後日談 電話(後編)
「家に電話してよ」
彼女に言うと、俺の腕の中から怪訝そうな顔を上げた。
「え?」
「明日休みだろ?遅くなるって電話して。今日話聞いておかないといつになるか分からないだろ」
彼女がはあとため息をついた。
「じゃあ、お兄ちゃんも電話しといてね」
そう言って、バッグから携帯を出し車外に出ていった。俺が出た方が良かったんじゃないのかと、真っ暗になってしまっていた駐車場を歩き出した彼女を見て思ったが、彼女は電話を耳に当てながらすぐにコンビニに入っていった。
戻ってきた彼女は缶コーヒーと紅茶を手に持っていた。
「はい。コーヒー」
「どうも」
受け取ってプルタブを開け口をつけたが、運転席に乗り込んだ彼女は前を向いたまま口を開かない。
「で、誰だったの?」
我ながらしつこいがこればかりははっきりさせないと気が治まらない。
彼女が俺を見てすごく嫌そうな顔をした。結構ショックだったが、溜息をついた彼女の次の台詞で吹き飛んだ。
「サダオ」
「はあ!?」
宮本!?あいつこの人に連絡してきてんのか!?
「お兄ちゃん?」
「何」
「やっぱりさっきより怒ってるし。だから言うの嫌だったのに」
彼女の声がまた強張っていた。不貞腐れて聞こえるけど、俺が怒ると怖いって言ってたよな。
「たまきさんに怒ってる訳じゃない」
一応そう言ってみたが不信そうな目で見られた。
「本当だよ。いつから連絡あってんの?」
努めて穏やかな声で尋ねると、彼女が少しホッとした顔をした。
「えーと、助けてもらったあの日のちょっと後から」
「は?」
安心した風だった彼女には悪いが結局きつい声が出た。
「けど、無視してたの!」
「ずっと?一回も電話取ってないの?」
先を促すと彼女が情けない声で答えた。
「あーえっと、夏休みに、お兄ちゃんと会えなくなってた時に、一度だけ電話とっちゃって、それからしつこくって」
俺が無視されてた頃だろうな。
「ふうん。会ったんだ?」
彼女は俯いてしまった。会ったのかもな。
「怖い?」
自分でも酷く冷たい口調になっていると分かる。彼女が顔を上げた。泣きそうな顔だが怒っている。
「怖い!言ったでしょさっきも!でも、今まで言えてなかったことで怒られるのは分かるけど、あの時のことを怒られるのはおかしくない?」
「そう?なんで?」
めちゃくちゃ腹が立ってきた。俺はあのとき無視されて死ぬほどきつかったんだ。
「だって、お兄ちゃんはあたしに会いたくなかったんだし、あたしあの時まだ何も言われてなかったもの!誰と何してたって、お兄ちゃんに怒られることじゃないでしょ!」
会いたくなかったんじゃない!会いたかったけど、そうさせてくれなかったのはそっちだろ!腹が立ちすぎて、落ち着こうと思って吸いこんだ息がふるえた。
「そうだね。他の奴となら、嫌だけど俺にどうこう言う権利はないかもな。でも、宮本だろ!?あいつは無理矢理!」
彼女が俺の怒鳴り声に後退ったことで、我に返った。全然落ち着けてない。こんなことしてたら太朗が起きる。
「もう止めた。ごめん。俺今普通に話す自信ないや。帰ろう」
思う存分怒鳴りたかったけどそんな事出来ないし、息を吐いてそう促した。動く気配のない彼女の顔を窺うと、口をへの字にして険しい顔をしていた。
もう一度溜息を吐くと、こっちを見ないままもっと口を歪めた。
「降りた方が良い?」
「違う!」
怒鳴られた。
「太朗おきるよ。帰ろう。もう良いから」
彼女が俺を睨む様に顔を上げた。
「嫌よ。もう良いって何?」
何って?腹立たしげで憎たらしい彼女の顔を見ていると、だんだん情けない顔になってきた。今にも泣きそうな彼女は長いこと俺をじっと見ていた。
「たまきさんのことをもう良いなんて思ってる訳じゃないよ。俺に言いたいことがあるならどうぞ」
