1章:13-2話「力の代償」
「⋯⋯ふぅ⋯⋯」
少年は、心に残った黒いものを吐き出すかのように一息つく。
――大浴場。そう呼んでも差し支えがない程大きい浴場で、レオンは一番風呂を堪能していた。
薪の様子を確認した彼がダイニングへと戻ると、彼女たちは『先に入ってて!』と言って彼を無理矢理に浴場へと連れていったのだ。
そんな彼女たちの様子に身の危険を感じたのか、酷く警戒するレオン。――だが、その予想に反して彼は一人の時間を堪能していた。
「⋯⋯あったかい⋯⋯」
――彼女たちのために、早く上がろう。
そう思っていた彼だったが、あまりの心地よさに思いの外長く浸かってしまっていた。
浴槽に浮かぶ、綺麗な花々。シルフが、『身も心も落ち着きますよ』と言って入れてくれたものだった。
そのおかげか、彼は本当に心が安らぐように穏やかな時間を過ごしていた。
「――思えば、この短い間で色々なことがあったな」
少年には長い時間が経ったように思えていたが、彼女たちと出会ったのは、僅か昨日の事である。
――魔剣を手にしてから何日か眠り続け、昨日に目が覚めた。そこからの事。
保健室で目覚め、突如レオンの"未来の花嫁"やら"伴侶"やらと言い出した彼女たち。
広場で学友達に揶揄われ、激怒したルナは教導騎士団副団長であるイングリッドと剣を合わせた。
夜には寮の自室に潜り込んで来た彼女たち。
そのおかげで退寮処分となり、全員でこの屋敷へとやって来た。
幽霊屋敷の様相だったこの屋敷は、またもや明るい彼女たちのおかげで暗い幽霊を全て追い出した。
綺麗で暖かい空間となり、今はこうして優雅にお風呂さえ楽しめるまでになった屋敷。これから、騒がしくも楽しい日々が始まりそうな、そんな予感。
――だが、彼の心は晴れない。
「――“役立たず“。“落ちこぼれ“。その、通りだな」
屋敷への道中のこと。彼女たちを守るつもりが、逆に守られてしまった。掃除でさえ彼女たちの力になれず、何の役にも立てなかった。
それどころか、人の好意を無碍にして、無様に一人、外へ飛び出した。
――情けない。とでも言うように、彼は湯船の中で静かに俯く。
(⋯⋯変わりたい。こんな自分を、変えたい。)
――“怖い“と、彼は心底思っていた。
彼女たちに任せきりで、いつか見捨てられてしまうのではないか。
あの暖かさを、失ってしまうのではないか。
失望され、優しい彼女たちからさえ、酷い言葉を浴びせられてしまうのではないか、と。
彼は湯船に顔をつける。濡れた瞳を誤魔化すように。
「⋯⋯もう、上がろう⋯⋯」
少年は、赤く腫れたような目を擦りながら、湯船から立ち上がる。――その時、異変は起きた。
(⋯⋯! 体が⋯⋯! 立てない!!)
レオンは、浴槽から立ち上がることができなかった。――彼の全身を包む、酷い倦怠感。手袋や衣服を何重にも重ねたような、鈍い体の感覚。
(⋯⋯違う! これは! いつもの⋯⋯!!)
思えば、この日はレオンにしては珍しく体の調子が良かった。
騎士学校から一刻は歩き続け、魔獣から攻撃を受け、屋敷に来てからも彼女たちの力になろうと動き続ける事ができた。
普段であれば、彼はこんなに動くことは出来ないはずだった。なぜなら、この活動量であれば、彼はどこかのタイミングで倒れてしまう程の虚弱な体質だったのだ。
(――“魔剣“、か!?)
――普段と違う事といえば、今日は、彼の背中にずっと“魔剣“があった事。この魔剣がどのような能力を持つのか、そもそも本当に魔剣なのか。
もし、魔剣だとすれば――
彼自身が“頑張った“のではなくなる。ずっと“魔剣“に力を借りて、支えてもらっていた事になるのだ。
酷い倦怠感と、鈍い体の感覚。これは突如彼の体に訪れたものではなく――彼が本来、持っていたもの。“魔剣“のおかげで、体が軽かっただけ。
そして、浴場。もちろん魔剣など持ち込むはずも無い。
――彼は絶望した。この体は、動かすことすら、何かに“支えて“もらわないと、こんなにも不自由だという事に。
「――あっ!!」
少年の手が、浴槽の縁から滑り落ちる。同時に、全身が浴槽に沈んだ。
水の中で滲む視界は、涙で溢れるそれと変わりない。
(⋯⋯だ、誰か! 誰か、助けて⋯⋯!!)
