表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/4

四枚目

16


 この世界には魔法がない。元の世界に帰れる保証はどこにもない。それでも研究をやめなかったのは、惰性だろうか。ラルゴは波山と別れると、薄暗くなった道をとぼとぼと歩いていた。

 ラルゴは言葉の勉強と同時に、元の世界で行き詰っていた魔法の理論の構築も行っていた。故郷の言葉で描かれたそれは、死者の国への行き方を模索したものだった。

 人は皆、いずれは死に至る。そのあとの世界があるのならば、死して二度と会えなくなった者たちと再びまみえることができるのではないだろうか。巫女たちの口寄せではなく、本当にかの国の者たちと対話するのだ。魔法使い仲間の中には外道だとさげすまれたことあったが、ラルゴは研究をやめようとは思わなかった。確かに魔法の範疇を超えている分野だ。エネルギーの流れを読み取り、空間の物事を把握し、力を循環させ、形を成すのが魔法である。そのエネルギーを死者の国につなげる。ではどうしたらその国を見つけることができるのか。茫洋と漂う概念の塊であるその場所を、まずは見つけなくてはいけない。存在を確実にしなくてはならない。その時点で躓いていたのが、ラルゴの研究であった。

 それにしても、あの世以前に全くの別世界に来てしまうとは、我乍ら奇妙な人生である。

 「ほんと、何だろうな」

 思わず独り言が漏れてしまう。白川が独り言をよくするので、それが移ったのかもしれない。

 自分の人生とは何だったのだろう。エミリアが言って居た。自分はなんとなく、という言葉をよく使っている。魔法を学んでいるのもなんとなく。こちらの世界に来たきっかけも、気まぐれにトンネルの中に入ってしまったからだった。

 死者の国についての研究も、学術的な動機はあっても、ラルゴ個人としての動機を聞かれると言葉に詰まった。なんとなくだ。

 「エミリア、どうしてるかな」

 輝くような金髪とぱっちりと開かれた瞳を懐かしむ。

 吐かれた言葉は虚空に消えていった。白川のアパートはもうすぐだ。そこの角を曲がれば、居候という形で世話になっている部屋にたどり着く。

 散歩というには大分時間が掛かってしまったが、白川は心配しているだろうか。この時間になるならば、夕食のお使いでも請け負っておくべきだったろうか。そんなことを考えながら帰りを知らせるチャイムを押すと、扉はすぐに開いた。

 「おかえりー」

 白川が笑顔でドアノブを握っている。その姿はどこか晴れ晴れとしていた。

 「た、タダイマ。何かいいこと、あったのか」

 玄関に入りながら訊いてみると白川は嬉しそうに頷いた。

 「うん。ちょっと歴史的発見をしちゃってさあ。あ、ぼくご飯食べたら部屋に籠るから、勝手に寝ててよ」

 バタバタと居間に飛び込んだ白川は、すでに食事を用意してくれていたらしい。シチューにご飯というざっくりとした夕食であったが、量が多いので不便はしない。白川は食べ終わると本当に寝室の隣にあるアトリエに籠ってしまった。何があったにせよ、アイディア不足から脱却できたのなら良かったのだろうと、ラルゴは思ったのであった。その一方で、一抹の寂しさを感じた。


17


 その日、ラルゴは久し振りに一人で眠ることとなった。寝室には一人分のベッドしかないため、ラルゴはベッドのそばのスペースに布団を敷いて寝ている。いつもならば消灯するまで白川が雑談を繰り広げていた。その話の内容は絵についてが主な話題であったが、世間で起きているニュースについてであったり、大学の講義の内容だったりとレパートリーには事欠かなかった。ラルゴも元の世界での生活について、魔法についてをぽつぽつ語っていた。それが言葉を覚える作業に好ましい結果を齎したのは言うまでもない。

