第3話「見えなくても、そこにあるもの」
「すみれお姉ちゃん。どこ行くの?」
幼い絢は、玄関先に立っている学生服のすみれの姿を見て、彼女にそう問いかけた。
「私、遠くの町に引っ越すことになったんだ」
すみれは、曖昧に微笑んだ。
「・・・」
絢は、いつも疑問だった。
何で、すみれはいつも笑っているのだろう。
絢はすみれの泣いている姿を一回だけ見たことがある。しかしすみれはその時も笑っていたのだ。
絢が、涙を流しているすみれを心配して彼女に駆け寄ると、「何でもないよ」と言ってすみれは笑ったのだ。
確かに、その頬は涙でぬれているのに。
「なんで、すみれお姉ちゃんはいつも笑ってるの?」
絢は玄関先に立つすみれに、そう質問する。
やっぱりすみれは、それに微笑みながら答えた。
「・・・私ね。笑顔でいると安心できるんだ」
「・・・」
「絢。私が、家に来なくなってもぐずっちゃいけないよ。・・・お友達と仲良くするんだよ」
「うん」
絢はすみれのことを見上げる。
すみれは、泣いていた。
・・・でも、笑っていた。
すみれは絢に背を向けて、家からゆっくりと出て行った。
そして、その日を最後にすみれは家に来なくなってしまった。
***
絢は、ゆっくりと目を開いた。
冷たいコンクリートの感覚が、体全に伝わった。
ゆっくりと体を起こす。
(ここは・・・どこだろう?)
あたりは薄暗い。
しかし、これだけは分かった。
自分は、牢屋のなかにいる。
目の前には、鉄格子。
しかし、手錠はかかっていなかった。まだ、微かに痛みの残る両手首を見ると、そこには手首を囲むようにして一本の赤い線の痕があった。
それは、まさに手錠をかけられた痕のように感じた。
「絢」
「!」
突然かけられた声に驚いて、後ろに振り返ると、そこには陸の姿があった。
陸は、牢屋の端にあぐらをかいて座っていた。
どうやら、陸も絢と同じ状況にあるらしい。
絢は、急いで陸の隣に駆け寄るとそこに腰をおろした。
「陸・・・いったいここはどこなの?」
「多分ここは・・・冥界だ」
陸の声は、以外にも落ち着き払っていた。
絢は最悪の答えに大きく目を見開く。
まさか・・・本当に冥界、にいくことになってしまうなんて。
「うそ・・・。一体私たちどうなっちゃうの!?」
絢の困惑した声だけが、静かすぎる牢屋に響き渡る。
陸は絢を一瞥すると、申し訳なさそうにその目を伏せた。
「ごめんな。本当は、俺だけがこうなるはずだったんだ。・・・レイは、初めは、俺だけが狙いだったんだよ」
「・・・・」
「それに、こうなること俺は前から知ってたんだ。でも、俺は知らないふりをしてた。まさか絢まで、こうなるとは思わなかった」
陸は絢の顔は見ていなかった。
ただ、自分の足元ばかりを見つめている。
絢は、陸の言葉に耳を疑った。
陸は、知ってたんだこうなることを。
「それじゃ、こうなる前にどうして何もしなかったのっ・・・!?」
絢には、怒りに似た感情が生まれていた。
陸は、レイに裏切られること知っていたのに、何もしなかった。
絢にとっては、それが信じられないことだった。
「レイは俺にとって大切な存在だった。俺・・・こう見えて、人と会話することが苦手だったんだ。
でも、それを変えてくれたのはレイだった。俺・・・レイのお陰で、笑うことができるようになったんだよ」
「っ・・・・」
陸の表情は絢とは違い、穏やかだった。
そんな陸の言葉と表情を目の当たりにして、絢の心がズキリと痛む。
・・・陸はどこか抜けているところがあるけれど、きっと他人を傷つけることができない人なんだ。
いくら自分が傷つけられようと、他人を傷つけることは絶対にしない。
「ごめん。絢」
「・・・謝らないでよ・・・。陸が悪いわけじゃない・・・し」
「・・・・」
その後、重々しい空気が二人を包んだ。
一体、自分たちはこれからどうなってしまうんだろう。
目の前にある鉄格子が、最悪の展開を自然と予測させる。
両手首の赤い痕が、消えない限りきっとここから逃げることはできない。
絢はなんとなくそう感じた。
「!」
ふと、陸の手首を見ると、そこにも絢と同じ赤い痕があるのが分かった。
絢は無意識のうちに口を開く。
「陸・・・。その痕・・」
「・・・これ?」
陸は、それを絢に見せてきた。
絢は、黙って頷く。
「それって・・・手錠をかけられた・・・」
「多分な。俺もルールを破った。
だから、きっとレイにかけられたんだよ・・」
「・・・・」
「私たちこれからどうなっちゃうの?」
陸は、絢の言葉に俯き、ぎゅっとこぶしを握る。
「分らない・・・」
「・・・・」
絢は、泣きたくなった。
不安で不安で胸が押しつぶされそう。
