↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『千年待った精霊たちは、忌み子を愛してやまない』  作者: ゆい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/10

序章・後編 千年の約束


魔神テュフォリオンが封印され、世界に静寂が戻った。


黒雲は晴れ、長い間閉ざされていた太陽の光が、荒廃した大地へと降り注いでいた。


人類最後の王都では、無数の人々が歓喜の声を上げていた。


兵士たちは武器を掲げ、母親たちは子供を抱き締め、老人たちは涙を流しながら天へ祈りを捧げている。


人類は、滅亡の運命から救われたのだ。


しかし、その遥か上空では――。



「……ゼウリオス様……?」

 


エリュシアの震える声が響いた。


彼女の目の前で、神ゼウリオスの身体が静かに崩れ始めていた。


黄金の粒子が指先から舞い上がり、腕が透き通り、肩が光へと変わっていく。


神衣は裂け、全身には深い傷が刻まれていた。


そして何より、その身体からは、神としての存在そのものが失われつつあった。


「……そんな……」


エリュシアが駆け寄った。


震える手で、その腕を掴もうとする。


しかし、指先は光をすり抜けた。


「……どうして……?」


もう一度、手を伸ばす。


だが、何も掴めなかった。


エリュシアは生命と魂を司る大精霊だった。


あらゆる傷を癒やし、失われかけた生命を繋ぎ止め、魂の輪廻にさえ干渉する力を持っている。


それなのに。


目の前で消えようとしている、最も大切な存在に、触れることすらできなかった。


「……嫌です……!」


翡翠色の瞳から、大粒の涙が溢れた。


ゼウリオスは穏やかに微笑んだ。


「泣くな、エリュシア」


「泣きます……! あなた様が消えてしまうのに……泣かずにいられるわけがありません……!」


アストレアもまた、唇を噛み締めていた。


「……私たちの力が、足りなかったのでしょうか」


「違う」


ゼウリオスは首を振った。


「お前たちがいなければ、私はここに立っていない」


ニクシアは俯き、何も言えずにいた。


いつもなら軽口を叩き、誰よりも自由奔放に振る舞う彼女だったが、今は言葉を失っていた。


アイテリアは、すでに何かを理解していた。


「……ゼウリオス様。あなた様は、最初から……」


ゼウリオスは静かに頷いた。


「奴を完全に滅ぼすことはできなかった。封印はいずれ弱まり、そのとき奴は今以上の力を手にして戻ってくるだろう」


そして、魔神が沈んだ大地を見つめた。


「次に同じ方法で戦っても、勝てん」


テュフォリオンの力は、戦いの最中にも増大していた。


まるで大地そのものが、魔神を育てているかのように。


そして、その背後に存在する意志。


ゼウリオスは、それが何者なのかを理解していた。


しかし、今ここでその名を口にするつもりはなかった。


「だから、私は人間に生まれ変わる」


沈黙が落ちた。


最初に口を開いたのは、アストレアだった。


「……今、何と仰いました?」


「人間に転生する、と言った」


「なりません!!」


アストレアの声が天空に響いた。


「神であるあなた様が、人間に転生するなど……! そのようなこと、認められるはずがありません!」


ニクシアも慌てて口を開いた。


「ちょっと待って。冗談でしょう? ねえ、冗談よね?」


「本気だ」


「本気で言ってるのが一番困るのよ!」


アイテリアは額に手を当てた。


「理論上は可能です……ですが、神の魂を人間の魂へ融合させる場合、膨大な神性が失われます。記憶も失われる可能性が極めて高い」


「分かっている」


「最悪の場合、あなた様はご自身が神であったことすら忘れてしまいます」


「それでも構わん」


エリュシアが震える声で尋ねた。


「……なぜ、そこまでして……?」


ゼウリオスは彼女を見つめた。


「証明したいことがある」


「……証明、ですか?」


