32 マルセルと仲直り
「え? マルセル……どうして?」
マルセルもまた、いきなりツェツイが現れるとは予想もしていなかったのか、不意打ちを食らったような顔で立ち尽くしている。
「……明日、ディナガウスに旅立つって聞いて……おまえの家に行ってもいなかったし、だから、もしかしたらここにいるかもって思って、来てみたんだ……」
何とも歯切れの悪いマルセルの口調に、ツェツイは首を傾げる。
「このままずっとお別れってのも、何か嫌な気分だったから」
「ずっと? あたし、いずれここに戻ってくるつもりだけど……」
「そうは言っても、いつ戻ってくるかわからないんだろ!」
「そうだけど……」
ディナガウスにはどのくらい滞在するかまだはっきりとは決めていない。
魔道士として上を目指すため技術を高め、さらに、医師の資格を得るため勉強するのだ。おそらく、そう簡単にはこちらに戻ってくることはできないだろう。
その覚悟でディナガウスに行く決意をした。
「謝りたいと思ってたんだよ。その、いろいろと……悪かったって思ってる」
まさか、マルセルからそんなことを言ってくれるとは思わなかったツェツイは、驚きに目を見開いた。
ツェツイ自身もマルセルのことが気になっていたから。だけど、嫌われているとわかっていながらマルセルに近寄るのはためらいがあって……結局、マルセルとはあの試験の日以来、一言も会話を交わすことなく日々が過ぎ、旅立ちの日を迎えてしまった。
「おまえにいろいろと嫌がらせをしたり……意地悪なこと言ったり、試験の時も……ほんとうにごめん。謝ってすむことじゃないってわかってるけど、許してくれなくていいんだ。そのくらい僕はひどいことをしてしまったから。だけど、一言だけでも謝りたいと思いながら今日になってしまって……僕〝灯〟に入ったばかりなのに、僕よりもずっと年下なのに、どんどん上に昇っていくおまえに嫉妬してた。今思えばすごく大人げなかったって反省してる。それと、ルッツは、あいつはただ僕に従ってただけだから関係ないんだ。だから、あいつは悪くないから」
ツェツイはううん、と首を振る。
「あたしの方こそごめんね。あの時、マルセルのこと叩いちゃって」
「顔の傷……僕がひっかいたところ、治ってよかった」
「あのくらい平気。何でもないよ」
「……とにかく謝ったからな! じゃあな!」
と、背を向けようとして、マルセルはもう一度ツェツイに向き直る。
「それと!」
ポケットから何やら小さな紙切れを取り出したマルセルは、それをツェツイの目の前に突きだした。
「ディナガウスに僕の従姉妹がいる。おまえより少しだけ年上の女の子で、僕と違っておっとりした性格の優しいやつだ。おまえのこと話したら、会えるのを楽しみにしてるって。そいつは魔道士じゃないけど、魔道士の友達もたくさんいるから紹介するって言ってたし、ディナガウスの町のこととかいろいろ教えてあげるって。どうせおまえ、あっちに知り合いなんてひとりもいないんだろ。これは、そいつの住所を書いたやつだ!」
照れ隠しなのか、マルセルは乱暴に言ってふいっと、横を向いてしまった。
「……」
「別にいらなければいいよ!」
なかなか紙切れを受け取ろうとしないツェツイに、マルセルは怒ったような口調で手を引っ込めようとする。
「待って! 違うの。あたしびっくりして、マルセルがあたしのために……すごく嬉しくて、ありがとう」
にこりと笑みを浮かべるツェツイを見たマルセルは、ふんと鼻を鳴らす。けれどその顔は、余計なことをしてしまったのではと不安に思っていたところもあったので、素直にツェツイが喜んでくれたことにほっとして嬉しそうであった。
そこへ、二人の様子を見に来たアリーセが奥の部屋から現れた。
「あら、ツェツイのお友達?」
途端、マルセルの肩から鞄がとさっと地面に落ちた。
「マルセル? どうしたの?」
落ちた鞄を拾い、ツェツイはマルセルを見上げる。しかし、マルセルは現れたアリーセに釘づけになったまま顔を真っ赤にさせ硬直している。
ツェツイは拾った鞄をマルセルに手渡すが、渡されたた本人はもはや目の前にいるツェツイのことなど目に入ってないという様子であった。
お友達? と問いかけるアリーセに、マルセルはこくりとうなずく。
「はい……お友達です」
即座に奥の部屋から顔だけを覗かせていた双子たちが、嘘つけ! と苦笑交じりに声を揃えて言う。
もちろん、ツェツイたちには聞こえないように。
「まあ! ツェツイのお別れに来てくれたのね。えっと……」
「ぼ、僕、マ、マ、マルセルです……」
「まあ、あなたがマルセルくん。もちろん、知ってるわよ。〝灯〟でも優秀な魔道士だって有名だもの」
