表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/16

エピローグ

 白衣のポケットに手を入れたまま、そっと足を止める。

 調剤室から病棟へと向かう道すがら。窓越しに空を眺めれば、黄金色の木の葉がはらはらと舞い散るのが見えた。

 病院の敷地に植えられた銀杏いちょうの木々は、ここ数日で見事鮮やかにお色直しを遂げた。

 毎年目にする光景。また今年も、この季節がやって来たのだと実感する。

 あれから10年——はたして、自分はどれくらい成長できたのだろう。

「茉莉花先生!」

 物思いに耽っていると、不意に自身の名前が廊下に響いた。

 声の主は、とある少女。前方から、快活な足取りでこちらにやってくる。

 彼女は、私の担当患者だ。

「もうすっかり元気になったみたいね」

「うん。今朝、院長先生が『もう退院してもいい』って」

「ほんと? おめでとう!」

 ここへ入院してから約1ヶ月。この日、めでたく退院が決まったそうだ。

 院長という肩書きを持ちながらも、いまだ現場で患者と向き合っている彼が、OKサインを出したらしい。

「もー、嬉しくて嬉しくて。早く先生に報告したかったんだ」

「私も嬉しい。……頑張ったね」

 彼女の頭にそっと手を乗せる。すると、照れくさそうに目を瞑り、ほんのりと頬を赤らめた。今年高校に入学したばかりだということもあり、大人びた表情の中に、まだあどけなさが残っている。

 今でこそ明るく人懐こい彼女だが、入院した当初は、その心をかたく閉ざしていた。多感な年ごろゆえに悩み、苦しみ、患ってしまったのは、私と同じ病気。

 そんな彼女の担当に私を指名したのは、彼だ。

「アタシ、最初『入院』って聞いたとき、すっごく嫌だったんだけどさ……入院した病院がここで、ほんとよかった」

 あのころに比べ、歳を重ねた分、少しは成長できていると思う。だが、それよりも、彼女たちに成長させてもらっている部分のほうが、よっぽど大きい。

 つらいことも、もちろんあるけれど。

「茉莉花先生に出会えて、ほんとよかった」

 この言葉を聞くたびに。

 この笑顔を見るたびに。

「……ありがとう」

 自分の仕事がとても誇らしいと——そう、強く感じられるのだ。

「あ、茉莉花先生。303号室に、患者さんとご家族の方々が到着されました。今、院長先生とお話されています」

「はーい」

 ナースステーションへと戻る看護師さんに声をかけられた。返事をし、本来の目的地へと足先を向ける。

「じゃあね、先生。話聞いてくれてありがと」

「ううん、こちらこそ。でも、調子良くなったからって、あまり無理しちゃだめよ?」

 彼女の顔を見るかぎり、心配は無用だろうが、一応軽く念を押す。

「わかってるって!」

 これに対し、彼女は、弾けんばかりに破顔させると、手を振りながら、病室へと戻っていった。

「お大事に」

 その姿を見送り、私も自身の足を進める。

 一歩一歩確かめるように、しっかりと踏みしめながら。


 過ぎ去った日々は、生きてきた証として、生きていく糧として、色褪せることなく、今もこの胸に息づいている。

 けっして平坦な道のりではなかったし、寄り道だってした。だけど、無駄なことなんて、何ひとつなかった。

 そう思えるのは、きっと、ひとりじゃなかったから。

 彼が、隣にいてくれたから。

「失礼します」

 だから、これからも私は、


「担当薬剤師の速水です。お薬のことで、わからないことや不安なことがあったら、いつでもおっしゃってくださいね」


 前を向いて、歩いていける。



《了》


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