第125話 紅蓮の女帝と秘密の星の祭壇
【視点:ローズマリー】
闇夜に溶けるように消えゆくルーナの漆黒の機体『レクイエム・ノワール』を見送ったわたくしは、誰にも聞こえないほどの小さな、そして深いため息をこぼした。
……相変わらずですわね。
彼女がここにいるということは、事態はわたくしの想定以上に、最悪な盤面へと転がっているということ。
仮面の下で苛立ちに唇を噛み締めながら、わたくしは視線を下へと向けた。
そこには、純白だった装甲を無残に焦がし、機能不全に陥って沈黙している白銀の翼……ユウキさんの『ヴァルキリー・ストライカー改』が、痛々しく膝をついていた。
わたくしは通信回線を開き、極力優しく、波立たない穏やかな声で語りかけた。
「ユウキさん。もう大丈夫ですわ。……機体は、まだ動かせるかしら?」
『う、うん……。応急修理をすれば、なんとか……』
通信機越しに聞こえてきたその声は、ひどく震え、今にも泣き出しそうでした。
「それは良かったわ。あなたがご無事で、何よりですわ」
わたくしは本心からそう言いました。
ええ、本当に。
もし彼女がここで命を落としていれば、あの不器用で優しすぎるキャプテンの心は、深い自責の念で今度こそ完全に壊れてしまっていたでしょうから。
愛するお方を悲しませるわけにはいきませんもの。
ですが、ユウキさんはコクピットの中で、一人呆然としていた。
『悔しいよ……』
絞り出すような、掠れた声。
……分かりますわ。痛いほどに。
「……ユウキさん」
『何も……、できなかった……。あの悪魔に……。あたしのヴァルキリーは、ただ、蹂躙されるだけだった……』
ユウキさんは顔を覆い、無念の海に溺れていく。
『せっかく、お兄ちゃんに期待してもらったのに。あたし、何もできなかった……。あたしなんて、やっぱり足手まといなだけだったんだ……っ』
「そんなことは、ありませんわ」
わたくしは、彼女の自己否定の言葉を遮るように、優しく、しかし確かな意志を込めて語りかけた。
「あなたは、今、まだ生きている。それだけで、十分素晴らしいことですわ」
『でも……。あたしは……』
「生きていれば、次がありますわ。何度だって成長できる。何度だって挑戦できる。心が折れない限り、人間は何度だってやり直せますのよ。ですから……」
わたくしは、過去の自分自身の姿を、目の前の小さな少女に重ね合わせていた。
無力で、愚かで、ただ箱庭の中で理想を語るだけだったかつてのわたくし。
わたくしだって、最初からこんなに強かったわけではない。
愛するお方の隣に立つに相応しい女になるために……地獄を這い、泥を啜り、自身の過去さえも焼き捨てて、この紅蓮の力を手に入れたのですから。
「ユウキさんは、まだお若いのですから。たくさん失敗して、たくさん学んで、成長できるチャンスが無限にある。……そうでしょう?」
わたくしは、仮面の下で穏やかに微笑みました。
「立って、前を向いてくださいまし。そして、我らが愛しのキャプテンの元に、無事に帰りましょう」
『ローズマリーさん……』
ユウキさんの声が、明るくなるのが分かった。
『ローズマリーさんのように、年を取れば、あたしも強くなれるの……?』
「と、年っ!?」
ユウキさんの、あまりにも純粋で、一切の悪意のないストレートな言葉が、わたくしの仮面の下の乙女心を、鋭く、容赦なく、そして深く抉った。
な、なななな、なんてことを言いますの! ?
わたくしはキャプテンの成熟したパートナーとして、現在進行形で最高に完璧な美を保っておりますのに!
確かにあなたたちよりは少しばかり、ほんの少しばかり年上ですけれど!
「年を取る」だなんて、そんな生々しい表現……!
わたくしはコクピットの中で、怒りと羞恥でずり落ちそうになった仮面を手早く元に戻し、必死に平静を装って咳払いを一つ。
「ご、ごほん! け、経験! 経験をたくさん積んでいけば、必ず成長できますわ! あなたに今足りないのは、年齢ではなく時間と経験値なのですから! わたくしにできることがあれば、機体開発の資金でも何でも、今後も手厚くサポートいたしますわ!」
『あ、ありがとう……。ローズマリーさん。……ふふっ』
ええ、それでよろしくてよ。
ベレット様が守りたいのは、あなたのその生意気で真っ直ぐな笑顔なのですから。
「では、さっそくユウキさんは機体の応急修理を! わたくしは、「星の遺産」を止めに行きますわ!」
『了解! 星の遺産をお願い!』
「ええ、もちろんですわ」
わたくしはクリムゾン・ローゼス改のハッチを開け、地上へと舞い降りた。
そして、目の前にそびえ立つ巨大な黒曜石の球体……『星の遺産』の神殿へと、迷うことなく足を進めた。
◇
神殿の巨大な扉が、わたくしの接近を感知し、音もなく内側へとゆっくりと開かれる。
神殿の中。
天井からは、淡い地脈から流れるフォワードエネルギーの光が空間を幻想的に満たしていた。
清浄で、無菌室のような、どこか懐かしい香りがわたくしの鼻腔をくすぐる。
わたくしは迷うことなく、神殿の中心にある祭壇へと紅蓮のブーツを響かせ、足を進めた。
白い手袋を外し、指先を、祭壇の中心、銀色に光る紋様の上にそっと置く。
「『セラフィム・システム』。起動。上位管理者権限発動。アクセスログ、および現在の稼働状況の説明をなさい」
『―――セラフィム・システム、起動します』
空間に、透き通った電子的な声が響いた。
祭壇の上に、淡い光を放つホログラムが投影される。
『システム、正常稼働。……15分26秒前に、ローカルアクセスが確認されました』
「詳細は?」
『ローカルシステム内にて、ローカル権限変更、及び実行がされました。ローカル内に保存されていた一部のデータを持ち出しています』
「……そうですか」
やはり、ルーナの狙いはこれでしたのね。
ですが、今はそんなことを考えている暇はありません。
わたくしは意を決するように、紅い唇を再び開きました。
「『ディメンションゲート』の、最終アクセスログを提示なさい」
ホログラムの表示が、複雑な数式と共に移り変わります。
『最終アクセスログ。8年4ヶ月11時間7分前になります』
「……そう」
仮面の下の瞳は、どこか遠くを……遥か彼方の、失われた時間を愛おしむように見据えた。
「引き続き、ダミープロトコル実行。セラフィム・システムをシャットダウンなさい」
『ダミープロトコル、実行。セラフィム・システム、シャットダウンします』
祭壇の光がゆっくりと消え、神殿全体が静かな眠りへとついていく。
わたくしはそれだけを確認すると、振り返ることもなく遺跡の外へとその身を翻した。
「今度こそ、必ず……!」




