3、【思い出の氷と天使、王族】
正装した霧島が向かったのはある公園だった。
子供のころよく二人で遊んだ不思議な公園、二人の思い出の場所、そして今回に限っては親友の死に関係する重要な何かがある場所だ。霧島は一歩一歩その記憶を辿りながら公園への道を歩んでいく。町並みは流石に二十年前と比べると変わっていて、公園の場所を正確に思い出すことは難しかったが、幸いなことに交番や郵便局などの、時代で位置があまり変わらない建物が目印になってくれたので、思いのほか早く着いた。
その微妙に広い公園には不思議なオブジェがある。太陽をかたどったトーテムポールのようなものが三つ、月をかたどった同じようなものが三つ、そしてその中心にある古い像だ。月と太陽のトーテムポールがあるというだけでも珍しいのだろうが、特にその像が不思議なのだ。その像は人をかたどったものではなく、動植物をかたどったものでもなく、人工物をかたどったものでもない。
三十センチ四方くらいのそれは氷とその上に浮かぶ天使をかたどったものなのだ。
薄氷が張ったどこか、湖のような場所だろうか、その上に身長の五倍以上はある羽が生えた、天使のような子供が俯いて立ち止まっている。正確には浮いているのだろう。薄氷が張っているのに変な話だが、水しぶきのようなもので精巧に浮いた天使が表現されている。天使は俯いていたし、うまく隠れるような設計になっていたためそれの顔を拝むことはできない。現在の霧島が見たとしてもかなり不可思議な像である。
これほどの彫刻、羽や天使の髪の毛などの細かい造形には目を見張るものがあるが、相当な技術がなければ彫ることはできないだろう。相当業界では名の売れた人間が作ったとしか思えない。にもかかわらず、この天使像はこの公園から二十年の時を経ても動かされなかったのだ。この公園は目印が多いし大通りからも遠くない。ということは業界関係者など人目に付く機会は十分にあるはずなのだ。何故この像を目に留めないのだろう?
親友から渡された手紙にはこの像のことが書かれていた。
「昔よく遊んだ公園があっただろう?覚えているかわからないがその時公園に天使の像があった。不思議な像だ。新約聖書や旧約聖書もあさってみたが具体的な、神話的な何かをかたどったわけでもない。それでいてあそこまで精巧に作られている像。色々調べたが結局由来も、作られた年月日も、公園を管轄している市町村さえその像を正しく認識できていないようだった。俺はその謎に強く引き付けられてさらに深く調べるようになったんだ。
だがそれが悪かった。その像を深く調べることは何かの禁忌に触れるらしい。
俺は今、実体の分からない何かに追われている。
俺にはあの像の正体が分からなかったが、お前なら何か掴めるかもしれない。俺と同じことにならないよう、俺の持つ情報をお前に渡すことはしない。できる限りでいい、あの像の正体を探ってみてくれ。きっとそれが俺を殺した何かを特定する手掛かりになるだろう。
これがお前にする一つ目の頼みだ。」
水平線にぽつんと浮かぶ遺跡のような建物は、Ms. marryという人物の住居らしい。
アベルについて男もその建物の中に入っていく。
中は意外に広かった。西洋の教会ほどの広さはないにしても、その建築様式からは歴史というか、長年継承されてきた重みを感じられるような、とにかくこの建物の建立に関しては明らかに「信仰心」が関わっている、そう確信できる雰囲気を纏っていた。パイプオルガンのようなものも確認できることから、地上とここでは何か神聖なるものに対して、共通しているものもあるらしいと予想できる。
前言撤回、これは教会なんて規模じゃない。
外から見ていた限りでは全くわからなかったのだが、この建物には奥行きがあるようだ。しばらく長い回廊のようなところを歩かされる。足元には永遠に続くかと思われるほど長いレッドカーペットが敷かれていて、両サイドには部屋の入口と思われるドアが所せましと並ぶ。その一つ一つに昔の西洋の王族が大喜びして大金を出しそうな、近くで見ないと肉眼では見えないような細かい装飾がされている。はじめのころはその一つ一つに驚いていたが回廊があまりに長く続くので、進めば進むほどだんだん嫌味に思えてきた。男は耐え兼ね、男は目の前の青年、アベルの正体について思いを巡らせてみる。
銀髪銀目、髪を染めてカラーコンタクトをしているというわけではあるまい。銀色に輝く髪には寝癖が付いていたり、風で自然になびいていたりしたし、銀色の瞳の奥には自然な光が見て取れた。肌の色は白人と黄色人種の中間といった色合いなのでアルビノというわけでもないのだろう。するとこの青年はいったい何者なのだろう?まさか人間でない、ということはないだろうが…
そうこうしているうちに目的の部屋に到着したようだ。部屋の位置を知らない男ですらそう思うほどに、ドアの装飾が周りとは明らかに違った。二メートル四方はあろうかという大きすぎるドアが、金と銀でできたドアノブが、装飾としか意味をなさないであろう白銀でドア全体にあしらわれた花々が、そして隣のドアとの明らかな間隔がそれを物語っている。
「着きましたよ、ここで少しお待ちください。」アベルの声は少し緊張しているようにも聞こえた。彼は三回ドアにノックをしてその重そうなドアを開けて中に入る。
「どうぞ、お入りください。」やがて中から彼が顔をのぞかせた。その声色から先程の緊張はきれいさっぱり取り除かれたようだとわかる。男は無意識に二礼二拍手一礼して部屋の中に入った。
男は動揺を隠せない。まるで自分が王族になったような気分だった。
部屋に入った瞬間に目に入ってきたのは、銀食器や四本立てのろうそく立てがずらりと立ち並ぶ、ヴェルサイユ宮殿にでもありそうな食卓(それ以外にこのテーブルを適切に表す言葉がありそうだが)、だった。照明もお決まりのシャンデリアで、この不思議な世界に入り込んだ時の、あの水平線の静けさを忘れそうになる。あまりの煌きに軽く眩暈がしたほどだ。
長い食卓の先にはアベルのいうMs. marryであろう人物が見えた。長い金色の髪を青いリボンのようなもので括っていて、右目には金色で花柄の刺繍がされている黒ベースの眼帯をしている。恐らく紅茶用であろうティーカップで目を伏せてそれを嗜む姿からは上流階級特有の余裕や風格すら感じられた。男は気圧されてしばらく何も考えられなくなる。
「お掛けください。」
彼女のその言葉で我に返ることができた。その澄んだ声にうっとりしてしまいそうになりながら近くにあった金色のいすに腰掛ける。彼女はそれを見届けるとティーカップを受け皿に置いて静かに話し始めた。
束の間、微かに鈴の音が聞こえる。それもいつか聞いたような鈴の音が。
「私はここの主、Ms. marryと呼ばれています。急にこのような場所へお連れして申し訳ありません。担当の者があなたをここにお連れするべきだと申したものですから。ここに来ていただいた以上、この世界でしばらく生活をしていただくことになっております。それに際しまして、私の方からはいくつか守っていただきたいルールとこの世界の紹介をさせていただきたいと思っております。」これだけ距離が離れているにもかかわらず、驚くほど繊細な声で整然と並べられたその言葉に男は言葉を失った。
彼女はこの世界の仕組みを語る。