第一話 見世物小屋のマリア
「もーヤダ!!ガマンできなーーーい!!!」
半裸の娘が絶叫とともに見世物小屋から飛び出てきた。
その娘、歳は15、6ほど。
襦袢(着物の下に切る肌着)は胸のすぐ上あたりまで脱がされ、肩はまる出し。
肌も露わな色っぽい姿で、その小屋の看板に描かれた極彩色の花魁娘と瓜二つだった。
飛び出してきた娘は、小屋に入ろうとしていた左官職人と鉢合わせ激突。
懐に突然かわいい半裸の娘が飛び込んできて左官職人は思わず硬直。
弾みで、その娘を思い切り抱きしめてしまった。
(イメージ)
左官職人。花の香りに包まれ、目はハート。鼻の下が伸びて、顔がみるみる真赤に…
「ハナシてー!くるしーってばあ!」
左官職人は心がどこかへ行ってしまい遠い目&にやけ顔で娘を抱きしめたまま微動だにしない。
そこへ娘を追って長羽織の男が走ってやってきた。
「やや、すまんな! 助かりもうした」
男の声で我に帰った左官職人はあわてて娘を離した。
長羽織の男は娘の手を取り引き寄せ、嫌がる娘の耳に顔を近づけた。
「マリ…いや <お毬> !
もう見世物を始める刻限なんだ。
早く支度しないと客が帰っちまう。
あと少しだけ我慢だ、
ガ・マ・ン!」
「嫌ーーー!!
センセ、
源内センセ!!(≧△≦)
くすぐったいの、イヤーーーーーッ!!」
口をポカンと開けてその様子を見ていた左官職人に、番台から降りてきた小屋番が声をかけた。
「さささ、どんぞどんぞ、こちらへ。」
左官職人は小屋番に手を引かれ、なかば無理やり小屋へ連れ込まれてしまった。
* * *
今からだいたい240年ほど前
当時の平均的な寿命を考えると、あなたの6代~8代前くらいのご先祖様が生きていた時代。
日本は戦国乱世が終わり、大きな戦のない太平の世が160年も続いていた。
幕府はキリスト教禁止を名目に、
オランダ・中国・朝鮮以外の外国と貿易すること、日本人が海外へ渡航することなどを禁止した鎖国政策の真っ只中。
西洋文明を受け入れ大変革が起こった明治維新まで、まだあと約100年という頃。
* * *
時は西暦1779年(安永八年)
処は大江戸 季節は初夏
大川(隅田川下流)にかかる両国橋の西側と東側には、大小の見世物小屋がところ狭しと立ち並んでいた。
スマホやテレビがないこの時代
民草にとって娯楽とは、芝居や見世物で憂さを晴らすことだった。
しかし、常設された立派な建物で行われる歌舞伎は安くても百文《約2000円》という値段。
銭がない庶民でも気軽に楽しむことができたのは、十六~三十二文《320~640円くらい》の木戸銭=入場料 で入ることができる見世物小屋だった。
この見世物小屋で行われる出し物はじつにさまざま、バラエティに富んでいて
◆『ねぶた』のような大きな像、カラクリじかけの茶運び人形、まるで生きた人間に見えるリアルな人形など、現代のフィギュアや模型のジオラマ展示とも言える
<細工見世物>
◆中国の古代・唐の時代から伝わる馬術を演芸とした
<女曲馬>
◆綱渡りや玉乗りなどまるでサーカス・ショーのような
<軽業>
◆神の依り代と見立てた重い石を持ち上げて力技を競い、吉凶を占う
<力曲持>
◆個性豊かに三国志・太平記などの人気の軍記物などを講じる
<講談師>
◆手品師のごとく大きな釜から自分の妻を脱出させる
<釜抜けの法>
◆扇子の先から水を出しながら花魁が艶かしく踊る
<水芸>
◆珍獣・奇獣を見せる
<動物見世物>
などなど
当時の風俗、文化・芸術・技術のエンタメ見本市といえるものだった。
* * *
そして、見世物小屋の多くは
人が集まりやすい寺社仏閣の境内や空き地のような場所があるとそこに狙いを定めて、仮設の小屋をさらりと一時的に作って興行する、という
いわゆるゲリラ的な営業を行なっていた。
(興行=見世物を銭を取ってみせること)
そのため
小屋の作りは、簡単に作れて簡単に解体できる<掘っ立て小屋>の形だった。
掘っ立て小屋とはどういうものかというと
ちゃんとした建物の作り方と違って
礎石(=建造物の土台として柱を支える石)を使わず、
地面に丸い穴を掘ってそのまま柱を埋めるだけ
壁は泥や木板の代わりに、菰や葭簀などのゴザを下げただけ
という
超シンプルなつくりの建物のことをいう。
その作りのためか、見世物小屋は別名 小屋掛けとも呼ばれていた。
