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死に戻り最強転移者は、異世界の神々すら見捨てた少年だった  作者: あっかんべー


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第五話「赤髪の騎士と、消せない血の話」

装備が届いたのは、約束通り翌朝だった。

詰め所の前に、革張りの木箱が置いてあった。蓋を開けると、軽鎧一式、短剣、片手剣、そして発光石が十個。どれも上等な品ではなかったが、使えるものだった。宰相ヴァルネアが約束を守った、ということは——今のところ、利用価値があると判断されているということだ。

零は剣を一度抜いて、重心を確かめた。

昨日フェリアに習った握り方で持つと、昨日より自然に手に馴染んだ。【残響模倣】が働いているのか、一度教わった感覚が身体に定着していた。


「おお、剣来たじゃん」


フェリアが覗き込んできた。今朝も早い。零が気づく前に詰め所にいた。


「試し振りしていい?」


フェリアはそう言って、返事を待たずに剣を取り上げた。

素振りを二回して「バランスは悪くない。でもこれ、王国の標準支給品だね。良い物じゃないけど悪くもない」と言って返してきた。

零は剣を鞘に収めた。


「フェリア」

「なに」

「ヴァルネア宰相と話した」


フェリアの動きが、わずかに止まった。

「昨日、呼び出されたやつ?」

「ああ。その中で——お前の家系について触れた」


沈黙が落ちた。

フェリアは詰め所の壁にもたれて、腕を組んだ。表情が、普段より少し固かった。


「なんて言ってた」

「都合の悪い家系だ、と。深入りするなと言われた」

「……そっか」とフェリアは言った。


声が平坦だった。


「やっぱり、宰相府は知ってるんだ」

「話せるか」

「話せないなら、話さなくていい」


フェリアはしばらく黙っていた。

外から訓練場の剣戟音が聞こえてきた。

他の騎士見習いたちが、朝の稽古をしている音だ。フェリアはその音を聞きながら、目を伏せた。


「父が、王国の騎士団長だった…三年前まで」

零は口を挟まなかった。


「父が騎士団長のときに、霧の樹海の第一次深部探索があった。王国が初めて、樹海の深部——第三層より奥に部隊を送り込んだ探索。父がその指揮をとった」

「何があった」

「部隊が全滅した…父だけが生き残って帰ってきた。四十人の部下を連れて入って、父一人で帰ってきた」


零は何も言わなかった。

「父は何が起きたか、一切話さなかった。報告書も、ほとんど内容がなかった。王国はその件を非公開にして、父を騎士団長から外した。降格じゃなくて、実質的な追放。ヴァルドール家は貴族の末席から外れて、今は没落扱い」

「お前の騎士見習いの立場も、それで」

「パーティーに入れてもらえないのも、落ちこぼれ扱いされるのも、半分は実力で半分はそれ、ヴァルドールの娘と組みたがる人間は少ない。汚点に関わりたくないから」

「お父さんは今、どこにいる」

「王都の外れに住んでる。会いに行っても、ほとんど話さない。あの探索から帰ってきてから、ずっとそう」

「樹海の深部で何があったか、聞いたことは」

「一度だけ聞いた。父は——怖かった、とだけ言った。四十年騎士をやってきた父が、ただそれだけを言った」


窓の外の剣戟音が続いていた。

零は剣の柄を指先で触れながら、考えた。

ヴァルドール元騎士団長が見たもの。

四十人が全滅した樹海の深部。赤目のオーガロード、シャドウパンサー、バジリスクが次々と樹海の外に押し出されているいま——深部で何かが、動いている。


「俺は樹海の深部に入るつもりだ」

「いつか、ではなく、近いうちに。深部に何があるか確認したい。それは王国のためでも宰相のためでもなく、俺自身の判断だ」

「……なんで話してくれるの」

「聞いてほしいと思った」

「私も行く」

「危険だ。四十人が全滅した場所だ」

「だから行く」


とフェリアは言った。

声が、さっきより強くなっていた。

「父が帰ってきて何も話さなかった場所に、何があるか——私も知りたい」


零は断らなかった。

フェリアが答えを待つ顔をしていたから、「分かった」と言った。

彼女が、小さく息を吐いた。


午前の訓練の後、零は一人で王都の外れに向かった。

フェリアには言わなかった。

ヴァルドール元騎士団長の居場所は、堂本の鑑定スキルを使って間接的に調べた。堂本は理由を聞かずに調べてくれた。眼鏡の奥の目が少し心配そうだったが、それも何も言わなかった。

