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人をのむ呪い  作者: あむろ さく
最終幕 『第九番目のキセキ』
38/54

ダイアローグ

 



 未羽のようなものは、

 にやけた顔のまま身体を揺らしている。


 たか子さんはうめき声一つあげず、

 自らの肩に置かれた手と、そこから胸にかけて突き出たモノと、

 今もあふれ出ている血をじっと見ていた。

 起きたことを十分に理解し、一度大きく頷くようにして血を吐く。

 うなだれて下がった口端からこぼれる血が、静かに舞台床を叩いた。


「……」

「得難い経験だ。『取り返しのつかないことをする』のは。この感情もな」







 かちり。かちり。かちり。がちっッ。ぎぎぎぎぎっッ。

 






 たか子さんが刺され、流れる血のにおいを嗅ぎ取っても。

 刺した人が……よく知っている人の声で喋っていても。


 私は落ち着いていた。

 声も出ない。叫ぶような気持ちにもならない。

 観察でもするように二人を眺めてる。


 妙な心残り、ひっかかりがある。けどなんともない。

 麻酔でもかかっているかのよう。

 そしてもし、と考えて戦慄する。


 もし……

 いま抱いているつぐみの、

 呼吸が止まって、心臓が止まり。

 《読み取れるもの》が消えてしまった時。

 私は、この大切な友達を、別のものだと割り切って無価値なものとして……

 手を離してしまうかもしれない。


 ただ音が鳴り続いている。世界で私にしか聞こえない、

 精神の音。心の音。魂の軋む音が!


「さあ、こちらの部品たちを解放してもらおう。……放っておいても、檻は砕ける運命だぞ?」


 思考の逃げ道もなく、受け入れ始める。

 未羽は、もう未羽でなくなってしまったんだと。

 そしてまだ目の前にいるってことを。


「違う……それは、……違う。この子を、…………して。……おね……い……」


 たか子さんは否定するように首を振り、口から再び血をこぼす。

 すると黒いもやが血を吸ったようにぬめり、未羽の手元に戻っていく。

 引き抜くというより掃除機のコードがボタン一つで収納されていくような滑らかさ。


 たか子さんは日記を手放し、崩れ落ちる。

 日記は……たか子さんが意思を持って投げたのか、

 紙谷さんの方へすべっていく。

 精神のきらめき。魂のようなものが光って離れ――そして消えた。


「ああアアッ! くそおッ!」

「おっと」


 日記に手を伸ばそうとした紙谷さんの動きが止まる。 

 そのほんの先の空間を、弧を描いた夜空が流れていった。

 もし立ち止まらなければ腕が千切れていたかもしれない。


 二人はじりじりと日記を挟んでけん制する形で対峙していた。

 ……未羽が日記を手に取れるなら、黒いかいぶつの鎖はすぐにほどける。

 紙谷さんが手に取れば、さらにかいぶつを強く縛れる。

 あるいは檻の中へ退散させられてしまう。

 そんな考えが、《誰かにささやかれたように》頭に浮かんだ。


「来ないの? ……命を懸けた行動に対して、半端でいいのか?」


 未羽は何本もの黒い腕を空中に揺らめかせたまま、首をかしげて見せた。

 そして悠然と日記を拾おうと一歩踏み出しかけたが、動きが止まる。 

 まずは紙谷さんを、そして次に私を見た。


「それでも、何を犠牲にしてでも、こちらに手を伸ばすはずだ。なぜそうしない? 日記のしるしを持たれるということは、私たちの急所を握るということなのに……」


 未羽の顔は黒く塗りつぶされて、溶けたロウソクのように濡れていた。

 その瞳の辺りがきゅっと細まり……こちらを観察している。


 未羽は何かを考えたあと、血塗れの右手を払うように振った。

 たか子さんを貫いた時に付いた血が、舞台にかかる。

 日記の手前部分……その床が鈍く《しるし》の形に光る!