「絢」
陸じゃない、誰かが自分の名を呼んだ。
「すみれお姉ちゃん!?」
確かに、絢の前には懐かしいすみれの姿があった。
あの時と同じ学生服に身を包んで、すみれは絢の目の前に立っている。
絢は思わず立ち上がった。
「ごめんね。本当はこんな形で会うつもりはなかったのに」
すみれは微笑んだ。
とても悲しそうに。
「っ・・・」
絢は、すみれの微笑みに懐かしさを覚えた。
だって、まったくあの時と変わっていなかった。
「守護霊に会えて・・・よかったな」
絢の後ろに座ったままの陸が、そう呟くのが聞こえた。
「私は、絢の住む世界から離れてから、ずっと絢と一緒にいたの。
絢が、こんなかわいらしい女の子に育ってくれたなんて、ほんと時の流れはあっと言う間ね」
「っ・・・・!」
絢は、このとき真実を知った。
すみれの命は、絢の知らない間に消えてそして今、ここにあるということを。
「すみれお姉ちゃん・・・私・・・」
胸がくるしい。
そして悲しいよ。
自分がなにも知らなかったなんて。
すると、すみれの半分透けた掌が、絢の頭をそっとなでた。
「いいの。いいの。だって、今こうして一緒にいることができるじゃない。過去のことなんて気にしないで?」
「・・・・」
絢は、すみれの言葉に頷くことが出来なかった。
悲しくて、とても悲しくて。でも、嬉しくて、安心した。
それでも、すみれは相変わらず微笑んでいる。
今の絢には、理解できていた。
すみれの微笑みは、悲しみをそして、苦しみを誤魔化すためにあるということを。
「絢。陸。私の話をよく聞いて?」
すみれは、絢の頭からゆっくりと手を離すとしっかりとした口調でそう言った。
すみれは、真剣なまなざしを絢、そして絢の後ろの陸へと送る。
「何・・・?」
絢は雰囲気の変わったすみれの言葉に、自分の心臓が高鳴るのを感じた。
「二人がもとの世界に帰るには、“守護霊ルール”が書かれてある本に、新たな決まりを加える必要があるの。
“守護霊以外の者は、冥界にいてはいけない”って」
「え・・・」
絢は、すみれの予想外の言葉に戸惑った。
新しいルールを書き加えるだけで、自分たちはもとの世界に帰ることができるというのだろうか。
(本当にそんなことって・・・できるの・・)
すみれは、絢の疑問を察したらしく、口を開いた。
「ここは冥界。人間界の基準とはいろいろ違うところがある。そのことを理解して?」
すると、後ろに座っている陸が立ち上がる気配がした。
陸は絢の隣まで歩みよると、低い声で言った。
「守護霊ルールに新しい“ルール”を加えることにより、俺たちはもとの世界に強制的に帰らなくてはいけなくなる。・・・つまり、帰れるってことだろ?」
すみれは、陸の言葉に微笑んで頷いた。
「そういうことよ」
「・・・・でも、その守護霊ルールが書かれてある本は、どこにあるの?」
絢の声には、明かに不安が入り混じっている。
「・・・」
少しの沈黙の後、すみれが眉間にしわを寄せ、小声で言った。
「ここにあるの」
「!」
すると、すみれの手の中に青色の分厚い本が音もなく現れた。
その表紙には、金色で変わった文字が書かれてある。
「早く見つからないうちに書いちゃって。本当は、勝手に持ち出すことは禁止されてるの」
「・・・」
すみれは、その本を絢に差し出す。
絢は、戸惑いながらもその本をすみれからしっかりと受け取った。
その本は、ずっしりと重い。
絢はそのことが、より一層、この本が大切だということを表しているように感じた。
「すみれ。余計なことをするな!」
「!!」
弾かれたように振りむくと、鉄格子の外には、レイの姿があった。
レイは、その歳には似合わない険しい表情を浮かべている。
「レイ・・・」
陸がそう呟いた。
「すみれ。今すぐ絢からその本を取り戻すんだ」
レイの声はとても冷たい。
そこには少し前のレイを感じさせるものが、一つもないように感じた。
すみれは、ぎゅっと目を閉じると震えた息を漏らした。そして彼女は、鉄格子をすり抜けレイの前に立った。
レイはその曇った瞳で、すみれのことを見ている。
「レイ・・・。私にはできない。もちろん、そのことがルールに反することは分かっている。罰なら、ちゃんと受けるから安心して」
レイはすみれの言葉を聞いても、その険しい表情を崩そうとしない。・・・いや、むしろ表情をより険しくして、すみれを見た。
すみれは、そんなレイを見て、きゅっとその唇を噛みしめる。そして、口を開いた。
「・・・・・レイは、絢たちに本当に“罰”を与えるの?レイ、二人とあんなに楽しそうに話してたじゃない。それは全部・・・・嘘だったの・・・?・・・全部偽りだったの?
