王女と異国の姫たち ―王歴932年・花の月23日―
その日、王都サン・レクラの中央にそびえるリュミエール城は、二人の貴賓を迎えていた。謁見の間での儀礼を済ませると、国王であるリュシアン・ド・リュミエールは表情を更に柔らかくした。
「ではマヒル姫、ヨル姫、我が国を存分に楽しんでくだされ」
「ディアヌ、都の案内は頼みますよ。ふふ、あなたはこっそりと民に紛れるのが得意でしょう?」
王妃のクロティルド・ド・リュミエールも、微笑みながら娘のディアヌ王女を見やる。ディアヌは少しだけ頬を赤くして、
「……そ、そんなことはありませんわ、お母さま。わたくしは……」
町娘に姿を変え、ニナ・フルールという一人の女の子としてたまにひっそりと城を抜け出して遊んでいることを隠そうとした。リュシアンとクロティルドは目を見合わせて微笑みを交わすと、また愛娘に目を向ける。
「おやおや、ディアヌ、私たちは何も責めているつもりはないんだがな。魔法をずいぶん上手に使えるようになったのを喜んでいたのだが……違ったのかな?」
「……お父さまもお母さまも、お見通しだったのですね」
「ふふふ。マヒル姫やヨル姫にも、変化の魔法をお願いしますよ、ディアヌ」
「……はい」
ディアヌは素直に返事をすると、自分と同じ年頃に見える二人の貴賓に改めて向き直る。
「マヒル姫、ヨル姫。お出掛けしたいと思われましたら、わたくしをお呼びくださいね」
「ありがとうございます、ディアヌ王女」
リュミエリア王国がある大陸から海を隔てた東洋の島国からの客人は、品のある笑みを浮かべて口を揃えた。
一人はマヒル・ヒノミヤ。かの国で太陽の神の血を引くとされるという、橙色の髪をした少女だ。正装である和服を纏っている。和服には太陽を思わせる暖かい色味がふんだんに使われている。
もう一人はヨル・ツキノミヤ。姓が違うが、その辺りは王国とは異なるルールらしく、マヒルとは双子の姉妹だそうだ。かの国で月の神の血を引くという。濃い青色の髪に、静かな夜を思わせる深い青や紫を基調にした、マヒルと同じデザインの和服を纏っていた。
今回二人がリュミエリア王国を訪れたのは、文化交流のためだった。
「……ディアヌ王女がよろしければ、早速午後から街に出てみたいのですが」
マヒルが胸の前で手を組み合わせ、小首を傾げながら言う。その瞳には好奇心の光が灯っていた。
「もちろんかまいませんけど……マヒル姫もヨル姫も、長旅でお疲れではありませんか?」
「ふふ、ちっとも。道中は快適でしたし」
ヨルも微笑んでから、ねえ、マヒル、と片割れに目を遣る。マヒルもええ、と頷いた。
「それなら、昼食を済ませたら出掛けましょう。どういった場所がご希望ですか?」
「……そうですね、民の生活がよく見えるところがいいです。この国の民がどのように過ごしているのか、興味がありますもの」
「ではサン・レクラきっての賑やかな通り、リュー・ド・マルシェをご案内します。ふふ、もちろん、お二人にも変化の魔法をかけて、民になりきっていただきますよ」
二人のリクエストに、ディアヌは大切な宝物を見せるようにそう言った。
午後、リュー・ド・マルシェの入り口には、四人の少女が立っていた。
無論一人目は、ニナに姿を変えたディアヌである。王女の姿の際の淡く光る水色がかった銀髪は、赤茶色に変わっている。国民に知られているディアヌ王女の姿とは似ても似つかない。
もう一人はニナことディアヌの専属メイド、アガット。ニナが家族以外で最も気を許す人物でもある。彼女は万一の際の護衛も兼ねている。
三人目は、橙色の巻き毛とローズ色のワンピースが印象的な姿に変わったマヒルだ。街ではラシェルと名乗ることに決めた。
そして四人目が、濃い青色の長髪をショートカットへと変え、柔らかさの感じられるブルクレール色のワンピースを纏ったヨル、お忍びに使う名はレティシアを選んだ。
「さあ、いよいよここから、リュー・ド・マルシェよ。何と言っても、色んなお店が並ぶのが自慢ね。この時間は街路市は撤収しちゃってるけど……」
ニナが元気よくリュー・ド・マルシェに足を踏み入れる。様々な建物が、しかしどこかにそれぞれ少しずつ統一感を持って並んでいる。
「食料品、お菓子、それに雑貨、お花……どんなお店も揃っているわ。ラシュ、レティ、まずはどこに行く?」
「そうね、雑貨店も気になるし、お花屋さんも気になるけれど……」