薄暗い建屋の中は
夏は蒸し暑く冬は寒く
居心地がいい場所とは決していえない空間だったが、
むしろその居心地の悪い暗がりのほうが客の想像力が高まったのかもしれない。
* * *
ところでこの地、
両国とは<二つの国>という意味で
当時の両国は、現在の場所(=両国橋の東側)と少し違って、両国橋の『東西にまたがった大川両岸の地域』を指していた。
この大川《隅田川》が、武蔵と下総の<両国>の境をなしたことが地名の由来とされ、橋を挟んで、西両国 ・東両国と呼ばれていた。
その西両国は現在の中央区東日本橋あたり。
この場所は、北には人気スポット
<浅草寺>
南には旅人宿が軒を連ねる
<馬喰町>
と、人が集まるのにバッチリな立地で
地方から江戸に出てきた旅人は
宿のある馬喰町を根城にまず手始めに浅草の手前、両国へ足を伸ばす
というのが江戸見物の定番ルートであった。
さらにこの地には
大火事から橋を守るための火除地として両国広小路という大きな広場が作られていたこと、
火除地は火事対策のために常設の建物を作ることが禁止されていたため
空き地があればゲリラ的に店を開き、お上から何か言われれば、いつでも立ち退くことができる仮設の見世物小屋にとってはまさにうってつけの場所だった。
そんな好立地の両国橋の東西は見世物小屋でぎっしりと埋め尽くされ、いつも大勢の人々で賑わっていた。
* * *
因みに、どれくらいの人が集まったのかというと、
東両国にある本所(いまの墨田区)の回向院というお寺で、
信州善光寺の出開帳(本尊などめったに見ることができない仏像や寺宝を運んできて一般の人々に見せる催し)が行われた昨年は、
見世物小屋を訪れた客の数が、六十日間で延べ千六百万人という空前の参詣客があったという記録が残っている。
江戸の人口はこの当時100万人くらいと推定されているが、1800年頃の世界の主要な都市は
北京 90 万人
ロンドン 86 万人
パリ 54 万人
ニューヨーク6万人
上海5万人
と言われているので
江戸は世界的に見ても飛び抜けた大都市であったといえる。
ちなみに現在の東京都の人口は江戸時代の9倍にあたる約930万人。
* * *
今年はこのときから比べればさすがに客足が減ったとはいうものの相変わらずの賑わいで、寄り添い立ち並んでいる小屋のそこかしこからは、常にお囃子の声や三味線、呼び込みの口上などが騒がしく聞こえていた。
大川沿いには塩漬の桜に湯を注いだものを出す水茶屋がずらりと並び、そこでは常連の客たちが茶をすすりながら、お気に入りの給仕=現代で言うウエイトレス にちょっかいを出しつつ、目当ての見世物が始まるのをいまか今かと待ちわびていた。
* * *
そんな大賑わいの両国広小路を通り過ぎたいっとう外れのところに、三間四方の小振りな見世物小屋が建っていた。
一間は畳の縦の長さ《約1.8m》なので、三間四方となると18畳、ワンボックスの自動車がゆったりと2台入る駐車場くらいの大きさである。
小屋の入り口の上には、この時代ではかなり珍しい<油絵の具>で描かれた
『ゑ《え》れき娘』
の飾り文字と、西洋画とも浮世絵とも言えないなんとも不思議な画風で描かれた、肌もあらわな
<花魁娘>
の看板が掲げられており、入口の両脇には『ゑれきてる』の幟が立ち並んでいた。
その絵の娘は浮世絵で見られるこの時代の「美人」とはまったく違って、
目は大きくキラキラ
髪も着物も極彩色
まるで現代のアニメキャラ。
現代人がタイムスリップしてこの芝居小屋を見たら、アキバに来たと勘違いするかもしれない。
* * *
話はやっと冒頭に戻る。
小太りの左官職人=塗り壁などを塗る職人 が、看板を見上げて中に入ろうか、どうしようかと逡巡していると、小屋から若い娘が飛び出してきた。
「もーヤダ!!ガマンできなーーーい!!!」
「マリ・・・いや<お毬>!!見世物を始める刻限になっちまう。もう少しだけ我慢だ、ガ・マ・ン!」
「嫌ーーー!!センセ、源内センセ!!(≧△≦)くすぐったいの、イヤーーーーーッ!!」
* * *
見世物小屋から娘を追って出てきた長羽織の男は、平賀源内。
齢五十一となるこの男は、雑にまとめ上げた髷に無精髭という出で立ちで、背は高いが猫背。
苦労が顔に出いているせいか、頬が少しコケている。
この年の冬、あと半年の後に刃傷沙汰を起こし獄死したとされる男である。
