スピンオフ①:『星屑とピザの約束』
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【00】アムネシア外観
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【01】いおりとゆめ
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【02】いおりとゆめ(幼少期)
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【03】いおり
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【04】ゆめ
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【05】ユウリ
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【06】セシリア
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【07】ステラ
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【08】リナ
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【09】ラヴァ
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【10】すず
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【11】もか
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【12】オールキャスト
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第一章:雲の上の目覚め、あるいは透明な深呼吸
そこは、あまりにも「静か」だった。
アムネシアの深部で絶えず鳴り響いていた排気ファンの重低音も、精密機器が刻む無機質な電子音も、そして何より、自分の肋骨の裏側で四六時中暴れていた、あの焼けるような結晶病の疼きも。
すべてが、嘘のように消えていた。
「…………あれ?」
ステラは、ゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど深い、透き通った「青」だった。アムネシアのホログラムが映し出す、どこか白んだ擬似的な空ではない。吸い込まれそうなほど高く、どこまでも続く、本物の空。
ステラは、おそるおそる自分の手を見つめた。
不気味に浮き上がっていた銀色の血管も、皮膚を突き破ろうとしていた硬い結晶の萌芽も、どこにもない。そこにあるのは、温かな光を透かす、柔らかで健康な少女の肌だった。
「……痛くない。いたくないよ、ユウリ!」
弾かれたように飛び起きると、足の裏に触れたのは冷たい金属の床ではなく、ひんやりとしていて、けれど柔らかな、真っ白な雲の絨毯だった。
ステラは思わず、その場でぴょんぴょんと跳ねてみる。身体が羽毛のように軽い。かつては一歩歩くたびに肺が潰れるような苦しさに襲われていたのが、今はどれだけ動いても、胸の奥には清涼な空気だけが満ちていく。
「すごいや。あ、もしかして私……死んじゃったんだ」
その自覚は、驚くほど唐突に、そして軽やかに訪れた。
悲しいというよりは、長年着ていた重たくて窮屈なコートを、ようやく脱ぎ捨てた時のような解放感。
ステラはくるりと一回転して、広大な空を見渡した。
「……でも、困ったな。あっちには、まだ私の大好きな『親友』と『お母さん』が残ってるのに」
ステラは、雲の端っこに駆け寄って、下界を覗き込んだ。
遥か遠く、霧の向こう側に、豆粒のように小さく、けれど見覚えのある銀色の施設――アムネシアが、孤独な墓標のように立っているのが見えた。
あの中には、今も眉間に深いシワを寄せて、私の不在に戸惑っているであろう親友がいる。
そして、統括者という仮面の下で、一人震えているはずのお母さん(セシリア)がいる。
「もう、二人とも。私がいないと、すぐ暗い顔するんだから」
ステラは、ぷくっと頬を膨らませて苦笑した。
身体は自由になったけれど、心の後ろ髪を引くのは、残してきた二人のことばかり。