「ああ」


ゼウリオスの黄金の瞳が、眼下の人間たちへ向けられた。


戦いが終わった王都では、人々が抱き合い、涙を流していた。


瓦礫の中から家族を探す者。


負傷者を助けようとする者。


崩れた家の前で、それでも生きようと立ち上がる者。


「人間は、弱い」


ゼウリオスは静かに語り始めた。


「寿命は短く、肉体は脆く、時には愚かな争いを繰り返す」


四人は黙って聞いていた。


「だが、彼らには神々が持たないものがある」


「……それは?」


エリュシアが尋ねた。


「可能性だ」


ゼウリオスの瞳が、優しく細められた。


「彼らは学び、変わり、成長する。昨日できなかったことを、明日には成し遂げる。時には、自分自身の限界さえ超えてしまう」


そして、四人を見渡した。


「私は、その可能性を証明してみせたい」


アイテリアが眉を寄せた。


「……誰に、ですか?」


ゼウリオスは、しばらく沈黙した。


そして、遥か天空を見上げた。


「あの方に、だ」


その声には、敬意と懐かしさ、そしてどこか寂しげな響きがあった。


「あの方……?」


アストレアが問いかける。


「いったい、どなたのことを仰っているのですか?」


しかし、ゼウリオスは答えなかった。


「今は、まだ話せん。いずれ分かる」


エリュシアは、納得できなかった。


「ですが……それだけのために、神としてのすべてを捨てるのですか……?」


その声には、悲しみと怒りが入り混じっていた。


「私たちは……あなた様を失うのですよ……?」


ゼウリオスは、静かに彼女を見つめた。


「失うわけではない」


「……え?」


「私は必ず戻る」


その言葉には、何の迷いもなかった。


「神としてではなく、一人の人間として生まれ変わり、その可能性を証明してみせる」


アイテリアが、ゆっくりと顔を上げた。


「……成功する保証は、ありません」


「ああ」


「神としての力を取り戻せる保証も……」


「分かっている」


「それでも……?」


ゼウリオスは迷わず答えた。


「それでも、私は人間を信じる」


四人は、長い沈黙の中に立ち尽くした。


やがて、ゼウリオスは静かに続けた。


「お前たちに、頼みがある」


エリュシアが顔を上げた。


「……何でしょうか」


「私が人間として生まれ変わったら、探し出してほしい」


ゼウリオスの身体から、また一つ、黄金の粒子が舞い上がった。


「おそらく、私は力も記憶も失っているだろう。自分が何者なのかも分からず、普通の人間として生きているはずだ」


その声は、どこまでも穏やかだった。


「そんな私を見つけ、守り、導いてほしい。そして、人間という存在がどこまで成長できるのか、その可能性を共に見届けてほしい」


エリュシアの頬を、涙が伝った。


「……ずるいです」


彼女は俯いた。


「そんなお願いをされたら……断れるはずがないではありませんか……」


アストレアは、静かに膝をついた。


「……承知いたしました。たとえ千年かかろうとも、必ずあなた様を見つけ出します」


ニクシアも目元を拭った。


「……本当に、世話の焼ける神様ね」


アイテリアは小さく微笑んだ。


「世界中の精霊たちに、あなた様の魂の痕跡を探させましょう。どれほど長い年月が必要になろうとも、必ず」


ゼウリオスは、四人を見つめた。


「……ありがとう」


その言葉に、エリュシアはとうとう堪えきれず、声を上げて泣き始めた。


しかし――。


「……あの」


突然、エリュシアが顔を上げた。


涙に濡れた瞳で、妙に真剣な表情をしている。


「一つ、よろしいでしょうか」


ゼウリオスは首を傾げた。


「何だ?」


「その……私たちがゼウリオス様をお探しして、お守りして、成長のお手伝いをするということは……」


「うむ」


「相応の対価が必要ではないかと……」


沈黙。


アストレアが、ゆっくりと顔を向けた。


「……エリュシア?」


ニクシアの眉が、ぴくりと動いた。


