第2章-3 褒美
ヴィートに以前聞いた話では、不老不死者が登場する唄は痛快な英雄譚か切ない悲恋物に大別できるらしい。
シルヴェストルが悲恋物の定番なら、英雄譚の定番がこの女王の建国譚だ。
殺した竜の血を浴びた〝竜の騎士〟
一角獣に見初められた〝一角獣の乙女〟
不老不死になれるたった二つの方法。男の身で不老不死を目指すのならば竜の騎士しか道はない。かの竜を倒す死を賭けた道程。しかしもしも女で、しかも器量良しであるならば、あるいはもっと簡単に不老不死になれる。もし一角獣に見初められる清き乙女であるならば。
建国譚はエリザベータが一角獣の乙女を目指すところからはじまる。リエトの前身国では何代も短命の不遇な王が続いた。そのために若くして女王に即位することとなった彼女は、呪いのようなこの連鎖を断ち切るべく不老不死になろうと思い立ったのだ。その道中で竜の騎士フェリシスと出会い、彼の協力を得て当時の敵対国を打ち負かして併合し、このリエト建国を成し遂げたのだった。
――イリヤ。お前は一体どのような思いでこの唄を聞いている?
素晴らしい音色を半ば聞き流しながら、アランはそう思わずにはいられなかった。
その美しい横顔からはただ歌声に聞き惚れていることしかわからない。
イリヤ・レンカ・サシャ・ラジェール。
先王の一人娘。
先王亡き後幼い頃に王宮から追い出され、先王と親交のあったバルトシーク侯爵家に引き取られた。以後隠されるようにひっそりと育てられ、社交界にも出されず、この領民達でさえこの侯爵邸に王女が暮らしていることなど知らなかった。
腹立たしいことにこれが先王の娘に対する扱いなのだ。
それも女の体でありながら自らは男だと主張し、男のように振舞う、それを王宮の者達に気味悪がられた為だ。
けれど。
――お前は本当は心まで女なんだろう?
アランは言葉にしないでそう語りかける。
その姿も振舞も全て、強要されて演じているだけなのだろう、と。
胸をよぎるのは幼い日の思い出。恥ずかしいほどに甘酸っぱい初恋の相手。今日その姿を目にしたのが十一年振りになるはずだ。
ただの吟遊詩人の付き人としてついてきたアランには、貴族に気安く声をかけることなどできはしなかった。この部屋にイリヤ達が入ってきた時、アランにはすぐに分かった。十年経っていても、話に聞いていた通り男の姿をしていても、あれがイリヤなのだと一目見て分かったのだ。どれほど言葉を交わしたかったことか。けれどそんなことをすれば今晩の計画を不意にしかねない。アランはただ部屋の隅に控え、彼女達が席に着くのを見送った。それが呆気ない十一年ぶりの再会。それでもその姿を目にできただけで、凛々しいまでの男装を目の当たりにしてさえ、十年の時を経てもアランの胸は高鳴ったのだ。
シルヴェストルでは男が娘の元に戻ってみれば、不老不死から元の体に戻っていた。だが娘が完璧なまでに男として振舞っていたというのはどうだろう。他人事であれば悲劇よりむしろ喜劇であるが、アランは生憎他人事ではない。
話には聞いていたが、これほどまでの男っぷりとは思わなかったというのが偽らざる本音だ。伊達に十年男で通してはいないらしい。
けれどそれもこれまでだ。
――もうすぐ俺が女に戻してやるから――
つい物思いに耽っているうちに建国譚は佳境に入っていた。今更ながらに聞き流して惜しいことをしたかもしれないとアランは少し悔やむ。
だがいちばんの見せ場といえるシーンには間に合ったようだった。
見事建国を成し遂げた女王エリザベータに、不死身の騎士フェリシスが改めて忠誠を誓う。
建国譚におけるもっとも有名なシーンと台詞。リエトのその後の繁栄を約束し、そして今のこの状況を生み出した――元凶。
「――もし娘が生まれたなら、名をエリザベータとお与えください
その娘がまた娘を生んだならエリザベータと同じ名を
貴女の名と血と王冠と、そして気高き意志を継ぐ限り、
彼女達に私は貴女と同じ忠誠を変わらず誓いましょう――」
これがリエトが女王の国と呼ばれる所以。ブラトがイリヤを疎む理由。
女王でなければこの国は不死身の騎士の加護を受けられない。
イリヤの前でこの誓いを歌うヴィートの胸中も複雑だろう。本来であればイリヤはまさにその誓いを受ける資格があるのだから。
そして侯爵が建国譚を歌わせなかったのも本音はこの誓いのくだりがあるからこそ、彼女の心情を慮ってのことだろう。
イリヤの横顔を見つめるが、やはり彼女は音楽に聞き入っているだけで、他の感情は伺えなかった。
その誓いに対して本当に何も感じていないのか――それとも押し隠しているのか。
知りたい。
その本心が。
男の服など剥ぎ取ってその下の女の心を解放してやりたい。
高らかなリュートの旋律で建国譚は締めくくられた。再び起こる盛大な拍手。イリヤも惜しまず賞賛を送っていた。その中でアランは改めて気を引き締めなおす。
ひとしきり拍手が収まったところで、侯爵がヴィートに声をかけた。どうにも台詞をうまく切り出せない。だが焦りは禁物だ。
場を伺い空気を読め。
最高のタイミングを見つけるのだ。
そして。
「素晴らしい演奏だった。これでは約束の報奨以外に何かやらねばなるまい。
何か望みはあるか? 物でなくても社交界に口をきいて欲しければそれもいい」
「!」
それはヴィートに対する最高の賛辞であり、アランにとって最高の機会だった。
アランは即座にヴィートに視線を投げる。
頼む――
交差する視線。
こんな自己満足もいいところの計画に付き合ってくれる友人は、その意を正しく汲み取った。
「この身に余るお言葉です。
―――それでは畏れ多くもどうか今晩、この屋敷に泊めていただけないでしょうか」
筋書きでは従者が主を慮りといった体で、アランが切り出す予定だったその頼み。
「詩曲には貴族がよく登場します。なのでもしこの高貴なお屋敷で一晩過ごせれば、私は彼らの心情により寄り添うことができると思うのです」
なおも理想を目指す向上心。
それにこれほどまでの技量がある吟遊詩人であれば、いくら素性が知れぬとも下手に犯罪に手を染めるよりその腕で十分稼げるというものだ。
侯爵は大層感銘を受け、鷹揚に頷いて許可を出した。
こうしてイリヤと二人きりで話す機会を得るための第一段階は成功したのだった。