憎たらしくても、腹がたっていても可愛いのに、潤んだ目でじっと見つめられて、可愛くない訳がない。俺の声が落ち着いていたのが良かったのか、一度可愛く鼻を鳴らした彼女は俯いて押し殺した低い声で話し始めた。
「お兄ちゃんと、会えなくなってたから、」
話しづらそうなので促す意味で相槌を打つ。
「うん」
「一人が嫌だったのよ。誰でも良いから一緒にいて欲しくて、」
「会ったんだ」
「・・・会った、けどカフェで話しただけ。会った途端にすごく後悔した。なんて馬鹿なことしてるんだろって。今もすごく後悔してる。お兄ちゃんに助けてもらったのに、怒られる筋合いないなんて言って、ごめんなさい」
彼女の殊勝な言葉に、ついさっきまで煮えくり返るようだった腹の中がすっかり落ち着いてきた。
彼女の頭を見下ろして聞いた。
「俺が無視されてた時、そっちが無視してたくせに寂しかったの?」
「・・・・う、ごめん」
「宮本が生理的に大丈夫だったら、会った後寝てた?」
「・・・・大丈夫じゃなくて良かった」
まじかよ。
「宮本には死ぬ気で抵抗するとか、他の男には指一本触らせないとか言ってなかったっけ?」
「言った。ちゃんと触られる前に逃げたもん」
「誘いに乗ったくせに逃げたんだ。最悪だな」
「サダオもレイプ未遂だし、最悪はお互い様よ」
さっきまでの殊勝な態度から一転してふてぶてしくなった。宮本は自業自得だけど何か不憫だな。
「でも、反省してる。ごめんなさい」
「俺に謝るのそれ。宮本には?」
「謝るわけないでしょ。サダオに嫌われるのは本望よ」
彼女が仏頂面を上げた。
「会って袖にして、その望みは叶った訳?一層しつこくなってんじゃないの?」
彼女が頬をわずかに膨らませ黙った。可愛いけど憎たらしい顔だ。
「馬鹿なことしたって本当に分かってる?」
「分かってるってば!反省してるって言ってるでしょ」
逆切れ始めた。まあでも、この方が彼女らしいな。
「その時、宮本の電話を取るんじゃなくて、本当はどうするべきだった?」
「・・・・お兄ちゃんに、会いたいって言うべきだった」
ふて腐れながらも素直に返事する彼女が可愛くてしょうがなくなってきた。
「もし、この先俺と大喧嘩して、会えなくなって、また寂しくなったらどうするの?また誰か一緒にいてくれる奴見つけて、それで、いけそうなら寝るの?」
「しない!・・・謝ってお兄ちゃんと仲直りする、うううう」
顔をぐしゃぐしゃにして、ついに泣きながら俺の首に抱きついてきた。
柔らかい身体の感触にどきどきする。可愛いなあ。これじゃ許すしかないじゃないか。
「俺が悪い喧嘩でも謝るの?」
彼女をぎゅうっと抱きしめながら耳元で尋ねる。
「お兄ちゃんが、自分が悪いのに謝らないわけないでしょ。どうせあたしが悪い時にしか大喧嘩になんかならないわよ」
俺の肩口に顔を埋めたままそう答える彼女が、とても愛しかった。
しばらく抱きしめていたが、顔をずらして口付けようとすると避けられた。
「駄目」
「何で」
彼女が俺の口元に手を突っ張って離れようとするので、離れられない様背中にまわした腕に力を入れた。彼女が腕の中でもがいている。
「何ででも」
彼女がこの状況でこう言う時はあれだな。
「キスすると、もっとしたいのを我慢できなくなるとか?」
からかうつもりが、真顔で返された。
「そうだけど、何か文句ある?」
いやないけど、と反射で答えそうになるのを飲み込んだ。
「ある!文句おおありだよ!したいならすりゃあいいじゃんって何回も言ってるだろ!俺だってめちゃくちゃしたい!なんで我慢しなきゃ」
彼女が自分の口元に人差し指を当てたことで思い出した。
そうだ。太朗がいるんだった。出来るわけねえじゃん。
がっくりと落とした頭を撫でられ顔を上げると、泣きべそから復活した彼女がにっこりと笑った。
「子持ちでごめん。それでも太朗を可愛がってくれるお兄ちゃんが、大好きよ」
彼女の可愛い告白に、顔が緩む。まあ、いいか。我慢しよう。




