第3話 明かされる真実(1)
最後にこんな虚無感を味わったのはいつだっただろう。いや、思い返せば一度もなかったかもしれない。これも全て、彼女のおかげだった。
「……」
今日も雨だ。この季節はいつもそうだ。俺はこの季節が嫌いだった。雨が降れば森に散歩にもいけない、街へ買い出しに行くにも億劫だ。
しかし、彼女は違った。彼女は雨が好きだと言っていた。雨は、いつもわたし達を見守ってくれている先人たちの涙なんだと、きっと彼らが天上の国でいいことがあって涙を流してるから雨が降るんだと、まだ子供だった俺にはそういった教えは心に響いた。
大人になるにつれ、そんなことはないと理解していても、彼女の優しさが溢れているように感じて、雨は苦手ではなくなった。けれど、
「やっぱり、雨は嫌いだ。母さん」
気づけば涙が出ていた。もう何日もこうしている。端正な騎士は俺を気遣ってか、しばらく家に戻ってきていない。
そんな彼の気遣いすら、この教会に1人残された俺には苦しみでしかなかった。
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中心街でカタナと呼ばれる剣を手にしてから、俺はおもちゃを買ってもらった子供のようにそれを振り回していた。
ラマラシアはそんな俺をみて微笑んでいた。少し恥ずかしくはあったがそれ以上に楽しさが勝っていたんだ。
「おはよう、相変わらず早いな、リカルド」
「おはようございます、ヴェルさん。ご飯できてるんで、食べたら早速稽古をつけてください」
やれやれ、と口ではそういうがヴェリエントスもまんざらではないといった風にラマラシアが引く椅子に座った。
「ありがとうございます、お身体はどうですか?」
椅子に腰掛け、ヴェリエントスはラマラシアへ問いかける。
「えぇ、もうすっかり。本当に助かりました」
彼女は快調し、以前と同じひまわりのような笑顔を見せてくれるようになった。普段からシスターである彼女に倣って、祈りを捧げるフリはしていたが、この時になって初めて神に感謝していた。
「そうだとしてもまだ万全ではないだろ?散歩もほどほどにしてゆっくり休んでてよ」
俺の言い分も理解できるのだろう。うん、ありがとうねと言い彼女は部屋へと戻っていった。
そして、食事を終えたヴェリエントスは俺とともに外で稽古に励む。ここ一週間はこういって日々を過ごしていた。
さすが王国親衛隊の騎士、素人同然であった俺を、わずかな期間である程度剣を触れるまでには教えを説いてくれた。
「しかし、あくまで私が教えているのは直剣を用いた模範的な剣だ。君が持つカタナとやらは、基本的な動作は同じなものの、扱いは異なるだろう」
そういい、俺は俺なりに工夫してこのカタナの扱いに慣れていった。
どうやらこの武器は、一般的に知られている剣のように鞘から抜いて構えるのではなく、鞘に入れた状態が基本形のようだ。ヴェリエントスは初撃が重要な武器なのだろと言う。
俺自身そう感じていた。抜いた後では刀身が長いことも相待って、細身な俺の体ではやや扱いが難しい、そこで間合いを取り、抜刀による初撃で相手に隙をつくる。
そして、即座に鞘へと納刀し構え直す。たったこれだけの作業だか、慣れるまではなんども持ち手に傷を作った。
まだ完全ではないが、スムーズに見えるような動きにはなってきた。
「一度、手合わせでもしてみようか」
それは思いもよらぬ提案だった。稽古はあくまで稽古。ヴェリエントスは受け手に回るため彼の剣を振るうことはない。
つまり、手合わせをしてくれると言うことは今の俺になら剣を振ってもいいと判断したからだ。
「は、はい!お願いします!」
頬がにやけるのがわかる。しかし、彼と剣を交える以上稽古の時よりも集中力がいる。それに、俺の戦い方は初撃にかかっている。それを自分に言い聞かせて精神を集中していく。
本当に凄まじい才能を秘めているな。ヴェリエントスは稽古をつけていくうちに、初めてリカルドを見た時に感じた直感が間違っていなかったことを確認した。
まずそのしなやかな筋肉、幼少の頃から森で遊び、母君の使いのため荷物を街から運んできたのだろう。
自然と身についた無駄のない筋肉だ。そして何よりも観察眼。天賦の才とも言えるその目、私が教える剣の動きを二、三真似すればある程度形にしていく。これほどの才能を秘めていながら、このような辺境の地に骨を沈めるのはあまりにも勿体無いことだ。
本当なら今すぐにでも王国の騎士学校に推薦したいくらいだ。しかし、それでは意味がない。リカルドの強さは、母君を守るという信念のもとに成り立っているだからこそ、ここまで健やかに成長したのだろう。
そんなことを考えながらヴェリエントスは意識を剣に集中させる。あまり考え事をしても、そのような状態で振るう剣ではリカルドに失礼だろう。
ここは一つ、本気とは言わないが騎士として恥じることのない剣を見せてあげよう。
ヴェリエントスの纏う雰囲気が変わったことに、リカルドも気づいていた。
来る…!
