生命を削る上級異術
ベルナール伯爵のお屋敷の一家にあるゴミの集積場の中に、「仕事があるからしばらく会えない」と言った彼女が居た。身体を冷たくして、ピクリとも動かない彼女が。
きっと、俺じゃなければステラ嬢だと気付かなかっただろう。それほど、彼女は変わってしまっていた。痩せ細った身体に、足元からは出血か? 床に、血がべったり張り付いている。
ゆっくりと起こすと、簡単に身体が動いた。死後硬直が終わっているのか、それともこれからなのか。
もうすぐ冬だと言うのに、こんな布切れ1枚じゃ暖も取れないだろう。
俺は、着ていた団服の上着を彼女にかけてやった。すると、それと同時に握られていたネックレスが音を立てて床に落ちていく。
その音を皮切りに、ステラ嬢の冷たい身体を思い切り抱きしめて、堪えていた涙を流した。不思議なもので、この異臭が愛する人のものとわかると、全く気にならなくなる。
「ステラ、嬢。……もっと早く気づいていれば」
なぜ、おかしいと気づけなかった?
普段から痩せ細ったお姿だったのはきっと、十分に食事を与えられていなかったのだろう。すぐに謝る性格だって、教養が中途半端なことだって……それに、伯爵の仕事をこなしているのも十分おかしいじゃないか。ラファエルに言われるまで、何とも思っていなかった自分が憎い。
あの時、無理矢理にでも保護していれば良かった。そうすれば、こんな、こんな……。
「……ステラ嬢!?」
力の限り身体を抱きしめていると、少しだけ肩が動いた。
それで正気に戻った俺は、彼女の心臓部分に耳を当てる。すると、弱々しいが音が聞こえてきた。
生きてる! 彼女は、死んでいない!
それに気づき彼女を床に置いた俺は、すぐさま異術を癒しのものに切り替えた。
俺の異術は、精神面に作用するものだけでなく、精度のあがった上級異術に切り替えれば怪我や病気の治療ができる。それは、血液が循環している限り、効果があるんだ。ここまで重症だと応急処置程度になるが、それでもやらないよりはずっと良い。
たとえ、自身の命を削る行為だとしても、彼女の血肉になるのであれば喜んで差し出す。
「術式、展開」
通常、異術に術式は要らない。
しかし、上級異術を扱えるようになるとこうやって術式を展開するために空で文字を書かないといけない。書いて、「アンサー」と唱えればすぐに異術が発動する仕組みだ。
その行為自体が、術者の命を削っているらしい。確かに、異術独特の光を放ちながら書く文字は、身体の底から体力を根こそぎ奪われているような、そんな感覚が抜けない。
なのに、今は書き進めても一切なにも感じなかった。
自身の命が削られる嫌な感覚はないし、医術の光で術式を書いている腕に疲労すらない。逆に、これで効果が発揮できるかの疑問が湧いてくる。
「……アンサー」
それでも、詠唱をすると身体から何かが湧き出てくるいつもの感覚がある。失敗はしていなさそうだ。
そのまま、緑色の光を放つ両手を彼女の胸元に直接当ててみた。周囲が真っ暗なのに、その光のおかげで部屋の隅々まで鮮明に見渡せる。
どうやら、彼女は足を怪我してここから動けなかったらしい。部屋の一角に、用を足した跡が見えた。術式を通して身体を見渡すと、足裏から出血どころではなく膿が溜まって水膨れのようになっている。傷を放置して、菌が入ったんだろう。これでは、1歩でも歩けば激痛が走ったと思う。なのに彼女は、あの一角までは這ってでも向かっていたらしい。
それに、その隣には先日降った雨水だろう泥水のような濁った液体が見える。しかも、その近くにふやけた食べかけのパンが落ちていた。それだけで、どんなことをしていたのかが手にとるようにわかる。仕事の書類だろう紙もその泥水に浸っていた。
治療をしながらも、体内には今まで感じたことのない怒りが湧いてくる。
こんなことが、許されるのか? こんな、人間の尊厳を奪うような生活をさせて、なにも感じないのか?
このことを、あのメイドは伝えてきたのだろう。しかし、知っていながら放置したのは他の奴らと同じだ。ここに住む奴らは、全員人間じゃない。
「ステラ嬢、ステラ嬢……」
一通りの治療を終えると、彼女の身体に熱が戻ってきた。脈を測るも、まだ弱いから油断はできそうにない。異術は、医療とは違い劇的な変化はしないんだ。
以前異術を弾かれたことがあったが、今回は成功したらしい。いつもならこれだけでドッと疲れが押し寄せてくるのに、今回はそれがない。以前も、彼女を抱きしめた際に異術回路が整理されたような感覚があったし……彼女は、本当に異術持ちではないのか? これは、落ち着いたら調べても良いかもしれない。
治療は施したものの、やはり息苦しいようで呼吸が荒いし意識はない。しかし、先ほどまでは本当に手遅れと思ってたために、その呼吸が俺に安堵を与えてくる。どんな形であれ呼吸を繰り返しているのは生きている何よりの証拠だ。
別の意味で、涙が出てきそうだ。
このまま、ルワールのところへ連れて行こう。
動かしても大丈夫だろうか? もう少し、回復の異術が身体に馴染んでからの方が……。いや、運ぼう。ここに置いておくのは、あまり良くない。
「ステラ嬢、一緒に行きましょうね」
返事はない。
でも、それで良い。生きていてくれさえすれば、何でも。
抱き上げた彼女の額にキスを落として、床に落ちていたネックレスを拾った。きっと、全てのものを取られてもこれだけは死守したのだろう。だから、気絶してもなお、それを握りしめていた……。
やはり、彼女は俺を嫌いになったのではない。それを証明してくれたネックレスは、手元に残しておいた方が良いだろう。これからもきっと、彼女の、そして俺の拠り所になる。
「……術式展開」
外に出て数歩前に進んだところで、振り返って今まで居た小屋を視界に入れた。
ここは、彼女にとって地獄の場所だ。人間として扱われなかった場所だ。きっと、残っていたら心を痛める。現場検証は、俺の証言があれば……いや、それも必要ないらしい。
「アンサー」
俺が唱えるのと同時に、少し離れた場所で険しい表情のラファエルとルワールが立っていた。
ルワールは、透視の異術を持っている。彼女ならきっと、この小屋の惨劇を覗けただろう。いつもは黒くなっている瞳が、真っ赤に染まっているしな。
炎の上位異術で小屋を派手に爆発させた俺は、そのまま2人の元へとゆっくり歩いて行った。呼吸を繰り返す愛しい彼女を抱き上げながら。