「お毬、客も待ちわびてるんだもちっとだけ辛抱してくれ。
ささっと終わらせるから・・・」
源内は、じたばたと暴れるお毬と呼んだ娘の帯を掴み、優しい口調でなだめつつも強引に小屋の中へ引きずっていった。こうしてみると源内とお毬はまるで父と娘のように見えた。
肩越しに娘の様子を見ている左官職人の手を引きつつ、小屋番が東北訛りで話しかけてきた。
「兄さん、木戸銭はたったの八文。新しモン好きなら、まんず気に入るったよ!」
木戸銭八文は現代でいうと160円程度、超安酒一合(=180ml)くらいの値段で、十六文から三十二文(320~640円》という相場の他の見世物小屋の料金と比べたら、この料金は最低の部類だった。
* * *
舞台袖にある支度部屋にお毬を連れてきた源内は、座らせると背中に回り、乱れた襦袢の襟ぐりを掴んで躊躇なく一気に帯のあたりまで引き下ろした。
源内の目前に白い絹のようなすらりとした背中が現れた。
お毬は、上半身が露わになるもプクっとむくれているだけで、手は膝の上。
嫌がる様子も恥ずかしがる様子もなく、小さく膨らんだ前を隠そうともせずじっと座ったまま。
源内は、その背に急ぎ絵筆を走らせた。
「いいか、<マリア>
お前はカラクリ人形なのにどう見ても人間にしか見えん
だからこうやって継ぎ目を描いてやらねば見世物にならんのだ」
お毬と呼ばれたこの娘、カラクリ人形のマリア。
源内が長崎・出島で紅毛人から『ゑれきてる』とともに譲り受けたものだが、詳しい話はもう少し後で語ることになる。
絵筆は背から首筋、そして脇へさらさらと動いていった。
源内の筆が脇の下を通って二の腕へ移動すると、マリアは泣き笑いの表情。
「あ・・・あひゃひゃ!」などと変な声を発し、からだをくねくねとさせるので絵筆が描く継ぎ目の線がミミズが這ったようにヨレヨレになってしまった。
「マリア!」
「ひぃぃ~・・・だってだってだって、・・・く、くすぐったいんだもん」
「人形のくせに、くすぐったいとはな。
この肌、まるで人間のようなからだといい、感情を持っていることといい、こんなカラクリ、まったくもってどうなっているのかわからん・・・」
とうに開始の刻限を急ぎているので、構わず急ぎ絵筆を走らせる源内。必死に絵筆の先を見つめる源内の顔がマリアにどんどん接近し、鼻息が胸元にかかった。
「ぷくく・・(≧▽≦)。!
うひゃひゃ・・・くすぐったいってば!源内センセ!!」
我慢しきれなくなったマリアが反射的に手を払うと、源内は見事に宙を泳いで六尺六寸ほど吹っ飛ばされた。
(※一尺は約 3 m、一寸は約 30 cmなので、源内は2mほど吹っ飛んだ)
普通の小娘にこんな力があるはずもないが、源内は驚いた様子もない。
「・・・やれやれ・・・」
絵筆が顔にあたったのか、源内の頬には油絵の具が付いている。
「きゃはは、羽子板で負けたときみたい!」
ため息を付き、座り直しながら脇にあった煙草盆を引き寄せた。
「あ、センセ・・・ごごごゴメンなさい・・・」
「毎度のことだ、慣れている」
源内は腰に下げた叺から煙管を取り出し、根付けから刻み莨をひとつまみ、煙管の先っぽの火皿に詰め、近くのろうそくの炎で火をつけた。
源内の吐き出す煙管の煙にマリアはケホケホと咳き込んだ。
その様子を見ていた源内は、ふうと息を付き、苦笑いを浮かべた。
「ほんと、お主まるで人間だな…。
さて、急がねば」
源内は煙管を勢い良く盆の縁に叩きつけると、カン!といい音が鳴り、火皿から燃えカスとなった刻み莨が落ちた。
* * *
「いったいいつまで待たせる気だー!!」
「早く始めろい!!」
予定の刻限を過ぎても出し物が始まらず、集まっている客たちが騒ぎ始めていた。
客の人数はたった10人。
だが、殆どが<ゑれき娘>と書かれた法被や手ぬぐい、うちわなど『関連グッズ』で身を固め、マリアが美しく描かれた錦絵=ブロマイドのようなもの を手にしている<常連>たち。
熱気に包まれた客席は、マリアの登場を今かいまかと待ちわび、しびれを切らしていた。
先ほど無理やり入れられた左官職人は、その中で窮屈そうに座り、周囲を恐る恐るキョロキョロ。
これまで見たことのないマニアックな盛り上がりを見せる常連たちに圧倒され、これから始まる見世物がどんな出し物なのか、左右に聞くこともできずにいた。
<つづく>