第5話 母として
ラマラシアの話は、俺の想像を遥かに超えるものだった。それは、隣に座るヴェリエントスも同じだったのだろう。
普段の凜とした顔は何処へやら、今は驚きと悲しみ、色々な感情が混ざった表情をしていた。
「これで、昔の話は全部終わり」
そう言うと、ラマラシアは途端に咳き込んだ。嫌な汗が背中に流れる。
すぐに立ち上がって彼女の体をさすると、
「大丈夫、今はお薬が効いてるから。急にたくさん話したから喉乾いちゃっただけ」
ラマラシアは水を取ってきてちょうだいと俺に頼んだ。
俺はすぐに水を取りに行き、ラマラシアに渡した。ラマラシアはありがとうと一言言ってから、
「リカルドに出会ってからの18年間はあっという間だったわ。まるで、アイリ姉様の代わりに公務を片付けていた時みたいだった」
と言った。でも、とラマラシアは下を向き、ひとつ間を置いた。
「あの時は楽しさなんて感じなかった。けれど、あなたと過ごした日々は毎日が輝いて、とても楽しかった」
楽しかった、過去形の言葉が胸に突き刺さる。医者の話を真に受けるなら、ここで彼女の話を聞き終え、明日になればもう言葉を交わすことはできない。
「リカルド、あなたが今何を考えているか、そのくらいはわかるわ。けど、最後まで聞いてほしい」
ここからが、本当に大事な話。そう言って再び真面目な顔つきに変わったラマラシアを見て、俺も姿勢を正した。
「ヴェリエントスさん、ここからは貴方にとっても大事な話です。そう、輪環の章についてのこと」
そうだ、しばらく穏やかな日々を過ごしていたせいか、忘れていたわけではないが意識の片隅に置いていた。
ラマラシアをこんな状況になるように追い込んだ元凶。あの謎の人間が言っていたもの。
「母君が、それを所持しているのでしょうか」
ここまで黙って効いていたヴェリエントスが初めて口を開いた。
「いいえ、申し訳ないけれど、ここにはありません」
そうですか、と少し落胆したようにも見える。当然だ、仮に輪環の章がここにあれば彼の任務は完了するのだ。
「今からする話は、本来王家の人間しか知り得ないこと。それも、王位継承権を持った人間のみが知ることを許されるものです」
姉が亡くなったという報せを聞いたあの瞬間、突然頭の中に情報が流れ込んできた。つまり、王族の血そのものに記憶されている情報であり、姉が亡くなったことで事実上、第一王位継承権が私に回ってきたことによる影響だろうとラマラシアは言う。
「つまり、現国王様やその父君様は輪環の章のことを知らないということですか」
そうだ、現国王である五代目、そしてその父にあたり、ラマラシアのお姉様と婚約をし王位継承した四代目は貴族の出だ。王家の人間にのみ受け継がれる情報を知りうることはない筈。
ならば何故、ヴェリエントスに輪環の章の捜索などを頼めるのか。知り得ない筈の伝説の装飾品の捜索など不可能だ。
「それは、簡単な話。お父様…、三代国王が四代王に教えたのでしょう。これまでの王家の歴史を捻じ曲げることと知っていても」
私が責任を放棄したせいでと、悲しげな表情でラマラシアは言う。
「話が逸れたわね、改めて聞きます。輪環の章の話は、何度も言うように王族しか知り得ない情報。つまり、言い換えればこの世界の在り方についての情報といっても過言じゃないわ。」
それでも、聞く覚悟はある?と問うラマラシアに対して、俺たちは顔を見合わせ、そして彼女に向かって大きく頷く。
ラマラシアも俺たちが頷いたのを確認して、一度目を伏せてから話し始めた。
「輪環の章。それは、王家に古くから伝わる超魔法を発動させるための鍵なの。」
王家に伝わるよう超魔法…。一体どんな魔法なんだ。
「名前は、私にもわからない。頭に入ってきた情報にもなかったこと、それは魔法の名前と発動条件。」
分かったら、使ってたかもしれないしねと皮肉を込めた言い方をしたラマラシアは、さらに続けて、
「輪環の章による超魔法、それは時を操る魔法。過去、現在、未来、そしてこの世界線以外の無数に存在する世界線の全ての時代を見つけ干渉することができる」と言った。
ラマラシアの発言は、俺の想像を遥かに超えていた。
