第一話:白銀の沈黙(サイレント・シルバー)
■ ビジュアルリンク一覧
【00】アムネシア外観
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【01】いおりとゆめ
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【02】いおりとゆめ(幼少期)
https://www.pixiv.net/artworks/143622191
【03】いおり
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【04】ゆめ
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【05】ユウリ
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【06】セシリア
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【07】ステラ
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【08】リナ
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【09】ラヴァ
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【10】すず
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【11】もか
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【12】オールキャスト
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【注意】
本作には、精神的・身体的に負荷の強い描写が含まれます。苦手な方は無理をせず、ご自身のペースでお読みください。
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第一章:隔離の庭、無声の朝
「……いおり。わたし、今日も“色”を見なかったよ」
ゆめの声は、この施設では本来存在してはいけない“音”だった。
——それでも、いおりは静かに微笑んだ。
その場所には、色という概念が存在しなかった——いや、正確には「色」が排除されるように設計されていた。四方を囲む白磁の壁は光を反射するたびに微細な粒子のような冷たさを撒き散らし、少女たちの皮膚から体温と感情を同時に奪っていく。天井を覆う強化ガラスは外界の空を模倣するための“青”すら拒絶し、ただ無影灯のような白光だけを落とす。その光は生命の証としての影を許さず、少女たちの存在を「輪郭だけの生物」に矯正していた。
午前七時。大広間には百人近い少女が整列し、無味の栄養ゼリーを口に運んでいた。咀嚼音は罪、息遣いは罰、感情は毒。アムネシアでは音は結晶病を進行させる“触媒”とされ、少女たちは自分の鼓動すら聞こえないほどに沈黙を強いられている。
——カツン。
スプーンが床に触れた瞬間、広間の空気が凍りついた。音は刃物となり、少女たちの神経を切り裂く。壇上に立つ管理者・セシリアが時計を見下ろす。漆黒の軍服は一切の皺を許さず、彼女の存在そのものが“秩序”の象徴だった。
「……三分」
その声は空気を震わせるのではなく、少女たちの脳髄に直接刻み込まれる“命令”だった。
「連帯責任です。今朝の自由時間は三分短縮。沈黙を破ることは精神の欠落。精神の欠落は結晶病を招く毒。……次はありません」
返事は許されない。少女たちはただ、恐怖を飲み込み、無味のゼリーを喉へ流し込む。
いおりは列の中ほどで、隣の年下の少女の震える手を机の下でそっと握った。その瞬間、胸の奥で何かが軋む。
(大丈夫。怖くないわ)
声に出せない代わりに指先に微かな温度を込める。だがその温度は、いおり自身の体温ではなく、彼女が必死に保とうとしている“リーダーとしての仮面”の残滓だった。
完璧でなければならない。弱音を吐いてはいけない。感情を動かしてはいけない。
(本当は、誰よりも叫びたいのは私なのに)
ふと視線を落とすと、人差し指の第一関節から先が朝の光を受けて不自然に透き通っていた。皮膚の下で結晶化した細胞が微かに光を放ち、内部で“死”が静かに進行していることを告げている。そっと親指の腹で触れてみるが、そこには自分の体温も柔らかな皮膚の感覚も存在しない。ただ、冷たく滑らかな無機物がそこに「在る」だけだった。
いおりは白いレース手袋を深くはめ直した。結晶化は誰にも悟られてはならない。リーダーである自分が崩れれば、少女たちの心も連鎖的に崩れてしまうから。
(大丈夫。私はまだ、笑える)
いおりは完璧な微笑みを浮かべた。その唇の端が凍りついた硝子のように微かに震えていることに、自分以外の誰も気づくことはなかった。その笑顔は、誰よりも強く、誰よりも脆かった。
第二章:銀色の回路