住所は、王都の南端の細い路地にある石造りの家だった。

扉をノックした。

返事がなかった。もう一度ノックした。


「誰だ」と、くぐもった声がした。

「朝霧零。フェリアの知り合いだ」


長い沈黙。

それから、扉が開いた。

出てきた男は、想像より老けて見えた。五十代のはずだが、七十代に見えた。白髪交じりの髪、深く刻まれた皺、そして目——フェリアと同じ形の目が、生気のない灰色をしていた。かつて騎士団長だったとは思えない、丸まった背中だった。


「フェリアに何かあったか」と彼は言った。

「フェリアは元気だ」と零は言った。

「あなたに直接聞きたいことがあって来た」

男は零を上から下まで見た。


「転移者か」

「そうだ」

「何を聞きたい」

「霧の樹海の深部で、何があったか」


男の顔が、石のように固まった。


「帰れ」

「帰らない」

「フェリアが遣わしたのか」

「俺の判断だ。フェリアは知らない」


男はしばらく扉を閉めようとして——しなかった。

「……中に入れ」と彼は言った。しぶしぶとした声だった。


家の中は薄暗く、物が少なかった。

椅子に座って向き合うと、男は「ヴァルドール、グレン」と名乗った。


「元騎士団長だ。今は何でもない」

「霧の樹海の第一次深部探索」

「三年前、あなたが指揮した。四十人が全滅した」


グレンは手の甲を見ながら言った。

「記録はほとんどないだろう、王国が封印した。なぜ知っている」

「フェリアから聞いた」


男は口をつぐんだ。


「何が全滅させたのか知りたい」

「今、樹海の深部から色々なものが押し出されている。バジリスク、シャドウパンサー、赤目のオーガロード。それが何かに追われているなら、その何かを知る必要がある」

「………なぜお前が知る必要がある」

「俺が深部に入るから」


男の灰色の目が、初めて動いた。

「……正気か」

「分からない」


グレンはそれを聞いて、何か言いたそうにして——やめた。

代わりに椅子の背もたれに深く沈んで、天井を見た。


「第三層を抜けたところに、空洞がある、樹海の地下に、自然のものとは思えない大きさの空洞。壁に文字が刻まれていた。古代語で、俺には読めなかったが——一人だけ、読める部下がいた」

「何と書いてあった」

「そいつが読んで、青ざめた。そして言った。『これは神盤の根だ』と」


零の中で、何かが繋がった。

神盤の根。神盤を支える何か。それが、地下に埋まっている。


「その後、何が来た」

「声だ」

「人間の声に似た、しかし人間ではない何かの声が空洞に響いた。言葉は分からなかった。でも——その声を聞いた瞬間、部下たちが動かなくなった。立ったまま、目を開けたまま、全員が固まった」