「いえ、優秀だなんてそんな……僕なんか、全然、まだまだ……」
さらに双子たちは顔を寄せ合いひそひそと会話をする。
「何だあいつ、ずいぶん謙遜してるぞ」
「だな。あいつってあんな奴だっけ?」
「それにしてもどうしたんだあいつ?」
アルトは何がだ? と首を傾げる。
「母ちゃん見た途端、真っ赤になって固まって」
「ああ。あいつ、母ちゃんに見とれてるんだよ」
ああ、なるほどとノイは納得してうんうんとうなずく。
「母ちゃん、若い頃はあの美貌で数々の男どもを虜にしてきた魔性の女って言われてたからな。町中の男たちが母ちゃんに夢中だったらしいぞ」
「俺もそれ聞いたぞ。たくさんの男たちが母ちゃんの魅力に骨抜きにされたってな。母ちゃんどんだけもててたんだ?」
「そういうとこ、母ちゃんに似たんだな。兄ちゃんは」
そんな双子たちの会話などよそに。
「そうだわ。マルセルくんもよかったらあがってご飯食べていきなさい」
「え! いえ……ぼ、僕は……いいです……」
マルセルは一歩足を引き両手を振って遠慮する仕草をする。
「そっか、残念。そうよね。おうちでお母さんが夕飯作って待ってるものね」
しかし、マルセルはしょんぼりとした顔でうなだれてしまった。
「いえ、帰っても……うちは両親とも仕事が忙しくて……魔道士じゃなくて、普通の仕事をしてるんですけど……あ、家にお母さんがいるときはちゃんとご飯作ってくれるんです! でも、仕事の時は……てきとうに食べてって。忙しいのに僕がわがまま言ったら……」
「そう……じゃあ、今夜は?」
マルセルはうつむいたまま首を振る。
「お父さんもお母さんも、今は出張中で」
「だったら、食べてけばいいじゃない。そうしなさい! 遅くなったら、うちのばかに家まで送らせてあげるから」
アリーセの言う、うちのばかがすぐにイェンのことだと悟ったマルセルはひっ、と引きつった悲鳴を上げる。
「そ、それだけは……け、けっこうです」
今まで散々無能だの落ちこぼれだのと悪態をついてきた相手の家にあがりこんで夕飯をご馳走になったあげく、その相手に家まで送ってもらうなど最悪だ。特に話すこともないし、いや、むしろここぞとばかりに何を言われるか。
それどころか。
『時空の狭間だ。そこに飛ばして置き去りにしてやるぞ』
つい先日言われたイェンの言葉が脳裏を過ぎる。
これはチャンスだといってその時空の狭間とやらに連れて行かれ置き去りにでもされたら……。
と、考えてマルセルは顔を青ざめさせる。
〝灯〟の魔道士マルセル十五歳、突然の失踪──
未だ行方がわからず今なお捜索は続く。
最後にマルセルと一緒にいた青年の話では……。
『え? マルセルが行方不明? さあ、俺知らねえな。確かに昨夜あいつのこと家まで送ったけどその後のことはな。ま、大方好奇心でも起こして空間移動の魔術でも使ったんじゃねえ? 未熟な〝灯〟の魔道士が行方不明になる原因のひとつだな。そういう事故けっこう多いんだよ。何にしろ、そこで迷子になったら二度とこっちの世界には戻ってこれねえだろうな。はは』
脳内で繰り広げられるマルセルの妄想はとまらず、さらに大きく膨らんでいく。
『ああ……マルセル! こんなことになるなら、あの子をひとりにさせるのではなかったわ。仕事なんて辞めて、あの子についてあげていれば。私は母親として失格だわ』
『ミリア、自分を責めてはいけない。私だって仕事ばかりで家庭をかえりみず、あの子にずっと寂しい思いをさせてしまったんだ。これは私の責任だ』
『あなた……』
『申し訳ございません。あたしが昨晩、マルセルくんを引き止めてしまったばかりに……こんなことになってしまったのもすべてあたしのせいです』
『いいえ、アリーセさん、あの子にお夕飯を食べさせてくださったと聞きましたわ。親切にしていただいて、きっとあの子もとても喜んで……アリーセさん、あり……が……』
『どうして……あたし、せっかくマルセルとお友達になれると思ったのに、こんなことになるなんて。マルセルお願い戻ってきて!』
『まあ、あの子にこんな可愛らしい女の子のお友達がいたなんて……あの子、お友達が少ないから心配していたんだけど……』
『なあ、あいつ時空の狭間で腹空かせてたりしてないかな。時空の狭間って、食いもんとか何もないんだろ?』
『昨夜うちでけっこう飯食ってたから二、三日は持つかもだな。その間に発見されて回収できればいいけどな』
『まあ……無理だろうな』
『だな。難しいだろうな』
『あんたたち何てことを! ほんとうに申し訳……っ』
ああ……僕が突然いなくなってしまったら、父さんや母さんを悲しませてしまうどころか、きれいで優しいアリーセさんにまで迷惑をかけてしまうことに……。
僕は、僕は……っ!