「ぐ、せっかくの仕込みだってのによォ!!」

「俺達の作り上げた罠に落ちろ。《そう思っていたな》……紙谷リョウジ?」


 紙谷さんの踏み鳴らしていた所……《しるし》から揺らぎが生じてみるみる大きくなっていく。

 かいぶつの口みたいにぐわっと広がって、未羽に覆いかぶさるように迫っていくが、そのにやけた顔は変わらない。逆に青ざめたのは紙谷さんの方だ。


「危うく踏み抜くところだった。だが既に《呪い持ち》の身体は体験済みだ。使いこなせるぞ?」

「うううぅ!? ま、本気かこいつ!? 俺の……《呪い》まで邪魔をッ!」

「想定通りだ。たとえキミのしるしの影響下でも、残り少ない精神を振り絞っても! 《檻の中》を介して湯水のように誰かの部品を使い潰せる……私たちの方が強いようだね?」


 揺らぎがぎゅっとしぼんで、みるみる丸く安定していく。

 アメーバっぽい動きから、粘土を空中で転がすような動きに変わった。

 そしてしばらくして、未羽は手を力いっぱい握りしめると、

 ゆらぎは周囲の空気を巻き込んで破裂した。


 舞台に風が起き、淀んだ空気が吸い込まれていく。

 紙谷さんはそれを目で追って、何もない空間を仰いだ。


 《消しただけ……? あれを、無理やり俺にぶつけることだって出来たはずだ。なぜそうしない!? 俺達を檻へ送ることにはもう固執していない? 奴自身、もう戻るつもりはないってことか? ならこいつの目的は……》


 暗い。入れないな。

 覗けていた心が、また見えにくくなった。

 紙谷さんが押し黙ったまま完全に身体を引くと、忌々し気に舌打ちをした。


「……いつだ。未羽を塗り潰しのは。『檻の中』で未羽がミスった時からか? てめえを捕まえられなかったのは、こっちで把握できん妨害をしてやがったのか?」

「いいや。入れ替わったのはついさっき。それもいくつか偶然に助けられた」


 わざとらしく首を振り、未羽らしくないオーバーアクションで答える。


「そちらが、つぐみの父を利用して失敗に終わった時、彼女の精神はだいぶ揺らいでいた。……『このままでいいのか』『他に方法はないのか』という疑問がよぎっていた。そこに付け込んでいたんだが……うまくいったよ」

「こちらの不手際が、てめえを呼び寄せちまったってわけか」

「そうだ。あの『檻の中』全員で示し合わせて松木アキラが……日野陽菜を刺した時、思わず彼女は動揺し叫んだ。いくら小道具付きの茶番だと分かっていてもな。結果的にあれほど強固だった精神の柱は砂のように崩れ落ち……私が入り込めたのさ」


 ずきんと胸が痛んだ。声が出そうになる。

 血糊で汚れた服。覚えはないけど、本当なのかもしれない。

 そこまでひどいケガじゃなくて、今の痛みは……

 ――もしそうだったら、私が原因で未羽の心を壊したの?


 そんな思いがよぎったからか、

 記憶にないモノをうまく否定できず、じわじわと膨らんでいく。


「どうする紙谷リョウジ。困ったなあ。舞台を降りて全てを忘れるかい?」

「てめえが十年前にしたことを。たか子さんにしたことも。……忘れるかよクソが」


 《どうすればいい。どうすれば、これ以上の救いがあるってんだ? しるしを未羽の身体のどこかに接触させてやれば、このかいぶつどもは檻の中にブチ込める。もうずっと閉じ込めたままに出来る。……だが、それだけだ。つぐみやミツは大きく失ったまま。未羽とアキラは人として戻ってこれない。それで済ませるのかよ……? 犠牲の結果がそれで……七瀬あやね……ひな……たか子さんだって……!》


 私の背中に、汗じゃない何かが流れている。

 何かが、警鐘を鳴らすように囁いている。

 

 後悔とも絶望とも……恐怖とも違う何かが。




 *  *




「紙谷、さん」


 思わず声が出た。

 未羽も紙谷さんも舞台にいる誰も、答えない。

 誰も、私を見ることなく舞台は進行し回っていく。


「七瀬あやねはどこにいる? お前はあやねじゃないだろ? そんなことァ分かってたんだ。後ろの《かいぶつ》の中に混ざっているのか、お前の中に囚われているのか……どっちだ?」

「……」


 今この舞台にはいくつかの混乱がある。


 一つは紙谷さんの胸中。

 思考が入り乱れていて、瞬間の心を読むのが難しい。

 諦めてはいないが、出口のない迷路を走り続けているって感じだ。


 もう一つは私。

 紙谷さんの思考の断片に、無視できない部分があった。

 それを受けて何かできないかを考えているが、

 何をしていいか分からないし動けない。

 まるで、つぐみを抱きしめてこの光景を見送ることが 

 自分の役割のようにも思えている。

 不思議だ。さっきからずっとそうで、今もそうだ。

 見えない台本があって、その通りにしか演じることが出来ないみたいに。


 そして、あと一つは――


 未羽がポンと手を打つ。

 彼女の中でぐるぐると渦を巻いていたものが、消えた。

 迷いとか、葛藤のような……それか、遠慮?