彼女は雲の上にぺたんと座り込み、透明な瞳を凝らして、地上の物語を追い始めた。
「よし、決めた。ここで、二人がちゃんと『美味しいもの』を食べるまで、見守っててあげる。それが、私の最後の任務だもんね!」
ステラは、誰もいない青空に向かって、元気いっぱいに宣言した。
彼女の新しい「放課後」が、今、黄金色の光の中で幕を開けた。
第二章:鉄の仮面と、ひだまりのクイズ
天国の柔らかな雲に寝転びながら、ステラは目を閉じた。
目を閉じれば、今でもはっきりと鮮明に思い出せる。あの、少しだけカビ臭くて、けれど二人だけの体温で満たされていた、アムネシアの「秘密基地」の匂いを。
「ユウリ、ユウリ! 見て、この図鑑!」
回想の中のステラは、無機質な検査室の床に図鑑を広げ、身を乗り出していた。
隣で端末を操作していたユウリは、ぴくりとも動かずに冷たい声を出す。
「……ステラ、今はバイタルチェックの時間よ。静かにしなさい」
ユウリ。ステラの唯一の親友。
彼女はいつも、アムネシアの「教育係」という分厚い鉄の仮面を被っていた。眉間に深いシワを寄せて、感情を殺した機械のような声でステラを律する。けれど、ステラは知っていた。ユウリの指先が、ステラの痩せた腕に触れるとき、いつも壊れ物を扱うように微かに震えていることを。
「だって、これ見てよ。外の世界には『ピザ』っていう魔法のご飯があるんだって! チーズがね、びよーんってどこまでも伸びるの。すごいでしょ?」
「……ただの加熱調理された食品の一種よ。論理的でない空想はやめなさい」
「えー、ユウリは夢がないなあ。ねえ、約束して。いつか外に出られたら、ユウリが私にピザを焼いてくれるって。あ、コーンはたっぷりね!」
ユウリは一瞬、入力を止めた。
長い沈黙のあと、彼女はステラの方を見ようともせずに、消え入りそうな声で呟いた。
「……私が焼くなんて、保証できないわ。でも……もしそんな日が来たら、あなたが食べ飽きるまで用意してあげる」
「やった! 指切りだよ、ユウリ!」
ステラは強引に、ユウリの細い小指に自分の指を絡めた。
ユウリは困ったように、けれど拒むことなく、その小さな熱を受け入れてくれた。
(……あの時のユウリ、耳まで真っ赤だったっけ)
天国のステラは、思い出してクスクスと笑った。
ユウリは不器用で、真面目すぎて、ステラの運命を誰よりも悲しんでいた。だからこそ、ステラは決めていたのだ。自分がもし、この約束を直接叶えられなくなっても、ユウリには絶対に「あの味」を知ってほしい、と。
「ユウリ、あの子……いおりには、ちゃんと私の言葉、伝わったかな」
ステラは、いおりに託した「ピザの約束」という名の魔法を思い出す。
あれは、残される親友と、ずっと孤独だったお母さん(セシリア)を繋ぎ止めるための、ステラなりの「宿題」だった。
「ユウリは意地っ張りだから、誰かにきっかけを作ってもらわないと、一生あのシワシワな顔のままだもんね。……頑張ってね、いおり。私の最高に可愛い親友を、よろしくね」
ステラは、空の境界線から、再び地上の物語に意識を向けた。
そこには、ステラがいなくなってから、ますます心を閉ざし、暴走へと突き進もうとするユウリの、危うい背中が映っていた。
第三章:天国の窓、嵐の予兆
天国の雲は、ステラの心の動きに合わせて形を変える。
今は少しだけ灰色に翳り、地上の光景を映し出す巨大な水晶球のようになっていた。ステラはその「窓」に身を乗り出し、食い入るように下界を見つめている。
「……あちゃあ。ユウリ、またそんな怖い顔して」
窓の向こう側、アムネシアの制御室では、ユウリがかつてないほどの剣幕で指示を飛ばしていた。
ステラという「愛すべき例外」を失った彼女の心は、凍りついたまま暴走を始めている。規律と管理。それだけが、親友を失った空虚を埋める唯一の手段であるかのように、彼女はシステムを、そして自分自身を追い詰めていた。
「だめだよ、ユウリ。そんなに自分をいじめたら、せっかくの綺麗な髪がパサパサになっちゃうよ」
ステラは窓の表面を指でつつく。指先が触れた場所から波紋が広がり、今度はセシリアの姿が映し出された。
統括者の私室で、セシリアは崩れ落ちるように椅子に深く沈み込んでいた。その手には、かつてステラが贈った不器用な折り紙の花が握られている。
「お母さんも……。そんなに悲しまないで。私、今はこんなに元気なんだよ? ほら、逆立ちだってできちゃうんだから!」
ステラは雲の上で器用に逆立ちをして見せたが、もちろん地上の二人にその姿は届かない。
