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a trick of destiny Ⅲ -運命の悪戯 3-  作者: 樋山 蓮


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Ⅸ.はじまりの春





校庭の桜は、もうほとんど散りかけていた。

風が吹くたびに、薄い花びらがゆっくり空を舞う。


その中を、亜紀は新しいスーツのまま歩いていた。


「……ここが、今日からの場所か。」


校門をくぐる瞬間、胸の奥が少しだけ引き締まる。



異動してきた先生の横に並び、挨拶することになった。


「今日からお世話になります、新規採用の谷沢亜紀です。よろしくお願いします。」


職員室に響く声。言い終わると大きな拍手があった。


「谷沢先生の席はここよ。」

職員室で名前を呼ばれるたびに「先生」という言葉が少しだけ重い。


「ありがとうございます。」

「学年主任の川上由美子です。1年間よろしくね。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」


規模は小さく、学年が1〜2クラスの学校だった。

都内では珍しくないらしい。



担当するクラスは、2年2組。


校舎の匂いと空気にまだ慣れていない。


名簿をもらい、25人という少ない数の子供たちの名前が並ぶ。


川上先生は、一年生から持ち上がりで担任するので、子供たちのことをよく知っている。


「明日は初任者研修だから、ちょっと今日できること進めていこう。」

と、とても頼もしい先生だと感じた。


川上先生から、学年の子どもたちの情報を聞き、名簿にメモをしていく。

発達障害、モンスターペアレント、子どもたち同士のトラブルの有無など、理解しようとしても追いつかなかった。


分掌や教科部会の会議があり、学級事務に辿り着かずに定時を迎えた。


「あら、もう時間ね。初日で疲れたと思うから、先に帰って。また明日の午後に学年のことを進めましょう。」

そう言って、川上先生はお菓子を食べ始めた。きっとこれから仕事をするのだろう。


「では、お先に失礼します。」

そうして、初日の学校を出た。


帰り道、スマホを見る。

賢からの連絡はない。


既読をつけていないメッセージが一つだけ残っている。




「和哉からか。」


そう呟いて、亜紀は一度だけ画面を開いた。


【明日の初任研で会えるの楽しみにしてる!】


短い文なのに、妙に明るい。


亜紀は少しだけ息を吐いてから、スマホをポケットに戻した。




⸻翌日


大きなホールに、区内の全校の初任者が集まっていた。

まだ少し緊張の残る空気が、ざわざわと揺れている。


指定された座席に座ると、思っていたよりも遠くまで人がいることに気づく。


(こんなにいるんだ……)


同じ“先生一年目”というだけで集められた人たち。

その中に、自分もいる。


そのときだった。

視線の先で、誰かが大きく手を振っている。


「亜紀ー!」

和哉だった。


隣の席の人に軽く頭を下げながら、こちらに向かって手を振っている。

わたしは一瞬だけ驚いて、それから小さく手を上げた。

控えめに。


でも和哉はそれだけで満足したように、少しだけ笑った。

「近くじゃないんだね」


休憩時間、和哉が隣に来て言う。

「うん、たまたまだね」

わたしは資料を見ながら答える。


和哉は少しだけ肩をすくめた。

「まあでも、同じ区だしさ」


その言葉に、一瞬だけ顔を上げる。

「そうだね」

それ以上は続けない。




講義が始まると、ホールは静かになる。

スライドの光が前方に映し出されていく。


「初任者としての一年は——」

説明の声が遠く感じるほど、情報量が多い。

必死にメモを取る。


でもふとした瞬間、手が止まる。


(賢、今何してるんだろう)


一瞬だけ浮かんで、すぐに消える。




休憩時間。

和哉がまた近づいてくる。


「めっちゃ眠くならない?」

「ちょっとね」

「でもさ、こういうの一緒に受けてるのちょっと面白いよね」


和哉は軽く笑う。

私も少しだけ笑う。

でもその笑いは、すぐに講義の静けさに戻される。



ふと、ホールの外を見ると、窓の向こうに曇り空が広がっていた。


誰かの未来みたいに、まだはっきりしない色。

私は視線を戻して、ペンを握り直す。


(始まったんだ)

静かに、そう思った。







⸻ 同じ頃、


スタジオの中は、朝からずっと照明が落ち着かない熱を持っていた。

モニターの前にはスタッフが並び、誰もが同じ方向を見ている。


「はい、次シーンいきます!」


声が飛ぶ。


カメラの前に立つ剣斗は、もう“剣斗”というより役名である“高瀬 ヒロ”そのものだった。

一瞬で表情を切り替え、セリフに入る。


「……っ、OKです!」


カットがかかると同時に、空気が緩む。


でも完全には戻らない。




控室に戻る途中、スタッフが資料を差し出す。


「明日、番宣入ってます。朝の情報番組から回ります」

「了解です」


短く返す。


そのままスマホを取り出すが、通知は増えていない。

画面を一度見て、すぐに閉じる。




「剣斗くん、最近ほんと忙しいですね」

ヘアメイクのスタッフが笑いながら言う。


「そうですね」

鏡を見ながら軽く返す。

鏡の中の自分は、もうどこか遠い。


移動車の中で、窓の外を見ていた。

流れていく光の中で、時間だけが淡々と進んでいく。


ふとスマホが震える。

画面には通知。


【初任研、終わったよ!】

亜紀からのメッセージだった。


一瞬だけ画面を見るが、返信はできなかった。

何て返そうか?


⸻お疲れ様。


それだけでいいと思うんだが、今の自分に余裕がない。



それ以降、通知は増えない。

亜紀からも、自分からも。

どちらからも、何もない。


まるで最初から、繋がる線が細すぎて見えなくなっていくように。


窓の外には、ビルの光が途切れず続いていた。


そのどこにも、今の自分を止める場所はない。


それでも車は止まらない。


次の現場へ、ただ向かっていく。






.

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