後編
カタンという音を聞いた瞬間、子狼は皇子にしがみついて、顔を隠してしまった。
「て、天井っ!!音っ、したぁ!!」
「天井?」
テンパりすぎて、しどろもどろになりながらもノアは、皇子に異変を伝えることに成功した。
ノアの五感が優れていることは、周知の事実だ。
聞き間違いで終わらすことは、出来ない。
ノアは怪談話のせいで、変な物音=幽霊という思考になってしまっているらしいが、ここに居るのは皇子を含め、将来この国を担っていくだろうという面々だ。
暗殺者が来てもおかしくない。
というか、実際この時の天井の音の原因は、皇子を狙った暗殺者だった。
暗殺者は驚いただろう。
ほとんど音という音をたてないと自負している彼らは、まさか1番幼いノアにバレるとは思いもよらなかったのだ。
しかし、ノアは怯えきって、皇子にしがみついて顔を埋めているし、皇子を含め他のメンバーも、場所までは特定出来ていない。
幸い、デジレがまだ戻ってきていないので、皇子の近くに降り立つことができる。
暗殺者である男は長年共に仕事をしてきた相棒と顔を見合わせ、ガタンと天井板を外して、部屋に音もなく飛び降りた。
そして、ナイフを構えて……。
自分の体から鮮血が飛び散ったのを見て、意識を永遠に逃れられない闇へと沈ませていった。
「甘いんだよ」
たった2人だけの暗殺者など、皇子にはなんの脅威にもならない。
相棒が絶命して倒れるのをみて、後ろを振り返る暗殺者の胸に衝撃がはしった。
馬鹿な…。
暗殺者は薄れゆく意識の縁で部屋を見回した。
ターゲットの膝に1人、ターゲットの両脇と後方を守るために3人。この部屋にはそれ以上居ないはずであり、現に暗殺者の正面には誰もいない。
いや、おかしい。
何故相棒の首から飛び散った血が空を浮いているのだろうか。
何故それが、薄らと人の姿を浮かび上がらせているのだろうか。
何故と考える暗殺者の意識は、首にはしった衝撃と共に、暗闇に落ちた。
「申し訳ありませんわ。御部屋を汚してしまいました」
「気にするな。よくやったな、デジレ」
実際、部屋は汚れたものの、皇子に血は一滴も飛び散っていない。
デジレは首を切り落とし、皇子にかからないように、暗殺者が倒れる方向を調節したのだ。
そのせいで、自分は血塗れなのだが。
「でも良かったですね。体を透明にした私に気が付かず、敵さんが飛び降りてきてくれて。お陰で、スムーズに終わりましたわ」
ぼんやりとデジレの姿が色を持って、暗い部屋の中に浮かび上がる。
その様子をみつつ、皇子は自身にしがみついて震える子狼に声をかけた。
「ほらノア、怖いのは居なくなったから、顔を上げていいぞ」
「ほんとに?」
「ホントだ」
皇子の言葉に素直に従って、顔を上げたノアは怖々と後ろを振り返った。
そして見てしまった。
血濡れに半透明の姿で立つ女の姿を。
実際には、体の濃さを元に戻そうとしているだけであり、ノアも彼女の体質は見慣れているのだが、怯えていたノアの頭はそこまで考えが至らず、結果幽霊だと勘違いした。
「にぎぁぁぁーー!!お…」
驚きのあまり叫んだノアは、皇子に助けを求めようとして、はたっと考えた。
自分が守るべき主に、縋るのはどうなのかと。
いや、今更なのだが。
暗殺者が居てるのに、怯えてしがみついていたのは、どこのどいつだと言いたい。
しかし、思考がパニックになっているノアは、使命と若干のプライドを思い出したらしい。
だが、叫び始めたものは止められない。
だから、代わりにノアは彼に助けを求めることにした。
「あにうぇぇ!!」
◇
「俺は、あの時が1番怖かった」
真顔で当時を振り返ったノアは、幼い顔つきに似合わない哀愁を漂わせていた。
あの後、事後処理をする使用人の傍ら、ノアは説教をされていた。
皇子を守るために居るのに、怯えて何も出来ないのはなんて事だ。という内容ではない。
むしろ、そちらの方が必要だったのだが違った。
なんで自分の膝の上に居るのに、助けを求めるのはアルスなのかと。
実は皇子は、確信犯だったらしく、ノアのおもしろ…可愛い姿が見られることを期待していたようだが、アルスに助けを求めたことで、拗ねていたらしい。
「まあ、あれもあれで、いい思い出ですわよ」
ホワホワと微笑みながらデジレは言っているが、躊躇なく人の首を掻っ切れる彼女もなかなか、根性がすごい性格をしている。
何がすごいって、建国祭後に多発する暗殺者を1人で処理しているのがすごい。だから、毎年怪談話大会に参加できてなかった理由だが。
「それでは、折角ですから、私も怪談話をしましょうか」
「えっ?」
まだ続けるつもりなのか。
ノアの引きつった顔を見て見ぬふりをしながら、デジレは楽しそうに語りだしたのだった。