そんなものがこの世界に存在しているだけでも驚きだが、あの謎の人間が何故、輪環の章を知っていたのか、ラマラシアのあの時の驚きようが今になってわかる。
「そして、ここからはあくまで私の予想だけれども…。あの時襲ってきた人間、あれは未来から来たのかもしれないわ」
再びの衝撃、どういうことだとラマラシアに聞くと、あくまで予想ともう一度釘を刺し、続ける。
「私は王国を出てからオノーレスが統治するすべての国に立ち寄ったわ。けれど、あの人間が身につけていた服装は見たことがなかった。それに、私が放った魔法。あれ実は攻撃魔法じゃないのよ。」
力入っちゃったから攻撃の魔法も合わせて放ったんだけどね、とバツが悪そうに笑う。
「あれはね、レゼントっていう対象の情報を読み取る魔法なの。身体的特徴とか、身につけてる装備の素材とかを見れるものなんだけれど…、あの人間は何も見えなかった。特殊な何かに遮られて何も見えなかったのよ」
あんなのは初めてだった。そうラマラシアは言う。
それにしても、ラマラシアがこれほどまで魔法を扱えるなんて知らなかった。
「魔法を使えるなんて、聞いたことなかったよ。」
「それは…、ごめんなさい。ずっと隠してたから。」
何故隠す必要があるのだろう。これだけの魔法の腕があれば、シスター以外にもこのグリモワースでは仕事が貰えただろうに。
「私の使える魔法はね、ただの魔法じゃないのよ。どれも王家の人間だけが使える最上級魔法。オノーレスを捨てたと言っても私の体の中には王家の血が流れてるから。」
「なるほど…、ようやく合点がいきました」
再び聞くに徹していたヴェリエントスが口を開いた。
「私はあくまでも一介の騎士です。魔法を扱うことはできますが、できても中級止まり。あの時、私は剣に炎の中級魔法を付随させましたが実際放った技は上級の炎魔法だった」
「あの時、私ではこの子を守れないと思ったの。そこであなたが駆けつけてくれた。あなたが親衛隊なのは一目瞭然でしたから、きっと私の力を付随エンチャントしても使いこなせるだろうと思い魔法をかけました」
あの一瞬で、左腕を怪我していたにも関わらずそんなことまでしていたのか。
驚きのあまりに思考が追いつかない。目の前にいるのは18年間共に過ごして来た母の筈なのに、全くの別人に見えた。
「あなたがかつて王家に名を連ねていたと言う話、いささか信じきるには至りませんでしたが…、どうやら本当のようですね」
「いいえ、急にこんな話をすれば誰でも疑うでしょう。それでも、信じてくれるのは貴方がそれだけの心の強さを持っているからですよ」
ラマラシアの発言に、ありがとうございますと頭を垂れるヴェリエントスを見て、俺自身目の前にいるラマラシアが王家の人間だと言うことを信じるに至った。
「話が逸れましたね、もう時間がありません。夜が明ければ、私はお医者様の薬の効果で眠りにつくでしょう。それまでに、貴方たちに伝えておかなければならない」
そうだった。普通に話をしていたから忘れていたが、ラマラシアはもう死に片足を踏み入れているのだ。
再度乗しかかる重い事実が、心を押しつぶそうとしたが、ラマラシアの想いを無駄にすることはできない。再び覚悟を決めた俺はラマラシアの目を見て頷く。
「続けるわ。私の予想通りなら、あの人間たちは未来の人間。そして、これからも貴方たちの前に現れるでしょう。目的が輪環の章である以上、それは避けては通れない」
つまり、俺は、これからもあの未来人たちと戦い続けなければいけないということだ。
しかし、何故俺たちの前に現れたのか、ラマラシアはここには輪環の章はないと言う。これまでの話を聞けば、彼女は輪環の章のありかも分からないように見えた。
「リカルド、貴方の考えている通りよ。私にも、輪環の章がどこにあるかはわかってない。そして、名前も発動条件も。だからこそ、貴方に頼むのは酷だって分かってる。それでももう、貴方しかいないから」
ラマラシアはいつになく強い口調でそう言った。
もう覚悟はできている。彼女の最後の願い。それを叶えられるのはたった一人の家族である俺だけなんだ。
