつけろ! 上だ!」
ベルさんが大声を発した。その声に弾かれるように顔を上げる。
黒雲に紛れていた。ぬっと姿を現したのは巨大な――
「ドラゴン……!?」
すっと体温が下がったような感覚に襲われる。
漆黒の外皮で覆われたその身体は、さながら暗黒竜。獰猛なる竜の頭に稲妻型の三本の角。がっちりした体躯、前足と呼ぶには少々短めの足と、太く直立できそうな二本の後ろ足。四枚の翼をバサバサと羽ばたかせている。
「まさか、こいつは……大竜?」
誰ともなくそんな声が聞こえた。
以前討伐した大地の大竜、それに匹敵する……いやそれ以上のドラゴンが、邪神塔に降臨した。
……へへ、こいつがこの塔のラスボスってか?
まったく、冗談きついぜ。心臓の音が耳につく。口の中が乾燥して、つい先ほどまでと環境が激変したことを実感した。
闇の大竜の咆哮。闇色の魔法の渦が口腔から放たれる!
「ブレスだッ!」
とっさに回避。飛び退く俺だが、反応できなかったクーカペンテの戦士が何人か、ドラゴンブレスに飲み込まれた。
「くそっ!」
俺は空中で大地竜の杖を構え、魔弾を放った。しかし、そこはドラゴン。鱗は装甲そのものといった感じで、こちらの魔法が弾かれてしまう。
「やっぱ、そうなるか……!」
撃ってから、何となくそうなるんじゃないかって察していた。なら撃つ前に気づけ、という話だが、咄嗟の時ってのは、つい、というものが出てしまうものでもある。
状況は最悪だった。現れた大竜の姿に、クーカペンテの戦士たちが混乱している。逃げようとする者、立ち向おうとする者、すでに反撃を試みる者……。少なくとも統制がとれているとは言い難い。
闇の大竜が塔の端に着地する。それで振動しないのはさすが邪神塔。しかしそれどころではなく、大竜が再びブレスの兆候を見せる。
させるかっ!
「アースジャベリン!」
岩の巨大スパイクを連続射出。その顔面めがけて岩塊を叩きつけてやる。しかし岩は、大竜の顔面に当たったものの、脆くも崩れてしまう。
「なるほど、面の皮も厚いな」
だが注意を引くことには成功したらしい。ドラゴンブレスが空、つまり俺のほうへと飛んできたのだ。空中で後退しつつ、その闇色の放射をかわす。……これ、魔法障壁で防げるだろうか。
その間に、クーカペンテ戦士団が態勢を立て直そうとしている。エルティアナや、ラーツェルら弓兵が矢を放つが、魔法の矢も爆弾矢も効果がほとんどなかった。
そこへベルさんが二本の剣を手に、大竜へと横合いから迫る。跳躍、その狙いは、大竜の首か。
ふいに視界がブレた。いや、それは錯覚だったのだが、ベルさんの一撃が大竜に届くと思われた瞬間、巨大な大竜の姿が霞となって消えたのだ。
消えた……!?
ベルさんの剣が虚しく空を斬り、彼の身体が塔に着地する。
だが消えた闇の大竜は、すっと音もなく姿を現した。ヴィックらクーカペンテ戦士団の後ろに!
「危ない!」
大竜が尻尾をなぎ払うように振った。後ろに気づいたクーカペンテの戦士たちだが、対応できずに何人かが吹き飛ばされる。
ヴィックもその対象範囲に巻き込まれたが、傍らのティシアが盾を構えて間に入り、バラバラになることはなかった。しかし二人まとめて吹き飛び、床に叩きつけられる。
「くそったれ!」
俺は、ストレージからファナ・キャハを取り出す。頭にきたっ、ぶっ飛ばしてやる!
すっと、大竜が顔の向きを変える。その黄金色の目が、俺を見ていた。
それまで感じていた怒気が一気に抜かれた。冷や水を浴びせられて、冷静になったというか。
すっ、とまたも大竜の身体が消えた。上から見下ろしている俺から見ても、大竜は影も形もなく『消えた』としかいいようがなかった。
「ジン、後ろだ!」
ベルさんの警告。振り返った俺に、巨大な大竜の口が迫った。一口で丸呑みにされてしまうだろうそれ。
くそがっ! 俺は右手の大地竜の杖を向ける。
エクスプロージョン。爆裂魔法をそのお口にプレゼントしてやる。さすがに口の中火傷じゃ済まないだろうよ! その隙に、ファナ・キャハの魔力を収束して――
爆発の向こうから光が漏れた。大竜の口が現れ、そこに魔力の塊――ドラゴンブレス!
不意打ち、というより、一撃を浴びせたことで油断した。大竜には爆裂魔法がまったく効いていなかったのだ。それどころかその爆発を利用してブレスのタイミングを隠した。
闇色ブレスが襲いかかる。瞬時に魔法障壁を展開、そして補強! だが闇が障壁を浸食するように、俺は押されていく。ゴリゴリ魔力が削られていく。
ヤバイヤバイヤバイ……!
おぞましい闇色が視界いっぱいに広がる。押し寄せる土石流の真ん前に立っていたら、こんな光景を見ることになっていただろうか。
障壁、もつのか!?
消える――そう思った瞬間、大竜のブレスが先に途絶えた。まさにギリギリだった。もう少し放射が続けば、命はなかったかもしれない。
やべぇ、これが大竜の本気ってか……!
胸の奥が痛い。強烈なストレスを感じた。心臓だけがヒンヤリ凍ってしまったような感覚に陥る。……こいつはまずい。
大地の大竜に、俺は正面からは挑まなかった。一番近くまで近づいたのは俺だが、ベルさんや皆が囮になってくれたおかげだ。
やはり正面から挑むような相手でもなかったのだ。俺はこの時、大竜という存在に改めて恐怖を抱いた。
もし、あと一秒、大竜のブレスが続いていたら、死んでいた……!
その時、大竜の鼻先に、爆弾矢が炸裂した。さらに投射魔法による炎や氷も、大竜に着弾する。
「ジン、下がってください……!」
エルティアナだ。そしてクーカペンテの魔法戦士や魔術師たちも攻撃している。
……駄目だ! そんなに近くにいると――
大竜が、彼女らをひと睨みする。その短めの前足で宙を切ると、衝撃波が発生した。エルティアナたちが、その一撃で容易く跳ね飛ばされた。
「エルティアナ!?」
床にぶつかり、倒れる彼女たちだが、衝撃波の勢いでそのまま滑って、端へと追いやられる。エルティアナは何とか留まれたが、不運な魔術師のひとりが塔から落下してしまった。木霊する悲鳴。
「よくもっ!」
ふざけるなよ……!
いつも俺をアシストしてくれたエルティアナ。最近じゃ、表情も柔らかくなっていじらしくもあり、可愛らしくなってきていた。俺がやばかった時、心配してくれた彼女。それがこうも簡単に跳ね飛ばされて、その命も簡単に消されてしまいそうで――殺させてたまるかよ!
先ほど感じた恐怖が吹っ飛んだ。純粋な怒りがこみ上げて、それに不安や恐れがかき消えた。
大事な仲間を傷つけられて、お怒りだぞ、こんちくしょうッ!
俺は右手に大地竜の杖、左手にファナ・キャハを持って、闇の大竜に挑んだ。
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