セシリアの瞳からは、静かに、けれど絶え間なく涙が零れ落ち、折り紙の花を濡らしていた。アムネシアを統べる冷徹な女王の姿はどこにもなく、そこにはただ、娘を喪った、壊れそうなほどに孤独な「一人の母親」がいるだけだった。
「もう、二人とも。私がいないとすぐこれなんだから。……いおり! ゆめ! 早く、あの子たちを止めてあげて。私の代わりに、うんと怒って、うんと抱きしめてあげて!」
ステラは、祈るように両手を組んだ。
物語はいよいよ、いおりたちとユウリ、セシリアが激突する運命の局面へと向かっている。
それは一見すると悲劇的な対立に見えるけれど、ステラの目には、それが「新しい関係」へ脱皮するための、苦しくも必要な産声のように見えていた。
「……いおり、信じてるからね。私の魔法、ちゃんと使ってね」
ステラは、窓の向こうで激しく火花を散らす戦いを見守りながら、自らの胸に手を当てた。
かつて自分がユウリと交わした「約束」が、いおりという依代を通じて、凍てついたアムネシアの心臓部へ届こうとしている。
「頑張れ、みんな。……もう少しで、美味しい匂いがしてくるはずだから」
ステラは、嵐のような激動を見つめながら、じっとその時を待っていた。
絶望の先に、自分が願った「黄金色の奇跡」が待っていることを、誰よりも信じているのは、この空の上の特等席にいる彼女だった。
第四章:大成功のレシピ、黄金色の食卓
天国の窓にへばりつくようにして、ステラは身を乗り出した。
地上の嵐が去り、静寂が訪れたシェルターの中。そこには、かつてアムネシアを震わせていた絶望の残滓はどこにもなかった。
「……あ、火がついた! ユウリ、頑張って!」
ステラは、雲の上で両手を握りしめ、ユウリの不器用な手つきを応援した。
かつて「鉄の仮面」を被り、冷徹にステラを管理していた親友。そのユウリが今、眉間にシワを寄せながら、真っ白な粉にまみれて生地を練っている。隣では、あのお母さん(セシリア)が、不慣れな手つきで野菜を切っていた。
「……ふふっ。お母さん、危なっかしいなあ。でも、ユウリがちゃんとフォローしてる。すごい、二人で一緒に作ってるんだ」
ステラの瞳が、喜びでキラキラと輝き出した。
やがて、シェルターの中に香ばしい、暴力的なまでに食欲をそそる匂いが立ち込める。小麦が焼ける匂い、とろけたチーズの芳醇な香り、そして、甘いスイートコーンの湯気。
「きた……! 私の、魔法!」
ユウリが焼き上げた大きな黄金色の円盤が、テーブルの真ん中に置かれた。
いおりが、ゆめが、もかが、そしてユウリとセシリアが。かつては傷つけ合い、敵対していた彼女たちが、一つの皿を囲んで、恐る恐る、けれど確かな期待を込めて手を伸ばす。
「見て見て! チーズが……びよーんって! ほら、ユウリ、私が言った通りでしょ?」
もかが持ち上げた一切れから、黄金色のチーズがどこまでも長く、途切れずに伸びていく。それは、ステラがかつて夢想し、ユウリに熱っぽく語った通りの光景だった。
いおりが一口、咀嚼する。
ユウリが、熱さに驚きながらも、その味を噛み締める。
セシリアが、瞳を潤ませながら、娘が願った「外の世界の味」を喉に流し込む。
「大成功だよ……っ! 完璧だよ、ユウリ、お母さん!」
ステラは雲の上で、ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。
誰一人欠けることなく、みんなが同じものを食べ、同じ「美味しい」という感情を共有している。
ステラがいおりに託した「ピザの約束」という小さな種が、過酷な戦記の終着駅で、こんなにも温かな、黄金色の花を咲かせたのだ。
「……ねえ、ユウリ。約束、ちゃんと守ってくれたんだね。……ありがとう、私の最高の親友」
ステラは、窓の向こうで少しだけ照れくさそうに笑い、けれど幸せそうにピザを頬張るユウリの姿を、愛おしそうに見つめた。
彼女たちの喉を通り、血肉となっていくその熱は、ステラが遺した最大の愛そのものだった。
「これで、もう安心だね。みんな、もう大丈夫だもん」
ステラは、満足感でいっぱいの溜息をつき、柔らかな雲に深く背中を預けた。
彼女が仕掛けた「最後の魔法」は、想像を遥かに超える鮮やかさで、地上の夜を黄金色に染め上げていた。
第五章:空からの贈り物、ふたりの「母」へ
天国の窓から、美味しそうな匂いまで漂ってきそうな黄金色の食卓を見つめて、ステラは満足げにうなずいた。でも、最後にどうしても伝えておきたいことがあった。
ステラは窓にそっと両手をあてて、光の粒を弾ませるように指先を動かした。それは言葉を超えた、温かな想いの断片となって、地上の二人の心に直接届いていく。