「いざ!」
ヴェリエントスは以前俺たちを助けてくれた時のような、暴れ馬とも呼べる凄まじい速さで突っ込んで来る。
衝突まで2秒。
見える。冷静になれば、同じ人間。見えないわけがない。俺の戦い方はあくまで初撃が重要。
言い換えれば、一撃で仕留められればそれでいい。確かに、俺のような素人が歴戦の騎士である目の前の男を斬りふせるのは無理だろう。
しかし、意表をついて隙を作るくらいなら可能のはず。
すぅ…
息を止め、鯉口に指をかける。
衝突まで1秒。
「はぁ!」
ヴェリエントスの振るう剣が迫る。
0!
「シッ!」
瞬間、甲高い金属音が耳に響く。しばらくして、重みのあるものが落下する音がした。
一瞬の静寂。それを破ったのは、感嘆の声を漏らしたヴェリエントスだった。
「私の負けだ。リカルド、凄いな君は」
「え?」
集中していた意識が拡散して戻って来る。切り払ったカタナを鞘に収め、振り返るとそこには何も持っていないヴェリエントスが立っていた。
「私は8割の力で切りかかったんだがな。君のそのライキリの抜刀は、私の剣を弾いたんだ。これが戦場なら、すでに私の首はない。」
先ほどの金属音は、俺のカタナがヴェリエントスの剣を弾き飛ばした音で、鈍い落下音は弾いた剣が地面に落ちた音だったのか。
「この短期間でここまで成長するとは思わなかった。君はすでに、親衛隊の中にいても戦えるほどの力を備えている。言っただろう、君には才能があると。私の目に狂いはなかったな」
そう言いながら微笑むヴェリエントスに、遅れてきた震えを隠しながら俺も笑い返す。
「右手が、痺れて動かないんです」
王国騎士の剣を弾いた代償か、右手はかつてないほどに痺れ痛んだ。けれど、この痛みは心地いいものだ。
「はは、それは良かった。何もないまま終わっていたら私の立場が危ういからな」
そう言って2人で笑い合った。
そんな時だった。教会から、何かものが割れる音が響いた。俺が驚いてる間、ヴェリエントスはすでに家へと駆け出していた。即座にそれに続いて生活部屋へと入る。
「母さん!大丈夫か?!」
そのまま二階へと駆け上がると、そこには先日街で買ってきた花が、無残にも割れた花瓶とともに床に転がっているのがみえた。そして、赤黒く鬱血した左腕を抑え、呻き声を上げながらプツンと意識をなくして倒れこむラマラシアがいた。
「すぐに町医者を呼びに行ってくれ!」
ヴェリエントスからの指示があるや否や、俺は町の医者の元へと駆け出した。事情を話すと医者は即座に荷物をまとめ上げ、俺を馬に乗せて教会へと急いだ。
俺たちが着く頃にはラマラシアは完全に意識を失っており、医者の診断の結果、見たことも聞いたこともない何かが左腕を汚染し、このまま放置すればこの赤黒い何かは全身を覆い死に至らしめるだろうと言うものだった。
医者の下した決断は、ここで左腕を切り落とすしかないとのことだった。幸か不幸か、ここには右に出る者がいない剣の達人がいる。意識もない今なら、ほぼ痛みなく切り落とし、その後縫合することは可能だという。
俺は首を縦には触れなかった。ラマラシアの体に傷をつけるどころか、その腕を切り落とすなど、できるはずがない。
それでも、命を救うにはそれしかなかった。ヴェリエントスに涙ながらに彼女を託し、医者にも頭を下げ、俺は部屋を出て祭壇へと向かった。
「崇高なる神よ。私には彼女が必要なのです。たった1人の、私を育ててくれた母親なんだ…!どうか、どうか、お救いください…!」
