#0 マノン=シャルルーシュ、5歳
連続投稿1話め
インファント時代のマノン=シャルルーシュは、無口で、あまり感情を表に出さない子供だった。
『おーいみんな見ろよー! マノンの奴、また失敗してるぜー!』
『きゃははははは!!』
『えー、うっそーぉ』
『こんな簡単なじゅつしきも起動できないのぉ? プククッ、だっさぁ~い』
ここは、“出立の学舎”。インファント―――人間でいう4歳からハイスクールまでの天使が通う教育機関だ。マノン達は今、外にある訓練場にて神聖術の基礎訓練を行っていた。
神聖術式を構成・起動するエネルギーである神聖力は、ちょうどインファントの時期に何度も使うと力の質や量が上がる、という説が天界の学者の間では有力とされている。それゆえに、彼女のような子供でも訓練を課せられているのだ。
しかし、暴発の危険性が極めて高いマノン達には、攻撃系の術式を教えるわけにはいかないため、彼女達には別の安全な術式が伝えられた。
『ちょっとあんた達! マノンちゃんいじめんのやめなさいよね!』
『マノンちゃん、大丈夫?』
「……………ん」
術式名〔原初の光〕。膨大な神聖力を喰うエネルギー変換効率もすこぶる悪い神聖術だ。それでいて、ただの無害な光を発生させるだけのこの術式はトレーニングにもってこいの術式だった。制御にそれほど技術は必要ないが、神聖力を増やすためのトレーニングなのでさして問題はない。インファントの子供にとって、ぴったりの術式と言えた。
だが……マノンはこの術式を一度たりとも成功させた事はなかったのである。
神聖力の量の問題ではない。寧ろ十分すぎるほどの神聖力を、彼女は既に有していた。マノンが術式発動に失敗する原因は、〔原初の光〕に限ればレアケース。
術式の、制御能力の不足だった。
『マノンが失敗するのが悪いんだろー?』
『あんた達がバカにしていい理由にはならないでしょ!』
『あたし達はちゃんと成功してるしぃ?』
『てゆーか、なんでお前がマノンのことかばうんだよ』
『そーだそーだ! マノンがいやがってたとこなんて見たことないぞー!』
『嫌がってるに決まってるでしょ!?』
しかし、いくら馬鹿にされてもマノンが何か言い返すことはない。興味関心が無いのではなく、ただ単純に、怖いのだ。
外界への恐怖心。それこそが、マノンが生まれて初めて得た感情であり、無口で無感情に……心に殻を作った原因であった。
正直な話、マノンは自分をかばうことさえやめてほしかった。もちろんその行為自体は嬉しいのだが、彼女には、何か裏があるようにしか思えなかったのだ。
『こんな簡単なじゅつしきも起動できないなんてねー』
『もしかして、マノンって悪魔なんじゃない?』
「ッ!!!」
天使の敵対種族、悪魔。神聖術と対をなす魔術を使う、悪逆非道の堕ちた天使。神聖力を持っているマノンは、そんなことは当然ない。だが、言った本人はもちろんのこと、マノン自身でさえ、そんな理屈が分かりようもない。
『あんた達ねぇ!!』
「……………ぃゃ」
『……マノンちゃん?』
いくら感情の起伏が乏しいとはいえ、マノンもまだまだ幼い子供である。
マノンにかけられた言葉の重みに、未熟な彼女の心が耐えきれるはずもなく―――
「いやあああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
―――いとも容易く、押し潰された。
悲鳴を上げた後、マノンはゆっくりと床に倒れ込む。