 静かな夜は久し振りである。父と二人暮らしをしていた時は、お互い自室を持っていたので、基本的に夜は一人で過ごしていた。

 暗闇の中で薄ら浮かび上がる白熱灯を眺めながら、父はどうしているだろうと思いを馳せた。エミリアのことも気になるが、最近になって白髪交じりになってきた父のことも気になっている。突然自分が居なくなってしまったら、父はどうするのだろう。母が死んでからというもの、父は寡黙であまり笑わない人になってしまった。特に近年ではぼんやりとしていることが多く、少なかった会話がさらに少なくなってしまった。いつの間にか絶たれた親子の会話に、寂しさを感じないと言えば、そうではない。自分はもう魔法で身を立てることができているし、守ってもらう歳でもないのだから。

 白川のことも考える。彼はどうやらスランプを脱し、何かしらのコンセプトで絵を描くことにしたらしい。瞳を煌めかせ、やりたいことを見つけた白川の姿は活力そのものであり、やる気に満ち溢れていた。やりたいことのある人間は、どうしてああも輝かしいのだろう。エミリアと歩いている時に感じた気まずさを思い出す。自分がその場にいることが場違いであるかのような、何かやりたいことはあるはずなのに、具体的な形にはならない。だからラルゴは、得意である魔法に縋ったのだ。がむしゃらに魔法を学んで、さてその魔法で何をしよう。その展望だけががらんどうに開かれていた。

 胸にこみ上げてくる虚しさを振り払うように、ラルゴは目を閉じた。

 ――ベッドに母が横たわっている。呼吸に合わせて上下するはずの胸は静止したままで、手前には父からこぶしを握り締めて立っている。俯いた父のまるい背中を眺めながら、ラルゴは母がもうこの世にいないことを悟った。明日から母の居ない生活が始まるのだ。母に近寄って見ると、もうその遺骸は母ではないだと分かった。子供ながらに死を理解していたわけではない。これは抜け殻だと思ったのだ。母の中にあった母たるなにかはどこかに消え去り、その殻だけが横たわっているのだと。ただただ悲しかったのは、父が涙を流していたからだった。父が弱り、背中を丸める姿を見たくはなかった。厳格というには少々やさしい父であったが、涙を流すという行為が、ひどく彼には似合わない様に思えた。母の急逝を受け入れ、早々に立ち直り、そのまっすぐ伸びた背を見せてほしいと思っていた。

 子供ながらの身勝手で、ラルゴは父に強さを求めていたのだろう。愛する人の死を悼むのが、それを乗り越え、一生その思い出を抱えて生きる為に必要なことだったろうに。

 父の手のひらがラルゴの額に留まる。ごつごつとした皺の目立ち始めた大きな手のひらは、しばらく幼いラルゴをなで続けた。

 「父さん」

 ラルゴは呟いて、父の手を握った。


18



 朝になると、白川が目に隈を作ってキッチンスペースにいた。どうやら一晩中描き続けていたらしく、絵具と思しき黒いシミのついたエプロンを外さないまま、フライパンを火にかけていた。ソーセージが四本焼かれている。

 「シラカワ、代わるか」

 「あー、おはよう」

 返答になっていなかったが、白川は素直にフライパンから手を離し、テーブルへと向かっていく。

 「さすがにお腹すいちゃってさあ」

 木製のテーブルに突っ伏すと、とそう言う白川。

 「寝てないのか。身体に悪いぞ」

 「はっはー。大丈夫だよ。ぼくは創作スイッチと一緒に不健康スイッチが入る。いつものことだよ」

 「尚更だめだろう」

 「ダイジョウブ。これが終わればきみは多分元の世界に帰れるよ」

 その科白に、ラルゴは振り返った。顔を上げた白川は真顔である。

 「どういうことだ」

 「どうもこうも、ぼくがそれを見つけちゃったってことだよ」

 「かえりみち……を?」

 戸惑って尋ねるラルゴに、白川は大きく首を上下に振った。

 「うん。いやー、それにしてもペラペラだねラルゴ。耳が好いんだね。ぼく言葉が通じない人と一緒に暮らすってどんな感じかと心配してたんだけど、案外住めば都っていうか……。あ、これはなんか使い方が違うかな。波山じゃないけどぼくも留学できるような気がしてきた」