朝食後のわずかな休息時間。いおりは大広間を出ると、白磁の廊下に満ちる冷気を肺に流し込みながら歩いた。壁面に埋め込まれた照明は心臓の鼓動を模したかのように一定のリズムで明滅し、その光がいおりの影を細く伸ばしたり、断ち切ったりしていく。そのたびに胸の奥に沈殿していた疲労が、静かに、しかし確実に浮き彫りになっていった。
(……今日も、誰も泣かなかった。よかった……)
そう思った瞬間、胸の奥に鈍い痛みが走る。“泣かなかった”のではない。“泣けなかった”のだ。感情を動かせば病が進行する。泣くことすら許されない世界で、少女たちはただ静かに壊れていく。
重い金属扉の前で足を止め、いおりは深く息を吸った。扉の向こうにいる存在を思うと、胸の痛みがほんの少しだけ和らぐ。
「……ただいま」
扉を開けた瞬間、銀色の影が弾丸のように飛びついてきた。
「いおり! おかえりなさい!」
ゆめだった。その動きは、かつて見えない尻尾を全力で振っていた頃の癖がそのまま残っているかのように、無邪気で、温かく、そしてどこか懐かしい。
「今日もセシリア様、怖かった? 誰か泣いちゃった?」
「ゆめ、声が大きいわ。外に聞こえたら……」
いおりは苦笑しながら、ゆめの銀髪にそっと指を滑らせた。光を受けるたびに細かな粒子のように煌めくその髪は、触れた指先に微かな温度を残し、いおりの心の奥に沈んでいた緊張をゆっくりと溶かしていく。ゆめは、いおりが八歳の時に亡くしたチワワの魂を核に作られた人工生命体。“病の身代わり(レセプター)”として与えられた存在。けれど、いおりにとってはそれ以上の意味を持っていた。
「平気だよ! 私がいれば、いおりの“痛いの”は全部私が食べてあげるんだから!」
ゆめは勢いよくいおりの手袋を外した。露わになった指先は、朝よりもさらに透明度を増していた。皮膚の下で細かな亀裂が光を反射し、まるで氷の彫刻が呼吸しているかのように脈動している。
「……いくよ。共鳴、開始!」
ゆめの瞳が変化した。虹彩が獣のように細く鋭くなり、瞳孔の奥で銀色の光が脈打つ。次の瞬間、二人の間を銀色の電子回路のような光が奔り、空気が微かに震えた。
「っ……あ……!」
いおりの脳裏を、焼けるような熱が駆け抜けた。指先に血が通い始めると同時に、針で刺されるような鋭い痛みが走る。それは、凍りついた末端が無理やりこじ開けられる、あまりにも暴力的な“生”の証明だった。血色が戻るたびに、いおりの脳裏では何かが軋み、ひび割れ、削られていく。一方で、ゆめの腕には結晶化が進行していた。パキ……パラ……と、細かな結晶片が剥がれ落ち、床に小さな火花のような音を立てる。その一つ一つが、ゆめの寿命の欠片であることを、いおりは知っていた。
「……ゆめ、もういいわ。これ以上は、あなたの身体がもたない」
「いいの……」
ゆめは笑った。その笑顔は、いおりの胸を締めつけるほど眩しかった。
「だって、私がいおりの身代わりでいられる間だけ、私はこうして“人間”の格好でいられるんだもん。……いおりに忘れられちゃったら、私、ただの土に戻っちゃうでしょ?」
その言葉は冗談のように軽く放たれた。けれど、その奥に潜む恐怖は、いおりには痛いほど伝わった。
(ゆめ……あなたは……)
ゆめは、いおりの“記憶”に依存して存在している。いおりがゆめを忘れれば、ゆめは存在の根拠を失う。それは、ゆめ自身が最も恐れていることだった。
「いつか、病気が全部治ったらね」
いおりは、ゆめの額に自分の額をそっと合わせた。その距離は、誰よりも近く、誰よりも遠い。
「“身代わり”じゃなくて、本当の家族になりましょう。ゆめが、ゆめとして笑える場所で」
ゆめの瞳が揺れた。犬としての記憶と、人としての願いが交錯する、あの独特の揺らぎ。
「……うん。絶対だよ。約束!」
その瞬間、部屋全体を震わせるような重低音の警報が鳴り響いた。
『——警戒レベル3。地下第三階層にて、感情濃度の異常上昇を確認。結晶獣が発生しました』
セシリアの冷徹な声が続く。
『いおり、ゆめ、ユウリ。直ちに武装を換装し、迎撃地点へ。沈黙の終わりです。“仕事”を始めなさい』
いおりはゆめの手を握り返した。沈黙の朝は終わった。これから始まるのは、少女たちが“生き延びるために”払う代償の時間だった。
第三章:記憶の断片と禁断の味
武装換装室へ続く回廊は、まるで巨大な肺の内部のように、冷たい金属の匂いと微かな振動を孕んでいた。壁面に埋め込まれた照明が規則的に明滅するたび、光は床に落ち、少女たちの影を細く伸ばし、また縮める。そのリズムは、これから誰かが死ぬかもしれないという事実を淡々と刻む心拍のようだった。いおりとゆめのブーツが硬質な床を叩き、その音が回廊の静寂に吸い込まれていく。
カン、カン、カン。
その音は、沈黙の朝とは違う種類の緊張を孕んでいた。「これから戦場へ向かう」という現実が、音の一つ一つに重く沈殿している。角を曲がった先、壁に背を預けていた少女が顔を上げた。ユウリ。漆黒の戦闘服に包まれた身体は細いのに、どこか獣のような緊張感を纏っている。左目を覆う眼帯の奥からは抑え込んだ熱が微かに漏れ、周囲の空気を陽炎のように揺らしていた。
「——遅いわよ、二人とも」
その声は刺々しいが、棘の奥にあるのは怒りではなく、焦燥と恐怖だった。
「ごめんね、ユウリちゃん! いおりの指を治してたら——」
「ふん。いおりも、いつまで“完璧なリーダー”を演じてるつもり?
