輝きへと導く夢
「うっ……え」
込み上げてくるいろんなものを、抑える。
叫びや嗚咽を、次々に殺す。
うわあああぁぁあああっ! あああああああっ!
松木さんが死んだ。
たか子さんも紙谷さんも。
死んでいった。私の目の前で!
夢じゃない。もう、取り返しのつかないことで……何で私は、今まで平気でいられたんだろう。通り過ぎて行った悲しみと恐怖が、押し寄せてくる。大きすぎて受け止められない。
《人をのむ呪い》が解けてる。
ただの人間。ただの日野陽菜に戻った。
私の中でのたうつ感情に、心が張り裂けそうになっている。
ああ。ダメだ。無理。死んだ方が……。
生きてていいハズがない。
苦しすぎる。息もしたくない。
ぎゅっと手に力が入る。
その感触で、私はつぐみの手を握っていることに気づいた。
とっさに自分で掴んだのか。《誰か》がそうしてくれたのか。
私は、つぐみの手を握りしめていた。
この繋がり、この感触。それがなかったらとっくに――
「ひなちゃん?」
心配そうに未羽が声をかけてくる。
血まみれの手と首筋の傷が痛々しい。
どこかでぶつけたのか、小さな鼻がちょっと赤くなっている。
こっちを、じっと見ている。
そうだ。
叫ばずにいられたのは、二人がいたからだ。
つぐみと未羽がいなかったら、私は何も考えられなくなって。
気が狂って……この舞台から転げ落ちどこまでも逃げて行っただろうな。
でも、そうはなってない。
いま私は 張り裂けそうな気持ちを、必死で押さえつけていられる。
二人がいなかったら、心が死んでいた。
「疲れちゃいましたよね。休みましょう?」
「休んで……いい?」
「そうです。頑張ることから離れて……自分を許していいんですよ」
「許し、て……諦めても、いいのかな?」
「大丈夫です。諦めても。あたしと一緒に、気持ちを楽に」
二人がいたから。
私はまだここにいる。しなくちゃいけないことを、やるために。
友だちを助けてない。
私の願いが、心に残ったままだ……叶えなければ。
休んだり自分を許すかどうかは、それから決める。
あれは未羽じゃない。
何か違う。
不安げな声も、いつもの仕草も、癖も。
ずっと一緒に、感動してきた記憶があるから分かる。
作り物だ。作り物の演技。
その目は、未羽が私に向けるものじゃない。
それに……ここにいる私が私じゃなかったとしても。
たか子さん、紙谷さん、松木さんが倒れたこの状況で。
未羽が『未羽らしくいる』なんてことは在り得ないんだよ。
偽物だ。それも、本物に似せようとした――
悪意のある贋作だ。
「苦しみたいんですか?」
ぐちっ。
音が鳴るように口端が歪み、歯をむき出しにして
嫌らしいにやけた表情をみせる。
未羽らしくいることをやめ、異物が顔にわざわざ集まっているみたい。
「黒のかいぶつ……!」
忌むべき《呪い》が解けたのは喜んでいいことだと思う。
私と言う部品も、元通りって訳じゃないけど大半は戻ってる。
ただ、この場面では。未羽の纏う夜空は見えない。
相手の嘘も意図も見破れないし、感情に溺れてしまう。
もう一度だけ、繰り返す必要がある。
人であることを檻の中へ捧げ、私でいることを置いていかなければならない。
ただの人間じゃ、《かいぶつ》には勝てない。未羽は取り返せない。
感情に囚われず、相手の心を覗いて裏をかき、《しるし》から成る檻への入り口に捕らえるか、檻の中へぶち込まなければ……
私の願いは叶わないのだから。
「おいやめろ! もうたくさんだッ!」
つぐみと繋いでいる手をほどき、手のひらへ指先が向おうとする瞬間。
未羽は叫び、右手を突き出して静止を示した。
汗が逃げるように噴き出していく。
手を向けられている。それだけで、充分過ぎるほどの威圧になってる。
まるで、拳銃か……大砲の口が狙いをつけているみたいに。
実際それは当たっているんだろう。
私には見えていないだけで、夜空がいつでも指や手を切り刻み、身体中を穴だらけに出来るんだから。
「キミは身をもって知ったはずだ。自分が自分でなくなることが、どれほど辛く耐え難いことか! それとも、好き好んで選ぶのか? わざわざその思いを」
「……ぅ」
ギリギリで、汗以外を流さずに済んでいる。
涙も、喉の奥に込みあがってくるものも、他のいろいろなものも。
ギリギリで、私と言う人の尊厳は決壊せず守られている。
「今から言うことに嘘はない。よく聞いてくれ」
未羽が手をおろした。目も伏せている。
心なしか、《覗かれている》ような鋭い感覚が、薄れている気がする。
あれ?