 人間ならスイッチが切り替わるようには出来てない。

 想いを押さえつけ、想いを押しとどめ、限りなく小さくはなるけど、

 手品のように消すことなんて出来ないのに……!


 人が変わる、という言葉がある。

 言葉の通り彼女は何かを消し去り、変貌した。


「ああ、七瀬あやね。向こうに精神と人格を丸ごと捨ててったレアケースだ。本当なら彼女に色々と動いて欲しかったんだよ? そうすれば、十年前にさっさと外へ出られたのにさ。《そう上手くことは運ばない》ってことかあ」

「勿体ぶらなくていい……どうなんだ?」


 紙谷さんの言葉を受けて、台風の目に入ったような不気味な静まりから波紋が広がり、波が立ち、喜怒哀楽の感情を確かめるように黒い貌が何度も形を変えた。


「……ははっ……ハハハハハハ! あやねが!? どこにいるかだってええ?」


 人の不幸を心からあざ笑うような。

 もし観客席に座る人が居たら全員が不快に思う、黒い楽しみと喜び。

 でも特に私から気持ちが湧きあがってこない。

 ただ、全てを知ったうえで。これから揺れ動く紙谷さんの心を見たくて、声を聞きたくて溜まらないって声だ。私にはそれが分かった。


「ハハハハッハハッ! ヒッ……ヒヒッ……あやねは消えたよ。紙谷リョウジ。さっきキミが消したんじゃないか」

「……俺が?」


 そう言って未羽は私を指差す……いや、私が受け止めているつぐみに向けた。


「つぐみに憑りついていたのは、あやねの精神の細切れ、残りカスだ。私たちの願いに彼女は反対した。だから……バラバラにしてやった。ああいや、骨というか、枠組みになる部品は有効に使わせてもらったよ? 揃ったパーツは貴重だったからね。で、人格も思考も維持できなくなったそれをかき集めてつぐみにねじ込んだ。舞台の筋書きからは外れた存在だったけど、キミの精神を削るって意味では役には立ったねえ」


 でもそれも、消えて無くなっちゃった。

 呟くセリフとともに未羽の笑顔は醜く歪む。


「そうか」

「……最高だな」


 紙谷さんは未羽を見据えながら小さく言った。

 胸の辺りを、何か探すように手が彷徨い、きつく握りしめる。

 冷ややかな視線とは違い、その内はぐつぐつと煮え立つ激情を懸命に抑えつけていた。それを全て分かった上でなお、未羽は心を覗き続けている。

 隠しているものをわざわざ暴く……卑しい愉悦の顔をして。


 向こうの檻から手を伸ばしてきた《かいぶつ》は、執念の集まった塊のようだった。

 目的に必要なことを最短最速。それしか頭にないみたいに。

 無駄がないというか、油断も感情もない作業に近い動きだ。 


 目の前のこいつは違う。

 目的の途中、過程を楽しもうとする感情をもっている。

 到達までの彩りを持とうとする。

 狂った人間性……いや、造った精神のずれが狂気を生んでいるのか。

 精神構造は人の部品で出来ている。限りなく人に近い。

 でも、人間ではない。


「《かいぶつ》は檻の隅っこで、怯えて縮こまってろ。それがお似合いだって思ってたが」

「向こうに帰るつもりはない。まあ、キミも私たちを還す気は無くしてしまったようだしね」


 再び、どちらともなく数歩移動して、両者は日記を挟む形で向き合う。

 一方的に睨んでいるのは紙谷さん。

 未羽は……顔が塗り潰されて上手く言えないが、強い感情は滲んでない。今は平坦だ。


「てめえは俺が踏みつぶし、すり潰し バラバラにしてやる。きっと未羽も同意見だ」

「そうかな? キミに私たちの心を覗けるなら、分かるが――」

「その必要は無ェな!」


 未羽が胸に手を置こうとする前に、紙谷さんが腕をふるう。

 舞台上と、腕に刻まれたしるしが淡く光った。






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