「ごめんなさい、取り乱したわね。少し喉が乾いちゃった。リカルド、またお水もらえる?」
すぐに取ってくる。そう言って俺は立ち上がり部屋を出た。扉を閉めるとラマラシアとヴェリエントスが何か話していたがよく聞こえなかった。
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「それじゃあ、本当にこれで最後のお話」
ラマラシアはそう言って、姿勢を正した。俺にも分かった。これが、俺の母親が残す最後の言葉なんだって。
涙は見せない。代わりに、眼差しで母の決意に答える。
「リカルド。この街から出て、世界中を周りなさい。そして、輪環の章がどこにあるかを見つけ出すのよ」
俺は息を飲んで、話の続きを促す。
「この街に来てからいろんな書物を読んだわ。それでも、やっぱり輪環の章のことは分からなかった。だから、貴方に託すわ」
膝の上の拳を握りしめて、ラマラシアの言葉の一つ一つを逃すまいとする。
「輪環の章を見つけ出して、可能なら破壊しなさい。あれは人の手に渡ってはいけないもの。初代王が封印なさったのは、過去にそれをめぐって戦争が起きて、多くの命が失われたから。悲劇を繰り返してはいけないの」
だからお願い。貴方に、私の想いを託す。
そう言って、ラマラシアは微笑んだ。
俺が力強く頷くのを見て、
「ふふ、もう一個だけ、わがまま言っていい?」
何?と聞くと、
「いつも散歩してる森に連れて言ってくれない。歩くのは辛いから、車椅子でいいから」
「分かった、ちょっと待ってて」
生活部屋から教会に向かい、病人用に用意してある車椅子を準備する。ヴェリエントスに背負ってもらい、ラマラシアを車椅子に乗せて森へと歩き始めた。
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外に出ると、既に日が昇っていた。いつもなら、いい天気ねと言う声が聞こえてくるのに、今は浅い呼吸が聞こえるだけだ。
ラマラシアの散歩コースは知っている。家の隣の川沿いを歩き、森の中へ行き、少し奥へ行ったところにあるひらけた場所で休憩して帰る。
いつも通りの道を通り、そしてひらけた場所に着くと、ラマラシアはここでいいわと言った。
「今でも覚えてる。18年前のあの日、ここでリカルドに出会った」
初めて聞いた。捨て子だった俺を、普通の家庭と同じく、いや、それ以上に愛情を込めて育ててくれたことは知っている。
だから、別段聞くようなことではなかった。出会いがどうであれ、俺たちは俺たちなんだから。
「楽しかった。ここでの暮らしは、私の人生で一番楽しい時間だった」
カイウスと過ごした日々と同じくらい。そう呟いた声は森のさざめきにかき消された。
「俺も、俺も楽しかった」
だめだ、我慢しろ。
「ずっと、母さんと一緒にいたかった」
耐えろ、リカルド。
「なんで、なんで母さんが!」
今一番辛いのは母さんだろ!
「リカルド」
優しい音がした。音の方を見ると、そこには少し皺が混じった、満開のひまわりが咲いていた。
「ありがとう。愛してるわ」
たった一言、その優しい音は俺の心に暖かい火を灯した。
「俺も、俺も…、俺も愛してる…、母さん!」
そう叫んで、ラマラシアに駆け寄った。
けれど、その声はもう届いてはいなかった。
「リカルド」
ヴェリエントスが俺の肩に手をのせる。
「とても、とても素晴らしい母君だ。胸を張れ」
そうだ。涙は見せない。いつか母が言っていた。雨は、天上の人たちが流す涙なんだと。
でも、雨が降れば、野に咲くひまわりは萎んでしまう。
だから、目の前にある満開のひまわりを忘れないために、涙を流してはいけない。
俺はシャツで目を拭う。そして、皺混じりの手を取り、キスをした。
「ありがとう。俺、頑張るから」
8XX年桜の月。季節が終わりに近づき、雨が多くなって薄紅の花びらが散っていく中、ラマラシア=エンデ=オノーレスは、その生涯に幕を下ろした。
いつか彼女が言っていた。桜の月は出会いと別れの季節なんだ、と。
俺が彼女に出会ったのも桜の月だった。
第1章 「遭逢」 完




