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きらめきステージは、放課後の屋上で  作者: 明石竜


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第一話 屋上で出会った、星耳のきゅるる

 放課後の教室で、わたしはスケッチブックを机の上に広げていた。

 描いているのは、星を散らしたステージ衣装。ふわっと広がるスカートに、夜空みたいなレース。

 本当は、こんな服を着て、スポットライトの下に立ってみたい。

でも、その気持ちは誰にも言えない。

 わたしは星岡みらい。市立天見坂あまみざか中学校の一年生。肩にかかる黒い髪を、いつも低い位置で一つに結んでいる。歌もダンスも得意ではない、教室のすみで絵を描いているだけの地味な女の子だ。 

「ルナ、今日もきら☆あまの練習?」

「うん。新しい振り、まだちょっと不安だから」

明るい声に顔を上げると、野月ルナちゃんが友だちに囲まれていた。肩の上で揺れる明るい茶色の髪と、大きな目がよく目立つ。笑うと、その場までぱっと明るくなるような子だった。

放送委員会が運営する、この学校の配信企画「きらめき☆あまみ」、通称「きら☆あま」で歌ったり踊ったりしているクラスの人気者だ。

わたしとは、ぜんぜん違う世界にいる子。

そう思って、スケッチブックを閉じた。

「みらいちゃん、今日の絵もかわいかった」

 隣の席の青井ひなのちゃんが、小さな声で言った。肩より少し短い黒髪に、細い銀色の眼鏡をかけている。いつも静かに本を読んでいて、話すときも声を張ることはほとんどない。 

「え、見てた?」

「ちょっとだけ」

恥ずかしかった。でも、ほんの少しだけうれしかった。


帰り支度をして席を立った、そのときだった。

開いていた窓から、強い風が吹きこんだ。

机に置いていたスケッチブックのページが、ぱらぱらとめくれる。

「あっ」

一枚の紙が抜け落ち、窓の外へ飛び出した。

紙は廊下を滑って、窓の向こうへ飛んでいった。

 あの衣装スケッチだ。今日いちばん丁寧に描いた、星のワンピース。

 わたしは駆け出した。紙は廊下の窓から飛び出し、校舎の外の風に乗って、くるくると上へ上へと舞い上がっていく。おかしい。あんな紙切れが、こんなに高く飛ぶなんて。

 それでも追いかけた。だって、あれはわたしが一番好きな絵なんだから。

 息を切らして階段を上り、三階、四階と駆け上がって――気がつくと、立ち入り禁止の看板の前に立っていた。

 屋上への扉だ。錆びたドアには「関係者以外立入禁止」と書かれた紙が貼ってある。でも、ドアは少しだけ開いていた。隙間から、あのスケッチがフェンスに引っかかっているのが見えた。風でひらひらと揺れている。

 わたしは少し迷った。でも、スケッチブックのあの絵は、ひなのちゃんに少し見られただけで、ほかの誰にも見せたことがなかった。もし誰かに拾われたら――特に先輩とか先生とか、どこかの誰かに見られたら。

 ……それはもっと嫌だぁ~。 

 意を決して、ドアを押した。

   ☆

 屋上は、思っていたよりずっと広かった。

 グラウンドがずっと遠くに見えて、夕焼けが空を橙とオレンジのグラデーションに染めていた。金木犀の香りみたいな、あたたかくて少し寂しい匂いが漂っていた。

 そしてわたしは、屋上の中央に古いステージがあることに気づいた。

 金属のパイプで組まれ、もう何年も使われていないのかもしれない。さびが浮き、後ろに下がった布もくたびれている。

 でも、誰かがそこに立つための形だけは、ちゃんと残っていた。

 紙を拾おうと手を伸ばしたとき、後ろから声がした。

「おそいきゅる」

 びっくりして振り向いた。

 いた。

 ステージの端、さびた手すりの上に、小さな生き物がちょこんと座っていた。

 リスより少し大きくて、フェネックみたいに耳が大きい。でも、その耳はふたつの星を頭にのせたような形をしていた。大きな耳がぴくりと動くたび、星の先も小さく揺れる。

 体よりも大きなふわふわのしっぽは、先だけが淡く光っている。首には小さなリボン型のベルがついていて、動くたびに、ちりんと音を立てた。毛並みは全体的に淡いクリーム色で、夕焼けの中では綿菓子みたいに見えた。

 かわいい。

 でも、しゃべった。

「ずっと待ってたきゅる。やっと来たきゅる」

「えっ」

「えっ、じゃないきゅる。みらいでしょ。星岡みらいきゅる」

 わたしの名前を知っている。

 変な動物が、わたしの名前を知っている。

どうして? いつから?