その自己犠牲ごっこ、見てるこっちが吐き気するわ」
言葉は鋭い。だが、いおりには分かっていた。ユウリは怒っているのではない。“誰かが壊れる未来”を、誰よりも早く嗅ぎ取ってしまうだけなのだ。
いおりは静かに息を吸い、ユウリの視線を正面から受け止めた。
「……ユウリちゃん、行きましょう。セシリア様が待っているわ」
「チッ……わかってる」
ユウリは舌打ちし、歩き出す。その背中は細く、しかし折れそうなほど張り詰めていた。
いおりはその背中を見つめながら、胸の奥に引っかかっていた“匂い”を思い出した。
「ねえ、ユウリちゃん」
「……何よ」
「さっき、セシリア様の部屋の前を通った時……微かに香ったの。焦げた小麦の匂いと、古い紙の匂い」
ユウリの足が止まった。空気がひと呼吸ぶんだけ凍りつく。
「……また、ステラの遺品を整理していたのかしら」
その名を聞いた瞬間、ユウリの肩がわずかに震えた。眼帯に隠されていない右目には、怒りとも悲しみともつかない光が宿る。
「……あの子、言ってたのよ。いつか外に出られたら、焼きたてのピザを食べたいって」
その言葉は、ユウリの胸の奥にずっと刺さっていた“棘”だった。
「チーズが伸びて……コーンが弾けて……そんなくだらない話を、何度も何度も……」
ユウリの声が震える。それは怒りではなく、喪失の震えだった。握りしめた剣の柄には、彼女の魔力が過熱して生じた銀の霜が薄く降りていた。焦燥が、彼女の身体そのものを“燃料”として焼き始めている証だった。
いおりはそっとユウリの隣に立つ。
「くだらなくなんてないわ」
ユウリが顔を上げる。いおりは静かに続けた。
「私たちは、誰かのために死ぬ“聖女”になるために戦うんじゃない。……明日、そのピザを笑って食べるために戦うの」
ユウリは一瞬だけ目を見開き、そして小さく笑った。
「……ジャンクな未来がお似合いね、私たちには」
その笑みは、涙をこらえるためのものだった。ユウリの吐息だけが、凍てつく回廊の中で唯一“温度”を帯びていた。ステラが語った熱々のチーズの記憶が、彼女の胸の奥でまだ消えていない証だった。その瞬間、前方の防壁が轟音とともに跳ね上がった。銀色の霧が吹き荒れ、地下階層から冷たい風が流れ込む。
戦場の匂いだ。
いおりはゆめの手を握り、ユウリは剣の柄を握りしめた。沈黙の朝は終わった。これから始まるのは、少女たちが“生きるために”払う代償の時間だった。
第四章:共鳴の戦場
地下第三階層へと向かうエレベーターは、まるで巨大な棺桶のように、三人の少女を沈黙の底へと運んでいた。金属の箱の内側には呼吸音すら吸い込むような圧迫感が満ち、いおりはゆめの手を握りしめたまま閉ざされた扉を見つめていた。その掌の温度だけが、いまの自分が“まだ人間である”という証明のように思えた。
(……また、誰かが“あれ”になった)
胸の奥が冷たい鉛のように沈む。恐怖ではない。諦念でもない。もっと厄介な、慣れと麻痺が入り混じった“鈍い痛み”だった。エレベーターが停止し、重い扉が横に滑る。
——銀色の霧が、爆ぜた。
「っ……!」
ゆめが反射的にいおりの前へ飛び出す。霧は皮膚に触れた瞬間、微細な結晶の粒となって弾け、空気中に散った。その粒子が光を反射し、視界全体が淡い銀色の靄に染まる。
