最終章 騎士団の聖女
アルドの呪いの浄化は少しずつ進み、変身も三日に一度のペースになっていた。
入団の日は、晴れていた。
正式な儀式は、簡素だった。書類に署名して、アルドの前に立って、短い口頭宣誓をする。それだけ。
「以上で、入団の手続きは完了です」
セインが書類を片付けた。
「……本当に簡単ですね」
「来週には礼服が届きます。それをもって正式に完了となります」
「礼服……どんなものですか」
「白い装束です。騎士団の白と、聖女の紋が入っています」
「採寸、いつしたんですか」
「学院長室を出た日にセインがすでに測っていた」
アルドが、書類から目を上げずに言った。
「そんな前に!? っていつの間に?」
(セイン様ってとんでもなく凄い人なのかも……)
「もし、私が……入団を断ったらどうするつもりだったんですか」
「断らないと思っていた」
「それは根拠のない自信では」
「お前の性格から判断した」
「……どんな性格だと思ってるんですか」
「意地を張っても、最後は折れる」
「失礼な」
「間違いか」
「……間違ってはないですけど」
セインが、口元を隠しながら扉の方に向かった。
「では私はこれで。エルセ殿、歓迎いたします」
扉が閉まった。
二人きりになった。
◆
「アルド様」
「なんだ」
「今日から、よろしくお願いします」
「……今更か」
「今更でもけじめは大事です」
アルドが、少し視線を逸らした。
「……ああ。よろしく」
素直に返ってきたので、少し驚いた。
「え、すんなり言ってくれましたね」
「何か問題があるか」
「いえ、なんか……もっとどこかに視線を向けながらとか、言いにくそうにとか、想像してたので」
「言いにくいことは言わない」
「じゃあ、言えたということは」
「……次の話をしろ」
エルセは少し笑った。
「最初の仕事は、なんですか」
「訓練場の外縁の瘴気確認だ。規模は小さい。まず現場を見ることから始めろ」
「はい」
「それから——定期的な治療は、週に三度から始める」
「分かりました。あの……」
「なんだ」
「治療、続けますよね。呪いがまだ残っている間は」
「当然だ」
「完治した後も——騎士団に、用はなくなりませんよね。浄化の仕事は残りますよね」
少し間があった。
「当たり前だ。やってほしいことは山ほどある」
「……よかった」
「それだけではない」
「え?」
アルドが、こちらを向いた。
「俺が、用がある」
それだけだった。短くて、少しも飾っていない言葉だった。
でも——意味は全部分かった。
「……え?」
「返事」
「は、はいっ」
「もう一度」
「はい! ここにいます。どこにも行きません」
アルドの手が、私の手を取った。ためらいがなかった。
「行くぞ」
「はい」
◆
訓練場の外縁、壁際に小さな瘴気の溜まりがあった。
近づくと、かすかに体がうずく。小さいが、確かにある。
「……やります」
手のひらを向けた。収束した力を、隙間から。細く、均一に。
白い光が滲んだ。瘴気に触れた。
ほどけた。
「……できました」
「見ていた。問題ない」
「もう少し褒めてくれても……」
「……完璧だった」
「本当ですか」
「今回限りの話だ。次は分からない」
「今回は完璧だったんですね」
「……そうだ」
「覚えておきますね」
「……」
アルドが、視線を逸らした。でも——口元が、かすかに動いた。
笑った。
一瞬だけだったが、確かに笑った。
「……アルドさん」
「なんだ」
「今、笑いましたね」
「笑っていない」
「笑いました。見ました」
「……忘れろ」
「忘れません。全部覚えておきます」
「……お前は本当に」
アルドが、少し、息をついた。
「覚えますよ。全部。裏庭のことも、今日のことも——全部」
アルドの手が、また私の手を取った。
訓練場の石畳に、夕陽が落ちてきた。
橙色の光が、石壁を染めている。
石壁の向こうに、学院の裏庭がある。
「あの裏庭に、行きましょう。仕事が終わったら」
「また言っている」
「あそこが、始まりの場所だから。これからも、たまに行きたいんです」
アルドが、石壁を見た。
「……分かった。今日でいいか」
「もちろんです」
しばらく、二人で並んで、夕陽を見ていた。
訓練場の向こうから、剣の打ち合いの音が届いてくる。どこかで号令がかかる。騎士団の、日常の音だ。
(ここが、私の場所になっていく)
「行くか」
「はい」
