嵌められた地面師
麻耶は地元の不動産業者によく顔を出していた。賃貸営業としては古い手法だが未だに麻耶は大事にしていた。
そこである地面師のエピソードを聞いた。詐欺の行方は。
第十八話(地面師)
<老舗のカウンターで>
六月のジメジメとした梅雨空が、商店街を濡らしていた。 「幸栄不動産」の売れっ子エージェント、進藤麻耶(しんどう まや・43歳)は、地元の不動産オーナーや同業者から「地域No.1の賃貸クイーン」と目される実力派だ。
地道な顧客回りと抜群の記憶力、そして何より地域に根ざした顔の広さで、彼女が差配する賃貸物件の稼働率は常に九割を超えている。
その日の夕方、麻耶は管理物件の更新手続きを終えた足で、古くから親しくしている地元の老舗「大和土地建物」のオフィスに顔を出していた。
「いやあ、麻耶ちゃん。相変わらず忙しそうだね」 白髪交じりの柔和な笑みを浮かべて淹れたてのお茶を出してくれたのは、社長の佐藤だった。
この道四十年の大ベテランで、地域の不動産業界の生き字引のような存在だ。
「お疲れ様です、佐藤社長。おかげさまで、駅前の新築マンションも満室にできました。でも、売買の方は最近、出物が少なくて大変みたいですね」 麻耶が湯呑みを手に取りながら水を向けると、佐藤は急に真剣な面持ちになり、声を潜めた。
「売買どころじゃないよ。実はね、少し前に業界の裏で、とんでもない『地面師』の事件があってね……。うちの仲間のネットワークから詳細が回ってきたんだが、背筋が凍るような話さ。麻耶ちゃんも、地域No.1として防犯のために知っておいた方がいい」
佐藤はデスクの引き出しから、厳重にファイリングされた資料を取り出した。 「これは、西新宿の一等地を舞台に起きた、ある計画的な詐欺の一部始終だ——」
<語られる「地面師」の罠>
佐藤社長の口から語られたのは、巧妙に仕組まれた騙し合いの連鎖だった。
事件の主犯格は、進藤一馬という男。仕立ての良いスーツをまとい、銀座の一等地に「大和不動産投資顧問」という、いかにもそれらしいダミー会社を構えていた。
彼が狙いを定めたのは、文京区で老舗和菓子屋を営んでいた初老の資産家、長谷川栄作という男だった。
「その進藤って男、麻耶ちゃんと同じ『進藤』だけど、中身はとんでもない悪党さ」佐藤は苦笑しながら続けた。
「彼が長谷川に持ちかけたのは、西新宿の再開発予定地に関する極秘の転売話だった。地主が高齢で認知症を患っており、施設費用を作るために内々に現金を欲しがっている、とね」
進藤は、本物と見紛うような「都市計画決定区域」の偽造書類を用意し、さらには「劇団あおぞら」の元看板俳優を認知症の地主本人に仕立て上げ、神奈川の高級介護施設で『偽の対面確認』まで行わせたという。
「目の前で偽の地主に署名捺印をさせられた長谷川は、完全に信じ切って、その場で手付金五千万円をスマートフォンから振り込んでしまったんだ」
「五千万を、その場で……」 麻耶は思わず息を呑んだ。賃貸の世界でも身分証の偽造や家賃滞納のトラブルはあるが、動く金額の桁が違いすぎる。
「それだけじゃない」佐藤はさらに声を落とした。「進藤の真の狙いは、その偽の売買契約書を餌に、中堅ゼネコンの『山城建設』の傲慢な専務から、権利譲渡の手付金としてさらに『一億円』を毟り取ることだった。
ライバルデベロッパーの名前を出して焦らせ、一気に億の金を海外口座へ振り込ませて、そのままシンガポールへ高飛びする計画だったらしい」
<地域No.1の眼光>
佐藤の話をじっと聞いていた麻耶は、ふと違和感を覚え、眉をひそめた。 長年、地域の人々と一対一で向き合い、数え切れないほどの契約書の「生きた筆跡」や「人間の表情」を見てきた彼女の直感が、何かに引っかかったのだ。
「……佐藤社長、そのお話、少し変じゃありません?」 「おや、どこがだい?」
「その和菓子屋の長谷川さんという方です」麻耶は湯呑みを置き、真剣な目で言った。