私だったら、“偽り”で、あんな楽しそうな会話なんてできない」
「・・・──」
「ねぇ・・・ほんとの気持ちを教えてよ!レイ!」
すみれが、そう叫んだと同時に鉄格子がぐにゃっと曲がった。
そして、そこに丁度、人が通れるくらいのスペースができた。
「・・・逃げるぞ。・・絢!」
「は!?・・あっうん!」
陸は鉄格子から飛び出した。
絢も陸の行動に戸惑いながらも、青色の本を胸に抱えたまま陸のあとに続いた。
「!!」
レイがそれと同時に、絢に素早く手を伸ばす。
「!・・・」
(つかまっちゃうっ・・・)
絢は、もう駄目だ、と思った。
・・・しかし、その手は虚しくも絢の体をすり抜けた。
「!・・・」
(そうか・・・)
絢は相手が“守護霊”だということに感謝した。
守護霊には、体がない。・・・そして、体がある自分たちには触れることさえも出来ないんだ。
レイは絢の体をすり抜けた自分の拳を握りしめると、口を開く。
「俺が決めたことだ。・・・言えるのはそれだけだ」
レイの声は、明らかに動揺しているように聞こえた。
すみれは、ほとんど間を空けることなく口を開く。
「何か特別な理由があるんじゃないの?」
すみれは、絢と陸の姿が遠ざかるのを確認して、またレイに視線を戻す。
「すみれがそれを知ってどうする?すみれには、一切関係のないことだ」
レイは低い声でそう言うと、その姿をかき消そうとする。
「!」
すみれは、とっさにレイの腕を掴んだ。
・・・このまま、二人のところに行かせるわけにはいかない。
なんとかここで、時間稼ぎをしなくては。
レイは、ギロリとすみれのことを睨みつけた。
「はなせ!!」
「はなさない。・・・レイが本当の理由を教えてくれたら、離してあげる」
「・・・・!」
レイは大きく目を見開き、すみれを見た。
「はい!そこまで!」
「!」
突然、リナが二人の前に姿を現した。そして、二人の手首を掴むと、それを意図も簡単に引き離す。
そして、ニッコリを笑うと言った。
「すみれちゃん。しつこく訊きすぎるんじゃない?ほんとはどうでもいいんでしょ。あの二人を逃がすことができれば」
「・・・・リナ。どうしてこんなところにいるの!?リナの担当の人間は、ここにはいないでしょ!?」
すみれは、リナの思いがけない登場に、焦りの色を必死に隠そうする。しかし、自分の声は全くそうのそのとおりにはなってくれない。
リナはそんなすみれの姿を見て、口元に笑みを作る。
「大丈夫、大丈夫。朋歌ちゃんには、代理の子を頼んだら。・・・そんなことより、“こっちのこと”のほうが、気になったんだ~。だって、絢ちゃんのことを捕まえようとしたのに、レイがそれを拒んだんだよ?・・・でも、結局は二人とも、冥界につれてきたんだね。レイ」
すみれはレイを見ると、にっこりと笑った。
「・・・・」
「レイ、速く二人のこと捕まえてきちゃえば?」
レイは、リナのその言葉に彼女を一瞥すると、姿をかき消した。
すみれの顔は、それと同時に歪む。
そして、この場に残されたのは、すみれとリナだけになった。
「・・・・」
すみれは、唇を噛みしめリナを見ているしかできない。
すみれが願うのは、レイに追いつかれる前に、絢と陸が守護霊ルールに新しいルールを書き加えてくれること。
たったそれだけで、二人は地上に帰ることができるのだ。
リナは、少しの沈黙を置いてから、クスリと笑った。
「すみれちゃん・・・。レイが、あの二人に与える罰って何だか知ってる?」
「・・・・」
リナの声は、今の状況を楽しんでいるようにしか聞こえない。
リナは言葉を続ける。
「私、実は知ってるんだ・・・。それは、あの二人に人間をやめてもらうこと」
「!?」
すみれの心臓が、早鐘のようになった。そして、次の瞬間には、一気に絶望の色に染められる。
まさか・・・レイは、二人のことを・・・・。
リナは、すみれの表情とは逆に、ニッコリと可愛らしく笑った。