「まずは、私の最高の親友……ユウリ!」
ステラは、照れくさそうにピザの耳を齧っているユウリを見つめて、いたずらっぽく笑った。
「ユウリ、約束守ってくれてありがとう! さすが私の親友だね。でもね、今のユウリの顔、ピザの耳みたいにこんがりしてて、ちょっとだけ面白いよ? 眉間のシワ、もうだいぶ伸びてるけど、これからは『美味しいものを探すとき』だけに使ってね。ユウリが笑うと、世界がちょっとだけ明るくなるんだから。大好きだよ!」
ユウリがふと、何かに気づいたように顔を上げ、空を仰いだ。その瞳には、もう迷いも凍てついた孤独もなかった。
「そして、お母さん……セシリア様」
ステラは、慈しむようにピザを味わうセシリアに、優しく声をかける。
「お母さん、もう泣かないで。私はね、今こんなに元気で、お腹もぺこぺこなんだよ。お母さんが食べてるそのピザのコーン、実は一粒ずつ、私が天国から『美味しくなれー!』って魔法をかけておいたんだからね。だから、一粒も残しちゃダメだよ? ユウリと一緒に、これからはたくさんおかわりしてね。私、ずっと、すぐそばで見てるんだから」
セシリアが、愛おしそうに胸に手を当て、静かに微笑んだ。その表情は、かつて統括者として君臨していた時よりも、ずっと「母親」らしい、柔らかな光に満ちていた。
「よしっ! 二人とも、合格!」
ステラは雲の上で大きく伸びをした。
自分が遺した小さな約束が、二人の凍った時間を動かし、新しい家族のような絆を紡ぎ出した。それを見届けたステラの胸には、もう一片の曇りも残っていなかった。
「あーあ、私も負けてられないなあ。あっちの広場で、もっと大きいピザ・パーティーの準備が始まってるみたいだし!」
ステラは、遥か彼方で黄金色に輝く「天国の広場」を指差した。そこには、かつてアムネシアで共に過ごした、名前も知らない姉妹たちが集まって、笑いながら手を振っている。
「ユウリ、お母さん。またね! ずっと、ずっと、大好きだよ!」
ステラは最後に一度だけ、地上の食卓に向けて大きく手を振ると、弾むような足取りで光の彼方へと駆け出した。その背中には、もう重たい病の影も、隔離壁の冷たさも、何一つ残ってはいなかった。
第六章:黄金色のピクニック、またねの約束
ステラは、光り輝く雲の端に立ち、最後にもう一度だけ地上を振り返った。
シェルターの窓から漏れる温かな灯火が、荒野の闇を優しく押し返している。そこには、かつて自分が夢見た「当たり前の幸せ」が、湯気と共に満ち溢れていた。
「……うん、みんな最高にかっこいいよ!」
ステラは、満足げに鼻を鳴らした。
ユウリはもう、冷たい「教育係」じゃない。セシリアも、孤独な「統括者」じゃない。
ピザの一切れを分け合い、熱さに顔をしかめ、笑い合う。その、なんてことのない、けれどアムネシアでは決して許されなかった「ノイズ」こそが、ステラが命をかけて守りたかった宝物だった。
「さあ、私も行かなきゃ。あっちの広場で、みんなが待ってるんだもん」
ステラが視線を上げた先には、黄金色に輝く果てしない草原が広がっていた。
そこには、アムネシアの冷たい地下室で、名前も与えられずに消えていった、たくさんの「姉妹たち」がいた。
「みんないい顔してる。もうあそこには戻らなくていいもんね」
彼女たちはもう、銀色の病に怯えることも、番号で呼ばれることもない。色とりどりの服を着て、草の上を駆け回り、今は大きなテーブルを囲んで、ステラの到着を今か今かと待ち構えている。
「お待たせー! 特大のピザ、注文しておいたよー!」
ステラは、弾むような足取りで草原へと駆け出した。
一歩踏み出すごとに、彼女の背中からは透明な光の粒子が零れ、それが天国の風に乗って、地上のシェルターへと降り注いでいく。
それは、ユウリの頬を撫でる柔らかな微風となり。
それは、セシリアの心に灯る、消えない希望の火となり。
そして、いおりたちの歩む道を照らす、ささやかな星明かりとなった。
「ユウリ、お母さん。……さよならじゃないよ」
ステラは、草原の真ん中で立ち止まり、まばゆい太陽に向かって、最高に生意気で、最高に可愛い笑顔を見せた。
「また、いつか。美味しいピザを焼きながら、ゆっくりお話しようね!」
ステラの声は、青い空に溶けて、永遠の余白へと消えていった。
後に残ったのは、どこまでも続く黄金色の輝きと、自由を手に入れた少女の、軽やかな笑い声の残響だけだった。
スピンオフ①:『星屑とピザの約束』――完。
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