「文京区の一等地で三代も続く和菓子屋の店主といえば、地元の地主さんたちとも深い繋がりがあるはずです。そんな東京の土地の重みを知っている人が、いくら退屈していたからといって、素性のわからないブローカーの口車に乗って、本人確認も曖昧なまま五千万も出すでしょうか? 土地を売買する時の『空気』に、もっと敏感なはずです」
佐藤は一瞬驚いたように目を見張った後、膝を叩いて豪快に笑った。 「ハハハ! 参ったな。さすがは地域のNo.1、家賃交渉で修羅場をくぐってきただけはある。
麻耶ちゃんの言う通りだよ。実はこの話には、裏の裏があったんだ」
佐藤は資料の次のページをめくった。
「その長谷川という男、ただの和菓子屋じゃなかった。実は、身内や仲間内では有名な、地面師たちを専門に狩る『防衛人』だったのさ」
<罠に落ちた捕食者>
「えっ……逆にはめ込んだ、ということですか?」 麻耶の目が輝いた。
「そうさ」佐藤は頷いた。「長谷川は最初から、進藤たちが自分を狙っていることに気づいていた。
泳がせていたんだよ。長谷川は、進藤たちが衣服に仕掛ける盗聴器やGPSの裏をかき、逆に進藤のジャケットの襟に、最新の微細な録音チップを仕込んだ。
車内での『ちょろいもんね』という詐欺グループの決定的な会話を、すべて録音したんだ」
さらに長谷川は、進藤のグループの「ニンベン師(偽造屋)」を事前に特定し、裏から手を回して寝返らせていたという。
「進藤が山城建設から一億円が振り込まれるのをオフィスで待っていた時、画面に映ったのは『口座凍結』のエラーメッセージだった。
長谷川が騙されたふりをして振り込んだ五千万円は、警察と連携してすでに口座から組み戻し(回収)の手続きが取られていたんだ。
もちろん、山城建設の専務とも裏で繋がっていて、一億円の振込なんて最初からフェイクさ」
麻耶は、進藤という男が自分のオフィスで呆然と立ち尽くす姿を想像し、小さく身震いをした。
「長谷川は、絶望する進藤の前に現れてこう言い放ったそうだ。
『不動産には先祖代々の血と汗、土地に刻まれた人間の執念が宿っている。他人の財産を掠め取るハイエナには、その重みが分からん』とね。
その後、警視庁捜査二課の連中が踏み込んできて、一網打尽さ。進藤は今頃、冷たい檻の中だよ」
<地に足をつけ、街を歩く>
佐藤社長の話が終わり、オフィスに静寂が戻った。外の雨は、いつの間にか小降りになっている。
「恐ろしい話ですね……」麻耶は深くため息をついた。
「でも、長谷川さんの言葉、すごく響きます。私たち賃貸を扱う人間にとっても、お預かりしている物件は、オーナー様が苦労して建てられたり、受け継いでこられた大切な財産ですから。紙切れ一枚、数字のデータ一つで、それを転がそうとするなんて、絶対に許せません」
「そうだね」佐藤は温かい目で麻耶を見た。
「ネットやAIでどれだけ便利になっても、最後にモノを言うのは、麻耶ちゃんがいつもやっているような『自分の目で見て、人と泥臭く向き合うこと』さ。
地面師はそういう人間の『欲』と『隙』を突いてくる。君がこの街の目を光らせてくれている限り、うちの地域は安心だよ」
「もう、買い被りすぎです、社長」 麻耶は照れくさそうに笑いながら、時計を見た。午後五時半。そろそろ、次の管理物件の店割(テナント募集)の条件交渉のために、オーナーの元へ向かう時間だ。
「よし、私も負けていられませんね。お話、すごく勉強になりました。防犯の知識として、うちのスタッフにも共有します!」
カバンを肩にかけ、コツンとヒールの音を響かせて立ち上がる進藤麻耶。
彼女の目は、詐欺師たちの暗躍する濁った世界とは無縁の、地域を愛するプロフェッショナルとしての誇りに満ちて輝いていた。
「行ってきます、佐藤社長!」
「ああ、気をつけてな、地域のNo.1!」
梅雨の晴れ間から差し込み始めた夕日が、地道に、しかし確実に街を守る彼女の背中を、優しく照らしていた。
賃貸では売買に繋がるのは大体相続が発生した時が多い。
郊外の物件では大事件は起こり難いが、都内の一等地となると金額が大きい事から危険性はある。
そんな事件の一つを描いてみました。