「私は嬉しいな~。だって、仲間が増えるんだし!」
すみれはその言葉に自分の耳を疑った。そして、確信してしまった。
「なんでそんなことっ・・・」
絢と陸は、これからも日の当たる地上で生きていくはずだ。それ以外考えられない。
リナは、すみれから視線を外す。
「ねぇ。すみれちゃん?二人のところに行かなくていいの?せっかくそのこと教えてあげたのに」
「・・・!」
すみれは、キッとリナのことを見据えた。
(絶対に絶対に・・・そんなことさせない)
そう、どんなてを使ってでも、二人を地上に送りかえす。レイの思い通りにはさせない。
そしてすみれは、その場から姿を掻き消した。
「さって・・・どうなるのかな?」
一人この場に残ったリナはそう呟く。
レイの本当に望んでいることをリナは知っている。
すみれの本当に望んでいることをリナは知っている。
そして・・・二人が〝同じ想い〟を持っていることをリナは知っていた。
***
絢と陸はひたすら走っていた。
あたりはうす暗く、ひっそりとしている。今聞こえる音は、絢と陸の必死に走る足音だけ。
(一体、いつになったら光が見えるの?)
こんな薄暗いところを逃げていても、ただ怖いだけだ。
絢は腕の中にある本を、ぎゅっと抱きしめた。
絶対にこれだけは、手放したくない。この本は、自分たちがもとの世界に帰る唯一の手段なんだからっ・・・!
「絢!そこ上るぞ!」
「!」
見ると、少し行ったところに陸がこちらを向き、立ち止っている姿があった。そして、彼の横には上へと続く階段がある。
「うん!」
陸は、絢が来るのを待ってから階段を駆け上がる。絢も、陸に続いて階段を駆け上がった。
「!」
すると、すぐに扉が目に入った。そこにしか進む道はなく、陸はすばやくドアノブに手をかけ、勢いよくそれを開け放った。
「うっ・・・」
絢は反射的に目を瞑った。
眩しすぎる光が二人を照らしたからだ。
それでも絢は、何とか前に進み扉を通り抜ける。
「よかった。ここには牢屋はないぞ」
陸の声に、あたりを見渡すと、ここは今までの部屋とは全く違っていた。白い壁に、広々とした長い廊下。そして、それを照らす明るい照明。
絢が目に入った光景に、見とれていると陸が口を開いた。
「でも、ここに来たからと言って、安全になったわけではないんだよなー」
「!・・・陸っ。これに書かないと・・・」
絢は、今まで絢が抱えていた青い本─守護霊ルールが記されている書、を両手に持ちそれを陸に向かって突き出す。
「だよな!・・・えっと・・・」
「守護霊以外のものは、冥界にいてはいけないって書くんだよね・・・!?」
「そう!それだった」
絢はその書の表紙を、ゆっくりと捲る。
白いページの真ん中には、小さい文字で何かが書かれてあった。
~守るべき者・守るべきこと~
「・・・」
絢はその文字を流すように見ると、次のページを捲る。
そこに書かれてあるのは、目が痛くなるような文字の列。
絢は目を通す気にもなれず、一気にページを捲り、文字書けるほどの余白を探す。
そして、一番最後のページの一番最後に余白を見つけた。
(よしっ・・。ここに書けそうだ)
「絢。でも、どうやって書くんだ?」
絢は、陸の言葉に彼の顔に目を向ける。
陸は少しばかり眉間にしわをよせ、こちらを見ていた。
「どうやってって・・・。ペンか何かで書くだよ!」
「書くもの、持ってないけど」
・・・沈黙。
そうだ。書くものがないと・・・書けないじゃん。
もちろん、絢も書くものは持っていない。
「何でもいいからっ・・・ないの!?」
「ないなー」
陸は即答した。
そして、絢は・・・混乱していた。
このままでは確実に捕まる。
ささっとあの文字を書いてしまえば、この“冥界”というところからおさらばできるはずだったのに。
「・・・お願い。陸。書いて!」
絢はその余白があるページを開いたまま、陸に書を差し出した。
「だから、書くものないって言ってるだろ?」
