応心如水
井上勇美が来てくれた。
それだけで、赤羽陽美香は泣きそうになった。
ただただ嬉しかった。
そして、よりいっそう生きたいと願った。
「陽美香、龍誠さんから伝言だ!」
黒いウルフカットにタンクトップ、ジーンズを履いた長身の少女は背中を向けて話しかける。
彼女はゼウスを警戒しているようだった。
それもそうだろう。
ゼウスこそは神々の王にしてギリシャ神話最大の力を持つオリンポス十二柱神の筆頭なのだから。
石造りの神殿は荒々しく破壊され、普段であれば神々やニンフが笑うオリンポスの姿は見る影もない。
ただ荒々しき暗雲が立ち込め、皆逃げてしまった。
そんな中で少女が親友に言葉を伝える。
「『水は地に染みこむが、それで消えるわけじゃない』だそうだ!」
「……なにそれ?」
「わかんねえ! 口伝らしい! 水地流の極意なんだと!」
「急に謎解き!? ちょっとあの人の前時代的な『目で見て覚えろ』的なとこ苦手!」
「言ってる場合か!」
そう言い合いながらも、勇美の目の前にはゼウスが、陽美香の目の前にはヘラがそれぞれ立ち上がる。
少女達は当然のように、神から視線を外さない。
勇美は睨みつけながらも、鷹揚に言葉を紡ぐゼウスの話を聞く。
「君が日本で最大級の才能を持つ神殺しか。全くもって凄まじい。私のケラウノスを防ぎきるとは」
「そういうアンタは、陽美香の母親を無理やり手籠めにした女の敵って認識でいいかな?」
「否定はできないな」
ゼウスは広がる雷電を槍の様に両手で圧縮しながら言う。
「かつて私は自身の体を黄金の雨に変え、緋沙那に降り注いだ。
……誰にも奪われたくなかった」
「その緋沙那さんはあんたのことを憎からず思ってたのか?」
「いや、そんなことはないだろう。あの娘は神と人が交わるべきでないと思っていたから」
「なら最低じゃん。というか男なら責任取らないかんでしょそこは」
「……返す言葉もない」
ゼウスはそう言葉を区切ると、陽美香とヘラの方を見やる。
陽美香とヘラは、超高速でぶつかり合っていた。
その攻撃速度は神であることを考えても絶大なもの。
陽美香の脳内は、混乱の極みにあった。
師匠の助言が訳の分からないこともそう。
自分が生きていると世界が滅びるという事実もそう。
体の内から溢れてくるような力の奔流もそう。
だが、何よりも。
(この女! どんどん化け物じみてきてない!?)
ヘラは髪を逆立て目を血走らせ、口は耳元まで裂けていた。
あふれ出る神気は嫉妬によるものかどす黒くなり、その目は赤く血走っている。
神々の妃というにはあまりに禍々しい。
まるで、悪神。
「ヒサナ! ヒサナ! ヒサナ―!!」
「私は! お母さんじゃない!」
そう叫びながら、陽美香の肘とヘラの拳がぶつかり合う。
衝撃が空間をひび割れさせる。
吹き飛ばされたのは、陽美香だった。
(もっと電気を、高めて高めて! 焼き殺す!)