地下第三階層は、もはや施設の面影を失っていた。壁は結晶に飲み込まれ、天井からは鍾乳石のように巨大な結晶柱が垂れ下がり、床には無数の亀裂が走っている。その隙間から漏れ出す脈動する光は、まるでこの階層そのものが“生きている”かのようだった。
「……最悪ね。ここまで侵食されてるなんて」
ユウリが舌打ちし、眼帯の奥を押さえる。彼女の左目は結晶病の進行を抑えるために封じられているが、戦闘時にはその封印が逆に“力”として暴れ出す。
「ユウリちゃん、無理はしないで。あなたの左目は——」
「黙りなさい。あんたに心配される筋合いはないわ」
ユウリは吐き捨てるように言い、剣の柄を握りしめた。その手は震えていた。怒りでも恐怖でもない。“思い出”が疼いているのだ。
——ズズ……ッ。
銀色の霧が渦を巻き、空間が歪む。霧の中心から、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
結晶獣。
多眼の獣のような輪郭。人間の腕のようなものが複数本、異様な角度で生えている。表面は無数の結晶片で覆われ、光を反射して不気味に明滅していた。だがその奥底には、かつて“誰か”だった痕跡が微かに残っているように見えた。
「……っ、また大きい……!」
ゆめがいおりの背中にしがみつく。その瞳は恐怖で揺れていたが、同時にいおりを守ろうとする強い意志も宿していた。結晶獣が口を開いた。
——ギ……ィィ……ア……。
壊れたレコードのようなノイズに、少女の悲鳴の残響が混じっていた。それはかつてここにいた“誰か”の最後の感情の欠片だった。
イヤモニから、セシリアの冷徹な声が響く。
『作戦開始。……いおり、ユウリ。“光”を見せなさい』
その声は、少女たちを“兵器”として扱う者の声だった。
いおりは深く息を吸い、ゆめの手を握り返した。
「ゆめ、行くわよ」
「うん……! いおりを守るためなら、なんだってできる!」
二人の足元から銀色の茨のような回路が地面を這い回り始めた。共鳴器が起動する。いおりの瞳から光の粒がこぼれ落ちる。それは彼女の記憶の断片——昨日読んだ本の結末、幼い日の夕焼け、母の手の温もり。大切なものほど強いエネルギーに変換されていく。
「……っ……!」
脳が焼けるような痛みが走る。頭蓋の奥で、大切な写真が一枚ずつ破り捨てられていくような、取り返しのつかない喪失感が脳髄を焼いた。
「顕現せよ……『銀色の回路』!」
光の奔流の中から、いおりの右手に巨大な銀の剣が現れた。その刃は結晶獣の体表と同じ“銀”でありながら、まったく異なる輝きを放っていた。
ユウリの周囲には数十本の銀の短剣が浮遊し始める。彼女の感情の振れ幅に呼応して、短剣は高速で回転し、空気を震わせた。
「ハァッ!!」
ユウリが先陣を切る。弾丸のような速度で結晶獣の懐へ飛び込み、短剣の嵐を叩き込む。
「痛い? 苦しい? ……私もよ!!」
眼帯の奥から溢れる涙を振り払いながら、ユウリは叫んだ。その叫びは怒りではなく、喪失の痛みだった。
いおりは大剣を構え、ゆめとのリンクを通じて身体能力を極限まで引き上げる。
「いおり、右! 隙があるよ!」
ゆめの鋭い直感が結晶獣の核の位置を捉える。二人の感覚が完全に同調し、一つの殺戮回路として完成される。
「——切り裂け!!」
いおりの一閃が空間ごと結晶獣を断ち切った。銀色の血が火花のように飛び散り、怪物の咆哮が地下階層を震わせる。
だが、結晶獣は即座に周囲の結晶を取り込み、千切れた部位を再生させていく。
(足りない……まだ、足りない!)