「石化か」

「違う。動けるんだ。ただ、全員が一斉に——俺に向かって剣を抜いた」


零は黙っていた。

「俺の部下が、四十人全員が、俺を殺そうとした。目は開いていたが、何も見ていなかった。声に支配されていた。俺は逃げた。逃げることしかできなかった」


グレンは手の甲に視線を落とした。

「逃げるとき、三人を斬った。邪魔をするなら斬るしかなかった。それが俺の部下だ。残りの三十七人がどうなったか、俺は確認していない」


部屋に重い沈黙が満ちた。

「その声の正体は」

「分からない、しかし——空洞の中心に、何かがあった。遠くて形は分からなかったが、光っていた。青白い光で、声はそこから来ていた」

「話してくれてありがとう」

「待て、お前、本当に深部に入るつもりか」

「ああ」

「部下たちが支配された。声を聞いた瞬間に意識を奪われる。お前も同じことになる可能性がある」

「なるかもしれない、でも俺には死に戻りがある」


グレンは意味を理解できていない顔をした。

零はそれ以上説明せず、扉に向かった。

「ひとつだけ言っておく、フェリアを——あの子を、巻き込むな」


零は扉の前で止まった。

「フェリアが自分で決めることだ、俺が決めることじゃない」

グレンは何も言わなかった。


零は家を出た。

路地に出て、少し歩いたところで立ち止まった。

フェリアの父が三年間抱えてきたもの——四十人の部下を失った記憶、逃げた記憶、三人を斬った記憶。それが彼の目を灰色にしていた。

零は自分の手を見た。

いつか記憶を失う。それが零の運命だとしたら——失う前に何をするべきか、という問いが、また少し輪郭を持ち始めた気がした。


夕方、訓練場に戻るとフェリアが待っていた。

「どこ行ってた」

と彼女は言った。

怒っているわけではなく、心配しているような声だった。


「散歩」

「昨日もそれ言ってた。嘘の内容が変わらない」

「今日は本当に歩いていた」

フェリアは零の顔を見て、何かを感じ取ったようだった。


「……何か、あった?」

「お前の父親に会ってきた」


フェリアが、固まった。

数秒間、何も言わなかった。

それから「なんで」と言って声が低くなっていた。


「樹海の深部の話を聞きたかった」

「私には言わないで、一人で行ったの」

「心配させたくなかった。あと、お前が感情的になる可能性があった」

「それは……まあ、正しいけど」とフェリアは言った。唇をかみながら。

「でも、なんか、腹が立つ」

「それも正しいと思う」

「認めるんかい」


零は少しだけ、口元が動いた。

笑い、ではなかったが、笑いに近い何かだった。

フェリアがそれを見て、少し目を見開いた。


「……あんた、今笑った?」

「そういう気分になった」


フェリアは数秒フリーズして、それから「なんか得した気分」と呟いた。

声が少し照れていた。


「お父さん、話してくれた?」

「少し」

「……どうだった」


零は少し考えた。

フェリアが何を聞きたいのか、正確に把握しようとした。

父親の状態か、それとも深部で何があったかか。


「元気ではなかった。でも、壊れてはいなかった」

「お前のことを心配していた。それははっきりしていた」


フェリアは目を伏せた。

長い間、何も言わなかった。

「……ありがとう…教えてくれて」


零は返事をしなかった。

返す言葉が見つからなかった、というよりも——返す必要がないと思った。

二人はしばらく、並んで訓練場の端に座っていた。


夜、零は手帳を開いた。

グレンから聞いたことを書き留めた。神盤の根、青白い光、声による支配——これは樹海の深部探索の前に必ず整理しておく必要がある情報だった。

書き終えて、ふと気づいた。

手帳の前のページを読み返すと、四話の夜に書いた内容がある。エルロンから聞いたこと、記憶の消耗の話。

その中に「忘れたくないものが、少しずつ増えている」と書いてあった。

今夜、また少し増えた気がした。

フェリアの父の灰色の目。三年間ひとりで抱えてきたものの重さ。フェリアが目を伏せたときの横顔。

零は新しいページに一行書いた。


「フェリアの父はグレン。三年前に何かを失って、今も探している。それは俺に似ていると思った」


ペンを置いて、窓の外を見た。

今夜の樹海は昨夜より静かだった。

しかし零の感覚は、その静けさに安堵しなかった。嵐の前の静けさというものを、七回死ぬ中で身体が学んでいた。静かなほど、次に来るものが大きい。

そのとき、扉が軽くノックされた。

こんな時間に誰だ、と零は思いながら立ち上がった。

扉を開けると、そこに少女がいた。

獣耳、銀白色の髪、くりくりとした目。年齢は十五歳ほどに見えた。狼の耳がぴくぴくと動いていた。ボロボロの外套を羽織っていて、素足だった。


「……見つけた」

「誰だ」

「ルナ」

「あなたを、ずっと探してた」


零は少女を上から下まで見た。

敵意はない、魔力の気配もない。ただ、目に異様な確信があった。何かを知っていて、それを伝えるためだけにここに来た目だった。


「俺を探していた理由は」

「あなたが、ご主人様だから」

とルナは言った。まるで当然のことを言うように。

「意味が分からない」

「私には、結界がある。私を作った人が仕込んだ、特定の人間に反応する結界。その人間を見つけたら、ついていくように言われてた」

「作った?」

「そう。私は普通の獣人じゃない」


それを恥じる様子も誇る様子もなく、ただ事実として言った。


「私を作った人は——神盤の根に触れた人間だって言ってた。その人の記憶と力の一部を、私の中に入れた」


神盤の根。

グレンから聞いたばかりの言葉が、全く別の方向から飛んできた。


「その、お前を作った人間は誰だ」

「名前は言えない。でも——あなたと同じスキルを持っていた人だって聞いた」


同じスキル。

【Ω-Stack】。


「中に入れ」

「全部話せ」

「お前が知っていること、全部」


ルナはくりくりとした目で零を見上げた。

「全部話す。でも——ご主人様」

「その呼び方はやめろ」

「じゃあ、零さん?」

「零でいい」

「零。全部話す。でも、長くなる。それでもいい?」

「構わない」


零は椅子を引いて、向かいに座った。

夜が、深くなっていった。



ルナが話し始めた。

彼女が作られたのは、七年前。

場所は霧の樹海の深部——零がグレンから聞いた、神盤の根がある空洞のさらに奥だという。


「私を作った人は、その空洞に閉じ込められていた」

「神盤の守護神が、直接手を下せない人間を閉じ込める場所があって、そこに何十年も」

「【Ω-Stack】を持っていたから、閉じ込めるしかなかった」

「そう」とルナは頷いた。「殺しても死に戻る。でも閉じ込めれば、記憶がなくなるまで待てる。記憶がゼロになれば、スキルが止まる。だから神盤は——零さんと同じスキルを持つ人を、樹海の深部に隔離した」