『――哀れだな。そうやって、誰かの足を引っ張り続けるのか』
「⋯⋯!!」
彼は、湯船でもがき続ける。本来なら体を浮かせてくれるはずの湯船が、今の彼には、泥のように重く、彼を引きずり込む重しに感じられた。
そこから抜け出すように、水を掴むように腕を動かし続ける。――だが、彼の小さな手では何も掴むことが出来ない。
『――もう、諦めろ。終わりだ。迷惑をかけ続ける前に、ここで沈め』
「⋯⋯った! たすっ⋯⋯けてっ⋯⋯!!」
『――今日は楽しそうだったな。全部、お前の力では、無いというのに』
「⋯⋯ひっ! ⋯⋯がっ!!」
レオンは、灰色に見える水の中で、幾つもの黒い手が自らの足を掴んでいるのを見た。
見上げれば、ゆらゆらと揺れる湯面の光が、遠ざかっていく希望のように小さくなっていく。
鼻から水が入り、ツン、とした感覚。気道に纏わりつく、ドロドロとした死の感触。もがき続けた腕は次第に動きが弱まり、力無く沈んでいく。
『――苦しいだろう? 息が出来ないのは。俺たちは、もっと苦しかった!!』
『足りない! 足りない!! 私たちの苦しみの、寸分にも満たない!!』
『こっちへ来い。お前を救ってやる。地獄の業火で、その罪を贖ってやる!!』
『⋯⋯早く、引き上げて! みんな! 早く!!』
「⋯⋯!!」
(⋯⋯ごめん、なさい⋯⋯。)
彼は、薄れゆく意識の中で、最後は助けを求めずに、“彼ら“に向けて謝ったのだった。
+
「⋯⋯さま! ⋯⋯オンさま⋯⋯!!」
(こえが、きこえる⋯⋯。)
「――オン! レオン⋯⋯!!」
(⋯⋯ごめん、なさい。めいわく、ばかり、かけて⋯⋯。)
「――なことない!! ハヤくおきて! おねがい!!」
(⋯⋯ごめん、なさい⋯⋯。⋯⋯ごめん、なさい⋯⋯!)
「目を覚まして! レオン! レオン!!」
「――かはっ!」
彼は目を覚ます。同時に、気道に纏わり付いた死――水を吐き出すように、けほっ、けほっ、と激しく咳をした。
レオンの口から溢れ出る水は、鉄錆が混じったように不快な味がしたのだった。
「レオン様! 大丈夫ですか!? 私たちの事、わかりますか!?」
「⋯⋯けほっ、⋯⋯み、みんな⋯⋯?」
仰向けで横になるレオンが見たのは、五人の女神たち。――溢れる湯煙に覆われる美しい彼女たちの姿で、彼は自分が天界に来たと本気で勘違いをしたのだ。
起き上がるレオンの体を、シルフとクロラが支える。二人は、項垂れるレオンの背中を優しく撫で続けた。
「レオンさまぁ〜! 心配しましたよぉ〜!!」
「⋯⋯けほっ、けほっ⋯⋯。⋯⋯ご、ごめん、なさい⋯⋯」
「謝らなくて、大丈夫です。大事にならなくて、本当に良かった!」
クロラと、目に包帯をしたままのシルフ。
二人はとても心配そうに表情を歪めながら、未だ水を吐き出すレオンに向けて語りかける。
「背中を流そうと思っていたのだけれど、早く来て正解だったわね」
「レオン! レオン!! 良かった!! 本当に⋯⋯!!」
「レオン⋯⋯。本当に⋯⋯、良かった⋯⋯!」
ヒルダ、ノエル、ルナも、心配そうにレオンの顔を覗き込む。本気で心配をしていた者の、安堵の貌がそこにはあった。
頼り甲斐のある彼女たちのその細い指が、壊れ物を扱うように小刻みに震えている
「⋯⋯! ご、ごめん、なさい。心配、かけて⋯⋯」
「とりあえず、ここから出ましょう。ルナが服を着せてあげるので、こっちに連れてきてください」
「⋯⋯だ、大丈夫、だよ⋯⋯! 一人で、きれる⋯⋯」
「だ〜め! クロラも、手伝うよぉ〜♡」
「⋯⋯!! み、みんな⋯⋯! は、はだか⋯⋯!!」
「言ってる場合ですか。レオン様。ちゃんと、お着替えしましょうね♡」
「〜〜!!」
湯煙でよくは見えなかったが、肌と肌が触れ合う確かな柔らかさと暖かさ――魔力欠乏で冷え切るレオンの体に、熱を帯びた彼女たちの肌が触れるたび、凍りついていた体の奥底に、甘い痺れが走るのを感じた。
それに悶えるレオンだったが、彼はなす術もなく、彼女たちに連れられ、無理やり着替えさせられるのだった。




