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婚約破棄された悪役令嬢エリシアは、国を救った代償に貴方を忘れました。  作者: 仁科異邦
過去編

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婚約破棄

過去編

第31話「婚約破棄は、静かに来た」


 卒業から半年。

 ヴァレンシュタイン家の屋敷に戻って、領地の仕事をしていた。

 朝、書類を確認する。  

 午後、父と打ち合わせをする。  

 夕方、魔法の練習をする。  

 夜、マリアと手紙で術式の進捗を確認する。

 規則正しかった。

 穏やかだった。

 怖いほど穏やかだった。

 嵐の前の静けさ、という言葉が好きではなかった。

 でも今の日々は、まさにそれだった。


 春の社交シーズンが始まった。

 最初の夜会で、マリアを見た。

 遠くから目が合うと、小さく頷いた。

 私も頷いた。

 準備はできている、という合図だった。

 二人だけの合図だった。


 夜会の招待状が届いたのは、その翌週だった。

 王城大広間。春の大夜会。

 差出人は、王城の紋章。

 父が、黙って手紙を私に渡した。

「……行くのか」

「行きます」

 父がしばらく私を見た。

「エリシア」

「はい」

「笑っていけ。最後まで、きれいな顔でいろ」

 それだけだった。

 私は頷いた。

 父は何も言わなかったが、手が少し震えていた。

 知っているのかもしれない。


 全部は話していないが、父は勘が鋭い。

 娘がどこへ向かっているか、うっすら見えているのかもしれない。

 それでも、止めなかった。

 それが、この父の愛し方だった。



 夜会というものは、いつも眩しい。

 水晶の輝きが何百にも分散して、広大な夜会場に降り注ぐ。


 王城大広間。

 華やかなドレスを纏った貴族たちが、笑顔という名の仮面をつけて行き交う。

 シャンパンのグラスを静かに傾けながら、私は思った。

 ここだ。

 ここが、断罪イベントの舞台だ。


 八年前から、知っていた。

 この夜会場で、婚約破棄が宣言される。

 悪役令嬢が、退場する。

 台本通りだ。

 問題ない。

 これは必要なことだ。

 追放されてヴァレンシュタイン領に戻る方が、禁書庫に近づける。

 王太子妃の立場では、王家の監視が常につく。

 罪人になった方が、都合がいい。

 分かっている。

 ずっと、分かっていた。


 会場の端で、マリアを見つけた。

 茶色の巻き毛の少女が、少し俯いて立っている。

 困ったように唇を噛んでいた。

 きっとマリアは何も知らない。


 悪いのは誰でもない。

 ただ、世界がこう動くことになっていた。

 それだけのことだ。

 遠くから目が合うと、マリアが少しだけ目を赤くした。


 知っているから、泣きそうになっているのだ。

 私は小さく首を振った。

 泣かないで、という意味で。

 マリアが、深く息を吸った。

 頷いた。


 「エリシア・フォン・ヴァレンシュタイン公爵令嬢」

 低く、よく響く声が、夜会場を切り裂いた。

 ざわめきが、波のように広がった。

 私はゆっくりとグラスを置き、声のした方向へ顔を向けた。


 人垣が割れて、一本の道ができた。

 その先に、アルベルト殿下が立っていた。

 夜会用の礼装は紺と金の配色。  銀の髪が揺れる。  

 整った顔立ちは、まさしく「絵のような王子」という言葉を体現していた。

 ゲームの立ち絵より、ずっと綺麗だった。

 そして今夜は、ずっと冷たかった。

 金色の瞳が、まっすぐに私を射抜いた。

「貴女との婚約を、ここに破棄する」


 夜会場が、一瞬で静まり返った。

 誰かが息を飲んだ。

 誰かがグラスを落としそうになった。  

 扇で口元を隠しながら、目を輝かせている貴婦人もいた。

 私は思った。

 始まった、台本通りだ。


「……理由を、伺ってもよろしいですか」

 できる限り静かに、問い返した。

 殿下の金の瞳が、わずかに揺れた。

 ほんの一瞬だけ。

 気づく者は、ほとんどいなかっただろう。

 でも私には、見えた。


 八年間、遠くから観察してきたから。

「聖女候補マリア・セラフィーノへの度重なる嫌がらせ。学院内での権力の乱用。王家の名を汚した罪だ」

 台本通りの言葉が、落ちてきた。

 嫌がらせはしていない。


 でも、反論しない。

 これは必要な手続きだ。

 この国の青い空が好きだ。  

 子供たちが走り回る石畳の路地が好きだ。  

 煤けた煙突から漂うパンの匂いが好きだ。

 だから守る。

 あなたに嫌われたままでいい。

「そう、ですか……」


 私は一礼した。

 深く、丁寧に。

「エリシア・フォン・ヴァレンシュタイン。本日をもって、貴女は王都を離れよ」

 判決が落ちた。


 顔を上げた。

 最後にもう一度だけ、殿下を見た。

 冷たい金色の瞳。

 整いすぎた顔。


 その奥に、何かがあった。

 申し訳なさそうな顔、とは違う。

 もっと深いところで、何かを堪えている顔だった。

 八年間かけて覚えた、この人の表情の動き方が。

 今夜は、いつもと違った。

 でも今はもう、読み解く時間がない。


「異議は」

「ございません」

 間を置かずに答えた。

 本心だった。


 扉へ向かった。

 広間の端から端まで、誰も声をかけてこなかった。

 それでいい。

 それが正しい。

 扉に手をかけた、その瞬間。


「――エリシア」

 声が低く、かすれた。

 心臓が、強く打った。

 振り返らなかった。

 振り返ってしまったら、きっとだめになる。


「……今まで、ありがとうございました」

 扉を押した。

 冷たい廊下の空気が、頬を撫でた。

 うしろで扉が閉まる音がした。


 足が、止まった。

 一歩も動けなくなって、石造りの壁に手をついた。

 胸の奥が、燃えるように熱い。

 それでも涙は出なかった。

 泣くつもりはない。

 選んだのは自分だ。


 この世界に来た意味を、自分で選んだ。

「……行こう」

 自分に言い聞かせるように呟いて、背筋を伸ばした。

 悪役令嬢は、退場する。

 でも物語は、ここで終わりではない。

 廊下の窓の向こう。

 月が、やけに明るかった。

 まるで。

 これから始まる本当の物語を、静かに見届けようとするかのように。

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