九
「だめぇえええええええっっ!!」
――セリッサとセレスの叫びが天へ響く中、シェオルの短剣は宙に閃き、僅かな血とともに刃が陽に輝いた。冷たく、静かに。
「――――」
首から血を流し、ゆっくりと前へと倒れるフルールをシェオルは受け止めた。
十年の時が経った母との抱擁。自分の身体が大きくなっているせいで昔のままとはいかなかったが、それでも母の温もりは触れた感触は変わらなかった。涙がでることなく、微笑む。母は救われた。救うことができた。
沈黙と静寂が支配したその中で、シェオルは天へと視線を向けた。微笑を消し、その視線を再び虚無へ変えて。
「――逃げると思った」
「…………」
宙へ居た人物――いや、人物といっていいかどうか。ともあれ、翼を広げ憎悪の視線を向けてくるそのモノに、シェオルは冷たい瞳で見つめた。
漆黒の翼を広げ、闇の装束を纏った女――エリスはそこに居た。
「まさか……お前はそのつもりで……!」
恨みと憎しみ、怒りがこもった声に、シェオルは意識を失っている母の身体を静かに床に寝かせ立ち上がった。
「ううん……殺すつもりでいた。逃げなければ、殺していた」
あの一瞬――エリスが抜け出した瞬間。シェオルは首に触れていた刃を紙一重で止めた。
僅かについた刃の血に一瞬だけ視線を向け、すぐにエリスを見上げる。そして、告げる、終わりの刻を。
「これで最後」
――その瞬間だった。
ズザァァアアアッッ!!!
蹴り飛ばされたエリスが床を転がった。
「っ、くっ……!!」
「まだ終わらないよ……これだけで終わらせない」
立とうと地に爪を立てるエリスの前にシェオルはトッと降り立ち、冷たく見下ろした。冥府と地獄、殺意と虚無と宿し、消失の約束を言葉に紡いだ。
「立ちなよ」
見下ろされる瞳に、エリスの身体は動かなくなった。何故かは自分でもわからない。だが、もしかすれば、立てば消失が訪れると本能が拒絶したせいかもしれない。
「――――」
セリッサとセレスもその光景に声を出すことができなかった。フルールが助かったことに驚きも喜びも表すことができず、ただシェオルを見つめていた。
何秒か、何分か――刹那か、永遠か。
全てが固まったその時間、その刻に。死を導くように待つシェオルは、黙ったまま静かにエリスを見つめ――視線を上へと向けた。
ゴガァアァアアアアアアァアアッッ!!!!
聖堂の天井が吹き飛び、射す陽の閃光と共に蒼天が広がった。穢れなき透き通った蒼い空――そこに、一点の影が在った。
短い黒髪に、紅の瞳。闇の装束を揺らし天空に浮かぶ闇の女。魔法少女でも、従僕でもないことはすぐに分かった。あれは、魔女の使徒。
空に現れたもう一人の闇の女は、こちらを見下ろし僅かに唇を動かした。聞こえるはずもない囁きは、何故かこちらへとはっきりと届く。風に流れる詩のように――風の泣き声のように。
「鍵は無くしたみたいね……だけど、存在は突き止めた。新たな鍵候補と共に」
エリスと同じく言葉の意味を理解することはできなかったが、シェオルにとってはどうでもいいことだった。使徒が現れれば――殺す。それだけだ。
「同質の幼き子。貴女と戦うつもりはない」
ガンッと円形に床が沈み、風の壁がシェオルを襲った。だが、加わる衝撃に臆することなくシェオルは顔を上げ短剣を握り締める。この程度の魔法ならすぐに切り払えた。
しかし、
「っ――!」
シェオルの瞳の呪縛から解き放たれたように、一瞬の間にエリスは翼を翻し空へと舞い上がった。と、同時に、シェオルを圧していた衝撃も消える。
「またね、漆黒の女の娘――ううん、そうね。新たな魔女の子、冥府の少女かしら」
「……逃がすと思う?」
横へと並ぶエリスに目を向けることもなく、新たな魔女の使徒はシェオルの言葉に微笑んだ。
「無理よ、その身体では。私は逃げ足は速いの」
一瞬で消えるエリス。そして、残った闇の女はおどけるように――自らを嘲るようにニコリと笑った。
「隠れん坊もね、得意なの。だって、ずっと隠れ続けているのだから」
そして、
「また会いましょう、冥府の少女。近いうちに必ず――」
声だけを残し魔女の使徒は消え――シェオルはその場に倒れた。