「・・・自分の血とかで・・・書こうとすれば書けるんじゃないの?」
「・・・は!?」
陸は信じられないような表情で絢を見る。
それでも絢は必死だった。
「ごめん!陸。ほら・・・ちょこっと、指の先を噛み切って・・・書けば大丈夫だよ」
「おいおい~。ちょこっとって!そんな痛いことやりたくな・・・」
「そんなことしなくてもかけるぞ?」
「!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
弾かれたように振り向くと、そこには腕を組みこちらを見上げている・・・
「・・・!!」
「レイ!」
絢はレイの姿を見た途端、固まってしまった。
陸はその瞳を歪め、じっとレイのことを見据える。
「逃げても無駄だぞ」
レイは絢のことを見据え、低い声で言う。
「・・・・」
「レイ・・・絢のことは見逃してくれないか?罰なら俺だけうければいいことだし」
絢は陸の言葉にはっとして彼の顔を見る。
陸は絢のことは見ようとせず、ただレイの答えを待っていた。
「それは駄目だ。ルールを破ったのはお前たち二人なんだからな」
「レイ・・・」
「絢!早く書を俺に渡すんだ」
絢はレイの言葉にドキリとする。
(絶対に渡せないっ・・・)
絢はより一層、本を抱く腕に力を込めた。
陸が心配そうに絢を見ているのが分かる。そして彼は、レイに視線を戻すと口を開いた。
「レイ・・・その罰ってなんなんだ?」
レイは陸の言葉に一瞬、不服そうな表情を浮かべる。そして言った。
「聞いてどうする?」
「俺は・・・どんな罰だって受け入れる自信はある」
陸の言葉にレイの表情が動いた。
「っ・・・何でそんなこと・・・言えるの?」
絢には陸が分からなかった。
絢は怖くて怖くて仕方ないのに。自分が罰を受けるなんて・・・そんなの絶対に間違ってるって思うのに。
陸は絢の表情は対照的に、それを少しばかり緩めると口を開いた。
「だって、レイがそんなに厳しい罰を与えるなんて・・・俺には思えないし」
「!・・・」
陸は当たり前のようにそう言った。
そうか。陸にとってレイは・・・“友だち”なんだ。裏切られたと分かっても“友だち”なんだ。
だから陸は「友だちのレイが、自分に厳しい罰なんて与えるはずない」って思えるんだ。
レイは俯き、呟いた。
「本当にそう思うのか?」
「うん」
「・・・その罰は“守護霊になる”ってことなんだぞ?」
「わかった」
「!!・・・陸!?」
絢は思わずそう叫んだ。
やっぱり陸の考えは自分には理解できない。
「陸!分かってんの?守護霊になるってことは・・・もとの世界に帰れなくて・・・今までの生活もできなくなるんだよ?」
「・・・分かってるって」
陸の言葉は以外とあっけなかった。
「私は嫌だよ!!」
今までの生活を捨てるなんて自分には絶対にできない。
絢の望むことはただ一つ─元の世界に帰って、普通の生活を送ることだ。
と、レイが顔をあげた。
「嬉しいぞ!陸!」
「!」
レイは本当に嬉しそうな表情を浮かべ、陸の目の前までふわりと浮きあがる。
一方陸も、表情を和らげレイに微笑みかけた。
(うそ・・・!?何で・・・)
絢は目の前の光景に愕然とする。こんなに絶望感で一杯なのは、間違いなく自分だけになってしまった。
「陸・・・どうして?」
自分の声は、自分でも信じられないくらい弱弱しい。
「レイは俺にとって大切な友だちなんだよ。だから、レイのいる世界で生きていくのも悪くないって思ったんだ・・・」
「!・・・」
絢は次の言葉を発することができなかった。
ただ驚いたことは、こんなにも陸はレイのことを大切に思っていたということ。
自分は陸とレイの関係なんて、これっぽっちも分かっていなかったんだ。
分かっていなかったことに対してなんて、否定したくても否定できなかった。
「絢。俺にその書を渡してくれないか?守護霊ルールに“冥界にいる者はすべて守護霊でなくてはいけない”って書き足せば・・・」
