謎
彼女の名前を忘れた。
最近、一緒に歩いている彼女の名を。
大して興味は無かった。彼女が付いてくるなら付いてくれば良い。それだけのことに、名前など再び聞く必要があるのか?
レンを想う--レンの死に囚われたままのセレンに、彼女の名前など、どうでも良いことだった。
それが、とても悲しい事であることも、セレンは知らなかった。
森の中は静かだ。
だが、今日はおかしなほど静かだ。
雲ひとつない青空からさんさんと降り注ぐ陽光を受けてなお、森に生命の音は一つとしてなかった。
その中を、2人の少女は歩く。
同い年に見える2人の少女は、まるで普通の友達のように歩いていた。ただ、その少女の1人は青年の死体を抱えて歩き、そして、2人ともかなり離れて歩いていた。
「…なんか、不気味ですね。せっかくの快晴なのに、こう静かじゃなぁ…」
死体を持たない方の少女、ベルチカはぼやく。
そのぼやきに、もう片方の少女、セレンは霧氷のような表情で答えた。
「確かに、嫌いです。こういうのは。…またあれを見るのかな」
「あれ?」
「死骸ですよ、動物の」
「あぁ〜…犬?猫?」
「熊ですけど。ちなみに名前はスロイネ」
「熊…というかスロイネって…」
ベルチカがボソリと呟いた言葉に、セレンは気付かない。
「あれはおかしかったんですよ。あれは生き物の体では無かったんです、どう考えても。…銀色のお腹が、生き物のお腹な訳がないんです」
「一体何ですかそりゃ…」
「まあ、そうですよね。見れば分かります」
彼女達なりに他愛のない会話をポツポツと話し、彼女達は歩く。
ベルチカの疲れた表情と対照的に、セレンの顔や白髪混じりの金髪には、疲労の色は全く無かった。ただ、その表情は、むしろ何も考えていないようだった。
ここ数日、彼女達は、ある目的地を目指して歩いている。それはレンと直接的な関係は無いが、セレンにとって、結構な重要度を持っているようだった。
事の始まりはこうだ。
『呼ばれている気がする』
ベルチカが旅(?)に同行するようになってから数日後、セレンはそう言った。
『呼ばれた?ってまた何に?』
ただでさえ言うことが曖昧なセレンだが、脈絡なく全く意味不明なことを言うのは初めてだった。
セレンが言うには、遠く離れた所、それも見たことのない場所のことが、頻繁に頭に浮かぶのだと言う。まるで、ここに来いと強く迫るように。
ベルチカは無視して良いんじゃないかと思っていたが、結局セレンに頼まれ(態度こそ全く人に物を頼む態度ではなかったが)行くことになった。お人好し…かどうかは知らないが、自分の押しの弱さというものを密かに後悔した。
そして、それから今に至るわけだが、あれから数日経ってなお、目的地に至るどころか、エーアストからすら出られていない。もっとも、人目に付かない所を通っているのだ。その意味では、数日程度では、エーアストは通り抜けられない場所だった。
「大丈夫です。もう結構近づいてますよ」
最近は、現在地からの距離まで頭に浮かぶらしい。
「そうでないと困ります。いつまでこんな調子で続くんですか」
「さあ…見つけたらまた元に戻るでしょう」
「…いや、聞いているのでなく」
それを言い終わる前に、セレンがいきなりよろめく。倒れそうになるのを、かろうじて踏みとどまった。
「…?」
セレンが足を止め、キョロキョロとあたりを見渡している。何故か、玉のような汗をかいている。
「だ…大丈夫?」
背中を撫でようとして、直前で手を引っ込める。つくづくこの「力」は鬱陶しいものだな、と思った。
「…いや、ちょっと変な感じがして…」
「?…はあ…」
ベルチカはそれ以上は追及しなかった。奇妙な沈黙の中、足音だけが聞こえていた。
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一瞬、凄まじい量の何かが。歩けなくなるほどの量の何かが、セレンの頭を駆け抜ける。
目眩と頭痛が、一瞬動けない頭に猛烈に割り込んできた。それを無視して、セレンは周囲を見渡す。セレンは、何か漠然とした、大きな不安を感じた。
その感覚が、「あの日」の感覚と--レンが死ぬ少し前の、あの女と出会った時の感覚と、全く同じだったからだ。
まさか、また?