そもそも、しゃべる動物に名前を知られているときは、誰に相談すればいいんだろう。担任の先生だろうか。たぶん違う。

 頭がうまく働かなくて、立ったまま固まっていると、その生き物はのそりとステージから飛び降りて、わたしの足元まで歩いてきた。小さな手でわたしの落としたスケッチを器用につまんで、差し出してきた。

「ほら。これ、大事なものきゅる?」

「あ、……うん。ありがとう」

 受け取りながら、声が震えているのが自分でも分かった。

「おちついて、みらい。きゅるるは怖くないきゅる。むしろかわいいきゅる」

「自分で言うんだ……」

「事実はちゃんと伝えるきゅる」

「…………」

「もっと感動するきゅる」

 その一言がなんだかおかしくて、わたしは思わず笑ってしまった。

 それを見て、その生き物――きゅるる、と名乗ったそれは、満足そうにしっぽをふった。

   ☆

「きゅるるは、きらめきナビきゅる」

 ステージの端に並んで座りながら、きゅるるはそう説明した。

「きらめきナビ……?」

「女の子の中にある”好き”とか”なりたい”とか”伝えたい”を、ステージのきらめきに変える仕事きゅる。昔から、この屋上にいるきゅる」

「昔から……?」

 きゅるるはちょっと偉そうに胸を張った。

「ぼくがいるから、このステージは今もちゃんとあるきゅる。感謝するきゅる」

 わたしは古いステージを見た。使われていない。でも、確かにそこにある。

「このステージで、何かあるの?」

「あるきゅる」

 きゅるるはわたしのスケッチを指さした。

「みらいが描いたこれ、見てたきゅる。ずっと見てたきゅる」

 思わずスケッチを胸に引き寄せた。

「見てたって……」

「恥ずかしがらなくていいきゅる。落書きじゃないきゅる。これ、みらいの”なりたい自分”きゅる」

 その言葉が、どこかに刺さった。

 なりたい自分。

 この服を着て、ステージに立っているわたし。でも、そんなの夢の中の話で、現実のわたしは教室のすみに座っているだけで――。

「逃げなくていいきゅる」

 きゅるるはまっすぐわたしを見ていた。小さな目が、オレンジ色の夕暮れを映してきらりと光っている。

「好きなものを持ってるのに、隠してるのは、もったいないきゅる」

「でも、わたしなんか……」

「”わたしなんか”ってどういう意味きゅる?」

 うまく答えられなかった。

 きゅるるは少し間を置いて、はっきりと言った。

「ステージは、うまい子だけのものじゃないきゅる。好きな気持ちがある子のものきゅる」

 その言葉は、それまで誰にも言ってもらったことのない言葉だった。

 お母さんもお父さんも、何かを否定したことはない。でも、ステージに立ちたいなんて話したことがないから、励ましてもらったことも当然なかった。

ひなのちゃんは「かわいい」と言ってくれた。でもそれは絵に対してで、ステージに立つわたしについてじゃない。

 好きな気持ちがある子のもの。

 わたしにも、好きな気持ちはある。

 星がちりばめられた夜空みたいな衣装。リボンと小さな飾り。ライトを浴びて光る布地。歌いながらくるりと回ったら、スカートのすそが広がって――そういうステージを、ずっと夢の中で思い描いていた。

「見せたいきゅる?」

 きゅるるの声で、我に返った。

「……え?」

「そのスケッチの衣装。誰かに見せたいと思ってるきゅる?」

 正直に答えようとして、でも怖くなった。

 でも、きゅるるの目を見ていたら、なぜか嘘をつけなかった。

「……思ってる、かも」

「じゃあ見せるきゅる」

 きゅるるは立ち上がり、ステージの方へと歩いていった。わたしは思わずあとをついていく。

 古いステージの前に立ったとき、きゅるるは小さな手をパンと叩いた。

 その瞬間、ステージに光が灯った。

   ☆

 それは電気の光じゃなかった。

 なんていうか、星の光に近かった。小さな、やわらかい、青白い光がぽつぽつと浮かびあがって、ステージ全体をやわらかく包んでいく。くたびれていた垂れ幕が、ゆっくり左右に開いて、中から現れたのは、ちゃんとした舞台だった。磨かれた木の床。横に並んだ小さな照明。