そこで、マルセルの妄想はぷつりと途切れた。
マルセルははっとなる。
とにかく、帰ろう。
あいつは平気で〝灯〟の掟を破るとんでもない奴だ。
あいつとかかわるのは、かなりやばい。
しかし、そんなマルセルの心情など知らずしてか、単純に遠慮しているだけだと思い込んでいるアリーセは、マルセルの腕をつかんで無理矢理家にあがらせてしまう。
「ぼ、僕は……ほんとに」
「いいから、ほら座って座って」
と、これまた強引に双子たちの間に椅子を持ってきて座らせてしまう。
双子たちに挟まれ、どうしてこうなってしまったんだと、マルセルは居心地悪そうに肩をすぼめる。そして、マルセルははす向かいに座ってひたすら麦酒を飲んでいるイェンを見てすぐに視線を外す。
その顔は、まさかこいつの家に上がり込んで一緒に夕飯を食べる羽目になるとは想像もしていなかったという顔だ。しかし、目の前のごちそうを見た途端、マルセルはうわっと声を上げ目を輝かせた。
「すごいご馳走がたくさん。おいしそうです……」
「なあ、マルセルさんは好き嫌いありますか?」
「こうみえて、母ちゃんの料理うまいんですよ」
「だから、こうみえては余計」
とアリーセは双子たちの頭を小突く。
それを見たツェツイはくすくすと肩を揺らして笑った。
初めてこの家に連れられてご飯を食べさせてもらった時と同じ状況だったから、思わず笑ってしまったのだ。
「さ、マルセルくんどうぞ召し上がれ」
アリーセはほっこりと湯気がたつマッシュルームのクリームスープをマルセルの前に差し出した。
スープを口にしたマルセルは、スプーンを握りしめ至福の表情を浮かべる。
「すごくおいしいです!」
「そう? よかった」
褒められてアリーセも嬉しそうだ。
さらに、取り分けてもらった鶏の丸焼きを頬張り、マルセルはひたすらおいしいを連発した。
「マルセルさん、これも食え。母ちゃんの作ったライ麦パンは絶品なんですよ」
アルトはパンを手づかみでマルセルに差し出した。
「……あ、ありがとう」
アルトの手づかみが少々気になったものの、まだほかほかと温かい焼きたてのパンからはこうばしい香りが漂ってきて、すぐにそんなことも気にならなくなった。
パンにぱくりとかじりついた途端、マルセルはじわりと目に涙を浮かべる。
「僕……できたてのパン食べるの初めてです。あったかくておいしい……」
な、うまいだろ? と双子たちは声を揃えて言い、アリーセは嬉しそうに次々とテーブルの料理をマルセルに取り分けていった。
「マルセルさん、遠慮なさらずたくさん食ってください」
マルセルは食事の手をとめ、両隣に座って顔を近づけてくるノイとアルトを交互に見る。
「あの、さんはやめてください。マルセルでいいですから。それとその……」
微妙な。
「敬語も……」
「どうしてだ?」
「君たちの方が、僕よりもずっと先輩ですから」
「それはまあ、そうだけど。でも、マルセルさんの方が俺たちよりずっと年上じゃないですか?」
「だけど……何となく、居心地が悪いような気がして」
「そっか、じゃあマルセルだな!」
にっと笑ってノイがマルセルの肩に腕を回してきた。
「俺たちのことも名前でいいぞ!」
反対からアルトもマルセルの肩に腕をかけてくる。
「うう……こいつら何か急に慣れ慣れしくなった気が」
「ん? 何か言ったか?」
「ちょっと顔色悪いぞ?」
マルセルは何でもないと慌てて首を振った。
「なあ、マルセルはカードゲーム好きか?」
「おもしろいんだぜ、飯食ったら遊ぼうぜ」
「僕そういうのあまりやったことがなくて」
「だったら教えてやるよ。時間大丈夫か?」
「遅くなっても安心しろ。兄ちゃんが家まで送ってやるってさ。そうだよな、兄ちゃん」
「ああ」
手にしていたグラスをことりとテーブルに置き、イェンは一呼吸おいてさらに続ける。
「送ってやるぞ」
俺でよければな、とテーブルに頬杖をつき斜めに、それも半眼で見返してくるイェンに、マルセルはスプーンを持った手を震わせる。
どうして僕は今まで気づかなかったんだ。
こいつが無能で落ちこぼれで仕事もしない〝灯〟の役立たずなんて言い続けてきたけど……それは全然違って。
それどころか、こいつ怖いよ。
もう、こいつにちょっかいだすのは絶対やめる!
やめるから、そんな意味深な目で僕をみるな!
マルセルの心の叫びだ。
「いや! だからそれだけは勘弁してくれって……っていうか、わざとか? 君たちわざと言ってるのか?」
「わざとって何がだ? マルセルってけっこうおかしな奴だよな。意外だぞ」
「もっと、刺々しくて気取った奴だと思ってたけど、ほんとうは違うんだな」
「あ、そうだ! 家に帰ってもひとりなら今日はうちに泊まってけよ」
「そうだ、それがいい! 俺たちと兄ちゃんと四人で一緒に寝ようぜ」
「だから!」
イェンが怖い、苦手だということを知っていてわざと言ってるのかそうでないのか。どちらにしろ、すっかり双子たちのペースにはまってしまったマルセルは、君たちにはかなわないよ、とぽつりとこぼした。