 途中から関係のない話を突っ込んでくる白川だったが、ラルゴの耳には肯定を意味する相槌しか聞こえていなかった。

 「家に帰れる」

 「そうそう。成功するかわかんないから今は見せてあげられないけど」

 ソーセージが焦げてぱちんと音を立てた。我に返ったラルゴは慌ててソーセージをひっくり返す。皮が破けて肉汁が飛び出していた。

 唐突に訪れた朗報に、まだ頭は混乱していた。

 白川はその後二時間ほど仮眠を取った。今日は平日である。大学はいいのかと聞いてみると、白川は自信満々にこう答えた。

 「一日くらい大丈夫さ!」

 そうした油断が原因で幾人もの大学生が涙を飲んでいるという話を、ラルゴは先日波山に聞いたばかりだった。

 「はあ、あいつもあれでいて結構駄目人間だけどね。講義中にしょっちゅう寝てるし、たまに昼間っから酒飲んでるし」

 大学生のおぞましいあるあるネタをいくつか挙げ連ね、白川はこう締めくくった。

 「なんていうか、人間中身に何が詰まってるかなんてわかんないもんだよね。しっかりしている人ほどさぼり始めると癖になってたり、だらしなく見えて爪はきれいに整えてたりさ。外見には中身がにじみ出るっていうけど、隠す人は徹底してるしねえ」

 そういう白川はけらけら笑うと、またアトリエに引きこもってしまった。ラルゴは行き場のない気持ちを抱えながら、その背を見送ることしかできないでいた。

 そうして白川がアトリエに引きこもって、三日が過ぎた。


19


 三日間アトリエに籠り続けた白川は、すっかり隈と友達になっており、鋭い目元が更に凶悪になっていた。三日目の朝、不健康スイッチがすっかり切れたらしい白川は米を三合炊いて三合ともぺろりと平らげた。脚気を心配した波山から漬物と日本酒の差し入れがあったが、酒はともかく漬物もばりばりと咀嚼し、そして丸一日惰眠をむさぼった。死んだような眠りから醒めた白川は、今度は眠りすぎてこびり付いた隈を剥がさぬままラルゴを河川敷へと連れ出した。それはラルゴが茫然自失と佇んでいたあの河原であり、すべての始まりの場所であった。

 当時と違うのは、白川が電話で呼びつけた波山の姿があるという所だろう。

 「名探偵、一同集めてサテと云い」

 茶化したように波山が言う。

 「別に謎解きしようってわけじゃないんだけど。そんな期待しても応えられないよ」

 本当に謎解きを始めるわけではなかったようで、白川はラルゴにまず川端に行くように頼んだ。正にこの世界に初めて来たときと同じ場所である。

 「さて、ラルゴにはぼくの願いをかなえてもらおう」

 と、白川がそう言った。ラルゴは何のことかわからず目を瞬いた。

 「願い?」

 「ラルゴがここに来た時、ぼくはスランプに悩んでいたんだよ。何を描いたらいいのかわからなくて、アイディアが浮かびそうになっては霧散しの状態だった。そんな時にきみが現れたんだよ」

 白川がラルゴを指さす。その手には鉛筆が握られていた。なんとなく白川の言わんとしてることがわかるような気がした。

 「だからね、ラルゴ。きみの姿を僕に描かせてほしい。ちょっとそのまま黄昏てくれ」

 ラルゴは気づかなかったが、その言葉は白川とラルゴが初めてであった場所で放たれた白川の科白だった。打ちひしがれていたラルゴを現実に引き戻した、あの異言語だった。

 「――いいよ」

 これは儀式なのだろうとラルゴは思った。恐らく、白川は何かを見つけたのだ。自分のやるべきことと、その答えを。

 ラルゴはそのままポーズを取った。川縁に跪き、口元を覆った。

 それから黙々と白川は描き続けていた。その隣では波山が黙々と本を読んでいた。

 ラルゴは父のことを考える。死者の国を探していたのは、もう一度母の姿を父に見せたかったからだったのだろうか。始終茫洋として、人生に目標を持たずに生きてきたラルゴには分からない。ただ、あちらの世界に帰ったら別の研究対象を探そうと考えていた。自分にできることは魔法しかない。幼馴染が医者になるなら、ラルゴはその対になる魔法を考えよう。