「ちょっと……あなた、今この状況で何を言い出すつもり?」


しかし、エリュシアは引かなかった。


「私は本気です」


ゼウリオスは苦笑した。


「……まあ、確かに大変な頼み事ではあるな。何を望む?」


エリュシアは、にっこりと微笑んだ。


「生まれ変わった後、私を一生の伴侶にしてくだされば、それだけで十分です」


時が止まった。


少なくとも、その場にいた三人の大精霊にとっては、間違いなく止まっていた。


「…………は?」


最初に声を漏らしたのは、ニクシアだった。


そして――。


「「「ふざけないでください!!!」」」


三人の怒声が、天空に響き渡った。


「エリュシア! あなたという人は……!」


アストレアが顔を真っ赤にして叫んだ。


「神聖なるゼウリオス様に、そのような要求をするなど……!」


「そうよ! 何を勝手に伴侶になろうとしてるのよ!」


ニクシアも激しく詰め寄る。


「しかも一生って何!? 抜け駆けにもほどがあるでしょう!」


アイテリアは額を押さえていた。


「……信じられません。ここまで計算高い方だったとは……」


エリュシアは胸を張った。


「何とでも仰ってください。私は本気です」


「本気だから問題なのです!」


アストレアが叫ぶ。


ゼウリオスは、そんな四人を見渡していた。


そして、小さく息を吐いた。


「……分かった」


四人の動きが止まる。


「その願い、聞き届けよう」


エリュシアの瞳が、ぱっと輝いた。


「本当ですか!?」


「ああ。ただし、条件がある」


ゼウリオスは、四人を順番に見渡した。


「私が人間として生まれ変わったとき、誰よりも早く私を見つけ出し、救い、導いた者。その一人を、我が伴侶として迎えよう」


一瞬の沈黙。


そして――。


「「「「絶対に私が見つけます!!!」」」」


四人の声が、天空に響き渡った。


エリュシアは胸の前で両手を握り締めた。


「申し訳ありませんけれど、最初にゼウリオス様を見つけるのは私です。魂の輝きを見分けることなら、誰にも負けませんもの」


アストレアは毅然とした態度で一歩前へ出た。


「その主張には根拠が不足しています。発見するだけでは条件を満たしません。救済と導きまで含めるのであれば、私こそ適任です」


ニクシアは長い黒髪を指先で払い、楽しげに唇を吊り上げた。


「あら、二人とも随分と自信があるのね。でも、人間として生まれ変わるのなら、昼間に見つかるとは限らないでしょう? 夜の世界で私から逃れられると思って?」


アイテリアは三人の言葉を聞き終えると、淡々と告げた。


「転生先の特定、危険の予測、保護経路の確保。これらを総合的に判断すれば、私が最も合理的な選択肢です」


「まあ、アイテリアったら。ゼウリオス様の伴侶になることを、合理性だけで決めるおつもりですか?」


エリュシアが優雅に微笑む。


しかし、翡翠色の瞳だけは少しも笑っていなかった。


「感情だけで判断するより適切だと考えます」


「……あら?」


ニクシアが肩を揺らして笑った。


「ふふっ……みんな必死ね。でも、千年も待ってようやく見つけたと思ったら、私の腕の中にいるかもしれないわよ?」


エリュシアの笑顔が、ぴたりと止まった。


「……ニクシア。それは聞き捨てなりませんね」


「何かしら?」


「そのようなことには、絶対にさせません」


アストレアが額に手を当て、深いため息をついた。


「あなた方は少し冷静になりなさい。これは神聖なる約束なのですよ!」


「アストレアも狙っているくせに、説教だけは立派ねえ」


「なっ……! わ、私は当然の権利を主張しているだけです!」


その頬が赤く染まるのを見て、ニクシアはますます愉快そうに笑った。


アイテリアは静かに目を閉じた。


「……結論が出ました」


三人が一斉に振り返る。


「私が最初に発見する可能性が最も高いと判断しました」


「どういう計算ですか!?」


アストレアが叫ぶ。


「秘密です」


「秘密では議論になりません!」


「競争相手に情報を開示する合理的な理由がありませんので」


