【改良ダリアン暦1年119月25日】雷とグラスハープ
「明けない夜」の間は、野外の気象観測は基本的に出来なくなる。太陽光をほぼ全て遮るほどの砂嵐で、観測出来るものがほとんどなくなるからだ。
だが、「明けない夜」だからこそ観測出来る気象現象もある。それは雷だ。
火星の薄い大気中では、普段は雷は観測されない。だが、砂嵐の旋風の中などで、ごく弱い放電光が観測されることがある。大気中に舞い上がられた微細な砂粒が互いに衝突することにより、静電気が発生するためだ。
とはいうものの、火星の雷は、地球のような大きな稲妻を発生させる程の規模にはならない。小さな閃光が一瞬光るだけだ。しかし、空全体を砂嵐が覆う「明けない夜」の間は、これが全天に亘って多数観測される。しかも太陽光が遮られているから、火星の雷の小さな放電光が、大変良く観測出来るのだ。
◇
「ほら、こんなに沢山光るんですよ。」
調査部気象・天文担当のサラザールさんが、観測カメラの映像をPCのモニターに映して見せてくれる。
「綺麗でしょ?」
うん、綺麗ですね。
外の観測カメラは砂嵐で使えないのでは?と思うかも知れないが、実は採光ドームの中には、全天を映せる魚眼レンズのカメラが設置されていて、「明けない夜」の間も雷などの撮影が出来るようになっているのだ。
サラザールさん、天空の一角をを拡大して表示させる。すると、その拡大された空の一角には、まるで星が瞬くように、多数の放電光が明滅しているのが見える。それは何だか、いつまでも見ていたくなるような美しさがあった。
「これね、普段はエレノアに解析させるんですけどね。今日はちょっと別な使い方をしてみようと思ってるんですよ。」
別な使い方?
「それは今夜のお楽しみ。」
◇
さて、今夜の「越夜祭」は、ソフィさんとセルジュさん。食料生産部としてではなく、個人での参加だ。
食べ物の屋台?と思ったらそうじゃない。
ロビーにはテーブルが幾つか並べられ、その上には水の入ったグラスが並べられていた。よく見ると、グラスの大きさは色々で、しかも大きさの順に並べられていた。
あっ。これは、あれじゃないか。
グラスハープ!
◇
意外に思うかも知れないが、リトプス1の食堂で使われるコップ類は、じつは殆どがガラス製だ。プラスチックは、マイクロプラスチックが発生して人体に入るおそれがあること、壊れた時に火星で再製造できないことから、原則として使われないのだ。
さて、ソフィさんとセルジュさんが薄いゴム手袋をしてテーブルの後ろに立つ。そして、その背後にあるロビーの大型モニターの電源が入った。
そこに映し出されていたのは、採光ドームのカメラで撮影された、火星の雷だった。
なるほどね。こんな使い方か。
◇
それから、ソフィさんとセルジュさんの演奏で、グラスハープによるミニコンサートが始まった。
バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」から始まって、ドビュッシーの「月の光」、ラヴェルの「亡き王女の為のパヴァーヌ」などが演奏された。
それは、背後のモニターで明滅する火星の雷と相まって、不思議で幻想的な空間を創り上げていた。
いや、これはすごいな。サラザールさんやるじゃん。
◇
「明けない夜」は、いま丁度半ばくらい。
あと二週間ほど、この不思議なイベントは続く。