いおりは奥歯を噛み締めた。より深い記憶を。より大切な感情を。自分という“人間”の核を、さらに燃やさなければならない。
「ユウリちゃん、合わせて!!」
「言われなくても……!」
ユウリの短剣が一斉に収束し、結晶獣の胸部へ向けて一直線に飛ぶ。
「私は……まだ……ステラと約束を果たしてないんだから!!」
その叫びは、銀色の霧を切り裂く光となった。
第五章:忘却の代償
いおりの喉から、少女とは思えない咆哮が迸った。その声は痛みと恐怖と、そして“何かが剥がれ落ちる感覚”が混ざり合い、人間の声帯が本来出すべきではない音へと変質していた。大剣の柄を握る指先から銀色の回路が血管のように浮き上がり、皮膚の下で光が脈動し、筋肉の動きに合わせて蠢く。その光は、いおりの身体そのものが“人間”から“兵器”へと書き換えられていく過程を、残酷なほど鮮明に映し出していた。
「いおり、ダメ……! これ以上は、あなたが“あなた”じゃなくなっちゃう……っ!」
ゆめの叫びは震え、ひび割れ、必死にいおりを現実へ引き戻そうとしていた。だが、いおりの耳にはもう、ゆめの声が遠くにしか聞こえなかった。
(……なにかが……薄く……なる……?)
脳裏で、微かな“ひび割れ”の音がした。昨日まで大切に抱いていた記憶の輪郭が、薄い膜のように揺らぎ、霞んでいく。母の手の温もり。幼い頃に見た夕焼けの色。好きだった本の結末。どれも“まだ思い出せる”。だが、その輪郭が、ほんの少しだけ曖昧になっていた。
(……やだ……消えないで……)
胸の奥に、筆でなぞった跡だけが残り、肝心の色が抜け落ちたキャンバスのような空白が広がる。その白さに触れた瞬間、息が止まるほどの寒気が背骨を駆け上がった。
「いおり!!」
ユウリの叫びが響いた。彼女の周囲では数百の短剣が銀色の円環を形成し、その中心でユウリ自身が燃え尽きる寸前の炎のように揺れていた。
「見なさいよ……ステラ……! 私、こんなに強くなったのよ……!」
眼帯の奥から溢れ出す魔力が黒い筋となって頬を伝い、皮膚を焼きながら滴り落ちていく。黒涙が地面に触れた瞬間、小さな爆縮が起こり、床に黒い穴が穿たれた。ユウリの“正義”は、もうとっくに壊れていた。残っているのは、“ステラの代わりに生きなければならない”という呪いだけ。
「消えなさい……! 私たちを閉じ込める、この醜い世界ごと!!」
ユウリの短剣が結晶獣の胸部を貫き、核が露わになる。
「いおり!! 今よ!!」
いおりは大剣を握りしめた。
(……まだ……私は……私だ……! 忘れてない……忘れてない……!)
自分に言い聞かせるように、いおりは最後の力を振り絞った。
「最終出力——『銀色の回路』!!」
閃光が結晶獣の核を貫き、銀色の爆縮が空間を飲み込んだ。轟音が収まると同時に、いおりの身体は糸が切れたように崩れ落ちた。右手に握られていた大剣は砂のように崩れ、銀色の粒子となって空気に溶けていく。
「いおり!!」
ゆめが駆け寄り、いおりの身体を抱きとめた。いおりの瞳は揺れていた。焦点が合わず、何かを探すように彷徨っている。だが——まだ、光を失ってはいなかった。
「……ゆめ……?」
掠れた声で呼ぶ。その声には、確かに“いおり”がいた。ゆめは涙をこぼしながら、いおりの手を握りしめた。
「よかった……! いおり……!」
いおりは微かに笑った。だが、その笑みの奥に、“何かを忘れかけた恐怖”が静かに沈んでいた。
(……さっき……何を……思い出そうとしたんだっけ……?
どうして……胸がこんなに冷たいの……?)
何かを忘れかけた。
でも、何を忘れかけたのかが、もう思い出せない。
その気づきが、いおりの胸を、静かに冷やしていった。
第六章:残響と空白
地下第三階層に満ちていた銀色の霧が、いおりの一撃による爆縮で一瞬だけ引き裂かれた。だが、その静寂は祝福ではなく、何かが剥がれ落ちた後に残る“空白”だった。いおりの肺は焼けた鉄粉を吸い込んだように軋み、呼吸のたびに胸郭が悲鳴を上げる。右腕に走る銀色の回路はまだ戦闘の余熱を帯びて脈動し、その光はもはや“人間の血流”ではなく、兵器としての出力回路のそれに近かった。
(……なにか……落ちた……?)