 弱弱しい背中の思い出は、未だに心に焼き付いている。

 「ところでさ、僕はどうして呼ばれたの」

 白川が描き終わり、スケッチブックを閉じると、波山が口を開いた。

 「これからラルゴは帰るんだぜ。ちゃんと挨拶しとかないと」

 「なるほど、折り目正しい」

 内訳を説明した白川に、波山は納得がいったようだった。


20


 アパートに戻ると、白川はアトリエにラルゴを案内した。白川の部屋で暮らしたのは一ヶ月間、入ったことのない部屋であった。

 足を踏み入れると驚いた。六畳ほどのスペースには様々な画材が並んでいる。その中にスケッチブックで見かけた『振り返る嬢』の油絵のバージョンの絵もあった。コルクの栓のような、軽く胡椒を振りかけたような油絵具の匂いがほんのりと広がっていた。

 だが、ラルゴが驚いたのはそれだけではなかった。四角く囲われたアトリエの壁面。窓と対になるその一枚に、トンネルが大きく描かれてた。壁一面に、煉瓦造りの古風なトンネルが、大きく口を開けてラルゴを待ち構えていた。

 「江淵廻祐の絵は」

 白川が言葉をなくしたラルゴに言う。

 「あまりに躍動に溢れていたものだから、紙面から飛び出してくるようだと言われていた。絵に描かれているものが、実体化して現実世界に飛び出すんだ。夢のようだと思わない? だからぼくね、ちょっと逆もありなんじゃないかと思って。描いてみた」

 そのトンネルは、あの時に見た古隧道そのものだった。古い組み方の煉瓦に、風化で欠けた部分に、色合いまで余すところなく。確かにラルゴは白川たちにトンネルの説明をしたが、細かく説明したわけではなかった。ましてや色の認識は個人差が大きいものだ。何故白川が、このトンネルを知っているのか。

 「その反応だと、成功したっぽいね」

 白川はにやにやと笑っている。

 「シラカワ……」

 ラルゴは奇妙な確信を抱いていた。このままこの壁に描かれたトンネルをくぐれば、元の世界に帰れる。長いようで短かった異国での生活が終わるのだ。

 ラルゴはトンネルに向かって手を伸ばしてみた。途端に壁に描かれた絵具の塊であるそれは立体を帯び、風を吸い込んでいく。中心に描かれた白い光は眩しさを増した。

 振り返ると、白川が満面の笑みでそこに立っている。ラルゴは向き直ると、一言だけ投げかけた。

 「いままで、ありがとう」

 するりと口から飛び出したことばは、小さなアトリエにぽつりと落ちた。白川が手を振った。そしてラルゴは、暗闇の中に足を踏み入れる。

 さてラルゴがこの世界に来た意味は何だったのだろう。考え事をしているうちに周囲が大きく動き、導かれるままに帰り道に辿り着いた。そう言った印象だ。まるで予定調和の様に、白川はそれを見つけてしまった。まるで夢のような一ヶ月だった。ずっと夢の中にいるかのようだった。けれどラルゴは肉体ごと二つの世界をまたぎ、そして帰ろうとしている。

 夢といえば、父の夢を見た。ひどく懐かしい夢だった。無事に帰ることができたら、久しぶりに実家に戻ろう。そして、魔法の話をしよう。ラルゴの人生の殆どを費やした、唯一の楽しみについて。将来について。

 トンネルが中盤に差し掛かった時、ラルゴは呪文を唱えた。それはトンネルに入ったとき同様の光の魔法だった。煉瓦造りの内部を照らすその光は、ラルゴの手のひらの中で煌々と輝いていた。翳って見えなくなっていた彼の心を照らすように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