「っ・・・!」
絢はレイの言葉が終わらないうちに、書を腕に抱えたまま走りだした。
自分がどうにかしなければ・・・・本当に自分はもとの世界に帰れなくなってしまう。
陸のことなんてもう頼りにしない。
自分の力だけで・・・・どうにかしてやるんだから・・・。
陸はただ、絢の遠ざかっていく後姿をじっと見据えていた。
「・・・」
陸は少し後悔した。
・・・・自分はたった一言で、絢を一人にしてしまったのだ。
「陸!絢を捕まえてくれ」
声の方を見ると、陸の目線の高さまで浮き上がったレイと目が合った。
「やだ」
「なっ!?」
レイは大きく目を見開き、口をへの字に曲げる。
陸はそんなレイのことは気にすることなく、思っていることを口にした。
「だって、絢も俺の友だちだし。・・・絢は守護霊になりたくない雰囲気だったから、捕まえに行くことなんてできねーよ」
「・・・」
その後、重々しい空気が二人を包む。
レイの顔には、やはり不服な表情しか浮かんでおらず、陸は、ただレイの次の言葉を待っていた。
「陸、分かっているのか?お前たちはルールを破ったんだぞ?選択肢なんてお前たちにはない」
「そんなの分かってるよ。俺は最初からその覚悟ならできてるし。・・・でも、絢は違う。どうして絢まで冥界につれてきたんだ?」
「・・・ルールだからだ」
「─・・・」
陸は、次に言うべはずの言葉をいつの間にか飲み込んでいた。
レイの瞳は微かに揺らいでいた。
・・・・レイは今、何を思ったのだろう。
「レイ・・・」
「陸っ・・・!お前は黙ってろ!」
レイのその声が聞こえた瞬間・・・陸の意識はなくなった。
「レイ、もっと素直になったら?」
「!」
レイは陸の体を使って、突然聞こえた声の方に振り返る。
そこにはこちらを見据えているすみれの姿があった。
「うるさいぞ」
レイは、陸の声を使って低い声でそう言う。
「生きてる時に、友だちを作ることができなかったからって・・・これぐらいは分かるでしょ?相手のことを思いやれない友情なんて、すぐに終わっちゃうんだよ・・・」
すみれの声はとても寂しげだった。そしてそれを口にする、彼女の表情までもが。
レイはそんなすみれとは対照席に、口をきゅっと結び彼女から顔を反らした。
「俺は友だちができたんだ。守護霊になってくれると陸は言った。絢もいるし・・・俺は、絶対にもう、惨めな思いなんてするつもりはない」
「レイ!さっき私の言ったこと聞いてた!?私は相手のことを思いやれない・・・」
「だまれ!!!」
レイの大声に、すみれは思わずびくりとする。
レイは大股ですみれに歩み寄ると、また言った。
「分かってるのか?すみれ。ルールを破った奴らに、これ以上手助けするようなまねをしたら・・・・俺がお前を絶対に抜け出せない牢獄にぶちこんでやる!!」
レイの瞳は残酷だった。
もうそこに陸の面影はなく、すべてがレイのものに染まっている。
「・・・・──」
すみれは、レイの瞳から目線を反らした。
すみれは気づいてほしかった。
友情なんてとても儚いものだ。ずっとあり続ける保証なんて、どこにもない。
そんなもののために、絢たちが地上を手放すなんて絶対にあってはいけないことだ。
だってすみれ自身が、“友情”のない世界を望んでここへ逃げてきた。
「俺は・・・陸を信じてる」
レイはそう呟き、すみれに背を向けた。
「!・・・・」
すみれにレイを止めることはできなかった。
だって自分には・・・「陸を信じるな」とは言えなかったからだ。
絢は、走ることをやめた。
息が上がってしまって、走りたくてもこれ以上走れない。
走っても走っても、見えるのはどこまでも続く廊下。窓なんてものはなくて、人工的な白い光が淡々と広い廊下を照らしているだけだ。たまに曲がり角に遭遇しても、その後に続くのは決まってどこまでも続く廊下だった。
(一体どうなってんの・・・?)
