4.ウエディングドレス(4)
玲子に伴われて現れたのは、綺麗な脚のスラリとした若い女性だった。
「紹介するわね、ついこの間息子と結婚した七海よ。七海、こちらはここのオーナーの紗里」
「初めまして」
紗里に向かって物怖じする様子も無く、おっとりとお辞儀をする彼女に紗里も微笑みを返し頭を下げた。
「よろしくね、七海さん」
そう言った声音の柔らかさに、彼女に対する紗里の第一印象の良さが読み取れる。
「―――じゃあ、早速取り掛かりますか」
紗里の視線を合図に雪はカーテンを効果的に引いて見せた。目の前に白い衣装を纏ったトルソーが現れると、七海と呼ばれた女性は息をのんで固まった。
「あっ……!」
そしてそのまま言葉を失ってしまう。どうやらサプライズは成功したようだ。
「サイズは以前測ったものを使って貰ったの。仮縫いだから、今日は試着して補正して貰おうと思って」
「あの……これ……」
「お式はまだだけど、ウエディングドレスだけでもプレゼントしたいって玲子さんが」
「うちの息子が甲斐性なしで、なかなか式を挙げられないみたいだから、ドレスだけでも七海に着せたかったのよ」
ニコリと微笑む玲子を義理の娘である七海が見つめ返す。その幸せそうな様子を雪は敢えて目に焼き付けた。
「やっぱりお写真くらい早めに撮った方が良いわよ。年数が経つと忘れちゃうから―――実際私も結婚して十年以上経つけど、ウエディングドレス着ないままだし」
「そうなの?服を作るのが仕事なのに?」
紗里の言葉を切っ掛けに、玲子と彼女のお喋りが始まってしまった。
「……じゃあ、玲子さんのドレスも作りましょうよ、いえ、是非私に作らせてくださいっ!」
「えー、アラフィフにもなってウエディングドレスはキツイわぁ」
「玲子さんの美しさは、幾つになっても変わりません!」
すっかり一ファンに戻ってしまった紗里に、雪は溜息を吐く。普段の落ち着きは何処へやら、一旦こうなってしまったら放って置いては物事が進まないであろうと言う事を、彼女はよく心得ていた。雪は七海に歩み寄り彼女を安心させるように、笑って見せる。
「放って置いて、試着始めちゃいましょう?」
余裕を見せると七海は可愛らしくはにかみ、素直に頷いた。そして玲子に向き直り、改めてお礼を述べた。
「あの、玲子さん。本当に嬉しいです、有難うございます」
「こちらこそ、有難う。七海が私の家族になってくれて―――本当に嬉しいの。渡米前にお礼に何かしたかったのよ。さ、着て見せてちょうだい」
抱き合い微笑み合う義母娘の幸せな様子を、ボンヤリと雪は眺めていた。
彼女はすっかり玲子に気に入られ、馴染んでいる様子だった。元々玲子と知合いだったのだろうか。そう感じられるほど、親密に見える。
もしかしてあそこに立って、玲子に抱きしめられていたのは自分だったのかもしれない。そんな馬鹿げた妄想が湧き上がって来た事に気が付き、雪は頭を振ってフルリとそのイメージを振り払った。
仕事モードに入れば、妄想など入り込む隙は無い筈だと雪は思った。心をピシッと引き締め通常運転を心掛け、キビキビと待ち針を打っていく。けれども機械的に進めるその作業の一方で、玲子の義理の娘となった彼女をついつい観察してしまう自分を止める事は出来なかった。
「感じの良いお嬢さんだったわねぇ」
「そうね、優しそうな、性格の良さそうなお嬢さんよね……ちょっと大人しそうだけど」
「あら?そうかしら」
目を見開いて意外そうに問いかける紗里に、雪は頷いて見せた。
「何だか玲子さんに振り回されているように見えて。無理していらっしゃらないのかと心配になったわ」
心配と口にした台詞の、半分は本心だった。けれどももう半分は……羨望と嫉妬、それから皮肉が混じっている。自らが口にした言葉を耳にして、雪は自分の中にどうしても割り切れない気持ちが存在する事に、気が付かずにいられない。『大人しそうな彼女が無理をしているのだ』と、自分はきっと思いたいのだ。