セレンは、その不安を拭い去れない。
また、私は何か大切なものを失うのか?
失うものなどもう無いじゃないか。そう思っていても、不安は消えない。
ふと、目の前の少女を見つめる。少女は、ただ困惑のみを、その表情に浮かべていた。
この少女が?名前も覚えていない、この少女が?まさか。
その不安から逃れるように、セレンは再び歩き出す。そして、少女と共に見てしまった。
「あの女」が--死人のような白い肌を持つあの女が、離れた所に立っているのを。
「な…」
「え…誰あれ」
その声も耳に入らず、セレンは走り出した。
女はあの時のように歩き出した。そして、やはりあの時のように、距離は縮まらなかった。セレンは、無我夢中で走った。
走れと。止まるなと。追いつけと。
走れ。走れ。走れ。
何かが暴れ出す。
走れ。走れ。走れ。
全てを正視させられる。
『構うな。走れ。』
頭にいくつもの記憶がフラッシュバックする。
静寂の森。
スロイネの死骸。
ボロボロのレン。
振り下ろされる直前の刃。
飛び散る血。
レンの死。
『力』
あの女。
血濡れの家。
ズタズタの本。
母の表情。
し。死。シ。
まただ。何かがまた頭を駆ける。
しまった記憶が曝け出される。
忘れた感情が暴れ出す。
知らない思いが蘇る。
落ち着け。
忘れろ。
走れ。
死ね。
『幸せなくせに』
『私と代われ』
『何で私が』
『ああああ』
「自分」と大地とレン以外の全てを壊せる『力』は、いちばん消したいものを消すことが出来なかった。
だから、ひたすらセレンは走った。
そして--
セレンは、森の奥の、洞窟のような場所の前で、足を止める。
目の前の女が、足を止めていたからだ。
こちらを向かない女に、セレンは近寄ろうとした。
その瞬間。
女の姿が、一瞬で消えた。走ったのでも崩れ落ちたのでもなく、一瞬で消えた。
驚きで動きを止めるセレン。直後、目の前の洞窟の奥で大きな音がした。それは、セレンに、『入れ』と言っているようだった。
セレンはレンを洞窟の前に置いて、洞窟に入った。なんとなく、誰かを一緒に入れてはいけない気がしたからだ。
足を踏み入れた瞬間、岩でできているはずの洞窟の入り口が閉まった。
それを深く考えず、セレンは先に進む。
そして、セレンは「そこ」に辿り着いた。同時に、そこが数日間、探していた場所だと気付いた。
そこには、管のいくつもついた、大きな鉄塊--セレンは機械などという言葉を知らなかった--が並んでいた。
そして、その側で、あの女が立っていた。
金髪混じりの白い髪。青い片目と、色のないもう片方の瞳。死人のような白い肌。
その女は、ほとんどラプスの時と同じ姿で、笑っていた。そう、髪の色以外は、何もかもが一致していた。
「来ないのかい?ラプスの時のように。君は人一人余裕で殺せるだろう?」
女は挑発的に笑う。
この女は、何故そんなことを笑って言うのだろう。
セレンは、数日前から思っていた疑問の、その答えをそのまま口にした。
「それで殺せるなら、あの時に殺せているでしょう。」
女は嘲るように笑った。
「ハハ、君でも流石に分かるか。まあ、家にあれほど本があればね」
そう。ラプスで、セレンはこの女に掴みかかっている。
そう。あの時、セレンはこの女に「触れた」のだ。一定距離に近づいたのではなく。
なら、何故あの時この女は死んでいないのだ?
その考えを見透かしたかのように、女は言う。
「ま、考えたって、今の君じゃ分からないよ。今の君じゃあね」
セレンは、不気味なものを感じた。ここは、危険な真実。その一端を、間違いなく持っている。
「提供してあげよう。答えと、新たな謎を」
女は不敵に笑った。
お久しぶりです。kadomaです。
何とか、2章一話間に合いました。
活動報告に書いた通り、私用により2〜3ヶ月ほど執筆投稿が出来ません。
何とかそれまでに投稿しておきたく、何とか間に合いました。
執筆のサポートをしてくれた友人のN君に感謝です。
次本編を投稿出来るのは…そうですね、用事も定期考査もひと段落ついた後になりそうです。
それまで、気長にお待ちいただければ幸いです。
それでは、さようなら。次に手が触れ合う時まで。




