明日があるさ2【第三話】
違う店舗を3件ほど回った。どこに行っても着せ替えさせられたが、亜笠の納得するものはなかった。明日葉は普段洋服をどこで買っているのかを聞かれた。リサイクルショップ、と答えたらなぜか頭を抱えられた。失礼なやつだな、と思ったが、着せ替えに疲れ切っていて言う気力がなかった。
そうこうしている内に、時計の針は12時を回っていた。亜笠が自分の腕時計を確認した。
「お昼は予約しているので、食べに行きましょうか」
この時点で明日葉はちょっと嫌な予感がしていた。その予感は的中したが、実際はちょっとどころではなかった。自分の鈍さに自分で呆れた。
店の前まで来て、明日葉は呻いた。
「だからか」
「はい?」
「だから服買うとかジーンズがとか気にしてたのか! っていうか言えよ先にぃいいい!」
「舐めてるのかって聞きましたよ」
「わかりにくいわ!」
「僕は気にしません」
「おれが気にするの!」
明日葉は涙目で訴えた。
亜笠が選んだお店、それは――――海近くの高級フランス料理店だった。
明日葉は店に入る前に、とりあえず一旦目を閉じた。自分の見間違いであってほしかった。
「明日葉さん、何してるんですか、行きますよ」
亜笠の声に目を開ける。ダメだった。見間違いではなかった。
目の前には高い天井、シャンデリア、庭園の見えるガラス張りの窓、白いクロスの敷かれたテーブルがあった。かっちりとした給仕服に身を包む男女もいた。
受付に立つ店員と何か話している亜笠から、少しずつ距離をとる。じりじりと後退していると、亜笠の腕が伸びてきてさっと明日葉の腕を掴んだ。顔は相変わらず店員の方を向いたままだった。明日葉の逃走は予測されていた。
明日葉はガタガタと震えた。この格好のままでこの高級店に入らなければいけない恐怖――――新宿で迷子になる方がまだマシだった。
(まさかとは思うけど一番いい席とかじゃないよね……)
そのまさかだった。
案内されたのは窓際の一番中央の席だった。最悪だった。眺めは最高だった。帰りたさも最高潮だった。給仕に椅子を引かれて、座るよう促される。ここまで来たらもう逃げられなかった。
仕方なく明日葉は着席した。給仕たちは軽装の自分にも嫌な顔一つせず分け隔てなく接してくれた。笑顔で差し出されたメニューを見て、明日葉は押し黙った。
「……食前酒は僕と同じもので大丈夫ですか?」
亜笠が助け舟を出してくれた。明日葉は首を縦に振った。亜笠は慣れた様子でオーダーをしていた。
向かいに座って、その様子をぼんやりと眺めた。
つくづく絵になる、この亜笠誠一郎という男は。高級フレンチ店に身を置いても、まったく見劣りがしない。自分とはえらい違いだ。
「コースで予約してますから、あとは待ってれば料理が運ばれてきます」
「おれ初めてだから作法とかわからないんだけど……」
「ナイフとフォークは基本的に外側に置かれたものから使います」
僕のを見て真似するといいですよ、と優しく言われた。明日葉はため息をついた。
「慣れてるんだな、お前」
「まあ、何か祝い事があるとこういう店に連れてこられていたので」
お坊ちゃまか……たしかに実家が太そうなイメージだ。だが明日葉のイメージは次の一言によって打ち壊された。
「父が早くに亡くなって、母が女手一つで育ててくれたんですけど――――母方の祖父母が会社を営んでいて、それでよく連れてこられてたんです」
「あ、そうなんだ……」
意外にも苦労人だった。明日葉は自分の偏見を恥じた。
「明日葉さんはご実家がお寺なんですよね」
「あーそうそう、今は兄貴が継いで――――って」
「はい」
表情をピクリとも変えない亜笠に、冷や汗が流れる。
「おれ実家の話したっけ?」
「櫟さんから聞きました。よく帰りが一緒になるので」
「あいつ!」
おれの個人情報を! と明日葉は頭を掻き毟った。
――――と、給仕が食前酒を運んできてくれた。
「ノンアルコールのスパークリングワインです」
「へぇ……」
置かれたグラスをしげしげと眺める。淡い黄金色の液体が細かな泡を立てていた。亜笠がグラスを手に取る。真似して明日葉もグラスを取った。
「じゃあ、乾杯しましょうか」
「いやだ」
明日葉は即答してグラスに口を付けた。向かいの座席から、舌打ちが聞こえた。
そこからは明日葉にとっては試練の連続だった。いや、朝からずっと試練の連続なのだが。
何分、正真正銘生まれて初めてのフレンチだったので、作法がさっぱりわからない。亜笠のことをよく見ていないといけないのと、周囲の客席からチラチラと送られてくる視線に、明日葉は食事どころではなかった。胃もちょっと痛くなった。背後からクスクスと笑い声が聞こえると、自分のことではなくても自分が笑われているような気分になった。
お食事マナー講座を受講しているような気分でようやく食後のコーヒーを飲み干し、店を後にした。コーヒーがちょっと胃に沁みた。
支払いは明日葉が気が付かない内に亜笠が済ませていた。スマートすぎる……。明日葉は半分払うと言ったが、止められた。仕方なく出した財布をポケットにしまう。
