蒼大視点ー三年越しに呼べた名前ー
「やっぱり今日も寝不足顔だ」
七海が不満そうに口を尖らせる。
「そうか?」
気を使わせたくないと、少し眠たい目を擦る。と、七海が心配そうに見つめてきた。
「少しだけ、休憩しよ?」
くっ……な、なんてこった!
七海が俺の事を心配してくれている!早く動かないといけないこの状況で人を気遣える優しさ!天使かよ!
「ありがとう、じゃあ5分だけ」
にやけそうだった俺はすぐにしゃがんで顔を押さえた。森の熱気よりも、自分の顔の方がよっぽど熱い。
目の前が暗くなると限界まで張り詰めていた昨晩の事を思い出す。
全く知らない山の中。虫の声。風が揺らす木々の音。何かが動く気配。
眠るわけにはいかなかったし、眠れるわけがなかった。
3年間片想いしていた相手がすぐそこにいる。俺が守らないと。
ポケットからキーホルダーを取り出す。おでこに赤い石が埋まった招き猫。母さんに肌身離さず持っていろと言われたやつだ。
コンビニのレジ待ちで、俺の後ろに並んでいた七海が「落ちましたよ」って、招き猫を拾ってくれた時は心底驚いたもんだ。
——ソウタ。七海ちゃんはあんたの運命の相手だわ。
母の震えた声が耳に蘇る。
七海ちゃんと一緒になると、あふれるほどの富を手に入れて、あり得ないほど幸せになれる。想像を遥かに超えるほどの幸福よ。
でも、でもね。あたしとリョウには、二度と会えなくなる。
占い師として名の知れた母が、あんな顔で話したのは初めてだった。必死に涙を堪えて、でも俺の目を真っすぐ見つめて話してくれた。
もし俺が七海の事を諦めたら、七海に二度と会えなくなる。でも、母と弟のリョウとは一緒にいられる。その場合苦労はしないけど、一生胸に空いた穴が埋まらないまま生きていくだろうって。
俺の人生なんだから自分で考えて、自分で選べって。
悩んださ。さすがに。
女手一つで俺を育ててくれた母さんと、歳の離れた可愛い弟。
先祖代々不思議な力がある母の家系。
俺の知る限り母の占いは外れた事がない。
本当に七海か母さん達、どちらかと会えなくなるのだろう。
……そんなの、簡単に選べるわけがねぇ。
軽い気持ちで占ってもらっただけなのに、スゲー結果に驚愕したもんだ。
それから毎日七海の事を考えるようになった。すると不思議なことにどんどん想いが募ってくるわけで……
七海を見つけたきっかけは本当に些細な事だったのに。
俺を一目見ようと校門に集まる女子の群れ。黄色い悲鳴。毎日毎日、うんざりするほど同じ光景。
あの日も「うぜーんだよ!近寄んな!」いつもと同じ言葉を吐き捨て、群れから離れた場所に目を向けた。たまたまそこに七海が立ってた。
七海が視界に入った瞬間、身体に電気が走ったように感じた。あんなにうるさかった周囲の声が遠のいて、周りの景色が全部ぼやけて、笑ってる七海だけが鮮明に見えたんだ。
制服を頼りに、西中の笠井に協力を求め、情報収集。
直接声を掛けたかったけど、掛けられなかった。
もし声を掛けたら集まっている女子達が黙っていないだろう。
過激な奴がいたら危害を加えられるかも知れない。実際、小学6年生の時「俺と話していた」と言うくだらない理由で、女子が突き飛ばされた事がある。
その事がきっかけで、女子とは喋らない、話しかけにくいように不良になろうと決めたんだったな。
それが周りにも、俺のためにも、一番安全だと思った。
……まーそれは置いといて、母さんに七海の事は3年待ちなさい。と言われていた。
だが3年も待てないと思った俺は、自分を信じて卒業式が終わったら急いで西中に行って告白しようと思っていた。もう校門前で待つ女子達はいなくなるからだ。
でも、卒業式当日。笠井からのメッセージで、七海が同じバレー部の男に告白されて付き合うことになったと知らされた。本当に笑えなかった。ったく、卒業式に告白すんなよ!
運命ってやつは……
高校生活に突入し、ひと月が経つ頃。
モヤモヤした毎日を過ごしていた俺は、笠井の家に向かった。
そして公園の入り口で目撃してしまった。
七海が彼氏と思われる男と、一緒にいる女に向かって「こんな男あげる!」って吠えているところを。
こんな劇的な場面を目撃するなんて、やはり運命の相手だからだろうか。
後ろ姿でもすぐに分かった。
彼氏と女を背にし、こちらに振り向いた瞬間、七海の瞳から溢れ落ちた涙。少し離れているのに、その涙がスローモーションみたいにハッキリ見えた。
その涙は、まるで自分の事のように俺の胸を突き刺した。
そして、七海を守りたいと心の底から思った。
その日の夜、母に自分の決断を告げた。
母と一緒に聞いていたリョウは俺の服の裾を強く握りしめ、わんわん泣いた。
母も涙を見せたけど、笑顔で頷いてくれた。
強い人だ。ずっとそう思ってきたけど、あの時ほどそれを感じた事はない。
だから絶対に幸せにならないといけない。母とリョウの分まで。そして、両思いになれたなら、七海を世界一幸せにしたいーー
でもまさか遠くに行くってのが異世界だとは微塵も思わなかった。母さんも絶対無人島漂流とかだと思ってただろー。無人島サバイバルの本を読まされたもんな。
俺今たぶん異世界にいるぜ。
ちょっと浸りすぎたか。
ポケットから取り出した招き猫をぎゅっと握ると、まだ少し熱く感じた。
あの日、トラックが衝突しそうになった時、ポケットに入っていたこいつが燃えているみたいに熱くなって、世界が真っ赤に染まった。
「……そういうことだったのか」
——俺が七海を諦めたら二度と会えなくなる。
母さんは死と言う言葉は使わなかった。昔から人の生死は分からないと言っていたから、本当だろう。
俺も七海が引っ越すとか、そんなのかと思ってた。
もし俺が七海の事を諦めて、あの場所にいなかったら――
想像しただけで生きていけなくなりそうだから、やめておこう。
七海を諦めなくて良かった。
怖さよりもどこか冷静に納得してる自分がいる。俺がこの手で七海を守り抜く。招き猫の頭をそっと撫でる。
——ありがとな。
心の中でお礼を言い、立ち上がる。
木漏れ日が差し込む眩しい森の景色と、俺を見上げる七海の姿が目に飛び込んでくる。
「よし、行くか!気合い入れていくぞ……!」
「うん!気合い入れて行こう!本日の目標は山小屋と水場の発見であります!」
七海が立ち上がり、敬礼しながら言う。
ありますってなんだよ!はー!かわええ!俺は隊長か!
母に言われた「あふれるほどの富」とか、そういう話は正直よく分からない。
異世界に来てしまった事も、これからどうなるのか何も分からない。
でも今はっきりと分かる事が一つある。
「ああ。頑張って見つけような、七海」
「……うん!頑張ろうね、蒼大!」
隣に七海がいる。堂々と名前を呼んで、俺の名前を呼んでくれる。
それだけでも、来た意味があったよ。母さん——