「こちらの雑貨は、私たちの国のものとは異なるようですし……」
「ふふっ、そうだわ、ぜひ二人にお薦めしたい文房具店があるんだけど……」
少女たちは言葉を交わし、それぞれの個性が光る店々に目を遣りつつ、リュー・ド・マルシェをゆったり歩く。花の月の下旬になり、咲き誇る花々の香りも少しずつ落ち着いてきていた。そこに混じって、甘い香りが漂ってきた。
「美味しそうな匂い」
ラシュことマヒルが足を止め、レティことヨルも目を閉じてその香りを味わう。
「とても甘い香りね……これは?」
「きっとあっちから漂ってきてるわね。ほら」
アガットが示す先を見て、ニナも頷いた。その先にあるのは菓子店である。スペシャルティの一つが、マドレーヌだったはずだ。
「お昼を食べたところだけど……この誘惑には勝てないわ。ラシュ、レティ、それにアガット。行きましょ!」
「ええ!」
こうして四人の少女たちは、足早にパティスリーへと向かった。
店のドアを開けると、ニナたちより少し年下に見える少年が、ショーケースにタルトを並べていた。恐らく見習い職人だろう。
「こんにちは、少し見させてもらっていい?」
「いらっしゃいませ、どうぞ! ちょうど午後の追加のタルト・オ・フレーズが並ぶところですよ!」
少年は人懐っこい笑みを浮かべてタルトを示す。
「まあ、美味しそう!」
ナパージュによってつやつやと光る苺がたっぷり載せられたタルトに、四人の目は釘付けになった。
「……フレーズ、とは……苺のようね?」
「そうね、きっとそうだわ」
ラシェとレティが囁き合う。それに気付いたアガットがそっと笑みを浮かべ、小さくそうです、と頷いた。そこへ、奥の厨房から店主が出てきた。
「レッロ、それを並べ終わったら次は……おっと、いらっしゃい」
少年をレッロと呼んだ店主は、ニナたちに気付いて笑顔を向ける。
「こんにちは。マドレーヌはもう売り切れかしら?」
いつかのお忍びの際に買ったマドレーヌをぜひ東洋の姫たちにも、とニナは思ったのだが、
「すみません、お陰さんで今日も早々に売り切れちまって……今日は追加が間に合わなくて」
店主は申し訳なさそうに答えた。
「あら、それは残念……でもあのマドレーヌは本当に美味しかったから、すぐに売り切れてしまうのもわかるわ」
「そう言や、そちらのお二人さんは見ない顔だね?」
店主の目がラシュとレティに注がれる。
「えっと……隣のフロリア王国に住んでいる親戚で、こっちに遊びに来たの! 初めて!」
ニナが即座に取り繕う。東洋の姫たちの来訪は国中に知れ渡っているはずだから、このお忍びに気付かれてはならない。東洋の姫たちと王女が街を歩いているなんて知られたら大事件である。
「おお、ようこそリュミエリアへ! 楽しんで行ってくれよ! うちはマドレーヌも自慢だが、このフロランタンも自信作だ。そうだ、ぜひ試食してみとくれ!」
店主が言うと、試食用に小さくカットしピックが刺されているものを、素早くレッロが用意した。
「ありがとう、いただきます」
「いただきます」
口々に言って、ニナたちはそれを味わう。四人の少女たちの瞳が一斉に輝いた。
「まあ!」
「これはとても美味しいわ。この……上の、かりっとして甘くてほろ苦い……」
ラシュとレティ、つまりマヒルとヨルの国に、このお菓子は存在しなかった。
「ヌガティーヌというの」
アガットが小声で言うと、レティは頷いた。
「そうなのね! それに木の実の味わい……素敵だわ」
「じゃあ、タルト・オ・フレーズを四つ、フロランタンを200グラム……ラシュ、レティ、他に気になるものは?」
「……あの、丸い小さなお菓子はなあに?」
「マカロンね! 二種類とも四つずつ、お願いします」
「ありがとうございます。レッロ、頼むぞ」
「はい!」
レッロが手早く簡易包装を終え、会計を済ませたニナたちは二人に見送られて店を出た。
「ふふ、もうこの街が――この王国がとても素敵なところだってわかったわ」
「本当に」
ラシュとレティ――マヒルとヨルが口々に言うのを、ニナことディアヌとアガットは嬉しそうに、そして誇らしく聞いている。
「さあ、まだ午後は始まったばかり! 他にも気になるお店、どんどん行くわよ!」
ニナが明るく言うと、ラシュとレティも元気に頷いた。王女と姫たちを見守るアガットも目を細め、四人は再び歩き始めた。優しい陽射しが祝福のように降り注いでいた。