海の見える橋を渡りながら、亜笠が口を開いた。
「さてと、じゃあ――――」
帰りますか、という言葉を明日葉は期待した。裏切られるのはわかってる。わかってるけどもしかしてもしかすると、そんな可能性も万が一あるんじゃないかな、と思った。
「次はあそこに行きましょう」
明日葉の期待は当然裏切られた。明日葉は目を細めて言った。
「え? どこ?」
「あそこです」
亜笠が指を差す。
「どこ? おれの見間違いかな。まさかあの観覧車じゃないよね?」
「コスモワールド」
目をこすりながら言うと、即答された。明日葉はつい言ってしまった。
「もう帰っていい?」
「手錠をつけたままで遊びたいっていうなら、遠慮なくどうぞ」
亜笠誠一郎、どこまでもくじけない男だった。その粘り強さを他に生かせよ、と思ったが、彼は仕事でもその能力をいかんなく発揮していた。一緒に仕事をしている明日葉が一番よく分かっていた。
「わかったよ、もう! 行けばいいんだろ、行けば!」
半泣きで、明日葉は亜笠の後についていった。
(まあ男同士で遊園地は普通にいるし……フレンチよりかはよっぽどマシかな)
明日葉はそう思った自分を自分で呪い殺したかった。
園内について早々に、亜笠は明日葉の手をしっかりと握ったまま歩き始めた。何回か振り払ったが、最終的にやはり手錠をちらつかせはじめたので、明日葉は大人しくされるがままになった。
アトラクションに並んでいる間、後ろにいたOLらしき女性二人組が「あの二人って……」「カップル?」と囁き合っていたのが明日葉の耳に届いた。
(拷問だ……)
明日葉は自分が何のアトラクションに並んでいるかもよくわかっていなかった。
が、亜笠によって連れ込まれた先は、よりにもよってホラーアトラクションだった。
明日葉は最初から最後まで亜笠の背中に張り付いて一度も顔を上げることができなかった。ので、亜笠が嬉しそうに微笑んでいたことにも気が付かなかった。
途中、後ろに並んでいた女性2人組とすれ違い、「やっぱりカップルだったね」と話す声が聞こえた。亜笠が「何なんですかね、見ればわかるでしょうに」と言ったが、明日葉は最早ツッコミどころではなかった。
次に連れて行かれたのはジェットコースターだった。明日葉は青い顔で、震えながら亜笠の隣に座った。
「あのさ……手、繋いでていい……?」
聞くと、亜笠が嬉しそうに微笑んだ。
「どうぞ」
明日葉は差し出された手をしっかりと握りしめて、「南無阿弥陀仏」と唱えた。コースターが無情にも動き出した。
その後も絶叫系やホラー系のアトラクションを制覇し、明日葉は青を通り越して白くなった顔でベンチに腰掛けていた。亜笠は飲み物を買いに行っていた。
(ダメだ……おれの三半規管が限界だ……)
視界がぐらぐらと揺れた。
(それにしたって……このデートコース……)
破滅級に鈍い自分でも、ここまでくればわかる。
王道のデートコースだ。
亜笠はきっとこの日のためにいろいろ計画を立てていたのだろう。仕事の段取りも上手い奴だ。さすが遊びの段取りにも余念がない。
明日葉は視線の端にある喫煙所を見た。タバコを取り出しかけて―――やめた。
(いない間にあいつが戻ってきたら悪いしな……)
ため息が漏れた。一体自分は何をやっているんだろうと、そう思った。
しばらくすると亜笠がカップを手に戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがと……」
アイスティーだった。さっぱりしていて、落ち着く。人心地ついていると、亜笠がベンチに座る明日葉の前にしゃがんだ。顔を覗き込んでくる。
「大丈夫ですか? 顔色がない」
「あ、大丈夫。ちょっとすれば落ち着くから」
「すみません、苦手なのに連れまわしてしまって」
「大丈夫だよ。お前は全然平気なんだね、三半規管強いなぁ」
「うちの母が絶叫系が大好きな人だったので、鍛えられました」
「な、なるほど」
こいつなりの苦労があるらしい。
「好きなんじゃないの、絶叫系」
「好きですけど、限度があるでしょう」
こいつの限界まで絶叫系に付き合わせるお母さんとは、一体……。ふと気になった。
アイスティーのカップを空にする頃には体調もだいぶ戻ってきた。明日葉は立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ――――」
帰ろうか、と言う前に、亜笠の言葉が聞こえてきた。
「あれに乗りましょうか」
指さした先には―――――派手に装飾された馬や馬車が鎮座する、メリーゴーランドがあった。明日葉は聞き返した。
「あれ?」
「あれです」
「…………まじで?」
亜笠は大本気だった。愛らしい馬車に二人で乗った。
「…………何でか聞いていい?」
「駄目です」
「楽しい? お前本当に楽しいの?」
「楽しいです」
「こんなんでいいのか? お前の人生。なあ、おい、聞いてる!?」
相変わらず無表情の亜笠の肩を、明日葉は揺すった。真剣に問いかけずにいられなかった。