「ふふふ、玲子さんはあのちょっと気ままで自由な処が素敵なのよ。それでいて人を見ているから無茶な我儘は言わないの。あれでもちゃーんと相手の出来る範囲を見極めて振る舞っているのよ」
紗里は何故か得意げに玲子自慢を差し込んだ。雪は彼女のファン心理の強さに、呆れたように溜息を吐く。
「玲子さんとは上手くやっているようね。でもアクが無いと言うか……押しが弱くてあんな目立つ母子とやって行けるのかと思って」
「そうねぇ、息子さんも玲子さんソックリで目を引くわよね。お医者さんって言ってたから物凄くモテそう。仕事も忙しいだろうし、お嫁さんは苦労するかもね」
同情するように紗里が口にした台詞に、雪は頷いた。
「……大丈夫なのかしら」
「うーん……」
なおも心配そうな台詞を口に上らせる雪に、紗里は腕組みをしつつ唸り。それからパッと明るい顔になって陽気に腕を広げて見せた。
「だーいじょうぶよ!」
ポンッと深刻な表情の雪の肩を叩いた紗里は、満面の笑顔で言った。
「玲子さんが付いているもの!」
「……紗里さん、玲子さん贔屓過ぎるでしょう。説得力、皆無」
「まあまあ、私達に出来るのは精一杯手を尽くして素敵な衣装を作る事だけよ!……そう言う心配は夫婦の間で解決するもの。旦那さんがちゃんとフォローするわよ」
「……」
「雪ちゃんも、結婚すれば分かるわよ。引く手あまたなんだから、そろそろ諦めて相手を決めてみたら?」
「紗里さん!揶揄わないでよ」
「要君も心配してるのよ。まあ、無理強いはしないけど!だから取りあえず今は人の家より、自分の仕事!ね、集中しましょー」
アハハと笑い飛ばされて、雪は少し恥ずかしくなった。そうだ、これは夫婦の問題―――部外者には関係の無い事なのだと。
一見サバサバして強く見える雪が、意外と神経質な処がある事を紗里は知っている。彼女はきっと『お客様の私事に立ち入るのは止めた方が良い』と遠回しに指摘しているのだろう。真正面から叱られるより、婉曲な表現で伝えられる方が少しプライドの高い雪には効果的だと彼女の上司は判断したのだ。
紗里の指摘を素直に受け取り、言葉を噤んだものの。
雪の中には納得しきれない物が浮かんでいた。
七海は紗里の予想とかなり乖離した女性だった。
外見ばかりを殊更重要視する訳では無いが、あの彼の隣に並ぶとしたら少し物足りないような印象を抱いてしまうのは、きっと雪だけではないだろう。確かにスタイルも良いし、着こなしも素敵だった。しかし少し気が弱いと言うか……こう言っては悪いが、地味な印象を受けるし目を引くようなタイプでも無く、気の利いた台詞でこちらを感心させる事も無い。若い所為だろうか?とにかく普通なのだ。凡庸とも言える。七海とほぼ同い年の彼は頭の回転が早く、雪はその点では物足りないと感じる事は一度たりとも無かった。かえって負かされたと悔しくなる事が多い位で……。
彼女は人は好さそうだが、少し素直過ぎると言うか子供っぽいような気がする。あのキラキラして魅力的な、年の割には落ち着いた彼は―――彼女と一緒にいて退屈したりしないのだろうか?
(駄目駄目、何考えているの……!)
仕立て屋が関わって良い事柄じゃない。先ほどそう紗里に釘を刺されたばかりだと言うのに。
ただ雪は少し物足りなく思ってしまったのだ。
もっと完膚なきまでに叩きのめして欲しかった。
彼の妻である七海は、感じが良くて優しそうで―――夫の隣と言うより一歩下がって微笑んでいるような女性に見えた。そして謙虚なのか彼の惚気話などほとんど口に出さない。もっと新婚で幸せで堪らない……そんなエピソードを聞きたかった。辛くとも、自分が付け入る隙などまるで無いのだと―――彼は幸せに、元気に暮らしているのだと知らしめて欲しかったのに。七海は雪がさり気なく話題をその方面に振っても「いえいえ」とか「いやいや」とか照れたように誤魔化すだけだった。
『不完全燃焼』
―――それが今の雪には、最も相応しい言葉に思えた。