◆
石段に向かう前に、廊下でセインが待っていた。
「お疲れ様でした、エルセ殿」
「ありがとうございます」
「初日の感想は」
「……思っていたよりは、できた気がします」
「団長はなんと?」
「完璧だった、と言ってもらえました」
セインが、書類を持ったまま、少し目を細めた。
「……珍しい」
「え?」
「団長が人に『完璧だった』と言うのは、かなり珍しいことです。私もまだ数えるほどしか言われたことがありません」
「そうなんですか」
「はい。厳しい人ですから」
「……でも、次は分からないとも言ってました」
「それはいつも言います。でも——今回は言ったんですね。完璧だった、と」
セインが、また書類に目を落とした。ただ、口元が——かすかに動いた。
「よかったですね、エルセ殿」
「……はい」
「明日以降も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
セインが歩いていく背中を見送りながら、エルセは少し笑った。
(この人、絶対全部分かってる)
(副官の勘、侮れない)
◆
石壁に抜け穴があった。
野草の匂い。夕暮れの光。古い蔦。
学院の裏庭があった。
昔と変わらない、古い石段。
アルドが先に腰を下ろした。私も、隣に座った。
「……やっぱり、変な感じがします」
「何が」
「一人で座ってた場所なのに、全然違う。あとここに——もふもふさんが来てた、と思うと」
「……それは忘れろ」
「忘れません。かわいかったので」
「……」
「丸くて、ふわふわで——」
「それ以上言うな」
「なんで嫌なんですか」
「……お前だけに言う」
「はい」
「あの姿は、好きではなかった。勝手になるものだ。好んで選んだ形ではない」
「……そうだったんですね」
「なのに——お前が来るたびに、かわいいと言われた」
「かわいかったですよ」
「……」
「かわいかった。でも——今の方が、格好いいです」
アルドが、また視線を逸らした。今日だけで何度目だろう。
「……どちらでも変わらないだろう」
「変わりますよ。もふもふさんはかわいくて、アルドさんは格好いい。別々のことです」
「……」
「どっちも好きです」
静寂があった。
風が吹いて、草が揺れた。
「……エルセ、一つ、聞く」
「……はい」
「俺のそばにいるのは——嫌か」
低い声だった。静かな、でも確かめるための声だった。
「……嫌じゃないです」
「そうか」
「……ここにいたいです。ずっと」
大きな手が、私の手を包んだ。
今日は、ためらいがなかった。
「……俺も、同じだ」
夕陽が、石段を橙色に染めた。
二人の影が、並んで伸びていた。
あの頃と同じ石段で、今は——この人が、隣にいる。
その手のひらが温かくて。
少しも、離れる気配がなかった。
(でも——この石段があって、もふもふさんがいて、毎日待っていてくれた人がいて)
(だから、ここにいる)
「来てよかったです。聖女学院に」
「……」
「もふもふさんに会えたから」
「……名前で呼べ」
「アルド様に会えたから」
手に、少しだけ力がこもった。
「……俺も、だ。お前が来てよかった」
夕陽が落ちていく。裏庭の草が、夕風に揺れる。
遠くで、鐘が鳴った。
隣に、人がいる。
その人の手のひらが温かくて、少しも離れる気配がなかった。
これから先に、どんな仕事が待っているか分からない。前線がどんな場所か、まだ知らない。怖いと思うこともあるだろう。うまくできない日もあるだろう。
でも——隣に、この人がいる。
「もふもふさんのことは好きですが、アルド様の呪いが完治するように努力しますね」
「……ああ、頼む」
「これからも、そばにいてくれますか」
「いる」
短くて、揺らぎのない答えだった。
手を、少しだけ、握り返した。
その温かさが、どこまでも続いていきそうだった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
「無能聖女の私、放課後に出会った「もふもふ」に悩み相談をしていたら、その正体は呪われた最強騎士団長様でした」、いかがでしたか?
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また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)/