四人の言い争いは、ますます激しくなっていった。


しかし、その背後で。


ゼウリオスの身体は、静かに消え始めていた。


黄金の粒子が指先から舞い上がり、腕が透き通り、肩が光へと変わっていく。


ゼウリオスは、四人の姿を見つめていた。


先ほどまで、世界は滅亡の淵にあった。


無数の生命が失われ、神々さえも恐れる魔神と戦い、彼自身も消滅しようとしている。


それなのに。


目の前の四人は、未来の約束を巡って、真剣に喧嘩していた。


ゼウリオスは、その光景を愛おしそうに見つめた。


「……本当に、お前たちは変わらんな」


その声に、ようやくエリュシアが振り返った。


「ゼウリオス様……?」


そして、息を呑んだ。


ゼウリオスの身体は、すでに胸元まで光の粒子となっていた。


「……そんな……!」


エリュシアが駆け寄る。


「まだ……まだ、お話ししたいことが……!」


ゼウリオスは静かに微笑んだ。


「続きは、また会ったときにしよう」


「……必ず……!」


エリュシアの声が震えた。


「必ず、お迎えに参ります……!」


アストレアは膝をつき、深く頭を垂れた。


「この魂に誓って……必ず……!」


ニクシアは涙を拭いながら、無理に笑った。


「……忘れていたら、許さないんだから……」


アイテリアは、静かに胸に手を当てた。


「どれほど長い年月が過ぎようとも、私たちはお待ちしております」


ゼウリオスは、四人を見渡した。


「……ああ。必ず、帰ってくる」


そして、彼は天空を見上げた。


遥か高み。


雲の彼方でも、星々の向こうでもない。


世界そのものを見下ろす、さらに高次の領域。


そこに存在する、ある意志へ向けて。


「……聞いているのだろう?」


返事はなかった。


しかし、ゼウリオスは確信していた。


自分の言葉が、届いていることを。


「確かに、人間は愚かだ。争い、奪い、傷つけ合い、時には自らの手で大地を汚す。あなたが彼らを嫌う理由も、理解できなくはない」


その身体が、さらに光へと変わっていく。


「だが、それだけではない」


ゼウリオスは眼下の世界を見つめた。


焼け焦げた大地。


崩れた都市。


それでも、瓦礫の中から立ち上がろうとする人々。


「彼らは過ちを悔い、学び、変わることができる。憎しみを知りながら愛することを選び、絶望の中でも希望を求める」


黄金の粒子が、天空へ舞い上がった。


「神々は完成された存在だ。だが、完成されたがゆえに、自らの限界を超えることができない」


その瞳に、強い意志が宿る。


「しかし、人間は違う。彼らには、無限の可能性がある」


ゼウリオスは微笑んだ。


「私は、その可能性に賭けよう」


遥か高みへ向けて、最後の言葉を紡ぐ。


「神としてではない。一人の人間として生まれ変わり、成長し、いつかあなたの前に立ってみせる」


そして、黄金の瞳に刻まれた十字が、最後の輝きを放った。


「そのとき、証明してみせよう」


ゼウリオスの口元に、静かな笑みが浮かぶ。


「あなたが滅ぼそうとした人間こそが、神々さえ超える可能性を秘めた存在であることを」


次の瞬間。


神ゼウリオスの身体は、無数の黄金の粒子となって消えた。


四大精霊の悲痛な叫びが、天空に響き渡る。


しかし、その声に応える者は、もういなかった。


ただ一つ。


消えゆく黄金の光の中から、小さな輝きが生まれた。


それは、神の魂。


幾千もの光の粒子をまといながら、ゆっくりと地上へ降りていく。


やがて、その光は人々の目に触れることなく、輪廻の流れへと溶け込んでいった。


神は消えた。


だが、その魂は滅びていない。


いつの日か、一人の人間として生まれ変わるために。


そして、千年の時を越えた約束を果たすために。


こうして、四人の大精霊は誓った。たとえ幾千の歳月が流れようとも、必ずあの方を見つけ出すと。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。