零は手帳を手に取ってそこに書きながら聞いた。

「その人は、今も閉じ込められているのか」

「分からない」

「私を外に出した後、連絡が途絶えた。でも死んではいないと思う。死に戻りがあるから」

「なぜ俺を探していた」

「引き継ぎのため」

「その人が閉じ込められる前に、私に伝言を持たせた。次に【Ω-Stack】を持つ人間が現れたら、これを渡せって」


ルナは外套の内側から、小さなものを取り出した。

石だった。

黒い、親指の爪ほどの大きさの石。しかし表面に、青白い光が微かに宿っていた。


「これは何だ」

「記憶の石。その人が、臨界のたびに失われた記憶を外部に保存したもの。全部で、何十年分の記憶が入ってる」


零は石を受け取った。

冷たかった。しかし手に乗せた瞬間、青白い光がわずかに強くなった。

【Ω-Stack】に反応したのかもしれない。


「これを、俺に渡した理由は」

「次の人なら、使い方が分かるから。それだけ聞いてた。………あと、一言だけ伝言がある」

「言え」

「『同じ過ちを繰り返すな。強さを目的にするな。強さは手段だ』」


部屋に、静けさが落ちた。

零は黒い石を見た。青白い光が揺れていた。

何十年分の記憶。死に戻りを繰り返しながら強くなり、神に隔離された先代の使用者。その人は何のために戦い、何を守ろうとして、最後にどうなったのか。


「この石の使い方は分かるか」

「握って、意識を向けるだけって言ってた。ただ——全部見ようとしたら記憶が混乱するから、少しずつにしろって」


零は石を握らなかった。

まだ、その時ではないと感じた。石の中の記憶を見るのは——もう少し、自分が整理されてからでいい。


「お前はこれからどうする」

「ついてく」

「俺と?」

「それが私の役目だから。あなたを見守って、記憶を記録して——最後まで」

「危険な場所に行くことになる」

「知ってる」

「死ぬかもしれない」

「私は死なない仕組みになってる」

「作られた目的が、それだから」


零はルナを見た。

くりくりとした目が、まっすぐ零を見ていた。

嘘をついている目ではなかった。

何かを隠している様子もない。

ただ、最初から決まっていたことを話している、そういう目だった。


「分かった」

「じゃあ、今夜ここに泊まっていい?素足で来たから足が痛い」


零はそこで初めて、ルナの足を見た。

石畳の上を長い距離歩いてきたのか、足の裏が赤くなっていた。


「……靴を持っていないのか」

「持ってたけど、川を渡るとき流された」


零は立ち上がって、詰め所の備品の棚を漁った。

使われていない毛布を見つけて、ルナに投げた。


「今夜は床でいい。明日、靴を探す」

「ありがとう、零」とルナは言って、毛布にくるまった。

それから少しして「零」とルナが呼んだ。


「なんだ」

「その石、大事にして」

「あの人の、全部が入ってるから」


零は手の中の黒い石を見た。

青白い光が、静かに揺れていた。


翌朝、フェリアが詰め所に来たとき、毛布にくるまって床で寝ている獣耳の少女を見て二秒固まった。


「……零」

「起きてる」

「この子は…」

「ルナ。昨夜来た」

「素足で来たって聞いた。今は足が痛くて起きられない」とルナが毛布の中から言った。


フェリアは零を見た。零はフェリアを見た。


「説明して」

「長くなる」

「時間はある」


零は手帳を開いた。

昨夜書き留めたことを、順番に話し始めた。

神盤の根、先代の使用者、黒い石、そしてルナが持ってきた伝言。

フェリアは途中で何度か口を挟みそうになったが、最後まで黙って聞いた。