絢はへなへなとその場に座り込んだ。
この建物はどこかおかしい。まるで、ぐるぐる同じ場所を走っているようだ。
絢は辺りを恐る恐る見渡した。
・・・人・・・いや、守護霊の姿はどこにもない。
絢は本を胸の前に抱え、呼吸が整のう待っていた。
「はぁ・・・・はぁ・・・──」
辺りは、とても静かだ。物音一つ聞えない。さっきまで陸と会話していたことが、遠いことのように感じられた。
絢の心に渦を巻くのは、恐怖というものに近かった。
この普通ではない空間で、自分は逃げ続けることができるのだろうか。
“書”は自分が持っているのだから、必ず取り返しにくる守護霊はいるはずだ。そう思うと、恐怖が絢の心を支配する。
「っ・・・」
(怖い・・・)
たった一人。知らない空間。周りは敵だらけ。
(助けてっ・・・。すみれお姉ちゃん・・・)
***
レイは、陸の体を使って絢のことを探しまわっていた。
ここの建物は特別だ。そう簡単には、出口にたどり着けないだろう。それに、この姿なら絢から書を取り返すことなんて簡単だ。少し陸のまねをするだけで、絶対にレイが陸の中に入っているなんて思いやしない。
「!」
そして、レイは絢を見つけた。
絢は、廊下を曲がったところで、座り込んでいる。
絢の腕の中に、しっかりと書が納められているのをレイは確認した。
「・・・」
レイが絢に近づこうとしたその時・・・レイは、その歩みをぴたりと止めた。
「ひっく・・・ひっぐ・・・」
絢は・・・泣いていた。
・・・とても苦しそうに。
レイは絢に近づくことをいつの間にか躊躇っていた。
(何故・・・泣くんだ?)
レイは他人の流す涙を見たことがなかった。
そうか。涙と一緒にあらわれるのは表情。すべての感情が表情で現れる。
「嫌だよっ・・・。帰りたいよっ・・・」
絢は嗚咽の漏れる中、確かにそう言った。
『嫌だよっ・・・。帰りたいよっ・・・』
絢の言葉が“あの時の自分の言葉”と重なる。
ボロボロの病院のベッドで、いつも自分はそう言っていた。
「っ・・・」
本当にいいのだろうか。絢と陸が帰る場所を奪ってしまって。自分は本当にそれで満足なのだろうか。
『相手のことを思えない友情なんてすぐに終わっちゃうんだよ・・・』
すみれの言葉がレイのあたまの中で響いた。
レイは陸のことを信じている。陸は絶対に自分との友情を終わりにしないと信じている。
でも・・・。
「陸・・!」
「!」
声のほうを見ると、絢が涙で頬を濡らしたままこちらを見ている姿があった。
絢は立ち上がると、こちらに歩み寄り言った。
「陸っ・・・。お願いだから、守護霊なんかにならないで!一緒にもとの世界に帰ろうよっ・・・」
絢の表情は必死だ。
「絢・・・俺は・・・」
レイは信じられなかった。・・・自分が。
こんなんじゃ、満足いかない。
陸が永遠の友情を誓ってくれたとしても、自分にそれができない。レイは改めてそのことに気づいてしまった。
陸と絢の大切なものを奪ったと知りながら、自分と彼らの永遠の友情が続くとは・・・・思えなかった。
「絢。実は俺、その本に文字を書く方法知ってるんだ」
陸は突然、そう言った。
「えっ・・・ほんとに!?」
絢は陸の信じられない言葉に、思わず彼を凝視する。
陸はいつものように口に笑みを浮かべ、頷いた。
陸がここに来てくれただけでも嬉しかったのに、まさかこんないいことまで知っていたなんて。
「どうやるの!?」
絢が即座に質問すると、陸は絢に手を差し出し「かして」と言った。
絢は素直に、手に持っていた本を陸に手渡す。
陸は、絢から本を受け取るとその表紙をゆっくりと開いた。そして、一番最初のページにそっと人差し指を乗せる。
「・・・?」
しかし、そこで陸の動きがとまった。
絢は不思議に思い、陸の顔を見る。
「!」
そこには、陸には似合わない表情があった。
彼は唇を強く噛みしめ、その瞳は微かに歪んでいる。
「陸?どうしたの・・・?」
「・・・何でもない」
陸は呟くようにそれだけ言った。そして、陸は書の上に置かれた人差し指を、紙面をなぞるようにゆっくりと動かす。
すると、そこから淡い光が漏れ始めた。指でなぞった後には、光の線が浮き上がりそれらは次々と紙面に文字をえがいていく。
そして・・・・陸は文字を書き終えた。
“守護霊以外のものは、冥界にいてはいけない”
「!・・・」
それらの文字は、一瞬より白く輝いたかと思うと、ゆっくりと紙面に吸い込まれるようにして消えていった。
「やった!」
すると突然、陸が手に持っている本を床に叩きつけた。
「!?」
突然の陸の行動と、その大きな音に絢の心臓がはねる。
そして、陸は勢いよく絢に抱きついてきた。
「え!?陸どうしたのっ・・・?」
絢は陸の思いがけない行動に、驚きを隠せない。
「陸っ・・・絢・・・行かないでくれ・・・。ずっと俺と一緒にいてくれよ・・・──」
「・・・──?」
(もしかして・・・泣いてる・・・?)