 口が開いたまま閉まらなかった。

「きゅるるの案内がなかったら、ステージは開かないきゅる」

 きゅるるは偉そうに言ったけれど、今はその偉そうさが少しも気にならなかった。

 光の中で、なにかがゆっくりと形を作り始めていた。

 空中に、糸が現れた。

 金色の細い糸が、くるくると集まって、束になって、布になって――気がついたら、それはわたしのスケッチにあったドレスそっくりの形になっていた。淡い夜空色のワンピース。スカートのすそには小さな星の飾り。胸元のリボン。袖口のレース。

 全部、わたしが描いたとおりだった。

 でも、紙の上の絵とは違った。

 本物だ。ちゃんと、手で触れる布でできている。

「どうぞ、みらい」

 きゅるるの声は偉そうなままだったけど、なんだかすこしだけやさしかった。

 わたしは震える手を伸ばして、そのドレスに触れた。

 やわらかくて、軽くて、さらさらしていた。星の飾りが、指に触れるたびにきらりと光った。

「……わたしが、描いた」

「そうきゅる。みらいの”なりたい自分”がここにあるきゅる」

 目の奥がじんとした。

 こんな服、本物になるはずがない。スケッチブックの中だけで輝けばいいと思っていた。でもここに、ちゃんとある。

 気がついたら、ドレスを抱きしめていた。

 きゅるるは何も言わずに、しっぽをゆったりと揺らしていた。

   ☆

 夕暮れが濃くなって、屋上はオレンジから紫へと変わり始めていた。

 わたしはドレスを大事に胸に抱えたまま、ステージの前に立っていた。

「みらい」

 きゅるるが、おごそかな声で言った。さっきまでの偉そうな感じとは少し違う、真剣な声だった。

「この屋上には、秘密のステージがあるきゅる。きらめきステージきゅる。放課後だけ、ここで本当のきらめきを持つ子だけが立てるきゅる」

「本当のきらめき……?」

「歌が上手とか、ダンスが得意とかじゃないきゅる。自分の本当の気持ちを、誰かに届けられるかどうかきゅる」

 わたしは、そのドレスをもう一度見た。

 自分の本当の気持ち。ずっと隠してきたもの。誰にも言えなかったもの。

「みらいには、それがあるきゅる。きゅるるには分かるきゅる」

「……でも」

「”でも”は聞かないきゅる」

 きゅるるはぴしゃりと言った。

「今日は、触るだけでいいきゅる。ただ、覚えておいてほしいきゅる。ここにステージがあることを。みらいの衣装が、ちゃんと光ることを」

 そう言って、きゅるるはもう一度小さな手を叩いた。

 光が強くなった。

 ドレスが、わたしの手の中でふわりと浮かんだ。そして、ゆっくりと――わたしの体に、自然に、重力に従うようにそっと、まとわりついてきた。

「え、えっ」

反射的に両手を上げた。何をどうすればいいのか分からない。服に着られる、という経験は人生で初めてだった。たぶん、これから先もそう何度もない。

「落ち着くきゅる」

「服が勝手に着せにきてるのに、どうやって!?」

「みらいは立っていればいいきゅる」

 落ち着けない。でも、気がついたら、ドレスはわたしが着ていた。

 自分の手を見た。袖口のレースが揺れている。スカートのすそが、風に広がっている。胸のリボンが、夕陽を受けてきらりと光っている。

 本当に、わたしが描いた服を、わたしが着ている。

「えっ……これ、わたしが描いた服?」 

「そうきゅる」

 きゅるるはそれだけ言って、ぐるりとわたしを見回した。

「似合ってるきゅる。ちゃんと、みらいの服だったきゅる」

 その言葉に、今度こそ本当に、目から何かがあふれそうになった。

 誰にも言えなかった。誰にも見せられなかった。

 でも、ここには夢の中みたいな場所があって、わたしの描いた衣装が本物になって、それがちゃんと似合ってるって言ってもらえた。

 屋上の風がやわらかく吹いて、スカートのすそが揺れた。

 遠くに、学校の校舎が見えた。あの中に教室がある。あの中でわたしは毎日、スケッチブックを隠して座っている。

 でも今は、ここにいる。

 ライトの下じゃなくても、夕暮れの光の中で、ちゃんとステージの前に立っている。

「また来るきゅる?」

 きゅるるが聞いた。

 わたしは少し考えて、うなずいた。

「……うん」

「よしきゅる」

 きゅるるは満足そうに、大きなしっぽをぱたぱたと揺らした。

 その夜、わたしはスケッチブックを開いた。

 新しいページに、さっきのドレスをもう一度描いた。でも今回は、それを着ている自分の姿も描き加えた。ステージの上に立っている、小さなわたしの絵。

 まだ怖い。まだ自信はない。

 でも、あのドレスはちゃんとわたしに似合っていた。

 それだけは、本当のことだ。

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