俺はシスターの息子でありながら、生まれてこの方、心から祈りを捧げたことなどなかった。しかし、今となってはこの世界をも超越した神に祈るしか方法はなかった。
気づいた時には、俺は自分の部屋のベッドの上にいた。部屋を出て、生活部屋へと降りると目を赤く染めたヴェリエントスが椅子に座っていた。
「よかった、目を覚ましたのか」
俺は祭壇の前で気絶していたらしい。それに、歯が何本か折れているそうだ。祈りを捧げるあまりに、歯を噛み砕いたんだろう。
そして、ぼうっとしていた意識が完全に覚醒するとともに、ヴェリエントスに叫んだ。
「か、母さんは?!」
ヴェリエントスは静かに、落ち着いて聞いてくれと言い話し始めた。
緊急の縫合手術はうまく言ったらしい。完璧に腕を切り落としたヴェリエントスのおかげで、切り口が膿むこともなく、医者も完璧な縫合が可能だったという。しかし、
「あの赤黒いもの。医者はなんらかの毒だと言っていた。正体がわからない以上対策ができない。血液を調べたところ、既に全身があの毒に汚染されているそうだ」
そこまで聞いて俺は再び意識を失いかけた、ヴェリエントスが腰を支えてくれて持ちこたえたが、現状を飲み込めなかった。
「それって…、じゃ、じゃあ、母さんはどうなるんですか」
俺がそう問うと、ヴェリエントスは苦虫を噛み潰したような表情で、それでも強い意志を持って俺の目を見て言い放った。
「君の母君は、もう長くない。今日が峠かもしれないそうだ」
今は、医者の残した薬で意識を保っているが、それが切れた時が彼女の最期だと。そう彼は言った。
「嘘だ…、嘘だ嘘だ嘘だ…、そんなの、そんなのって…」
俺はラマラシアの部屋へと駆け出した。扉を勢いよく開けると、そこには穏やかな顔で外を眺めるラマラシアがいた。
「母さん…!母さん!」
「あ、リカルド、ごめんなさいね、心配かけたわね。」
そんな、熱を出して寝ている時と同じような言葉を俺にかけた。
「外は雨ね。でも、私雨は好きよ。だって、雨は天上の人たちの…」
「母さん…、医者の話。本当なの。それに、なんであんなになるまで黙ってたんだよ!」
俺は初めて母に怒鳴った。それに驚いたのだろう。ラマラシアは目を見開き、そして一度閉じた後、また窓の方へと意識を向け、ゆっくりと話し始めた。
「隠していてごめんなさい、リカルド。でもあなたに、あなたたちに心配をかけたくなかったの。それと」
ラマラシアは俺の方へと向き直り、
「お医者様の話は本当よ。私自身、自分の体だからわかるわ。」
激しい光が、部屋を明るく照らした。外では雷が鳴り始め、遠い大地を、そしてこれの心を激しく打った。
何も言えず、ただ立ち尽くしている俺に向かって、ラマラシアは真剣な眼差しで話を続けた。
「あなたに、話しておくことがあるの。とってもとっても大事なこと。ちゃんと、聞ける?」
瞬間悟った。これが、俺を育ててくれた母の最期の言葉になるんだろうと。覚悟はできていない、今すぐその体を抱きしめて泣き出したい。
けれども、そんなことはできない。今一番辛いの俺ではなく、ラマラシアなんだから。
俺は、まっすぐ彼女を見つめ、そして頷いた。
「ありがとう、リカルド。それじゃあ、ヴェリエントスさんも呼んできてくれるかしら。これは、彼にも関わることだから」
彼女の指示を受け、一階のヴェリエントスを呼び、2人並んで彼女の前に座った。
「じゃあ、始めましょう。これは、今から20年以上前…」
私が、オノーレス王国第3代王の次女、ラマラシア=エンデ=オノーレスと呼ばれていた頃の話。




