婚約破棄もの 後編
学友たちとの午後のひととき、公爵令嬢カグヤ・シロガーネは剣の稽古で乾いた喉をカフェテラスの紅茶で湿していた。年頃の娘たちの話題といえば、流行のファッションに新たなスイーツの情報。そして恋の噂話。そうした軽い話題に耳を傾けるだけで、いつもカグヤは微笑むばかりであった。
それもそのはず、カグヤは第一王子の婚約者なのだから。学友たちから離れ剣の稽古に明け暮れるのも、いざというとき将来国王たる者を敵の刃から守らんがため。その一心で『旦那芸』と笑うことができぬくらいまでに鍛え上げたのだ。
その王子が、カグヤたちが囲む卓の前に立った。傍らには、近頃王子の心を射止めんとウロチョロしていると噂のある、子爵令嬢もいた。
「公爵令嬢カグヤ・シロガーネ! そなたとの婚約を破棄する!」
王子の言葉に、カグヤは『なにを言っておるのだ?』としか思わなかった。
「その方は余に真の愛を教えてくれたポニョ子爵令嬢フニョリに対し、様々な嫌がらせをしてきたと聞き及ぶ!」
なんのことやら、まったく見に覚えがなかった。しかしフニョリがカグヤに話しかけるときは、いつも森の小動物のように小刻みに震え、何かに怯えているようですらあった。
王子がカグヤの罪状とやらを読み上げ始めた。
「ひとつ、校舎裏にフニョリを呼び出し、嫌がらせの数々を行ったこと!」
……校舎裏?
確かに『呼び出された』な。王子さまと別れて下さいとかなんとか、のたまっておったような。それはそれは必死の懇願。瞳を一杯の涙でうるませて、いじらしくも可愛らしい姿であった。
とはいえ私も将来国母となる覚悟を決めた身。フニョリにその覚悟を確認し、王子さまの盾となることをやくそくしてもらっただけのこと。そういえばフニョリ、何に怯えていたのか私とめを合わせると一気に泣き出してしまったな?
何故であろう?
「そして陰湿にもフニョリの外履きを隠し嫌がらせしたこと!」
そうそう、王子の盾となる。御覚悟ならば、靴なぞなくとも逆立ち歩行で帰るくらいの鍛錬が必要というもの。手が汚れるというのであれば拳で立つべきだ。それも嫌ならば指立ちで帰ればより鍛えられるというもの。常在道場、剣を極めたくんば、常なる鍛錬こそ近道。うむ、我ながらあれは良いヒラメキであった。
「挙げ句の果てには拷問まがいに痛めつけて苦しめたこと!」
うむ、フニョリはよく耐えよく忍び私との稽古についてきたものだ。そしてフニョリは知っている。泣くのであれば土俵の稽古、砂にまみれてそれで泣け。そうでなければ勝って泣け。それが将来の国母というものだ。
いや、待て。そういえば王子にはそのような稽古をつけたことが無かったな。これは迂闊であった。私としたことが。すでに近衛兵団にも騎士団にも稽古相手がいなくなった我が身としては、なにとぞ王子より一手の御指南を授からなくては。
「王子……王子は常に国とともにある御身分……その御覚悟はございますかな?」
「も、もちろんである!」
ならば稽古の申し出、断りますまいな。
カグヤは席を立った。王子が追って沙汰を申しつけるとかなんとか言っているが、カグヤをどうこうできる者など、この国にはもういないのだ。
そんなことよりも今は、王子との稽古に胸踊らせるカグヤであった。
「まずはスクワット素振り三千回で身体を暖めてだ、やはり基礎は大事だな。あれが一番地味でキツい……たっぷりと汗を流そうではないか、王子」
足取りは軽やかに、王子の手習う道場へと向いていた。
泣くは稽古で、笑うは勝って。カグヤ・シロガーネ座右の銘であった。