全部話し終えると、フェリアは、


「……整理するのに少し時間ちょうだい」

「分かった」

「でもひとつだけ先に言う」

「深部に行く前に、父にもう一度話を聞きに行った方がいい。あの空洞の場所、もっと詳しく。あなたが一人で行ったのは分かった。次は私も連れて行って」

「……分かった」


今度は、すぐに答えた。

フェリアが少し目を細めた。


「成長じゃん」

「何が」

「素直に返事した」

「昨日、一人で行ったことを反省した」


フェリアは小さく笑った。それからルナの方を向いた。


「ルナちゃん」

「ルナでいいよ」


毛布の中からルナが言った。


「靴、私の古いやつあるけどサイズ合う?」

ルナが毛布から顔を出した。

「ほんと? 嬉しい」


フェリアが零を横目で見た。

「なんか、増えてるね、仲間」

「増えた」

「嫌じゃないの?」


零は少し考えた。

「嫌い、という感覚がよく分からない。でも——邪魔とは思っていない」

「それが零なりの歓迎ってことにしとく」


ルナが毛布の中で「零は不器用だね」と言った。

「そう言われることが多い」

「でも悪い不器用じゃないと思う」

「私を作った人も、不器用だったから」


部屋に、朝の光が差し込んできた。

零は黒い石を机の引き出しにしまった。

まだ、その時ではない。でも——いつかこの石の中の記憶を見るとき、自分が今より少し、何かを理解している人間になっていたい。

そう思うことが、零にとって珍しいことだと気づいた。

目的が、ぼんやりと輪郭を持ち始めていた。


その日の昼、廃都クレインでリリスが仮面を外していた。

素顔は、整っていた。青みがかった黒髪、切れ長の目。仮面の下に隠す理由が分からないほど、綺麗な顔だった。


「ねえ、エルロン」

「獣人の子が零に接触したよ」

「知っている」とエルロンの声が暗がりからした。

「あの子、神盤の根に関係してる。ということは、先代の【Ω-Stack】の件も、零が知り始めてる」

「計画より少し早い」

「しかし問題はない」

「本当に? 零が先代の記憶を見たら、こちらの意図に気づく可能性もある」

「気づいても構わない」

「私は零を騙しているわけではない。利害が一致する部分があると言った。それは本当のことだ」

「利害が一致しない部分は?」


長い沈黙。


「それは、その時に話す」


リリスは仮面を持ち上げて、しばらく眺めた。

「零に化けてみようかな、って思ってる」

「何のために」

「面白そうだから。あと——あの子の周りの人間たちがどう反応するか見てみたい。赤髪の子とか、獣耳の子とか」

「余計なことをするな、と言った」

「言ったね」


そう言ってリリスは、仮面をかけ直した。

「でも私、余計なことが好きだから」


エルロンは何も言わなかった。

リリスは立ち上がった。


「ガルム様が今夜動くって聞いた。先遣隊を王都に送るって」

「先遣隊の規模は」

「ゴブリン三百、ホブゴブリン五十、オーガが十。それとデスナイトが三体」

「……早い…ガルムが本気になっている、零は間に合うと思う?」

「今の零では、無理だ」

「しかし——今夜ので死ねば、また一段上がる」

「死ねばって、さらっと言うね」

「それがあの子の仕組みだ」

「じゃあ——今夜は、見物しようかな」


扉が開いて、彼女の気配が消えた。

部屋に残ったエルロンは、静かに羊皮紙に書き続けた。

計算式が、一行ずつ伸びていった。


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