『マノンちゃんっ!』
駆け寄ってくる友人の声を聞きながら、マノンの意識は暗く深い闇の中へと落ちていった。
「……知らない天井だ」
気がつくと、マノンはベッドの中にいた。自分の部屋にあるお気に入りの柄の布団ではなく、清潔な真っ白いシーツ。その中に、彼女の体は包まれていた。
「あら、起きたのね。具合はどう?」
いきなり声をかけられたマノンは、言葉にならない悲鳴をあげる。1人のときは先程のようにボケもかませる彼女だが、他に誰かがいる状況では途端に話すことができなくなる。そしてこの「自分しかいないと思っていたのに実は他人がいた」というシチュエーションは、マノンがもっとも苦手なうちの1つだった。
他人への恐怖、独り言を聞かれた事への羞恥。その他諸々の感情が渦巻き、マノンは軽くパニックを起こす。
「―――ッ! ――――ッ!!」
「あはは、驚く事無いじゃない。ここは保健室。あなたも来たことあるでしょ?」
落ち着いて周りを見渡すと、確かに見覚えのある部屋だった。
「んじゃ、改めて訊くけど、具合はどう? あなた、訓練場でいきなり倒れたそうなのよ」
「わたしが……たおれた?」
「えぇ、あなたと同じ組の女の子達が運んでくれたの」
「そう……ですか。今は、なんともないです」
「そう。じゃ、もう少しだけ休んだら……って、え……?」
戻りなさい、と養護教諭らしき女性は言いかけたところで、その言葉を止める。マノンとの会話に、違和感を感じたからだ。
「……ねぇ、マノンちゃん」
「何ですか?」
「今……私、あなたと話してた?」
「? ……えぇ、それがなにか?」
マノンと会話が成立した。今までなら首を縦に振るか、横に振るか、「………ん」という反応しか返さなかった彼女と、である。
改めて彼女の顔を覗き込むと、そこにはちゃんと表情がある。普通ならそれが当たり前なのだが、このマノンに限ってはそんな常識が通用しない。彼女が「無」以外の表情をする日がくるとは、少しでも彼女を知る者ならば笑って「あり得ない」と言うだろう。それほどまでに、マノンの無感情ぶりは徹底されているのだ。
自分に対する馴れだろうか? それとも、倒れたときに頭を打ったのだろうか?
少なくとも、マノンの性格がここまで変わったという話は聞いていない。養護教諭は必死に、マノンがこうなった理由を模索した。……が、すぐに、
(……やめよう)
原因が分からないとはいえ、彼女の変化はいい方向に向かった。ちゃんとコミュニケーションをとれるようになったのだから、これはこれでよかったのだ。養護教諭はそう思うことにした。
「あぁ、ごめんなさい、なんでもないわ。
私、ちょっと事務室に行ってくるから、自分でもういいと思ったらみんなのところに戻りなさい。
ベッドはそのままでいいから」
「はーい」
彼女の変化は恐らく、ごくごく短時間に起きた劇的なものだ。マノンはまだまだ未熟な子供。不安定な彼女を下手に刺激すれば、また元に戻ってしまうかもしれない。
(……とりあえず他の先生方に、他の子と同じように接するよう警告しなきゃ。私もまだ混乱してるけど……今はこっちが優先、よね)
せっかく彼女の方から変わってくれたのだ。次がいつになるか分からないこのチャンスを、逃す訳にはいかない。
若い養護教諭は、そんな事を考えながら保健室をの扉を閉めた。
一方、マノンもマノンで混乱の極みにいた。
(え? あ、わ、わたし、どうしちゃったの!? ぜんぜん、どもらないで喋れて、た……?)