陽美香の内にある雷神の能力が増大していく。
増幅された電力が少女の胸元から弾け、ヘラを直撃する。
二撃、三撃、四撃。
だが、ヘラは吹き飛ばない。
足で地面を貫き踏ん張る様に陽美香は怯んでしまう。
その隙に、速度を上げたヘラの拳が陽美香の腹に突きささる。
もんどりうって転げまわる少女の束ねられた髪が掴まれる。
顔面を振り回し、地面に叩きつけられた。
痛みに叫びをあげ、血の味が口一杯に広がる。
顔面に必殺の一撃が叩き込まれようとして。
その腕を掴み、両足で首を締め上げる。
三角締め。
だが、ヘラが力を籠めるとふわりと陽美香の体が宙を浮く。
人間の力ではない。
神に関節技は通用しないのか。
陽美香は三角締めから腕ひじき十字固めに移行し、ためらわず腕を折った。
いや、もいだ。
半ばまで断裂したヘラの腕から夥しい出血が起こる。
しかし、神の持つ治癒能力か、その傷はすぐに修復する。
「効いたわ」
陽美香は流血しながらも、ヘラを睨む。
怒りではない、どこか冷めた表情。
「やっぱ関節あるのよねえ。じゃあ、ベキベキにしちゃうか!」
神と言えど身体構造は人間と同じ、つけ入る隙はあるのだろう。
静心、集中。
捨情。
命を取りに来ている相手に情けをかけてはならない。
師の教えが思い出される。
局部に指をいれる。
硬い地面にぶつける。
頭を潰す勢いで突く。
全てを解禁するために今、情を捨てる。
「乙女の髪ひっつかんで叩きつけてくれたんですもの。覚悟してもらいましょうか!」
陽美香は血にまみれながらも高々と宣言する。
その様は戦乙女を彷彿とさせ、さらにヘラを苛立たせる。
「貴様はヒサナにそっくりだ!」
「光栄だわ!」
突撃してくるヘラの眼窩に陽美香の手刀が擦れる。
鬼道流空手擦窩爪。
井上勇美に教わった護身術。
だがヘラは眼窩を手刀で擦られても怯みはしない。
突撃し、喉に食らいつこうと口を開いてくる。
その顎に雷撃とともに拳をうちつける陽美香。
ヘラは首がもがれたように後ろに仰け反りながらも踏みとどまる。
そのまま反動を利用し陽美香の頭に自信の頭を打ちつけた。
一瞬意識を昏倒させるほどの凄まじい一撃である。
ヘラはギリシャ神話で多くの人間を破滅に追いやった荒々しき女神。
その戦闘力は高く、何よりその性質は自身の嫉妬に乗じて攻撃力を上げる。
すなわち感情を昂らせれば昂らせるほど強くなる。
ではこのような相手に力で戦おうとして良いものだろうか。
どくどくと出血する頭で赤羽陽美香は考える。
「……敵が火の心で向かうのであれば、我らは違うところで戦う」
それはいつか、師匠が教えてくれたことだった。
敵が怒っているときは、自分もつられて怒ってしまうもの。
それを自制せねば、技は冴えを失い敗れ去る。
ゆえに、力を抜く。
怒りの心を、置いてくる。
ヘラの渾身の一撃を、柳のように躱す陽美香。
神妃の顔に驚きの色が浮かぶ。
自分の感情を制す。
相手の感情を冷やす。
ヘラの大振りの打撃を最小限の歩幅で躱し、逆に喉元に電撃を纏った手刀を撃ち込む。
たまらず喉元を抑え転げまわる女神を、陽美香はただ見つめていた。
この隙に考える。
思考を巡らせる。
ヘラが跳ね起きタックルしてくる。
陽美香の下段蹴りが女神を転げまわらせる。
水は大地に零れても、巡り巡って海になり、また空へ還っていく。
水は不滅。
形を変える。
「そっか。これが柔かいってことなんだ」
一心不乱に柔術、柔道を極めてきた。
途方もない天才である釧灘大和のもとで。
そう、いつからか釧灘大和のことが嫌いになっていた。
自分と違い男で、師匠に目をかけられ、何より神に愛されたような剣才と武才を持つ少年を。
そして何より井上勇美の恋情を一心に受けるあの男を。
嫉妬してた。
それは目の前の神が自分に向けている感情だった。
相手を理解すること。
相手に応じて形を変えること。
相手の意を悟ること。
水地流柔術極意 応心如水
それは、言われてみれば当然のことであった。
相手がいなければ柔術は使えない。
心を水のようにする。
相手の心の機微を悟る。
鏡のように映る水面のように。
右鉤突き。
ほら来た。
それを弾いて、背中ががらあき。
髪を掴んで引き倒す。
顔面を思いっきり。
「ヒサナ!」
「御免!」
陽美香の右こぶしの一撃がヘラの顔面を陥没させ、大地を破壊する。
雷電が瞬き、空が晴れわたる。
ねちゃりと嫌な音をたて、拳が引き抜かれる。
怪しげな痙攣をする神を見下ろし、ため息を吐く。
「まだまだ修行が足りないわ」
赤羽陽美香VS神妃ヘラ。
勝者水地流“皆伝”赤羽陽美香。
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