31 旅立ち前夜のお別れ会
ツェツイがディナガウスへと旅立つ前日。
お別れ会と応援会ということで、ツェツイを家に呼びアリーセは腕によりをかけてご馳走を作った。
テーブルに並んだ料理は、どれもツェツイが喜んで食べた大好物ばかり。
玉ねぎのみじんぎりを入れたマッシュルームのクリームスープ。たくさんの野菜を詰め込んだ鶏の丸焼き。鮭とチーズを交互に乗せミルフィーユにしたパイ包み。ほうれん草たっぷりのキッシュ。
デザートはもちろん、ツェツイの一番の大好物、りんごのタルト。
「ツェツイ、ディアガウス行きおめでとうだな」
「寂しくなるけど、俺たち応援しているからな」
「ノイ、アルト。ありがとう。あたし頑張るね」
「だけど、頑張りすぎてまた熱だすなよな」
「熱だして寝込んだら、すぐに連絡しろよ」
ツェツイはうん、とうなずく。
「俺たちが駆けつけて」
「看病してやるからな」
双子たちが声を揃えて言う。
「ありがとう。魔術もお勉強も頑張るけど、でももう無理はしない。ね、お師匠様」
ツェツイは隣に座るイェンを見上げてにこりと笑う。イェンはふっと笑って空になったグラスに麦酒をつぎ足す。
「俺も、もっと真面目に頑張ろうかな」
「今まで、真面目じゃなかったのか?」
「まあな。そういうアルトだってそうだろ? ところで、なあ、ツェツイ」
突然、居住まいを正し、ノイが真剣な面持ちでツェツイに向き直る。
「俺、前にツェツイをお嫁さんにしたいって言ったの覚えてるか」
「うん、覚えてる」
「あれ、本気だからな」
え? と声をもらしたツェツイのフォークから、鶏の丸焼きに添えていたじゃがいもがころりとお皿の上に転がり落ちた。
「もっと魔術の腕を磨いて、学校の勉強もたくさんして、ツェツイに相応しい頼れる立派な男になってみせる。そうしたら、俺とつき合ってくれるか? 俺、ツェツイのことが好きだ」
「え! 好きって、つき合うって、えっと、あの……」
まさか、この場でいきなりノイから告白をされるとは思いもしなかったツェツイは、何て返事をすればいいのかとおろおろとする。
「ディナガウスで好きな男ができてもいいぞ。しばらく離れちゃうんだからそれも仕方がないよな。だけど、俺が必ずツェツイを振り向かせて、そいつから取り戻してみせるからな」
ツェツイは困ったようにうつむき、ちらりとイェンを見る。イェンは何やら口許にかすかな笑いを浮かべているが素知らぬ顔であった。
けれど、好きと言われて悪い気持ちもしないのは事実で、ツェツイはほんのりと頬を赤らめた。だけど、ノイが言ってたお嫁さんのことも冗談だと思っていたし、というよりも、今あらためてノイに言われるまですっかり忘れていた。
ノイのことは好きだけど、ツェツイの好きはお友達として好きであって、そういう恋愛的な感情はまったくなかったから、つき合ってくれと言われて戸惑いを隠せなかった。
「別に返事は今すぐじゃなくていいんだ。っていうか、いきなりこんなこと言われても迷惑だろうし」
「迷惑なんか……」
「いいよ。だけどこう言っておけば、ツェツイ、俺のこと忘れないだろ。ふとした時に俺のこと思い出すよな?」
確かに、そんなふうに言われてしまったら、ノイのことを意識してしまう。
「俺もツェツイのこと好きだけど、ノイみたいに積極的になれないな……」
と、ノイの横でアルトは独り言のように呟く。
それにツェツイは……と言いかけたところでノイがぴしりとアルトに向かって指先を突きつけた。
「ということでアルト!」
「何? いきなり何だ?」
「俺、ツェツイのことだけはアルトにはゆずらないぞ。俺たちはライバルだ! 俺、絶対に負けないからな!」
「え? え? ライバルって、ノイ間違えてるよ……もっと強力なライバルが他にいるのに……って、ノイは気づいてないんだ……」
と、アルトはぽつりとこぼし、ちらりとツェツイに視線を向け、そして、兄のイェンを見つめ、ため息をついてがくりとうなだれる。
そこへ、アリーセが上機嫌に見て見てー、と浮かれた足どりで二階から降りてきた。
ツェツイはほんの少しほっとする。
「ほらほら見てツェツイ、新しいコート買ったのよ。これ、ツェツイに似合うと思って」
と、ツェツイの目の前でコートを広げてみせた。
