33 お師匠様の術を継ぐ?
家の外の壁に背をあずけ、腕を組んでイェンは口の端に煙草をくわえていた。
済んだ夜の空気に、ゆっくりと吐き出された煙がゆらりと揺れながら星空へとのぼっていく。しばし、その煙を目で追っていたイェンは、ふっと笑ってうつむく。
さらりと前髪が頬に落ちる。
月明かりがイェンの端正な顔を照らす。
垂れた前髪の下で笑むイェンの表情は、どこか寂しそうにも見えるのは気のせいか。
「お師匠様?」
ツェツイの呼びかけに、イェンはうつむいた状態で顔を傾けた。
背中に両手を回し、どうしたんですか? という仕草でツェツイが首を傾げて立っていた。
「あいつらと遊んでたんじゃないのか?」
「……お師匠様の姿が見えなかったから、どこに行ったんだろうって思って。お邪魔しちゃいましたか?」
いや、と言ってイェンはくわえていた煙草を指先で挟む。しかし、そこでツェツイはあ、と声をあげた。
「消さなくていいんです。あたし、お師匠様の煙草吸ってる姿見るの好きだから。指先とか仕草とかきれいで、大人っぽくて色っぽくて、見てると胸がどきどきします」
「変わった奴だな。普通は嫌がるぞ」
「お師匠様のはいやじゃないです。ずっと、見ていたいです」
消さなくてもいいとツェツイは言ったが、そうはいかない。
イェンは煙草を地面に捨て足の先で消した。もちろん、吸い殻は後で拾ってきちんと始末するつもりだ。でなければ、アリーセに殴られる。
家の中から、また負けた! もう一回だっ! とマルセルの叫ぶ声と双子たちの笑い声が聞こえてくる。
ツェツイはくすっと笑った。
「何だ? あいつ、ずいぶん楽しそうだな」
「マルセル、すっかりカードゲームに夢中になってる。それに、ノイとアルトともすっかり仲良し」
最初はカードゲームなんてあまりやったことがないからと、あまり乗り気ではなかったマルセルであったが、半ば双子たちに無理矢理つき合わされているうちに、すっかりはまってしまったらしい。そして、ここでもマルセルの負けず嫌いが発揮されているようだ。 手加減なくこっぴどく負かされては、しつこくもう一度と繰り返すマルセルに、双子たちは笑いながらつき合っていた。
これはマルセルが勝つのが早いか、双子たちがおねむになってしまうのが早いか。
すっかりもう遅い時間だ。
もしかしたら本当にマルセルは泊まっていくつもりか。
そして、彼らの横では葡萄酒の瓶を握りしめ、アリーセがテーブルに突っ伏して眠っていた。その目に涙をにじませて。
よほど寂しいのだろう。
ツェツイを笑って見送ると言った本人が泣き崩れ、おまけに酔って眠ってしまうとはどういうことだと呆れもしたが、こちらはまあ、朝になればいつものように、けろっとしているだろう。
「明日だな」
「はい」
明日、いよいよツェツイはディナガウスへと旅立つ。
この数週間は荷造りやらディナガウスの〝灯〟への移転の手続きなどやらで慌ただしく日々が過ぎていった。
それこそ、余計なことを考える暇もないくらい、めまぐるしく。
「まだ不安か」
「少しだけ」
「そうか」
けれど、向こうに行ってしまえばそんな不安を抱く暇もなくなるほど忙しくなるであろう。
まだ簡単ではあるが、少しずつ〝灯〟での仕事も任されるようになった。
やりたいこと、やらなければいけないことは山ほどある。
「身体壊すなよ」
「はい」
「仕事や勉強、魔術の研究もいいが、ちゃんと友達もつくれよ」
「はい」
「それから……」
イェンは思わず苦笑する。
さっきアリーセに心配しすぎと言ったが、心配しすぎなのは自分の方ではないかと。
ツェツイと〝灯〟の裏庭で初めて出会い、師匠になってくださいと突拍子もないお願いをされてから数ヶ月。よもや、そのツェツイが魔術の国ディナガウスに行くことになろうとはその時はまったく予想もしなかった。
イェンはそっとまぶたを閉じた。
緩く首を振って再び目を開ける。
「ツェツイ」
「はい?」
「こっちに来い」
呼ばれてツェツイは歩み寄り、イェンの数歩手前で立ち止まった。
イェンはもっと側に来いと腕を伸ばしてツェツイの手首をとり、自分の元へ引き寄せた。 前のめりに倒れかけそうになったツェツイだが、何とか踏みとどまる。
「前に、合格祝いにもっといいもんをくれてやると言ったのを覚えてるか」
「はい、覚えてます。何かなって、ずっと気になってたんですが」
あの時、それは何ですか? と聞き返してきたツェツイに、イェンは今はまだ秘密だと言ってはぐらかしてしまった。
「俺はこういう性格だから、攻撃系の術が得意だろって回りから誤解されることが多いが……」
「あたしも、お師匠様のことをよく知る前はそう思ってました」
「専門は回復だ。いや、だった……といった方が正しいか」
イェンはいったん言葉をきる。
落ちる静寂。
風に揺れ側の木々がさわさわと音をたてる。
「お師匠様?」
「だけど、今はその回復系の魔術は使えない。何ひとつな」
ツェツイは視線を落としてしまった。
イェンは昔、魔道士として絶対にやってはいけないことをやってしまったと言った。そして、そのせいで〝灯〟によって魔術の一部を封じられたと。
それはそのことと関係があるのか。
ツェツイの手首をつかんだ手を、イェンは自分の胸へと持っていく。
強く押しつけるように。
「あの……あの……」
頬を赤く染め、驚いて目を見開くツェツイに向けられたイェンの目は真剣であった。その真剣な黒い瞳に見つめられ、ツェツイは口を閉ざす。
「全部おまえにくれてやる。どうせ俺には使うことができないからな。回復系を得意とするおまえなら、覚えて損はねえものばかりだ」
「え?」
「俺がおまえにしてやれる最後の師匠らしいことだな」
「あの! 待ってください!」
「本当はちゃんと教えてやりたいところだが、使えないんじゃ教えることもできない。だから、俺の記憶の底から引き出していけ。おまえなら出来るだろ? そっくりそのまま、すべて持っていけ」
「引き出す? 引き出すって、お師匠様が使っていた術をあたしが引き継ぐということですか?」
「そうだ。ただし」
と、言ってイェンは厳しく眉根を寄せた。
「その中のひとつに、おまえを驚かせてしまうものがある」