息苦しさも、少しずつ楽になっていく。
身体の周りを包んでいた、何かが消えていく。
少なくとも、すぐ近くにはいない。
ただの演出かもしれないけど。そう感じる。
「ひな。キミだけは、ここから帰そうと思っている。私はずっと、その方法を考えていた。今でもそうだ。が、人をのむ呪いが剥がれた今となっては、この状況が望める中で最も良い落としどころだと考えている。削れていたひなの精神も、戻せる部分は戻っているしな」
キセキに近い状態だ、とつぶやいた未羽の
表情が演技かどうかはわからない。
「だが、もう一度しるしを描き、呪いをかければ、二度と解けないだろう。……ああ聞け。呪いとともに、キミの中に棲んでいた誰かを知っているな? それは、私たちの……何といえばいいかな。全てが失敗した時のバックアップ。人格の複製のようなものだ」
「人格の……コピー?」
「そうだ。人格は意思を持ち、キミの精神に引っ張られたのか、あるいはその逆かは分からないけど……入れ替わり立ち替わりではあったがキミと共に在ったはずだ。今は呪いが外れ、檻の中でただ一つ取り残されている状態だが。何度も繋がり、削り補い合いを繰り返し、お互いに限りなく馴染んでしまっていた。もう一度しるしを描けば、戻れなくなる。キミとその人格は完全に融け合いひとつになる」
私を動かしていた誰かに、憶えはある。
二重人格のように私の身体と記憶を共有し、私の中に棲んでいたもの。
それと混ざって、固まって、別の誰かになるってこと?
《呪い》をかければ、私は、私じゃなくなる……?
「キミでも複製でもない、何者でもない誰かが、日野陽菜の身体を動かすことになる。それは、もう人間や怪物とも言えない何かだ。とても気持ち悪いし、おぞましいと思う。……私と戦い、私を打ち倒したとしても戻れないのなら。引くのも一つの方法ではないか? 私は、キミと争う理由がないし……できるなら戦いたくない」
「なんで……? なんで私を、助けるようなことをするの?」
「誰とは言えないが。それが私の中、部品たちの願いの一つだからだ。願われたのなら、叶えたい。だから私も願おう。この想いを……踏みにじるような真似を、させないでほしい」
私を助ける。誰の願いだろう?
きっと、私を知っている誰かの願い。
今は未羽の、かいぶつを動かす部品として取り込まれている。
「未羽は……つぐみはどうなるの?」
「殺す」
その一言に、背すじがぞわりと動いた。
* *
未羽は苦々しい表情を見せたまま、
言いたくないことを溜めずに、続けて放った。
「しばらくは私の夢を叶える為に利用する、が最後には必ず殺す。《星渡り》は手を離れれば害にしかならないからだ。私が動かし管理して、役に立った後で死んでもらう」
「そんなこと……!」
「そんなことでも、聞かれれば答える。いまキミはちょっとした嘘も見破れないが、偽りなく言葉を尽くすと約束した」
なら、私の……私の願いだって。
友だちを助けるって願いを、聞いたっていいじゃないか。
自分だけ助かるなんて――
「キミの願いを叶えることは、できない」
伏せた顔の口端が動いた。
見られているって感覚はないが、
私の思っていることを、正確に分かって答えている。
「あくまで私と、私を動かす部品の願いだけだ。優先するのは私の願い。それに、多くの人生の夢とはそういうモノだろう? 他者と競い合い、自分とせめぎ合い、一方は夢破れる。目指した輝きが無くなるわけじゃない。たとえ叶わなかったとしても……さて」
セリフを区切って、意を決した顔をする。
まるで、舞台本番前の未羽のような顔をしている。
「決めてくれ。意思を私に示せ。敵対する気がなければ、この舞台から歩いて降りるといい。観客席を行き、二重扉を開け、家に帰って眠るといい。ただの人間。ただの日野陽菜として日常に戻るんだ。私は追わないし、攻撃も加えない。キミが望むならここ数日の記憶も消してやる」
何だろう。違和感がある。
いつからかは確証が持てないけど……
《かいぶつ》のイメージが変わった。
別人、って感じじゃないし、どう表現すればいいかな。
今の私は、あっちに都合のいい嘘をつかれたら分からない。
言葉に、裏とか悪意があるとかの判断がつかない。
なのに言っていることが、バカ正直すぎるような気がする。
胡麻化すところ、隠しておく余地を残してない。
ちぐはぐなイメージだ。
交渉が上手くないというか、
飾る言葉は多いけど、同年代の子と話していて時々思うような幼さがある。
不器用に背を伸ばした、大人ぶった子どもって感じの。
二人は助かる。明日にはまた三人で日常に戻れる、とでも言われれば例え嘘だとしても私はかなり舞台から降りやすくなっていたはずだ。
真偽の証明は、普通の人間には出来ないんだから。
「ただ、印を描き、呪いを受けてまでも……私と戦いたがるなら。特に動作は要らない。心の中でそう決めればいい。私は……いや」
それきり。言葉は続かなかった。
顔を伏せたまま、キッカケを待っている。
つまりは、私という舞台装置のキッカケを。
つぐみの手をもう一度握り返す。
反対の手で、胸の前を掴む姿勢を取る。
強く、強く力を入れた。
心はここに在る。
未羽は、《かいぶつ》に囚われたままだ。
身体をいいように使われている。
松木さん達を……傷付けて、私と向かい合ったままだ。
助けなくちゃ。暗い場所から、光り輝く場所へ。
この舞台にいる誰もがそうしてくれたように。
私には未羽が必要で。
未羽もいま私を必要としてくれている。
つぐみの手を離し、手のひらを見た。
《しるし》のイメージを心に描く。形は問題ない。
あとは正確に指で左手に写し取るだけ。
もう一度呪いをかければ、外れないと言っていた。
精神は融け合って固まり一つになるって。
それがどういうことか考えるのは、いま必要ない。
『後悔はやりきってから』にする。
『やらなかったことを後悔』しないために。
だから決める。
――しるしよ。
「しるしよ! お願い!」