他人と話しているというのに、口からするすると言葉が出てきた。それは彼女の人生(天使生?)の中で、両親を除けば一度たりとも起こったことはなく、明らかな異常事態にマノン自身が一番驚いていた。
「……かがみ」
ベッドから体を抜き、部屋の入り口付近にある洗面台に向かう。目的は備え付けの鏡なのだが、そこにはいつもと変わらない無表情なマノンが映るばかり。そこで彼女は目を閉じ、養護教諭と話している間ずっと包まれていた感覚を呼び戻す。
(……からだのそとがわを、膜でつつむかんじ……わたしを、隠すかんじ……できた)
「……やっぱり」
目を開き再び鏡を見る。すると、そこには。
血色のよい、生き生きとした顔の活発そうな少女がいた。
「これが……わたし……?」
これまでのマノンは、お世辞にも元気とは言い難い性格だった。目の前に映る少女には快活な雰囲気が漂い、とても自分だとは思えない。しかし、手を振ったり体を動かしたりすると、自分と寸分違わぬ動きをしてみせる。
今マノンの体を覆っているものが形を得た神聖力―――神聖術式だという事に、彼女はすぐに気がついた。
そう、神聖術式。
即ち、神聖力制御成功の証。
「っ、〔原初の光〕!」
マノンは両の掌を内側に向け、間に神聖力を集中させる。
彼女の頭の中から出力された術式に神聖力を通わせ、術式発動のための導線が構築されると、その中を神聖力が充ち、式の解を生み出す。
ボウッ、と。
保健室に、黄色く暖かな光が満ちる。
手から溢れ出るその光はまさしく、〔原初の光〕が発動したという結果に他ならない。
「でき……た……」
初めての、〔原初の光〕起動成功の瞬間だった。
「やった……!」
あまりにも唐突な出来事に、マノンは思わず最初の術式―――見た目が変わった術式を解除してしまう。すると、
―――パンッ!
「きゃっ!」
途端に術式が制御を離れ、弾けて消え失せる。再度の発動を試みるが、先程の成功が嘘のように〔原初の光〕は起動しない。
3回ほど失敗した後、鏡を見た彼女はようやく体を覆う術式が切れている事に気がつく。
「もしかして……」
再びあの術式を起動し、その状態で〔原初の光〕を使用する。すると、やはり問題なく発動する。
「このじゅつしきのおかげ……?」
何度も試してみるが、〔原初の光〕のみを使おうとすると必ず失敗、2つの同時使用なら必ず成功という結果になった。
「……あそこなら、なにか分かるかも」
あそこ、というのは、“出立の学舎”の第2学舎にある図書室の事。天界にあるほぼ全ての本が所蔵されているあの場所なら、この不思議な術式について情報を得られると踏んだのだ。
マノンは保健室を飛び出し、第2学舎へとひた走った。
「……ない」
神聖術式全書・第172版。
天界にある神聖術式の全てが書かれた本の最新版を前にマノンはそう呟いた。この中には〔原初の光〕も〔神聖力刀〕も、〔光壁〕の術式についても載っている。
しかし、見た目を変化させる術式など、この本のどこにも書かれていない。つまり……数多の神聖術の中に、そんなものは存在しない。
余計に混乱するマノン。だが不意に、1つの言葉が頭をよぎる。
「固有、じゅつしき……?」
それは十万の天使が集まった中に1人いるかいないか、という極めて低い確率で生まれ持つ、その天使だけが使う事のできる唯一無二の術式。誰もが再現を試みたものの、成功刺せた者は誰一人としていないという一点モノ。
マノンは以前、中等部の教員たちが固有術式について話をしていたのを耳にし、少しだけそれについての知識があった。
「私に……」
信じられない、という表情で神聖術式全書を閉じるマノン。
「とりあえず……うぅん、やっぱり、だめ」
自分を受け持つ担任に相談しようかと思ったが、マノンばすぐにその考えを取り消す。そんなことをすれば、体の隅々まで調べられる事は目に見えている。見知らぬ人にも大勢会わねばならないだろうし、何より『本来の姿を隠す』という強みが無くなってしまう。身も心も幼いマノンであったが、それだけは、直感で理解していた。
とにかく、今はこの……異能とも言える術式について、自分の力だけで探らなければならない。
「……そうだ、名前つけないと」
固有術式保有者は、自身の術式に名前をつけて管理する。そうすることで術式をより近くに感じ、精度を高めるのだ。マノンとしても、いつまでも『この術式』では味気ないと感じていた頃だったこともあり「そんな事に時間をかけていられない」という忌避感情は起こらなかった。
「……このじゅつしきは、おくびょうなマノンを隠すもの」
「わたしの外の世界から、わたしを見えなくする仮面」
だから彼女は、こう名付ける―――。