絢の心臓は早鐘のようになっていた。
陸のこんな姿を目にしたのは、今までに一度もなかった。
(あれ・・・でも・・・)
絢は陸の言葉を聞いて気づいてしまった。
さっきの陸の言葉は、間違いなく陸の言葉ではなかった。
「・・・レイなの?」
絢は自分に強く抱きついたままの陸・・・いや、レイに恐る恐るそう言った。
「!」
と、絢の目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。そして、足元が立っていられないほどに不安定になる・・・。
「っ・・・」
絢は立っていることが困難になり、そのまま床に倒れた。
「──・・・・!」
次に絢を待っていたのは、見慣れた景色だった。
絢は体を起こすと、辺りをぐるりと見渡す。
コンクリートで固めれた道。永遠と続く夜空。そして、玄関から漏れる明かり。
絢は、陸の家の前の道にいたのだ。
「帰って・・・これたんだ」
絢は自分の手首に視線をおとす。
そこには、“手錠の痕”はなく、いつもどおりの自分の手首があった。
(よかった・・・)
元の世界に帰ってこれた。もう、あんな怖い思いはしなくて済むんだ。
「!」
次に絢の目に映ったのは、絢のすぐ後ろに倒れている陸の姿だった。陸は意識がなく、ぐったりとしている。
「陸!」
絢は陸の体を激しく揺さぶった。
すると陸は、ゆっくりとその瞳を開く。
「絢っ・・・!」
陸は目を大きく見開きそう言うと、勢い良く立ち上がりあたりをキョロキョロ見渡した。
「ここ・・・」
絢の耳に、陸がそう呟くのが届いたので、絢は言った。
「もとの世界に帰ってこれたんだよ」
絢もゆっくりと立ち上がり、そして陸に自分の手首を見せた。
「ほら、手首にあった手錠の痕も消えてるし・・・」
「・・・」
陸は、はっとして絢の手首を見る。そして、その表情を和らげ言った。
「そっか~。よかった、よかった」
「うん!よかった・・・」
すると、陸は辺りをまたキョロキョロと見渡した。
「おーい!レイ!でてこいよー」
「!・・・」
絢は、陸の発した言葉にドキリとした。
“もうレイには会えない”絢は密かにそう感じていた。だって、また会えるのならレイはあんな言葉を口にするわけないし、ましてや涙なんて流さないと思う。
しかし、絢はそう口にすることはできず、ただ陸が、レイを探すのを見守るしかなかった。
「レイー!」
「・・・──っ」
絢はそんな陸の姿から自然と目を反らしていた。
(陸・・・レイとはもう・・・)
「会えないんだよっ・・・」
絢はこの光景を見ているのが辛すぎて、思わずそう言ってしまった。
陸は絢のほうに振り向いた。
「・・・なんで絢にそんなことが分かるんだ?」
陸の声には、怒りが入り混じっているように聞こえた。
絢は初めての陸の様子に戸惑いながらも、口を開く。
「レイが・・・泣いてたから」
陸は絢の言葉を聞いて、どう思ったのだろう。
絢には陸がやっぱり分からなかった。ただ陸は、哀しそうに微笑んで「そうか」と言っただけだった。
陸はすべてを受け入れたのだろか。それとも、今でも陸は「レイとまた会える」と信じて疑っていないのだろうか。
でも、分かっていること一つだけある。それは・・・・
***
レイはいつものように、陸のいる教室の窓のさんに腰を下ろしていた。
陸もいつものように、授業中にも関わらず爆睡しているし、絢もいつものように黒板に書かれた文字を必死にノートに書き写している。
「レイ。退屈なんじゃない?」
「!」
声のほうに目をやると、絢の後ろにはすみれが立っていた。
「すみれもそうだろ?」
「あはは。そうだね」
すみれは微笑むと、絢、そして陸のほうに視線をうつした。
「いいの?陸にちゃんとお別れ言ってなかったけど・・・」
「いいんだよ」
「・・・本当は面と向かってお別れいうの、照れくさかったんじゃない?」
すみれは、口に笑みを浮かべレイを見る。
レイはふんと鼻を鳴らし、明後日のほうを向いた。
レイは少しだけ安心していた。
陸たちの大切なものを奪わなくて済んだから。そして、永遠の友情を手に入れることができたから。
それにいいんだ。
こうして陸と絢と一緒にいることができる。
たとえ姿は見えなくても・・・・繋がっているのだから。
end.