脳の奥で薄い膜が破れるような感覚がした。それは痛みではなく、喪失の予兆だった。
「いおり!!」
ゆめが駆け寄り、崩れ落ちるいおりの身体を抱きとめた。細い腕は震えているのに、いおりを支える力だけは必死に保たれている。
「いおり……! ねえ、いおり……!」
ゆめの声は確かに耳に届いている。だが、いおりの意識はどこか遠くの水底に沈んでいくように、ゆっくりと輪郭を失っていった。
(……ゆめ……?)
名前は分かる。顔も分かる。
けれど、その奥にあったはずの“何か”が、指の隙間から零れ落ちていく。
母の手の温もり。幼い日の夕焼け。好きだった本の結末。ゆめと交わした、あの約束の言葉。
どれもまだ“思い出せる”。
だが、その輪郭が、ほんの少しだけ曖昧になっていた。
(……やだ……消えないで……)
胸の奥に、ぽっかりと穴が空いている。
その穴はまだ小さく、曖昧で、形を持たない。
「いおり!!」
ユウリの叫びが銀色の残響を切り裂いた。彼女の周囲には砕け散った短剣の残骸が雪のように舞い、眼帯の奥から流れた黒い涙が頬を汚している。その黒涙が地面に落ちた瞬間、小さな爆縮が起こり、床に黒い穴が穿たれた。
「……あんた、さっき……何か……変だったわよ」
ユウリの声は震えていた。怒りではない。恐怖でもない。“仲間を失うかもしれない”という、もっと原始的な怯えだった。
いおりは答えようとした。だが、喉がうまく動かない。言葉がどこかに引っかかって出てこない。
(……何を……忘れかけたの……?)
胸の奥に、ぽっかりと穴が空いている。その穴はまだ小さく、曖昧で、形を持たない。けれど、確実に広がり始めていた。
ゆめがいおりの手を握りしめた。その手は温かい。だが、その温もりさえも、いおりの指先から滑り落ちていくような不安があった。
「いおり……? 聞こえる……?」
ゆめの声は震え、いおりの胸の奥に残った“微かな空白”と共鳴するように揺れていた。
(……大丈夫……私は……まだ……)
そう言おうとした瞬間、視界が白く揺らいだ。
『……十分よ。期待以上の出力だったわ、いおり』
セシリアの冷徹な声が、銀色の残響を踏み潰すように響いた。
『結晶獣の核は沈黙。共鳴データの回収も完了。……三人とも、帰還しなさい。次の“調整”が待っているわ』
その声は、少女たちの恐怖も痛みも、何ひとつ気にかけていなかった。まるで、いおりの喪失さえも“予定された消耗”であるかのように。
ユウリは歯を食いしばり、拳を震わせた。
「……クソッ……!」
ゆめはいおりを抱きしめたまま震えていた。その震えは、いおりの胸の奥に残った“微かな空白”と共鳴するように、細かく、痛々しく揺れていた。
いおりはゆっくりと立ち上がった。足元が揺れ、視界が揺れ、世界そのものが薄い膜越しに見えているようだった。
(……何かを……落とした……)
その感覚だけが、確かに残っていた。
——少女たちが手に入れたのは、世界を守ったという“正義”と、
——いつか必ず何かを失うという恐怖だけだった。
銀の塵が舞い続ける地下階層で、三人の影だけが静かに揺れていた。
第一話:白銀の沈黙--完
最後まで読んでいただきありがとうございます。
本作は、私が初めて手がけた完全オリジナル小説です。
前作の二次創作で大切にしたテーマ――記憶、喪失、それでも誰かのそばにいようとする意志――を、
今度は自分自身の言葉で書き直したいと思い、筆を執りました。
AIとも対話を重ねて設定を練り上げた結果、本編・スピンオフ・回想を合わせて全31話という構成になりました。第一話はその入り口に過ぎません。
少し重い物語ですが、最後まで読んでいただけたなら、きっと彼女たちの「産声」の意味が分かる作品になっています。なお、この物語は戦闘よりも、少女たちの内側で起きることを丁寧に描いていきます。バトル描写は序盤の世界観紹介としてご理解いただけると幸いです。
毎日1話ずつ投稿していきます。次回もよろしければお付き合いいただけたら嬉しいです。
■専用Xアカウント
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■イメージソング
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