大きな丸襟に腰のあたりからふわりと大きく広がった真っ白なコートだ。アリーセにしては珍しく、可愛らしいフリルもリボンもないシンプルなコート。
着てみて、とアリーセはツェツイにコートの袖を通す。
「うわー、こんな素敵なコートいただいてしまっていいんですか?」
「もちろんよ」
「ツェツイ可愛いぞ、似合ってるぞ」
「真っ白で雪の妖精さんみたいだな」
雪の妖精とアルトに言われてツェツイは恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「でしょう? これから寒くなるし、魔術大国ディナガウスの立派な魔道士さんなんだから、きちんとした格好しないとね」
「きちんとした格好って、フードに変な耳のついたコートは普通じゃねえって自分でもわかってんだな」
すかさず、イェンが苦い笑いを浮かべて横から口を挟む。
「うるさい。変な耳じゃなくて、うさぎ耳。あれはあれでツェツイの可愛らしさが引き立つんだからいいの。いいから、あんたは黙ってな」
びしりと言い放つアリーセに、イェンは、はいはいと答えて肩をすくめた。
「ディナガウス行きはとってもおめでたいことだけれど、ツェツイが遠くへ行ってしまうのは寂しいわ。ひとりで大丈夫? いい? 変なものは食べちゃだめよ。それから、おやつくれるからって、知らない人にくっついて行ってもだめ。わかってるわね? いいわね?」
そう言って、アリーセは床に膝をついてツェツイにしがみつき、寂しい寂しいと泣き出してしまった。
「いくらなんでも心配しすぎ。何だよ、おやつくれるからって、こいつもそこまで子どもじゃねえだろ」
イェンは呆れた目でアリーセを見やる。
「ほんと? 大丈夫?」
顔を上げたアリーセは涙目でツェツイをじっと見つめる。
「アリーセさん、あたし大丈夫です。変なものなんて食べないし、それに知らない人について行ったりしません」
「いや、それはどうかな? おやつはともかく、ツェツイは素直すぎるから」
「いつの間にか騙されて、連れて行かれてしまうって可能性もあるかもだな」
「そんな……あたしの可愛いツェツイちゃんにもしものことがあったら、このあたしが絶対そいつを許さないんだから!」
「アリーセさん、何だかお母さんみたい。あたし嬉しいです」
ツェツイの言葉にアリーセの目にじわりと涙が盛り上がる。
「いいのよ。あたしのことお母さんだと思ってもいいんだからね」
「アリーセさん……お母さん……」
「ツェツイ……」
アリーセは再びツェツイに抱きつき、うわあっと泣き出した。
ツェツイもつられてぽろぽろと泣き出してしまう。
それを見た双子たちは顔を見合わせ、やれやれといった態でため息をつく。
一方、イェンはつき合ってられるかと無視だ。
「母ちゃん、酔ってるな」
「間違いなく、酔ってる」
「知らない間に、母ちゃん何杯お酒飲んだんだ?」
「兄ちゃんほどじゃないけど、かなり飲んでたぞ」
「なあ、ツェツイの真っ白なコートが母ちゃんの化粧でよごれるぞ」
「今日は笑ってツェツイを送り出そうって言ったの母ちゃんだろ?」
「母ちゃんが泣いてどうすんだよ」
「ツェツイまで泣いちゃっただろ」
なあ、とノイとアルトが二人がかりでツェツイからアリーセを引き離そうとしているところへ、玄関の扉を叩く音が聞こえた。
「……こんな時間に誰かしら」
ぐすりと鼻をすすり、アリーセは壁にかけられた時計を見上げる。
まだ遅い時間というほどでもないが、人が訊ねてくるには何事だろうと首を傾げてしまう時間だ。
ツェツイから離れ、立ち上がり玄関に向かおうとしたアリーセを、イェンは手で制して隣に座るツェツイを見る。
「おまえが出ろ」
「え? あたしですか? あたしが出てしまってもいいんですか?」
いいんだよ、とイェンはうなずく。
理由は言わない。
言わないが、イェンの口許には何やら意味ありげな笑いが浮かんでいた。
「はい。出てきます」
どうしてあたしなんだろうと、訝しみつつも、ツェツイは涙を拭きイェンに命じられるまま小走りで玄関に向かった。
「はーい、待っててください。今開けますね」
扉を開けたツェツイは驚いた表情でその場に固まってしまう。
そこに立っていたのは意外な人物。
マルセルだった。